上を向いて歩こう小説
STORY01|旅立ち(1)
「う、うぅぅ……か、かぁさ……母さ……母さん! 母さん! ! わぁああああああ」
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
「どうしました! Ichinomiya様! Ichinomiya様! 何かあったのですか?」
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
少年は汗ばんだ額をぬぐい、目の前に広がる広い天井を眺めた。
意識がもうろうとしている。
「…………ここはどこ…………」
幾度も息を吸い、吐き出したが、一向に息は整わない。
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
「Ichinomiya様! 大丈夫でございますか?!」
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
少年が荒い息に体を震わせている間、何度も扉を叩く音が聞こえた。その音に導かれるように、次第に意識がはっきりしてくる。
だが、心の中にまでその声は届かなかった。
ドンドンドンドンドン! ドンドンドンドンドン!
「Ichinomiya様!? 何があったのですか! Ichinomiha様!!」
少年の意識がハッキリと甦った時、勢いよく叩かれていた扉が左右に開かれ、50半ばの男が部屋の中に飛び込んで来た。少年の目がぎらりと光る。
「勝手に入ってくるな! おまえなんか呼んだ覚えはない!」
少年は部屋に飛び込んできた男の手を払う。
息が再び荒くなり、少年は震える身体を必死にとめようとしていた。
「しかし、そのように汗をかかれて、また、お母上の夢を見たのでございますね。さ、お風邪を引かないうちに、着替えをーー」
少年は身体に触れようとする男の手を払い大声を出した。
「うるさい! おまえなんて、出てけ! ここからでてけーー!」
「 Ichinomiya様!」
叱りつける声とは裏腹に、男の悲しみに満ちた目が少年を見つめている。
少年はつばを吐きかける仕種をしてみせた。その目には少年の強い思いが込められている。
『ここには僕のいるべき場所じゃない!』
「さっさと出ていけ!」
少年は男を押し倒そうと力一杯力を込めた。だが、男はビクともせずに少年の手をつかんだ。一瞬、男が何かを決意したような顔を見せた。次の瞬間だった。少年の顔が左から右へと飛ばされた。突然のできごとに少年の目が空を泳ぐ。
「Ichinomiya様、いいかげんになさいませ」
男の怒ったような悲しい声が聞こえ、少年は我に返った。
「いっ、いったいなぁ! 何するんだよ!」
少年はあまりの出来事にほおの痛みなど感じていなかったが、手だけは確かにほおを抑えていた。おかしなことに、叩いた男も自分の手を抑えていた。その手が僅かに震えていることに少年は気がついていなかった。
「いい加減になさいませ! お母上がご覧になったらさぞやお嘆きになりますぞ!」
その言葉に少年が男をじっと睨みつける。男は何の反応も示さない。少年のいら立ちがその態度とその言葉に爆発した。だが、声はその怒りとは裏腹に低く小さいものだった。
「母さんがなげく? もう、どこにもいないのに……」
「Ichinomiya様! Ichinomiya様!」
バタン!
少年は男の言葉を無視して部屋を飛び出した。足は走るでも歩くでもないスピードを保っている。
『くそっ、あいつ、本気で叩きやがって。どうして、僕がこんなところにいなくちゃいけないんだ。Jackだって、Tomだって、こんなとこ遊びに来てくれ ない。くっそ…………みんな、どうしてるかな…………母さんと暮らした、あの家に戻りたいよーーうっうっ……』
少年は公園のように広がる庭をひたすら歩き、涙を拭った。たった一人の肉親である母を失い、ろくに顔も見たことのもない父親に引き取られ、そして、頼んでもいない執事という男に育てられることになった。
見知らぬ場所。
見知らぬ人たち。
もう会うことのできない友だち。
そして、可愛がってくれた近所の人たち。
この恐ろしく広い敷地には少年が求めるものは何一つない。あるのはただ母を殺した男が近くにいるということの憎しみだけだった。





