撮られる側と撮る側


  作品名:AKIKO−あるダンサーの肖像
  監督:羽田澄子
  1985年作品
  日本





埼玉県与野市にある「さいたま芸術劇場」の映像ホールで、アキコ・カンダさんと羽田澄 子監督のトーク付きで、「AKIKO−あるダンサーの肖像」が上映されるというので、出かけてみ ました。

「話すことはとっても苦手」と、おっしゃるアキコ・カンダさんは、緊張した面持ちで、羽田澄 子監督に促されて登場しました。
アキコ・カンダさんが、“話すことがとっても苦手”と言う背景には、言葉に対してとても敏感 で、その上ダンサーなので身体から滲み出る実ある言葉という感覚にも拘りがあって、正確に表 現したいという要求も強いのではないかと思いました。その証拠に、アキコさんのお話は、とて も具体的で、とても魅力的でしたから・・・。

対談相手の羽田さんを、アキコさんは「おかあさん」と呼んでいました。その呼び方がなんとも 愛らしくて、羽田さんも優しく微笑んで受け止めておられました。
「初めてお会いした時に、この方に撮ってもらいたいと思ったの」
具体的な話し合いもないまま撮影は開始され、「私たちを石ころだと思ってくださいと、おっし ゃったの。でも、それは無理でしょう・・・」
今日は撮影に来ると分かれば、練習の日でもお化粧をしていたそうで、「お化粧をして練習をす ると汗でお化粧が落ちて大変なの。だから、いつもはしないのね・・・」

ある日、羽田さんに「今日は、もうお化粧やめてみたら?」と言われて、「お化粧を取ったら、 すごーく楽になったのね」
結局、7ヶ月間の撮影期間で、お化粧を取る前に回ったフィルムは全部ボツになってしまったそ うです。その話になって、「私は撮るのは好きだけれど、撮られるのは絶対にいやだわ」と、羽 田さんが話され、会場は大爆笑になりました。

カメラマンの岩田まき子さんが「すーと撮影に入れた時は、相手も撮られているという感じがし なかったとか、いつカメラが回っているのか分からなかったとか言ってくれる」と話してくれた ことがあります。
撮られる側と撮る側。
「撮ってもいいよ」と、心開かれた関係を作り出すことができるかどうかということも、大きな 大きな課題なのだと思いました。

作品中のインタビューで、特に印象に残ったのは、「肩から先が手ではないと思うの。足も付け 根から先が足ではないと思うの。子供が棒人間を描くように、身体の中心から、手も、足も、生 えているのだと思うの。だから、身体の中心から動かさないと、先だけ動かしても意味がないと 思うの」
「一番大事にしているのは息。どんなに止まった動きでも、息は自然に続いていなくてはいけな いと思うの。なぜなら、身体も止めて、息も止めてしまったら、死んだ動きになってしまうでし ょう」
「ダンサーだから、踊るのは大好き。でも、創作するのはもっと好き」
アキコ・カンダさんは表現者なのだなぁ〜と、しみじみ思いました。


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