建物より大きい見事な大看板


2010年7月7日 企画意図と構成の概要


助成金応募の締め切りは6月末でした。ロケの直前に期日指定書留で送くりました。書留で送ると いう条件が付いていたのです。締め切り前の週末には私は浦河へ行ってしまっている・・・。誰か に託すという選択もあるけれど、書類そのものの完成がギリギリ! なんとか締め切りに間に合わ せたくて郵便局へ出向いて分かった方法でした。でも1日余分に前倒ししなければなりません。と にかく、がんばるしかない。

やっとの思いで郵便局に応募書類を持参した後、応援してくれたプロダクションの社長に報告する と「果報は寝て待て!」というメールが届きました。
そうだ! ジタバタしたところでどうすることもできない。果報は寝て待てだ!
応募書類の一部・企画意図と構成概要をご紹介します。



企画意図

幼い頃、映画館の前に立って看板を見上げるとワクワクした。入口の先にはひんやりとした暗い空 間があった。そこは別世界の入口だった。
映画が一番身近な娯楽だった時代。家族や友人と一緒に出かけ、映画の話をした時代があった。正 月上映に長蛇の列ができている「大黒座」の写真が残っている。通りに向ってスピーカで音楽を流 していた時代を記憶している人がいる。その記憶を記録しておきたい。

初代の「大黒座」では、映画の他に旅芝居や浪曲や講談なども演じられていた。2代目の「大黒座」 は映画の全盛期を経験している。殺到するお客さんから入場料を受け取ると整理できずにザルに放 り込んでいたのだという。(まるで魚屋や八百屋のように。)
北海道の小さな町「浦河」で、映画館は常に文化発信の中心地だった。

しかし、テレビが登場しビデオが普及して行く中で映画は衰退していった。同時に北海道・浦河の 町も衰退していった。十勝沖地震を機に魚場が変わって魚が獲れなくなったうえに、1艘の船に乗 る漁師の数も減っていく。輸入馬の増加で牧場もつぶれていった。浦河の町は過疎化が一挙に進み、 映画館のお客さんも急激に減っていった。

厳しい経営状況から何度も映画館をやめようと思った3代目館主・政義さん。クリーニング屋で赤 字を埋め、光熱費のかかる冬場は土日だけ開館する週休5日でしのいだこともあった。そうまでし て映画館を続けてきた思いはなんだったのだろうか?
この時代に過疎の町で映画館を経営することがどんなに大変か知りながら、映画館を継ぐ決心をし た4代目館主・雅弘さんと佳寿子さんご夫妻。二人の映画への思い、映画館への思いはなんなのだ ろうか。

『小さな町の小さな映画館』だけれど、いつも応援してくれる町民が居た。「浦河映画サークル」 の代表・Iさんは、栄養士を辞めて中学生からの夢・パン屋さんになった。「大黒座」の看板を描 いているUさんは、どうしても看板屋になりたくて札幌に修行に出た。「大黒座」の全プログラム を見ているSさんは元エンジニア。和種の鶏を平飼いして安心健康な卵を提供している。そして、 その卵をパン屋のIさんが使っている。「大黒座」を応援する人々には夢を叶えて暮らしている方 が多い。
そうした人たちを「大黒座」がネットワークの核となってつなげている。「大黒座」を応援する人 たちは経済的には豊かではなくても、心の豊かさや文化の豊かさを享受した暮らしを作り出してい る。そこから、浦河の町に豊かなコミュニティが生まれてくる。

「大黒座」は映画という映像文化を発信するだけでなく、心の豊かさや暮らしの豊かさという地域 文化の情報発信基地としての役割も果たしている。町に映画館がある幸せ。住民に大切にしてもら える映画館の幸せ。
そんな『小さな町の小さな映画館』の姿を描き出していきたい。



構成の概要

毎年11月のある土曜日。
「小さな町の小さな映画館」がむんむんした熱気に包まれる。小さな映画館が大勢の人でぎっしりと なる。「大黒座まつり」だ。小さな映画館「大黒座」を応援する人たちが催す手作りのお祭りの日で ある。
舞台はフォークジャンボリーあり、琉球三線あり、手品あり、そして高校生のロックバンドも登場す る。ロビーでは、うどんがふるまわれ、とりどりのパンが並び、カレーがあり、もちろんアルコール もある。

「大黒座」は北海道浦河町・人口1万4千人の小さな町にある小さな映画館。創業92年になる。最初 は、初代館主・三上辰蔵がドサまわりの講談師や浪曲師を招いて自宅を開放し客を呼んだのがきっか けだった。当時の浦河は漁業の盛んな豊かな町だった。
船大工だった辰蔵が弟子と一緒に建てたと言われる初代「大黒座」の外観は堂々とした芝居小屋の風 情がある。「大黒館」という名にしてしまうと活動写真以外の興業ができないという規制があって 「大黒座」とし、旅回りの芝居なども演じられてきた。
映画の最盛期は浦河町も賑わっていた。漁師たちは漁から戻ると冷えたからだを銭湯で温め、映画を 見て、それから花街へ繰り出したのだそうだ。

やがて、映画の衰退期がくる。映画館の経営は一挙に苦しくなった。映画館の赤字を補填するために クリーニング業を始め、土日だけ上映する週休5日制にしてまでも映画館を続けていた。そんな時期 に、いつまでも浦河で映画を見たい、浦河から映画館をなくしたくないという人たちが「浦河映画サ ークル」を作った。そして、さまざまな応援をする。本当に映画が好きな人たちだ。自前の映画祭 「浦河映画祭」を「大黒座」で開催し、ついに映画を作って上映までしている。

やがて浦河のメインストリートの拡幅工事が始まって、2代目「大黒座」はセットバックしなければ ならなくなった。その時、3代目館主・政義さんは、それを機に映画館を閉じようと考えていた。し かし、そんな大変な状況の中で、4代目館主の三上雅弘さんと佳寿子さん夫婦は、チャンスだと考え る。老朽化した建物、傷みの出てきた映写機・・・。今までできなかったことができる! と、映画 館を続けることを決心する。二人は映画が好きで惹かれあい、映画の感想を交換し合って結ばれた夫 婦だからだ。そして、座席数48席のミニシアター・3代目「大黒座」が誕生した。

映画館が生まれ変わっても経営の厳しさは変わらない。「大黒座」を応援しようとする町の人たちの 輪が広がる。「大黒座まつり」が生まれ、「サポーターズクラブ」が生まれた。町の人たちが、町に 映画館が必要なことを心から感じているからだ。
映画そのものはもちろん文化である。しかし、浦河の人たちは映画館が存在することが町の文化だと 確信しているからだった。




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