2010年6月27日 「びばいシネマ」の撮影
三代目館主の三上政義さんのことをご存知の方にお話を伺おうと思ってお会いした東映北海道映画営業室
のTさんが、偶然にも「びばいシネマ」の娘さんで、お父さまが亡くなられてから閉館しているというお
話を伺って、これも何かのご縁と感じ「撮影させていただけないでしょうか?」と、お願いしてみました。
Tさんは仕事と介護で札幌と美唄を行き来する日々なのに「どうぞ!」と、おっしゃってくださった。札
幌と旭川の中間くらいにある炭鉱町ということくらいしか知識のないまま、浦河入りする前に札幌に泊ま
って、急行で美唄へ向いました。
美唄駅から数分のところにある「びばいシネマ」は、1階と2階に2つもホールがある大きな映画館でし
た。しばらく閉めていた映画館は湿気を帯びてシーンとしていました。もぎりのカウンター、売店の名残
り、赤いカーテンなど、私には懐かしい雰囲気に溢れていて、子供の頃の映画館を思い出しました。ずっ
と回していなかったという映写機に電源を入れてみると動き出したのも感動的でした。
「でも、再開は難しいと思います」と、Tさんは語られていました。
Tさんのお父さまは駅近くの「びばいシネマ」の他に、もう2つ美唄で映画館を経営したそうで、「ご案
内しましょうか?」というお言葉に甘えることにしました。
1館は町と炭鉱の間くらいの所にあり、黄色いタイルのおしゃれな建物でした。今は倉庫として使われて
いるそうですが、当時としてはとてもモダンな劇場だったことが分かりました。
更に進むと元の炭鉱町・我路町に着きました。そこはただの草っ原になっていました。草に覆われて崩れ
かけた建物があって、よく見ると映写用の四角い窓のようなものが見えました。
「昔のフィルムは燃えやすかったから、映写室だけは頑丈な作りしたので、そこだけが残ったのでしょう」
とのこと。緑の美しさが胸に迫ってきました。
炭鉱で働く人たちは3交代だったので、銭湯も、映画館も、一日中やっていたのこと。以前はここに溢れ
るほどの人が居たのだそうです。
ご自宅までご案内くださって、有難いことに昔の写真を捜してくださいました。運良く、炭鉱町にあった
「我路映劇」の写真が出てきました。映画館からずっと長蛇の列が続いている写真です。当時、炭鉱で働
いていた多くの人たちは、今はどこでどうしているのでしょう? 写真を手にそんな思いが頭をよぎりま
した。
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