
失語ライブには、いつも笑いが溢れています!
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ひとり新聞 2002年6月15日号 <bP31>
ひょんなことから、月刊「ブリコラージュ」に「失語症」と「べてるの家」を通して日頃感じている
ことを書いてみました。「ブリコラージュ6月号」で「失語症」の特集をすることは知っていたので
すが、当初はまったく書くつもりはなかったのです。でも、時期を同じくしてSTの遠藤尚志先生にイ
ンタビューをお願いしていて、質問することを整理していたら、急に書きたくなってしまったのです。
じっくりと考える時間がなかったのですが、今の私が感じている「失語症」と「べてるの家」の共通
点をお届けしたくて、「ひとり新聞」に転載します。
言葉の豊かさとは?
〜「失語症」と「べてるの家」の関わりの中で見えてきたこと〜
私のホームページには、「失語症」と「べてるの家」(北海道浦河町にある精神障碍者の共同作業所
兼共同住居の名)という文字が並んでいます。2000年秋にホームページを開設する時、パソコン
の知識のない私は、息子に「これとこれとこれを、並べたい」と、伝えました。
「失語症の方にも分かりやすいようにシンプルに。精神障碍の方は、どうも動くものが苦手らしいの
で余計なものは付けないで…」
すでにホームページのタイトルは決まっていたので、春の海を思わせるイラストに文字だけが並びま
した。
私とべてると失語症
「べてるの家」との関わりは、1995年春、彼らの日常を撮ったビデオ作品「ベリー・オーディナ
リー・ピープル 予告篇」の製作から始まりました。
「失語症」との出会いは、1996年の読売新聞の記事。その記事を読むまで、私は「失語症」とい
う言葉も、「言語療法士(のちに言語聴覚士)」という言葉もまったく知りませんでした。でも、そ
の記事のことが、失語症という言葉が、言語療法士という言葉が、気になって気になって仕方があり
ませんでした。
切り抜いた記事を頼りに所沢保健所に連絡し、初めて会話パートナーのボランティアとして、「失語
症ライブ」に参加したのが、1997年3月のことでした。
何げなく並んでいる二つの言葉「失語症」と「べてるの家」。その当時の私には、その二つのつなが
りは見えていませんでした。
その後も、「べてるの家」の撮影は延々と続き、「ベリー・オーディナリー・ピープル 予告篇」は
全8巻が完成し、「シリーズ 精神分裂病を生きる」は全10巻が完成しています。失語症の皆さん
との関わりは、所沢保健所で経験した「失語症ライブ」の魅力に始まり、言語聴覚士の遠藤尚志先生
と出会い、「失語症友の会海外旅行団」の皆さんと一緒に韓国へ旅したり、「若い失語症者のつどい
」の皆さんと出会ったりと続いています。
そして、二つの関わりの中で気がついたのは、失語症も精神障碍も人間にとって最も大切なコミュニ
ケーション能力の障碍であること、同じ障碍を持つ仲間同士との出会いが大きな励ましになること、
障碍があっても明るく元気に生きていくことができるということでした。
人は、人と人とのつながりの中で支えられ、育まれ、生きてゆくものです。その時に、自分の気持ち
を伝えられない、表現できないということの苦しさ・辛さ・大変さを、失語症の方々からも、べてる
の家のメンバーたちからも知らされました。
話すことから始まる回復への道
「べてるの家」の講演会や上映会の時、メンバーも参加して話をする機会がたくさんあります。そう
いう時に、今まで何度聞いても分からなかった話が、ぱぁーと分かる瞬間があります。何度インタビ
ューしても要領を得なかった話や堂々巡りしてしまった話が、くっきりと輪郭を現すのです。そうだ
ったのか! 分かった! 分かった! 会場の皆さんも頷いています。
「べてるの家」では、それを“講演療法”と呼んでいます。人前で話すなんて大の苦手な彼らですが、
「こんなにたくさんの人が、自分の話を聞きに来てくれたんだ」と思うと、淡々と話す仲間の姿を見
ると、それが力になって話すことができるようになります。
「自分なりに話せばいいんだな」と思うと、頭の中でぐちゃぐちゃしていたものが、すっきりと整理
され、自分の言葉になって出てきます。
それをきっかけに、今まで参加していなかったミーティングやSST(生活技能訓練)に行き
始めることも、めずらしくありません。
そして、その後何度会っても「あの時だよなぁ。話せるようになったのは…」と
メンバーは繰り返して言うのです。
向き合うことでわかるもの
同じように「失語症ライブ」でも、聞いてくれる人の存在が大切です。(失語症ライブでは、言葉の
不自由な方とボランティアがペアになります。)初めて会話パートナーのボランティアとして参加さ
れた方が、「よく(言葉を)理解できなかった」「聞き取れなかった」と、嘆かれるのですが、あま
り気にすることはないように思います。会話パートナーにとって一番大切なのは、「お話、聞かせて
ください」という気持ち持って、パートナーに向かい合うことなのです。
ある日、ムースで髪をツンツンに尖らせた青年が来たことがあります。構音障碍のHさんは、いつも
オシャレなタオルをよだれを拭くために掛けています。そのHさんが、青年を指差してツンツンと合
図をします。私も真似してツンツンとやりました。その青年は、Hさんとの会話にとても苦労してい
たようですが、その日のHさんは、いつもよりずっと生き生きしていました。後でお聞きしたら、H
さんは中学校で教鞭を取られていたそうで、きっとツンツン頭の青年を見て、教え子たちのことを
思い出されたのだろうなぁと思いました。
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Iさんは、「わかんない。わかんない」といつも言うばかり。名前を呼ばれても、やっと手を上げる
ような方です。ある日、若い青年がパートナーになりました。いつになく表情豊かで、さかんにバ
ックを指差します。バックの意味がなかなか分からなかったのですが、そのバックの中に、彼女が
バリバリのキャリヤウーマンとして活躍していたことを示す手帳が入っていました。やっとそのこ
とが青年に伝わり、「すごーい!」という言葉が返って来た時、彼女はからだ全体で大きく頷き輝
きました。
秋のある日「スポーツの秋、あなたはどんなスポーツが得意ですか?好きですか?」という話題で
盛り上がったことがあります。子どもの頃の遠藤先生は「運動会が嫌いだった」とか、いつもきれ
いな声で歌ってくださるUさんが「かけっこが早かった」なんてことも分かりました。
この日、なかなか通じ合えなくて苦戦していたペアがいました。言葉の不自由なJさんが、な
んとか伝えたい一心で絵を描き始めました。ネットのようなものを描いたので「テニス?」
「野球?」「バレーボール?」と、思い付くものをどんどん挙げてみるのですが、どの答えも
「NO!」。
今度は五角形を描きます。野球のベースのように見えるのですが、野球は違うと言われてしまった
ので、会話パートナーの方は困り果ててSOSを出しました。遠藤先生の助け舟もあって、ネットの
ように見えたのが将棋盤で、ベースのように見えたのが将棋の駒だということがわかりました。J
さんの得意なものは将棋だったのです。“スポーツの”のいうキーワードに、こだわり過ぎたため
迷路に入ってしまっていました。
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「そう! そう!」と、いつも素的な笑顔のJさんですが、通じた瞬間の笑顔は格別でした。
道具としての言葉、想いとしての言葉
「失語症ライブ」の魅力がここにあります。通じた! 分かった! この嬉しさは経験した者しか
分かりません。「失語症」というと、その言葉のイメージから言葉が話せない人と思いがちですが
そんなことはありません。言葉は不自由でも、心の豊さは失われていないし、お一人お一人の背景
が見えてくる楽しさも魅力です。かけがえのない人生が垣間見える瞬間、そこに一緒にいることが
できてよかったなと思います。
失語症の方々が発する言葉自体は貧しくとも、一つひとつの言葉に籠められた意味は多様で豊かで
す。受け止める側に、それを感じる力さえあれば、その豊かな世界を共有できるのです。
「べてるの家」のメンバーの中には、長い間引き篭もりという形で、他者との触れ合いを拒否して
言葉を失ってしまっている人たちもいます。自分の中で成長し続ける得体の知れないものが何なの
か? いったい何が起こっているのか? 不安と恐怖の生活に疲れ果て、くぐり抜けてきたメンバ
ーたち。彼らが語る世界のなんと豊かで、魅力的なことか…。長い引き篭もり生活の中で、言葉が
発酵し熟成され、特別上等になっている。そんな気がしてなりません。
人と人が暮らしていく中の便利な道具として言葉は存在しています。そこでは、“共通の”とか
“分かりやすい”ということが重要視されていますが、便利な言葉を、便利に使いすぎて、返っ
て言葉そのものがやせ細ってしまった…。
「失語症」の方々の言葉にも、「べてるの家」のメンバーたちの言葉にも、私たちが置き忘れてし
まった“豊かさ”が詰まっているのではないでしょうか?
“豊かなコミュニケーションとは?”の問いかけを抱えて、もう暫く、「失語症」と「べてるの家」
二つの世界を行ったり来たりしたいと思っています。
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