ひとり新聞 2002年1月20日号 <鮒の甘露煮>


子供の頃のお正月料理といえば、思い出すのが父の作ってくれた「鮒の甘露煮」です。 年の瀬になって父の仕事が休みになると、俄然、我が家は慌しくなりました。
父はちょっと気難しいところがあったので、母は父に気を使い、その頃一緒に暮らしていた 母方の祖母も気を使っていました。 今にして思えば、家族が少しずつ気を使う暮らしは、居心地が悪いようで、案外良いものだった という気がします。

仕事が休みになるとさっそく父はいそいそと早起きをし、七輪に火を起こし、家で一番大きな アルマイトの鍋で、鮒の甘露煮を作り始めるのでした。今ではお料理好きな男性も珍しくない と思いますが、当時としてはとても珍しかったのではないかと思います。父は大正8年生まれです。

釣り好きの父は、自ら釣った鮒を焼いて乾燥させ保存しておくのです。3センチ程の厚さに 切った大根の輪切りを鍋底に敷き詰め、その上に隙間なくその鮒を並べ、二日間ほど掛けて コトコトと煮込むのでした。
長時間を掛けてゆっくりと炊いた鮒は、骨まで柔らかくなり、隅から隅まで味が滲み込んで、 丸ごと食べることができました。20センチ前後の大きな鮒が中心でした。
魚嫌いの人でも食べられたとか、一人でぺろりと一尾食べてしまったとか、話題の尽きない 「鮒の甘露煮」。型崩れを防ぐために敷かれていた大根にも、味が滲みこんでとても 美味しく、私は好きでした。

昆布巻きを作るのも父でした。丁寧に布巾で拭いて、身欠き鰊などを芯に巻き、干瓢で縛り ます。父が作ると、長さも太さも干瓢の結び目も綺麗に揃いました。母もそれには感心して いて、お任せ状態でした。鮒の甘露煮と同じように、コトコト煮込むのですが、こちらは柔ら かくしすぎてはいけないと言っていました。

父は釣りは好きでも、魚は食べない人で、芯に魚の入っている昆布巻きも生臭いからと口に せず、家族や訪問客に振舞っては、「美味しい! 美味しい!」と、喜んで食べるのを嬉し そうに眺めていました。

父が七輪の前で大鍋の番をしている頃、母は買い物に走り回り、姉と私は家のあちこちの ガラス拭きをしました。
縁側のガラス戸などは内側と外側を二人で挟んで磨きました。曇っている所があるとコンコンと たたき、合図された側はそこにハァーと息を吹きかけて更に磨くのです。
互いにそれを仲良く繰り返しているうちはいいのですが、何かの弾みで口喧嘩に発展して しまうこともありました。
ガラスの曇りというのは、光線の加減で、こちら側からは見えにくく、相手側からは良く 見える。そんな当たり前の事に気が付かない子供時代でした。

戸や窓を開け放してガラス拭きをするので、家の中にも冷たい風が入ってきます。そんな寒さの 中で、祖母が新聞を広げて仏具の手入れをしていました。ピカピカになっていく鐘やお線香立て。 灰を篩に掛けると燃え残った小さなお線香が出てきました。サラサラでふわふわになった灰、 ちょっと少なめになった灰に、お線香を立てるとスーと吸い込まれるように入っていきました。

3日程の慌しい日々が過ぎて迎えるお正月の朝。それは特別に静かで、特別にひんやりして いる朝でした。

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