ジャンパーへの憧れ(2) Wadai’Diary
by内藤和大(1999年1月)
※子どもの作文でも、著作権は尊重していただくようお願いします
| われたゴーグル -1999年・ぼくの正月- | ||||
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| ぼくにとって、こんなお正月になるなんて夢にも思っていませんでした。 1999年の元日は、山も空もこおりつくような一面の雪景色の中、ぼくたち家族だけしかいない北海道のスキー場で、高く遠くへ飛ぶための練習をしていました。 ぼくの体験の「はじめの1歩」となるお正月となりました。 |
⇒【立て。立て。立ったぁ!】 下川町についた次の日、はりきってスキー場へ行きました。朝から晴れて、こおった青空が広がっていましたが、キリのようなうすい雲からはチラチラ雪が落ちてきます。 「おっ、やってる。やってる。」 20m級のスタート台に10人ぐらいが集まっていました。 |
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![]() HBC北海道放送 |
さぁ、ぼくたちも準備をして飛びます。いくぞ、と思ったとき、お父さんが、 「飛んでみるのは午後から..。その前に、ちゃんと整備しなくちゃダメなんだ。」と言いました。 ジャンプ台の整備は、ふつうのスキー板でつもった雪をふみます。中学生のお兄さん達が、50m級の台を整備し始めました。それを見て、ぼくはびっくりしました。 足首のスナップを使って、小刻みにピョンピョンはねてふんでいるのです。ぼくもやってみましたが、失敗して転んでしまいました。 やっとのことで整備が終わり、(次は何をするのだろう?)と思っていると、お父さんが、 |
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| 【夢大きく、北海道へ】 「さぁ、出発だ。」 ぼくたちは、スキージャンプを体験しに、この北海道へやってきました。 長野オリンピックも終わった今年の夏、長野県で全国少年ジャンプ大会がありました。その応援を家族でしたとき、野沢温泉に小さなサマージャンプ台があることを知りました。ぼくは、(こんなに小さいんだったら、ぼくでも飛べるかなぁ。もし飛べたら、やってみたいなぁ。)と思いました。 その時、千田選手から、 「ジャンプをするなら下川町においでよ。きっと、うまくなれるよ。」 と言われました。そのことがきっかけで、この冬、北海道に来たのです。 スキージャンプというのは、スピードの出る助走(アプローチ)をすべりおり、高く遠くへ飛ぶ競技です。単純そうにも見えますが、飛型や着地など、しゅん間的に体を動かす難しいスポーツです。さらに、屋上から飛び降りるぐらいの恐怖心があるそうです。そんなスキージャンプを、この北海道に挑戦しにきたのです。 |
「さぁ、バーンをどんどんすべりなさい。」 ぼくは何のためにするのかわかりませんでしたが、やっているうちにわかりました。すべりに慣れるためと、ランディングバーンをしっかりかためるためです。 だいぶ慣れてきたときに、20m級のジャンプ台の方にいたお父さんに呼ばれました。行ってみると、20m級のランディングバーンをすべってみるか?と聞かれました。滑るだけなら大丈夫だろう、と思いましたが、上から見るとほとんどガケです。 お父さんの横に、秋田県スキー連盟の渋谷先生という人が立っていました。先生は大きな声で「エライゾ。ガンバレ!」と言ってくれました。 ぼくは思い切ってすべりました。K点を越えると風をたくさん受けてこわかったけれど、気がつくとブレーキングトラックに立っていました。 午後になって、いよいよ飛びます。ぼくは、とてもたのしみでした。 スタート台に立って下を見ると、着地するところが見えないので、こわかったです。白馬のジャンプ台のスタートゲートにたってもこわくなかったのに、どうしてでしょう? 「こわい!」とふるえた声がでてしまいました。 |
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| 【ジャンプ王国・下川】 ぼくたちがジャンプをしにいくところは、まさにジャンプの王国、下川町です。 下川町は、北海道の北にあります。人口は4500人ですが、日本で45番目に広い町だそうです。寒い土地としても知られていて、真冬は-30度まで下がることもたびたびあるそうです。 下川スキー場にはリフトはなく、ロープトウで登ります。ゲレンデは1つですが、横には10m、20m、30m、50m級と4つのジャンプ台があります。それぞれの台のランディングバーンが長く、斜面が急で、ずいぶんたてに長いように感じました。 下川町の子どもは、ぼくのことを見て「ガンバレー」と応援してくれました。下川町の子どもはみんな、やさしいです。ジャンプ少年団に入っていない小学生が、小さな台を上から助走をつけては、バンバン飛んでいきます。北海道の子はすごいなぁ、と思いました。 そしてこの町は2人のオリンピック選手、岡部選手と葛西選手が育っている町なのです。スキージャンプもできる。クロスカントリーもできる。2人もオリンピック選手が育った、まるでジャンプの王国です。⇒ (左上へ続く) |
すると、下川でお世話になっている、みのや先生は、「じゃぁ、今日の練習はやめておこう」と言いました。しかし、ここまできてやめるわけにはいきません。勇気を出してスタートしました。 アプローチで(ころぶかもしれない。)と考えてしまいました。だから心の中で、 「立て。立て。立ってくれ!」 とさけびました。 気がつくと、うまく着地できていました。 「立ったぁ!」 ころばずに飛べたのです。踏み切る直前、いっしゅんだけ(こわい!)と思ったけれど、空中になるとあっというまでした。その時、ジャンプとはどんなものか、ちょっとだけわかった気もしました。 1度飛んでしまうと、もうこわくありません。これから後は、この10m級の台では、ほとんどころぶことなく練習をすることができました。⇒ |
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| ⇒【20m級に挑戦】 下川町での5日目の朝、いつものように、8時にみのや先生の家を出発しました。 前の日の夜、お父さんは夜遅く帰ってきました。−28度まで気温が下がったそうですが、北海道へきて1週間以上たつので、寒さにもなれてしまいました。 ジャンプ台に着き、まず最初にやるのが台の整備ですが、雪を踏むのにもなれました。歌を歌いながらポンポンふむと、ころばずにうまく ふめるのです。 練習が始まり、10メートル台を5本ぐらい飛んだところで、山の上の渋谷先生からよばれました。20メートル台のランディングバーンをすべります。最初はがけのように思えたバーンも、ひざと足首を曲げて、しっかりと滑ることができるようになりました。 5本ぐらい滑ったところで、渋谷先生はこう言いました。 「ここを、どんどん滑ってな。自信がついたら、自分からお父さんに『20を飛ばしてください』と言うんだぞ。自分が飛ぶんだからな。自分のジャンプなんだから。」 |
⇒ 【1年の始まりはジャンプ台にあり】 今年の元旦は、生まれて初めて北海道の雪深い中でむかえました。お父さんは、朝、暗いうちにみのや先生の家を出て、ジャンプ台の整備の手伝いをしていたそうです。 朝7時すぎから、テレビで下川ジャンプ少年団の生中継があったので、みのや先生の家で見ました。下川の少年団のみんなは、大みそかも元旦もジャンプです。それも、毎年のことだそうです。 お昼ごろ、お父さんが戻ってきたので、みんなでお雑煮を食べました。ぼくは、力がつくように、おもちを4こも食べました。 新年のあいさつをした後、みのや先生にスキー場に連れていってもらいました。 スキー場では、少年団のみんなも練習が終わり、ぼくたち家族しかいません。 シーンとした広い白い丘の上で、ぼくは初飛びをしました。踏み切りで、けってひざをのばすと、体が宙にうきあがり、とても気持ちがよかったです。 |
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| 渋谷先生は、60歳を過ぎていますが、がっしりとした、テレビに出てくる家老様のようです。初めてあった日に、「君は勇気のある子どもだ」 といって、ぼくのむねに、国体役員のメダルをつけてくださいました。太くてやさしい声は、ズッシリとむねにひびきました。 でも、正直にいうと (こんな、おっかない台を飛ぶのは、今はむりだ。もっとうまくなってからにしよう。)と、考えていました。 |
![]() 下川ジャンプ少年団との初詣(北海道神宮) |
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| お昼になって、お弁当を食べるためにジャンプハウスにもどりました。小屋に入ろうとすると、お父さんとお母さんが出てきました。 「おい、もう少したつと渋谷先生は、秋田へ帰ってしまうぞ。スモール飛ぶんだったら、今しかないぞ。やってみろ。」 「でも…」 ぼくには、まだ自信がありません。すると、お父さんは、 「風になってみろ。もし、こわいならやめとけ。どうする?北海道まで何しにきたんだ。」 といいました。 ぼくは、こわくてなみだが出てしまいました。でも、ここであきらめたら、もう大きい台は飛べないかも知れません。そうしたら、大会に出るのもあきらめなくてはいけません。 「よし、じゃあ、いってくる。」 気がつかないうちに返事をしてしまいました。お母さんは、 「こわかったら、やめてもいいんだよ。」 と言ってくれました。お母さんは泣いていました。自分が飛ぶんじゃないのに…。 ロープトウにのっているときは、立つことだけを考えました。そして、渋谷先生に、 「大きな台を飛ぶので、よろしくお願いします。」 と言いました。すると先生は、 「ほう、ほう、飛ぶのか。アプローチではな、ひざをしっかり曲げるんだ。踏み切りはけらずに、ポンと飛び降りるだけ。もう、それだけで十メート ルはいく。着地の時はひざを曲げて、手をしっかり広げる。それだけだ。わかるか。」 ゆっくりと、わかるように教えてくれました。 「はい!」 スタート台から町をながめました。真っ白な丘が続き、ところどころに家が豆つぶのように見えます。とてもきれいです。 しんこきゅうをして下を見ました。踏み切り台の下は見えません。見れば見るほどこわくなるので、渋谷先生に言われたことだけをむねの中でくりかえしました。 「ハーイ」 「さぁ、こい!」 秋田県の少年団のみんなが、「ガンバレー」と応援してくれて、力がわいてくる気がしました。 アプローチでは、(こわくない、こわくない)といい続けました。 ブゥワッ‥10メートル級より、ずっと高く宙に浮きました。着地するだろうと見た場所をアッという間に通り越しました。体にすごい風を受けました。 しかしその時、バタン、ズズン…。 自分でも何がおきたのかわかりませんでした。顔からてんとうして、ランディングバーンをころがっていたのです。上から、 「大丈夫か?」 という声が聞こえました。けがはないようです。どこもいたくはありません。しかし、なみだが止まりませんでした。何で出てきたのかわかりませんが、心臓だけがドキドキする音が、頭のてっぺんにひびいてきました。 お母さんが走ってきました。渋谷先生が、大きな声で、 「お母さん、行っちゃダメだ!大丈夫だ!」 とさけんでいるのがきこえましたから、ぼくは、すぐに立ち上がりました。 ジャンプ台の上に向かって「どうも、ありがとうございます」と、大きな声でいいました。先生は、 「もう、こりごりだ、なんていうな。がんばれ。ハッハッハ‥」 と太い声でわらいました。ぼくもつられてハッハッハと笑いたくなりました。 お弁当の後、練習の用意でヘルメットをかぶろうとすると、ゴーグルに穴があいていることに気がつきました。ころんだときにこわれたのでしょう。お母さんは、それを見て、 「飛んだときの、くんしょうだね。」 と言っていました。ころんだだけで、われてしまうなんてスゴイとおもいました。少年団のお兄さん達からも、 「すごいな。」「カズ、こわくなかったか。」 ときかれました。5年生の圭吾兄ちゃんは、 「おれも、初めて飛んだときこわくなかったぜ。仲間だな。」 と言われました。 なんだか、むねをはりたい気分になりました。 少年団の克彦先生が小屋に入ってきて、 「君も、そろそろスモールに挑戦しますか?」 と聞いたので 「ぼく、もう飛びました!」 というと、びっくりしていました。 後で知ったのですが、ぼくの左目はゴーグルのふちにそって、あざになっていたようです。でも、あざはすぐに消えてしまいます。だから、その「われたゴーグル」は、東京に持って帰ることにしました。 ⇒ (続きはこちら) |
次の日、1月2日は、朝4時に下川町のバスに乗って札幌へ出発です。3日には、札幌の荒井山スキー場で、小・中学生のジャンプ大会があるからです。 今年の初もうでは、ジャンプ少年団のみんなと北海道神宮でお参りしました。みんなは、ぼくのことをカズ、カズとよんで仲よくしてくれます。ぼくには弟のともちゃんがいるけれど、兄弟がいっぱいふえたみたいで、楽しい初もうでになりました。 荒井山スキー場に着いて、じっと、ジャンプ台をにらんで考えました。(この台は下川より小さいけれど、ちゃんと飛べるかなぁ。) その日の練習が終わるとき、秋田の渋谷先生に呼ばれました。 「君は、明日、10m級で参加するんだ。がんばるんだぞ。」 と言われました。ぼくは、とてもうれしかったです。まさか、ジャンプを始めて1週間で大会に出られるなんて思っていませんでした。それに、10m級なら自信を持って飛ぶことができます。 夜になって、少年団のみんなや大人の人たちと焼き肉屋さんで集まりがありました。少年団のみんなは8人しかいないのに、12人前もたのみました。あとからもどんどん運ばれてきたので、さすがにおなかはパンパンにふくれました。中学生のお兄さん達は、8人前も食べた人がいます。こんなに食べて、次の日ちゃんと飛べるのかなぁ、と思いました。 【今年の目標、風にのりたい】 「では、これから開会式を始めます。」 競技役員の人たちが、マイクを持ちながら、ズラッとならんだプラカードを見ていきました。第19回はまなすライオンズクラブ杯全国少年ジャンプ大会の開会式です。ぼくは、今までにないような、すごい緊張していました。 「‥秋田・鹿角からも来てくれましたね。おおっ、すごい!東京にもジャンプ少年団があるんですね!!」 ぼくたち兄弟は、台の上に上がって紹介されて、なんだか顔があげられませんでした。まわりの札幌や小樽の少年団の人たちもびっくりしていました。 トライアルジャンプが始まりました。ぼくのゼッケンは14番。弟のともちゃんは6番でした。ともちゃんは、カチンコチンになりすぎて、はでにころんでしまいました。 ぼくの番がきました。 「14ば〜ん、内藤君。東京調布少年団。」 自分の名前が、向かいがわの山までとどくようでした。ますます体が固くなり、ころばなかったけれど、6メートルしかいきませんでした。 1回飛ぶとちょっと楽になり、本番1本目は7m、2本目も同じ7mでした。まあまあだったと思います。 中学生の大会の後、ようやく待ち遠しかった結果の発表があります。下川の少年団のみんなは、さすがにすごくて、中学生の大貴お兄さんや小学3年生の謙司郎君の優勝だけでなく、転倒してしまったふみや兄さん以外は、全員、表彰台に上がります。 「結果を発表します...。1,2年の部、1位○○君...。2位、内藤君...。」 なんと、弟のともちゃんが2位に入りました。 「3年生の部、1位伊藤君、2位○○君、‥6位内藤君。」 ぼくは、6位になりました。学年の部では最下位だけど、やっぱりトロフィーがもらえてうれしかったです。 ぼくが下川町へ来たのは、まず小さい台でも飛べるようになるためです。着地するところが見えなくて、ガケのようになっている下川の台を、飛ぶことができました。 そして、今度は大会に出ることを目標にして、大みそかも元日も練習しました。 この大会で、大きいスモールヒルは飛べませんでしたが、小さい台で参加してトロフィーがもらえました。それは、多くのまわりの人にやさしくはげましてもらったり、教えてくれたりしたことと、自分の勇気でとったトロフィーだと思います。「勇気」とは、自分にとってこわかったスモールヒルを飛べたことです。ぼくは、コワイと思っても、きもちさえあればできるということがわかりました。 そのあかしとして「われたゴーグル」ができました。また、ゴーグルがわれたのは、新しい目標の最初の一歩だったように思います。だから、今でもゴーグルを見ると(こわかったんだなぁ、がんばったんだなぁ。)と思います。だから、(またやりたいなぁ。)という気持ちが出てきます。 今度飛ぶときは、「風を使ったジャンプ」で、K点ぐらいまで飛んでみたいです。 冬休みの宿題『家のお正月』として、学校へ提出したものです。クラスの子に北海道のジャンプ少年の冬休みを紹介する意味もありました。 |
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