ひとり新聞 2000年9月18日号 <第4回東京版「若い失語症者のつどい」報告>


  9月9日(土)は、若い失語症の皆さんにとって、記念すべき日となりました。
自分達の手で、企画・準備・実施した“初めてのつどいの日”だったからです。
遠藤先生のいない初めての会でもありました。
司会を務めた林さんは、この日のために入念な準備をしてきました。

初めての参加者も加わり、自己紹介から始まって―
仙台のつどいの報告
美瑛のつどいのビデオ上映
今後の運営方法についてと、充実した時間を過ごしました。

若い失語症者のつどいは、1998年5月に旭川で始まりました。
20代・30代の若い失語症者4人と、家族4人、ボランティア3人(看護婦1・
言語聴覚士2)の合計11人の小さな集まりでした。

東京から参加した言語聴覚士(ST)の遠藤尚志先生は
本州・四国・九州に住むあの人も、この人も誘えばよかった!と
思われたそうです。
つどいの記録とともに、交流を求める若いお二人の文が届きました。

私が遠藤先生を知ったきっかけは、新聞の記事。
4年半程前のことです。
それまで「失語症」という言葉も、「言語療法士(のちに言語聴覚士)」
という言葉も、まったく知りませんでした。
何故か気になって切り抜いておいた記事を頼りに、遠藤先生に会いに
出かけました。
そして、若い失語症者の方々とも、知り合いました。

2回目のつどいは、1999年6月。北海道美瑛白金温泉に、失語症者6人
家族3人+乳幼児、ST5人が集まりました。
この時、藤沢市の林さん、世田谷区の黒澤さん、調布市の中嶋さんも参加し
南富良野の「どんころ野外学校」で、ラフティング(ゴムボートによる川下り)を
楽しみました。

初めて出会ったこの3人は、今や東京のつどいの中心メンバーで
“名物3人組”となっています。

その後、東京、美瑛、東京、東京、仙台と会を重ねて、9月9日のつどいを
迎えました。
遠藤先生は、子供が成長しほっとする時期になって、再び介護という形の
子育てをする“親御さん達のサポートをしたい!”と、考えておられます。

林さんの手紙には―

「若い失語症者友の会」を母体とする全国組織ができないか・・・。
若くして脳卒中による言語障害、半身麻痺になる人は(不幸なことですが)
必ずいるはずです。
この不幸をなんとかして“不自由なことや不便なことは確かに多いが、
私は幸せである”(遠藤先生:介護の目的)に変えたい。
これは、病気の先輩である私達の切なる願いなのです。

「若い失語症者のつどい 東京版」は、若いSTの方々の支援を受けながら
言葉の不自由な方自らが、運営して行こうと動き始めています。
若いSTの皆さんは、“あくまでも、ご本人達の意志を尊重したい”と
行動には慎重です。
呼びかけ人代表を務める林健二郎さんは、全国に点在している仲間達に
呼びかけて、「全国組織に育て上げたい!」と熱い思いを胸に、積極的に
活動しています。

東京のつどいでさえ、皆さんの住まいはバラバラ。
自分達でつどいを! と思っても、言葉の不自由な方々にとって、お互いの
気持ちを伝える、理解することはなかなか大変です。
準備のために、簡単に会うこともむずかしい。
でも、その大変さや苦労の向こう側に、ほんのりとした光りが・・・。
私には見え始めています。
東京のつどいの撮影、2回目無事に終了しました。

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