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あこがれの鳥人と勝負を
 -桐朋中学1年・スキージャンプ選手 内藤和大さん(13)-



2003.3.19

 産経新聞
 
    武蔵野版

 家族観戦した長野五輪のスキージャンプ(平成10年)に魅せられ、小学校3年の冬、零下20度の北海道・下川町で初挑戦した。「運動は得意ではなかったけれど、空中で体が風に持ち上げられる感じが気持ちいい。」

 長野県、新潟県のジャンプ台への行脚が週末の楽しみとなった。コーチは素人の父、茂さん。ジャンプ台で試行錯誤を繰り返す姿を見て、地元の少年団の選手達から「東京君」とあだ名がつけられた。

 東京君は、雪とは無縁の調布市の自宅近くの公園で地面にマットを敷き練習を繰り返し、着実に力をつけた。
 13年夏の全日本スキー連盟公認ジュニアサマージャンプ大会で総合11位、昨年は中学生の部で初戦25位。
 全国の代表が集う2月の全国中学
スキー選手権(山形県・米沢)では、
大会初の東京都代表ジャンパーに
選ばれた。

 結果は、73選手中47位と健闘し、30位以内で出場権を得るジュニアオリンピックも射程範囲になった。

 「夢は、あこがれの鳥人たちと同じジャンプ台で勝負できるようになりたい」

東京っ子羽ばたく
 -小さな体でスキージャンプに挑む内藤智文くん(10)-



2003.4.30

 産経新聞
 
    武蔵野版

 「イキマース!」。スタートの元気なかけ声が山にこだまする。身長124cm。大会参加選手中、最も小柄だが、声の大きさは負けない。あだ名は「イキマス君」。ジャンプ仲間のこんなマスコット的存在だった小4の東京っ子が、台風の目となり雪国っ子を驚かせている。

 3月21日、北海道・下川ジュニアジャンプ大会優勝。続く22日小樽うしおライオンズ杯、23日NHK杯全国少年ジャンプ大会と3連勝を飾った(いずれも小4以下の部)。
 最終戦の笠谷杯は2位であったが、全国大会サーキットとして総合優勝、最優秀選手としての栄誉を得た。誰もが予想していなかった活躍だった。そして、メダルを胸にかけてくれたのは神様のような存在である笠谷幸生さん(札幌五輪金メダリスト、全日本スキー連盟ジャンプ競技部長)だった。

 幼稚園の時からジャンプを始めた。長野五輪に魅せられジャンプにのめり込む兄、和大君≡全国中学で競技初の東京都代表≡を見て「僕にだってできるはず」と身長よりもはるかに長い板を担いでジャンプ台の階段を上がった。

 一流選手をビデオで研究したり、雪国の高学年と競い合いながら、体の小ささに負けないジャンプをめざしてきた。大きなかけ声もそのためだ。
「いつか世界最大のフライングヒル(飛距離200m級)で飛んでみたい」と夢も大きい。

冬休み利用し家族でジャンプ合宿
  -東京の小学生兄弟が泊まり込み 強豪少年団と特訓-



2000.12.26


 北海道
 名寄新聞
 東京都調布市在住の教諭、内藤 茂さんの長男で和大君(11)=小学5年と二男の智文君(7)=同2年の2人。母の晴美さんと一緒に24日、下川に入った。スキー場に近い町の会館和室を借り、家族で合宿生活。2人はジャンプの練習に励んでいる。

 一家が下川にやってきたきっかけは、3年前の長野冬季五輪。家族で観戦し岡部孝信選手(雪印)、葛西紀明選手(マイカル)の活躍を目の当たりにして2人の五輪代表を生んだ下川のファンとなった。
 その年の夏、長野で開かれた少年サマージャンプ大会を家族で応援。大会に出場した伊東 大貴君(当時・中1)、千田侑也君(同)が活躍。2人を盛んに声援する和大君に、千田君が「ジャンプをやりたいのなら、ぜひ下川へおいで」と声をかけた。その時、和大君は小学3年生、智文君は幼稚園児。

 当時、両親は2人の子ども達の健康上の悩みを抱えていた。和大君は小児喘息の認定患者で年に3,4回は入院し、智文君も虚弱体質。「2人の健康に役立つならどんなことでも」と、下川町教育委員会に相談。この時、社会教育課長だった蓑谷春之さん(現・町企画課長)の好意で、その年の冬、蓑谷さん宅にホームステイしながら初めての厳しい北海道の冬と、ジャンプを体験することになった。

 最初のシーズンから2人は、各地の大会に出場。最初は大会で台から降りることだけで精一杯だった。昨ジーズンからは宿泊費を安くあげるために下川町の公区会館(集会所)を借りるようになった。 ‥中略‥

 「ジャンプは楽しい。空中に浮かぶ気分は最高」という2人。「目標は葛西選手」(和大君)。「船木選手にあこがれている」(智文君)と意欲十分。これから下川ジャンプ少年団と一緒に本格的な練習にはいるが、和大君はK点40m、智文君はK点26mのシャンツェを1日30本以上こなす。V字とテレマークが当面の課題だそうだ。

 「スポーツは全く駄目」という両親。教師である茂さんは「目標を持った時の子どもの発達の速さは職場である学校で何人も見てきたが、まさか我が子がこれ程上達するとは思わなかった。飛距離や順位より、楽しさが実感できるジャンプをやれるところまでやらせたい。」と語る。会館の前で行う毎日のシュミレーションにも力が入る。
 また、一家は「ジャンプ少年団の関係者や町民の皆さんが温かく迎えてくれ、それで続けていられる。」と感謝。クリスマス、正月を下川で過ごし、下川、札幌などの大会に少年団と一緒に参加の予定。

東京の内藤兄弟も出場
  -岩泉杯、松橋杯ジャンプ大会 きょう鹿角市で-



1999.2.27


 秋田
 よねしろ新報

 第18回岩泉杯、松橋杯ジャンプ大会は27日、花輪スキー場シャンツェで行われる。今大会には北国以外からは初めてとなる東京都の内藤和大(小学校3年・東京都調布市)、智文君(6歳・同)の兄弟が出場。活躍が期待されている。

 兄弟は長野五輪での日本勢の活躍に感動したことから、昨年夏に長野で開かれた全国少年サマージャンプ大会を観戦。この時に北海道下川町の中学生から「ジャンプをやりたいのなら下川へおいでよ」と声をかけられたのをきっかけに、冬休みに下川町ジャンプ少年団の練習に参加し、生まれて初めてジャンプを体験した。

 鹿角ジャンプ少年団は例年、下川町を中心に遠征合宿を行うなど古くから同町スポ少と交流。今回の遠征では一緒に練習に励み親睦を深めたことから、今大会への出場が実現した。北海道で兄弟の指導にあたった鹿角ジャンプ少年団の渋谷久夫副団長は「東京育ちの子どもがジャンプ競技に挑むというのは多分内藤兄弟が初めてではないか。厳冬の生活(北海道・下川町)を体験し、一回りも二回りもたくましくなった。ジャンプ競技を通して努力を重ね、心身ともに大きな人間として、選手として羽ばたいてほしい」とエールを送る。 

東京の内藤兄弟が健闘



1999.2.28


 秋田
 北鹿新聞

 東北のジュニアジャンパーに交じって、東京から参加した小学生兄弟が、ともに元気いっぱいのジャンプを披露し観衆を沸かせた。

 この兄弟は、内藤和大君(桐朋小3年)、智文君(幼稚園児)。この日、兄弟は小学生の部に出場。入賞はならなかったが、初心者とは思えない力強い飛躍を見せた。
 兄・和大君は「ふわっと宙に浮く感じが楽しい。もっと遠くへ飛んでみたい。」と笑顔。最年少の弟・智文君はマスコット的存在で会場の人気を集めていた。
 二人のジャンプを見守った両親は「子どもがぜんそくがちだったこともあって始めた。親子ともどもジャンプを楽しんでいきたい」と、子ども達のいきいきした姿に目を細めていた。
 

名ジャンパーに続け
  -東京の少年団が余市で公式戦出場-



1999.3.27

 北海道
 日刊スポーツ

 首都東京のジャンプ少年が26日、数々の名ジャンパーをはぐくんだ余市で飛んだ。19日に東京・調布市の体育協会から公認された東京調布ジャンプスポーツ少年団のメンバーで、この日の笠谷杯全道ジャンプ大会(笠谷シャンツェ)に、内藤和大(3年)と智文(幼稚園)兄弟が出場。公認後初めて公式戦に出場した。
           (中  略)
 この日は小学校4年以下の部に兄和大が出場29選手中最下位、特別参加の智文の飛距離は、わずか3メートル。それでも内藤一家に笑顔が広がった。「でられただけで十分」と父親である少年団代表は話す。
 練習場は群馬、長野、秋田と移動だけでも大変だが、智文は「来年はもっと遠くへ飛びたい」と元気よく宣言した。
 

五輪入場券はどこに行った
                -調布市 主婦-



1997.6.9

 朝日新聞
 声の欄
(投書)
 2日、長野五輪の入場券前売りが全国一斉に始まりました。「子どもの思い出として、ぜひ…」と思っていた我が家では、知人にもお願いして、早朝から旅行会社の入口に並びました。3人目の受付であったにもかかわらず、申し込み競技は全て売り切れ。2年前からの念願だっただけに、とてもガッカリしました。

 それにしても腑に落ちないのは、入場券販売での異常な倍率、人気の高さです。「盛り上がりに欠ける」という評判は長野や東京でのキャンペーン会場の閑散としたありさまで身をもって感じていました。だからこそ、家族で応援旗を作ってプレ五輪にも駆けつけたのですが、地元で大成功と言われた競技(純ジャンプ)でさえ2万人の入場者数です。
 今回、詳しい数字は教えてもらえませんでしたが、ジャンプの抽選前売りの倍率だけで数十万人の応募があったことになります。「企業や地元の人海戦術だろう」とは、夫の分析。
 席数が決まっている屋内競技ならまだしも、ただでさえ高額な入場券です。異常なプレミアム販売が横行したり、空席が目立つ状況が世界中に映像として流れたりすることだけは避けて欲しいと思います。

 次の誘致は大阪だ、横浜だ、と盛り上がる以前の問題ではないでしょうか。

《その後》  家族で五輪のジャンプの観戦をする‥当時の私達家族にとっては、まさに夢だった。この後3回目のチケット販売が行われることになり(10月)、徹夜で並んだ甲斐があってラージと団体戦のA席を手に入れることができた。
 団体戦の時の天候は悪く、懸念したことは当たってしまった。
 期待を胸に集まった観衆でB席(立ち見)は立錐の余地もなくなり、入りきれなくなった観客は仮設トイレの屋根に登った。一方、悪天候で招待客がキャンセルしたのか、A席の方はポッカリと穴があいてしまった。今から思えば、よく暴動が起きなかったものである。
 感動が渦となった日本チームの活躍で、このような不祥事もかすれてしまったが、見えないひずみは様々な形で問題となっているのではないだろうか。