2004’全日本Jr.サマージャンプ大会・長野シリーズ
 
 夢に向かって大きな一歩
 
 智文(小6)小学生の部、総合優勝 !!
  
木島平大会(第1戦)、飯山大会(第3戦)優勝

               
      2004年8月7日

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全日本ジュニアサマージャンプ大会 長野シリーズ

   
第1戦 木島平大会   優 勝
   第2戦 野沢温泉大会  第2位
   第3戦 飯 山大会   
優 勝

 この瞬間..親としてコーチとして震えが止まらなかった。
 Jrサマー長野シリーズは、家族が本格的にジュニア選手応援を始めた
思い出の大会だ。野沢温泉の山の上でテントを張り、伊東 大貴選手(当時、下川中1年)や中村謙仁君(白馬南小6年)を家族で応援をした。この時、まさか我が子が総合優勝をねらうまで成長するとは思いもよらないことだったのだ。

 3年前、兄・和大(当時小6)はシリーズ前の木島平での練習で生まれて初めてK点ジャンプを体験し大いに自信をつけた。その自信を持ってシリーズ総合12位でSAJポイント(15位以内)を獲得した。弟・智文はより高い目標として、どれか1戦でも優勝し総合の表彰台をめざした。できれば兄弟にとってホームともいえる木島平で優勝し、恩返しにしたかった。
 5月より靴と金具を替えた智文は、攻めるジャンプができるよう
になり、脚力のジャンプには負けない自信がついた。しかし、それは同時に正確なタイミングと、体全体を使う動きが要求される。北海道の連戦で僅差で競り負けた経験は、勝負強さを学ばせたのだろう。
 シリーズ開幕初戦、木島平大会では1本目にやや固さが見られ
たものの、2本目では同じ飛距離で飛型点で勝つしたたかさを見せた。生まれて初めての逆転優勝。本人の気持ちの中には、すでに総合優勝の目標がはっきりしていたのかもしれない。

 表彰式でのプレゼンターは、光栄な事に木島平村村長だった。3年生の時、村長の前で得意のけん玉を披露したが「おい、けん玉よりジャンプでうまくなれよ」と言われた。4年生の時は、表彰式の際、頭をなでられた..。こんどこそ小さな体は胸を張った。

 第2戦は、鬼門の野沢温泉。小さな台なので脚力がモノをいう。




 ジャンプの神様は智文に希望を与えたようだ。
 小さな体では不利となる野沢大会では、3位いないにつけることが総合優勝への条件だった。飛距離では4位..「かろうじて望みはつないだ」と胸をなで下ろしたところ、表彰台では2位に立つことができた。飛型点の良さで挽回したのだ。

 シリーズの戦いというのは、たとえ小学生の世界でもポイントの計算に気を使う。最終戦の飯山大会を前に、僅差でトップではあったが、野沢の宮崎選手と北海道の高梨選手がピッタリついている。智文が優勝できれば文句なしだが、優勝を逃せば何位になったか、他の2人がどうだったかで総合優勝の行方は変わってくる。

 1本目、地元飯山の元気者・竹内寿選手(小5)がK点をマークしてきた。(写真左)そして、総合3位の高梨寛大(北海道・上川)選手も力強いジャンプでK点をわずかに越える。智文もK点をマークし3人が並ぶ。僅差で野沢の宮崎選手、徳武選手が追っている。
 飯山の飛距離判定のみなさんは、みんなJr大会で模範となる。どこの選手でも良いジャンプには全員が拍手を送り、緊張する小学生には激励の言葉をかけてくれる。「イキマ〜ス」というかけ声がおなじみになった智文には、ひときわ声援を送ってくれる。
 だが、優勝をねらう子ども達の耳にはなかなか伝わらない。心なし2本目はどの選手も動きが固かった。そんな中、1本目2位の高梨寛大選手がK点越えの30.5m。
 「最長不倒で勝つ」幼い顔で平然と宣言した智文は、この時、親も驚くほど大人の顔になっていた。

 力強い踏み切りから飛び出した2本目は、コーチングボックスからその姿が見えなくなるまで風にのった。31.0m..ジャンプ台記録タイの飛距離がコールされた。智文は電光表示板で勝利を確認すると、手を高々と天に突き上げた。

 誰から見ても6年生には見られない幼さだけれども、誰も教えてくれない勝負感は確かに身につけたようだ。トロフィーを受け取る姿は、まるで卒業証書を受け取るようだった