ジャンパーへの憧れ(3) Wadai’Diary
   
 by内藤和大(1999年2月)
            
子どもの作文でも、著作権は尊重していただくようお願いします


夢ふくらむスポーツバッグ  -秋田・鹿角合宿の思い出-
 2月26日朝6時、ぼくたちの乗っているバスが鹿角花輪に到着しました。もちろん、ぼくは、この鹿角にスキージャンプをしにきたのです。
 実は北海道から帰ってきてから、ふみきりの時に肩に力が入ってしまい、どうしても高くふみきることができなくなっていました。
 群馬の水上小学校というところで練習をさせてもらったとき、どうにか高くふみきる感じがわかってきました。これも、秋田の大会に参加できることになって、目標ができたからです。
  自分からいわなくてはダメなんだ...】

 雪ふみも終わり、練習です。
すぐわきに作られている、ゆるやかなアプローチで7本ぐらい飛んだあと、ぼくは、渋谷先生に「大きい方を飛んでみたい。」
と、たのみました。すると渋谷先生は、
「飛んでみたいかぁ。でも今日はダメだ。たっぷり練習して、あしたの朝に飛びなさい。」
今回は自信があったので、少しがっかりしました
 【雪深い秋田・鹿角へ】

 バスから降りて待っていたのは、北海道でとてもおせわになった渋谷先生です。
 渋谷先生は、ぼくたちをさっそくスキー場へ連れていってくれました。
 花輪スキー場は、下川と同じように、クロスカントリー、スキージャンプ、さらにはアルペンのコースもあります。アルペンコースは、がけのような急斜面もあります。ぼくは、(ものすごく広いんだなぁ。スキーをやるんだったら、何でもできる。東京のそばにもこんな所があったらいいなぁ。)と思いました。
 午前中から飛びたかったのですが、バスの中ではよくねむれなかったので、少しねることにしました。
 バッチリ昼ねをして、午後になって(さぁ、思いきってスモールヒルに挑戦するぞ)という気持ちでジャンプ台にむかいました。
 そのジャンプ台は、K点が20メートルありますが、思ったより小さく感じました。また、アプローチの角度がゆるやかです。ぼくは、この台はぜったいに飛べる!という自信がわいてきました。
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それに、今日のうちに挑戦しておかないと、明日の大会は弟のともちゃんといっしょに小さな台での出場になるかもしれません。
 ぼくは、もう1度お願いしました。これは、自分のジャンプだからです。すると、バーンの整備で大汗をかいていた先生は
じゃぁ、行ってこい。」とちょっとおこったようにいいました。その時ぼくは、とてもうrしかったです。
 スタートゲートに立ちました。
 もちろん、こわくありません。渋谷先生は大きな声で、
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「着地の時のしょうげきが大きいから、しっかりとふんばるんだぞ。」
と、下川の時と同じことを言いました。
 大きく2回深こきゅうをしてから、
「ハーイ」
と、大きな声を出してスタートしました。初めて飛ぶので、立ち上がりもせず飛び出してしまいました。
 たい空時間が、とても長く感じられました。着地は、ほかのお兄さん達みたいにはいきませんでしたが、しょうげきが頭の上までひびきます。着地したしゅんかん、ぼくは手をあげてガッツポーズをしました。
 板をかついでバーンを登っていくと、汗びっしょりになっている渋谷先生が、
「もう1本いってこ〜い!」
と言ってくれました。もうスモールヒルは自信を持って飛べます!ぼくは、とてもうれしいです。
 見れば見るほどこわい、下川のスモールを飛んだとき、秋田のお兄さん達が「ガンバレー」とおうえんしてくれたおかげで、手からはなれなかった2本のゲートの棒がやっとはなれて飛べたのです。その時のようすを思い出しました。やっと自分のジャンプになった気がします。

 【楽しかった少年団の合宿】

 花輪に到着した日の夜、夕食の後に渋谷先生が、少年団のみんなに、
「今から9時まで、体育館で遊んでよろしい。」
と言いました。そこで、ぼくとともちゃんもいっしょに遊ぶことになりました。
 まずは、みんなでドッヂボールをしました。
 ちょうど今、体育の授業でドッヂボールをやっているところなので、中学生のお兄さんの強いたまを思いきってキャッチしました。すると、
「東京つぇー。」とか「やるぅー。」と声をかけてくれます。
 また、チョコチョコにげまわっていたともちゃんを、幸一郎兄さんが「チビはねらうな。オレをねらえ。」と守ってくれました。
 次の日の夜も、トランプをして遊んだのですが、この時も、
「この部屋、あち〜よな‥。あっ、ちがった。東京では、あち?あつ?」
と、わけのわからないことをいっていたので、おもわずわらってしまいました。どうやら、ぼくたちが東京から来るというので、みんなで共通語でしゃべろうと相談したそうです。
 ぼくは、ここのお兄さん達は、とてもおもしろくてやさしい人たちだと思います。ぼくも、お兄さん達のようになりたいです。
【花輪の大会・阿仁の記録会】

 いよいよ花輪の大会の日になりました。
 大会の日の朝、あとから車で来たお父さんがぼくのジャンプを見て、
「自信もって飛んでるじゃないか。すごいぞ。板もV字らしくなってる。」
と、ほめてくれました。
 思い切ってけると、体がふわぁっとうかび、まるで自分がジェット機になったように感じます。秋田では、下川とちがって、みんながふみきった後、からだをビーンとのばしていました。スモールでは、この方が体が高く上がるのだそうです。
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 試合の本番では、アルペンの板で出場したのはぼくたちだけではありませんでした。大会にはたくさんの人が見に来ていました。
 練習ではうまくいっても、本番では自分の納得のいかないジャンプで終わってしまいました。少し残念です。でも、閉会式の時、ぼくとともちゃんは特別賞をもらうことができました。
 よく日、花輪から40キロはなれた阿仁で記録会がありました。
 ここのジャンプ台は、スタートゲートから着地の所やデコが見えないこうぞうです。
 練習中、元東京都のスキー連盟、ジャンプの監督をやっていたという先生が、かけつけてはげましてくれました。『東京都』という青い小さなはたをふってくれたので、がんばろうと思いました。
 そして、1回飛ぶごとに、50センチきょりをのばしていきました。何本も飛んでいくうちに、今回の自分の最長不とうである12mを越すことができました。

 【ラッキーなハプニング】

 記録会が終わると、秋田のみんなが手をふって見送ってくれました。家族みんなが気分良く東京へ帰るはずでした....。
 ところが、お父さんが道をまちがえて鹿角にもどってしまいました。途中で、渋谷先生達に追いつかれてしまいました。そして、大雪で高速道路がストップしてしまいました。
 けっきょく、東京へは帰ることができずに、渋谷先生の家にとめてもらうことになりました。ぼくも、ともちゃんもこっそり「ヤッタァ」と言ってしまいました。
 その夜、渋谷先生が、
「今度は余市、小樽へ行く。小樽は30m級だが、海にむかって飛び出すんだ。だいじょうぶか?」
 ぼくは、海にむかって飛ぶ台なんて初めてだし船木選手や斉藤選手のふるさとだし行ってみたかったけれど、K=35mときいてビクッときて返事ができませんでした。続けて、渋谷先生は、
「余市、小樽の大会では、みんなジャンプ板で飛ぶ。アルペンで飛ぶ子なんかいやしない。3月までにジャンプ板で飛べるように東京で練習するんだぞ。用意しておいてあげるから..。」
 ジャンプ板がはける!そう思うと心配はふきとんでしまいました。その後、こんなことも言われました。
「和大君、船木選手のようなジャンプをまねすることはない。でも、人に聞かれたら、船木選手のようなジャンパーになりたい、と答えるんだぞ。」ぼくは元気よく「ハイ!」とこたえました。

 こうして、とても長く感じた3日間が終わりました。次の日は、朝、渋谷先生の家の前の雪かきをして、お礼をしてから東京へ今度こそもどりました。


 東京へ帰って、花輪の岩泉杯での特別賞をあけてみました。中身はなんと、『adids』のカッコいいスポーツバッグでした。これなら、ヘルメットもブーツも入ります。まるで、選手になった気分です。
 ともちゃんは「エンセイだ!エンセイだ!」とい

右端どべ吉、右より3人目が和
真ん中の黄色ウェアは3年生の
女子ジャンパー(阿仁の記録会)

  いながら、へやの中をグルグルまわっていまし
た。ひもを1番短くしても、バッグはゆかにつきそうになっています。
 今の目標は小樽です。このスポーツバッグをしょって行くつもりです。小樽では、V字ジャンプで北海道の人たちをびっくりさせてみたいです。

 お世話になった秋田・鹿角花輪ジャンプ少年団の皆さんへのお礼の手紙に代えて送ったものです。少年団合宿での子ども同士の交流を読みとっていただければ幸いです。

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