
| どべ吉は、まだ5歳です。しかし、身長が100cmにやっと届いたばかりなので、ウェアーによっては、3歳に見られます。 兄ちゃんは大事に大事にスキーを教わったのに、どべ吉の方は、2歳の時から背中にロープをつけられて、犬の散歩のように滑らされました。よく人形とまちがえられて、ボーダーが飛び越えていきました。 今回も、サッツだとか前傾だとか難しい言葉はわからず、オマケみたいな存在です。父親も少年団のコーチの人たちも、兄ちゃんの方しか指導してくれない。一生懸命、ランディングバーンを直滑降してアピールするけれど、お尻が落ちてウンチングになってしまう。3日目に、兄ちゃんが5m台を飛べるようになったときも「ボクもやりたい」と言ったけれど、コーチの先生は「下の子には無理だ。やめておきなさい」といわれ、下唇をかんだのです。 無謀な両親は「怪我をしても親の責任」と言って、コーチが見ていない間にどべ吉を飛ばしてみる画策をしました。 いよいよ飛べる!!(^^)!父親が兄ちゃんにアプローチ姿勢を教えているとき、どべ吉も額を父親のお尻にくっつけてマネをしてみました。 兄ちゃんと違ってスタートではこわくなかったけれど、滑り始めると板が開いてしまいました。見事、着地に失敗して、ランディングバーンをコロコロ転がっていきました。 コーチの人達がクラブハウスから飛び出してきました。どべ吉の両親は、この無謀な画策に対して怒られることを覚悟しました。ところが...、「お母さん!板をあげてやりなよ。もう1本飛びたがっているじゃないか‥」両親は胸をなで下ろしました。 で、もう1回挑戦したけれど、再び転倒‥。コーチがボソリとつぶやきます。「兄ちゃんより‥立ち上がりが鋭いな‥」 この日は、興奮と満足感で練習が終わりましたが、車に乗ったとたん死んだように眠ってしまいました。結局、夕飯も食べずオシッコもいかず、次の日の朝の星座占いの時間まで、目が覚めることはありませんでした。 次の日の目標は、立つこと‥ですが、父親の言う「ひざでスキーをおさえろ」という意味はわかりません。母親がこっそり耳元でささやきました。「猫ちゃんになってすべるのよ‥」いわれるままに猫になったつもりでスタートすると、やっと着地で立つことができました。 「ただいまの飛距離、4m50‥」さっきから横でニヤニヤながめていたサングラスのコーチ(渡瀬弥太郎・道連コーチ)がそばに寄ってきて、大きな握手をしてくれました。 |
年が明けて札幌の大会では、どべ吉は応援専門のはずでした。なぜなら、参加資格は小学生以上だからです。しかし、アトラクションで参加した前日の公式練習では、予期せぬ注目をあびる事になります。10m級の台で、1回目、7.5m飛び、両手を広げてしっかり立ったのです。 役員や少年団のコーチ達からどよめきがおきました。中学生の選手達も声をかけてくれました。調子に乗ったどべ吉は1回飛ぶごとに、少しずつ飛距離を伸ばしました。板もなんとなくV字に開くようになってきました。秋田県連のコーチが、父親に叫びました。「チビちゃん、大会に出さなきゃダメだ!交渉してやるよ!」 大会当日どべ吉は、かつて経験したことのない緊張感におそわれました。誰に何を言われても、まったく耳に入りません。「ゼッケン6ばーん。どべ吉くん‥。東京・調布少年団」とアナウンスされるし、いままで付き添いでいた母親も、板をあげるだけで、スタートゲートには入れないのです。トライアルでは、ジャンプにならずバーンにたたきつけられました。父親よりも速く、たくさんの役員やコーチの人たちが駆けつけ、抱き起こしてくれました。そして、みんな口々に転んだときの姿勢や、アプローチの姿勢、安全テレマークを教えてくれました。 そのおかげか本番の1本目では、タイミングが合いませんでしたが、しっかりテレマーク(もどき?)も入りました。スターターの田口信夫氏が声をかけてくれました。「次も立つんだぞ!」 その時、どべ吉は秋田県連コーチ氏に呼ばれ、秘策を授かったのです。「いいか、あの笹の葉っぱの線を越したらガッツポーズをやりなさい。目立つようにだぞ!」 2本目は、札幌ノイズの人たちの太鼓の声援に燃えました。タイミングも合い、言われたとおりにガッツポーズも入れました。 表彰式までの長い長い間、どべ吉はまんじりともせず抜け殻のように雪の上に座っていました。トロフィーもらえるかなぁ?2位でも、3位でもいいから表彰台に上がりたい‥。飛距離の合計で4位だったことを知っている父親は、いたたまれずに人混みの中に隠れてしまったのです。 「第2位‥東京・調布、どべ吉君」会場に再びどよめきが起き、どべ吉は中学生選手に背中を押されて表彰台に上がりました。どこからか大きな声が飛びました。「親は、どこいったんだ?」 閉会式の後、どべ吉と兄ちゃんはいろいろな人に握手されたり、頭をなでられました。札幌五輪メダリスト金野昭次氏(現・東京美装)からは、「オジサンと一緒に写真に写ってくれる?」といわれ、記念写真も撮りました。父親は…、横で体が固まっていたようでした。 |