ジャンパーへの憧れ Wadai’Diary
・風にのりたい (長野・98年2月、8月)
「鳥になった人たち」「小鳥たちへの声援」「ぼくも飛びたい!」
・われたゴーグル (下川・札幌・99年1月)
・夢ふくらむスポーツバッグ (鹿角花輪・99年2月)
・はじめての遠征 (余市・小樽・99年3月)
※なお子どもの作文でも、著作権は尊重していただくようお願いします
風にのりたい -ぼくの感動と疑問- |
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| 【鳥になった人たち】 ワーワー。 ぼくは、長野県白馬にあるシャンツェにいます。この日は、2月17日スキージャンプ団体戦です。 朝から雪が降りつづいていて、(中止になるかもしれない。)と心配でした。ぼくは神様に、(試合ができますように。)といのりました。 1回目が始まりました。はじめの岡部選手は、121.5mで、この時点で表彰台にのれる2位です。つづく斉藤選手は、雪の中130mの大ジャンプでトップにでます。 日本チームの3人目は、原田選手です。この時、おちてくるような雲になり、雪がはげしくふりはじめました。ぼくは(こんな状態では飛べるわけないぞ。)と思っていました。アプローチから70mふきんまで見えなく、ポーン..シュッ、パターンと飛んで落ちただけでした。それが日本チームのバランスをくずしたのです。つづく船木選手も118mです。このまま、1回目が終わりました。結局、日本は4位でした。 いよいよ2回目が始まりました。 雪もふりつづき、(こんな大雪の中で、よく試合が続けられるなぁ。)と思った直後、場内アナウンスが会場全体にひびきわたりました。 「しばらくお待ちください。しばらくお待ちください。」 まわりはシーンとなりました。 そして1分ほどたったとき、ぼくの朝からの心配が当たりました。 「雪のため、試合を20分えんきします。」 その時ぼくは、(どうしよう。このまま雪が降りつづいたら、日本は4位で終わってしまう。) 15分ほどたったとき、雪は小降りになっていました。そして、 「競技を再開いたします。」 そのしゅんかん、ぼくも、お父さんもお母さんも、会場内の人もテレビの前の人も「ヤッター!」とさけんだのです。 この言葉が逆転のきっかけだったのです。 最初に出てくる岡部選手は、ジャンプ台のバッケンレコードを越える137.5mで4位から1位へうつりかわりました。この時の岡部選手のジャンプは、低く落ちそうになって、ぼくは「ウッ」と言ったけど、そのままフワリとはるか20mぐらい先に着地しました。 それがきっかけとなり、つづく斉藤選手もK点ごえの124mで1位は変わりありません。斉藤選手はP点ふ近からスキーが上がり、そこからブワッとのびていきました。 (左上へ続く) |
→ さぁ、次は原田選手です。 ぼくは(1回目のジャンプを吹き飛ばしてしまえ!)と心の中でさけびました。風は強い向かい風になっていました。 飛んだしゅん間、グングンときょりがのびていきました。着地したところは、岡部選手とならぶ137mです。でも、137m地点で飛きょりしんぱんをやっているおじさんが、原田選手の方がたくさん飛んでいた、と教えてくれました。この時、原田選手はK点をこえると目の前で体がうきあがったそうです。 ついに2位との差が13mにもなりました。 最後の国のエース同士の戦いは船木選手が飛びます。船木選手が115m飛べば日本が金メダルです。 船木選手がふみきると、着地する前からお父さんが「うぉぉ、やったぁ!」とさけびました。 電光けいじ板がてんめつして「J・P・N」とひかりました。ぼくも、ほかの人たちも、 「ヤッター!!!」 と声をあげました。この時、日本中の人たちも同じ声をあげたにちがいありません。 日本全国の人が感動したオリンピックでのスキージャンプだったけれど、ふしぎに思うことが後からいくつか残るようになりました。 原田選手は、1本目ぜんぜんだめだったけれど、2本目では記録に残る大ジャンプをしました。1本目はいくら天気が悪いといっても、同じ選手が飛んで、どうしてこんなに差が出るのだろう。オリンピックの直前まで、原田選手はワールドカップやいろいろな大会で優勝している1流ジャンパーです。条件が悪くても、外国の選手よりも飛きょりがのびなかったのはどうしてなんでしょうか。
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| 【小鳥たちへの声援】 ぼくは疑問を解決するために、小・中学生のサマー大会に連れていってもらいました。1日目は長野県・木島平というところでやる大会です。 ぼくには、この木島平シャンツェが思ったより大きく感じました。スモールヒルといってもくらべものになりません。このジャンプ台は、K点35mミディアムヒルが65mです。 この大会は初めて見る小・中学生の大会なので、選手の名前はほとんど知りません。でも、2人の北海道選手をぼくは知っています。 伊東大貴選手と千田侑也選手です。NHKのスポーツ教室で知りました。 小学生の大会が始まりました。 びっくりしたのは、小学生の大会なのに、まるで大人のジャンプのようにV字でしっかり飛んでいることです。また、ぼくより学年の低い子や、女の子たちも大会に出場していました。 小学生の部は、6年生で体のがっしりした中村君があっとう的に強かったです。 その後、中学生の人たちがぞくぞくと集まってきました。出場したほとんどの選手が中学3年生だったので、大人のように大きな体です。 思っていたより、ずっと迫力のあるジャンプでした。ノーマルヒルより小さな台なのに、オリンピック選手のように風にのって飛ぶ人がいます。 試合前に、選手達が小屋のところで練習をしていました。空サッツです。空サッツは、踏み切りの時の練習で、もう一人、体を支える人がいないとできません。まず、階段の2段目ぐらいから、クローチング姿勢をします。もう一人は、いつ飛んできても、ささえられるようにかまえます。そして、選手が踏み切ったら空中姿勢のままで体を持ち上げ、2,3歩後ろに下がったら選手を降ろします。着地の時、選手はテレマークをします。この動きは、いろいろな選手がやっていましたが、みんなちょっとずつちがったのがおもしろかったです。空サッツがかっこよかった人は、北海道の安川選手でした。 試合が始まり、スタートが最後の伊東選手は、K点ぎりぎりの64mでトップにたちました。この日、62m以上飛んだのは伊東選手だけでしたが、千田選手も60mをこすジャンプでした。 中学生の大会では、後ろに来るほどK点に近くなり、まるで大人の大会のようにきそいあっていました。 ぼくは疑問が一つうかんできました。 (伊東選手は、まだ中学1年生で体も大きくないのに、なぜ、あんなに遠くへ飛べるのだろう?)ということです。 この大会では、伊東選手が優勝しました。そして、千田選手も10位以内に入りました。2人とも中学1年なのに、すごいと思いました。 そして、女子の渡瀬あゆみ選手が、85人中、20位以内に入りました。そのジャンプを見て、女子でも男子に負けないことにびっくりしました。 この4日間の大会を通して、伊東選手や千田選手と仲良くなることができて、話をすることができました。 千田選手は中学1年のお兄さんだけど、やさしく親切にこたえてくれます。ぼくは思い切って聞いてみました。 (左上へ続く) |
→ 「台によって飛びやすいのと飛びにくいものがあるんですか。」 「木島平は新しいせいか飛びやすかったけれど、飯山はひっかかってしまった。それに、ぼくは足の力が弱いから、風がないと遠くへいかないんだ。」 と、親切に教えてくれました。続けて千田選手は「君、何年生?」ときいたので、ぼくは「3年生」と答えました。すると、 「ちょうどジャンプを始めるのにいいね。ぼくも3年生から始めたんだ。下川では、小学2年生でミディアムヒルを飛んでる子がいるんだよ。それでね、コーチが毎日見てくれるわけじゃなくて、自分たちで教え合うんだ。それで、コーチが来るまでにうまくなるように練習しておくんだよ。だから、ぜひ下川へおいでよ!君もきっとうまくなると思うよ。」 ぼくは、その話を聞いて、(ぼくぐらいでもできるんだ。飛んでみたいな。どんな気持ちだろう?下川町へ行ってみたいなぁ...)と思いました。 大会の後、家族で白馬へ行きました。 白馬では、たくさんの大人の選手が練習をしていたので、もっと、いろいろ質問してみようと思いました。 とはいっても、原田選手やおぎ原健司選手は、たくさんの人が集まっていて話しかけることができません。一人の全日本の複合選手が練習が終わったようなので、思い切って質問しました。すると、「ダメ!」とおこられてしまいました。でも、山形県米沢の高校生のお兄さんが、「ぼくでよかったら教えてあげるよ。で、何がしりたいの?」といってくれたのです。 「サマーとウィンターは、どう違うんですか?」 「冬だとね、雪や風でバランスをくずしやすいんだ。だから、夏の方が安全かなぁ。」 その後、お兄さんが使っているスキー板や、スーツを持たしてもらいました。 「うわ、なんて軽いんだ!」というと、 「板だけでは500グラムしかないんだけど、金具が重いんだよ。」と教えてくれました。 「飛んでいるとき、どんな気持ちですか?」 「..あのね。調子がいいと気持ちいいけど、調子が悪いとかなりムカつく。」 まわりの人がプハハハハとわらいました。ぼくもわらってしまいました。 トレーニングはウェイトトレーニングもやるけど、やりすぎると筋肉が重くなってよくないそうです。 ![]() 左より、どべ吉・山田いずみ選手・千田選手・ |
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| 【ぼくも飛びたい...】 船木選手は、八木コーチとともに、紙ヒコーキで実験をし、スキーと板を1枚の翼にする訓練をしたそうです。そのジャンプの飛型は世界一美しいといわれ、金メダルと感動をあたえてくれました。 ジャンプ台がスモールヒルのように小さいと、風の影響はないそうです。でも、ミディアムヒルになると足の力だけではK点まで飛ぶことはできません。 体の小さい伊東選手や千田選手が迫力のあるジャンプをしていたのは、風をうまく使っているからだと思います。日本人選手で風を使う人は、大きいジャンプ台が得意です。葛西選手、岡部選手、船木選手が、もっとも強いです。 ただ、千田選手のお話だと「3つの台とも初めてです。」といっていました。ほかの選手は、ほとんど中学3年生だから、いろんな台に経験があり有利だったかもしれません。また、北海道の台と長野の台にはちょっとしたちがいがあるのかもしれません。でも、選手によって得意な台とそうでない台は、あるようです。 (左上へ続く) |
ぼくには、調べても、質問しても、よくわからないことがひとつあります。 それは「見えない力で、自分の体が持ち上げられる」という船木選手の言葉です。(どんな感じなんだろう?)ぼくは、選手から聞くのではなく、自分で体験してみたくなりました。 春休みに猪苗代湖のスキー場で、ちいさなジャンプ台を作ってもらって、3日間、体験しました。3m級のオリジナルのジャンプ台です。 でも、「体で風をつかむ」ということは、ちゃんとしたジャンプ台で練習してみなければわかりません。 (ぼくも本物のジャンプ台を飛んでみたいなぁ。) と思ったとき、ちょうど千田選手が、 「ジャンプをするなら、ぜひ下川町へおいでよ。」 とさそってくれました。 ぼくも足の力は強くないけれど、伊東大貴選手や千田侑也選手のように、風を使ったジャンプができるようになりたい。自分でもびっくりするくらい遠くへ飛ぶことができたらいいなぁ、と思っています。 原文は、原稿用紙35枚になる、小学校3年生の時の自由研究です。ジャンプをやり始めるきっかけとなる部分を抜粋しました。 |
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