詳細リバウンド体験記


はじめに

リバウンド。これは、自分の人生の中でもっとも激烈な痛みと混迷の日々であった。 自分の主治医はリバウンドについて知らないのか、知っていても教えなかったのか 分からなかったが、とにかくアトピー性皮膚炎が悪化したと僕に告げた。自分は この悲惨な状況は自分の体質が原因であり、もしかしたらこの症状が一生続くのかもしれないと思い、 精神的にも非常に落ち込んでいた。体と心の両方が非常に悲惨な状況であった。あまり思い出したくない ことであるが、ここに記すことにする。少しでも多くの人にリバウンドの様子を知ってもらい、 アトピー性皮膚炎の治療にステロイドを長期に使いつづけることによって、僕のような経験をする 人が一人でも減って欲しいと思う。また現在何の疑いもなくステロイド外用剤を容易に処方している 医師の方にも見ていただきたい。

もしかしたら、ステロイドを素直に塗っていればリバウンドなんか おこらなかったのに、と思う方もいるかもしれない。しかし、はじめの内は良く効いていたステロイド がだんだん効かなくなり、そのうち皮膚が薄くなったり、傷つきやすくなったり、しわしわになったりと ステロイド皮膚症が顕著になり、ステロイドを少し減らしただけでも状態が非常に悪化したりして どうにもならなかったので脱ステせざるを得なかったのである。もっと強力なステロイドや ステロイド内服剤を使えば症状を抑えられたかもしれないが、いつかは破綻する。脱ステをするなら 早いほうが良いと思った。

自分が完全に脱ステしたのは、99 年の 11 月以降である。それまでは医者も自分もリバウンドについて 知らなかったので、悪化したらステロイドやその他の軟膏を使い、良くなったら使用量を減らすという ことを続けてきた。今から思うと、顕著なリバウンドは 3 回ある。はじめは 1996 年の冬季 から 1998 年 3 月までの主に冬季、次は、1999 年 3 月から 6 月。最後は、1999 年 10 月から現在( 2000 年 3 月) までの期間である。最後のリバウンドを経験したときにステロイド治療や医師に対する疑問を抱き 、インターネットで調べた結果、自分の症状がリバウンドであることをはじめて知った。それから 脱ステを開始した。ここでは、最も症状がひどかった 2 回目のリバウンドについてその症状と心理面 について書いてみる。


1、はじまりは突然に

「痛い!」

両肩に鋭い痛みが走った。シャワーを浴びて船室に戻った後生まれて初めて経験する 痛みの感覚が襲ってきた。あと1週間くらいで日本に帰還する観測船に乗っていた時のことだ。 皮膚が引き裂かれるような痛みに半時間ほど動くことができなかった。緊張して呼吸が荒い。 これがリバウンドのはじまりであった。何の前兆もなかった。ある日突然襲ってきた。 1999 年 の 3 月、日本南方の太平洋上のことであった。

日本に帰還後も痛みは続いた。医者に行ったら、「潮風で皮膚がやられたのかもしれない」と言って アズノールやワセリンなどの軟膏を処方された。しかし、状態は悪くなるばかりであった。まず、 両肩に亀裂が入り、そこから黄色い液が出てきた。体全体に猛烈なカユミが襲ってきた。耳の中まで 痒かったときもあった。そのうち、腕や腹、胸、脚、足と手の甲も赤くなり皮膚がただれ、カユミと 痛みが全身を襲った。でも、ステロイドはそれ以前から使ってきた腕の関節の内側や前腕部の一部に しか使わなかった。

とにかく痛かった。風呂上りには1時間くらいひざを抱えて動けなかったときが続いた。歩いても 痛い、風にあたっても痛い、首を回しても痛い、目を開けても痛い、口を開けても痛い、 腕を伸ばしても痛い、少しでも体を動かすと鋭い痛みが走った。激烈な痛みのほかに、猛烈なカユミも 襲った。気が狂いそうだった。普通に生活することがもはや困難であった。しかし、自分は一人暮し だし、大学にも通わなければならない。痛みとカユミ、狂気と錯乱の中でのたうちまわっていた。


2、狂気と激痛の中で

4 月にはセミナー発表を 3 回しなければならなかった。3 月の時点で順番が決まっていたのでいまさら 変えられない。3 月の頃も痛かったがこれほどまでに悪化するとは夢にも思わなかった。とにかく セミナーを乗り切らねばならない。しかし、普通の行動をするだけでも大変な激痛を感じるのである。 普通の人には分からない辛さである。まず、英語の本を訳さねばならないのだが、ページをめくるだけ でも激痛、辞書を引くだけでも激痛、文字を書くだけでも激痛、第一椅子に座っていることさえ辛いの である。これに加えて、物理的な意味を考えたり、方程式を証明したりするのである。あまりの激痛に 思考能力の大半を失っていた。そしてその激痛に耐えるために精神力を使い果たしていたので、作業は 遅々として進まなかった。継続して作業することも不可能であった。30 分位が痛みに耐えながら作業で きる限界であった。そして次の 30 分を作り出すためには、その数倍の時間をかけて精神を落ち着かせ、 痛みに耐えながら思考できるような状態にする必要があった。自分だけなんでこんなひどい状況に 遇わねばならなくてはならないかと思うと気持ちが沈んだ。

本当に辛かった。大学の廊下を歩く途中で痛さのあまり、壁に寄りかかったこともあった。歩くだけでも 全身に痛みが走る。それが24時間続くのである。夜も眠れない。痛いし、痒いし、どうしても眠れない。 体を伸ばすと皮膚が引き裂かれるようになり、非常に痛い。寝るために横になることも辛い。ひざを抱えた まま時が過ぎる。午前 1 時、2 時、3 時、、、6 時、そして夜明け。まだ眠れない、正午近くになって力尽きて 死んだように眠るのであった。起きるのは夕方近く。生活リズムは狂いまくった。もっとも早寝早起きできた としてもこんな状態では生活は悲惨であったが。どんなに早く寝てもあまりの痛さと痒さで寝つけない。苦し みながら体力と気力が奪われてやっと感覚が鈍くなり眠れるのであった。痛いだけではない、肩や首の 亀裂から黄色い汁が出て大変不快であった。体の皮膚が赤くなり、発熱した。布団の中の空気がものの 数分でとても暖かくなった。そうすると蒸れてますます不快で眠れない。抗ヒスタミン剤や抗アレルギー 剤を飲んでもほとんど効果が無かった。

なるべく動きたくなかったので、外出したくなかった。でも一人暮しなので食事をしなければならない。 激痛をこらえ外に食べに行く。歩き方も変だ。関節を曲げると痛いから、足を棒のようにして歩く。 首を伸ばすと痛いから、前かがみになる。頭を下げて姿勢を曲げて歩くのである。普通なら、人目が 気になるのだろうが、あまりの激痛にそんなことはどうでも良かった。とにかく痛みを少しでも なくし、歩きたいのである。店の中に入る。鏡があった。自分の顔が目に入った。ボロボロであった。 乾燥して、皮膚がうろこのように顔にはりついていた。まぶたが特にひどかった。あまり人に見られたく なかった。もっとも激しい痛みに比べればどうでも良いことであるが。それでも同年代の人達が 幸せそうに歩いている姿をみると気持ちが沈んだ。自分は歩くことさえも満足にできない。あんな 表情をすることもできない。激しい嫉妬を覚えた。周りの人をすべて憎んだ。顔も体も心もボロボロ だった。

あの痛みをどう表現すれば良いのだろう。経験者にしか分からないと思う。皮膚が引き裂かれるような 痛み、生皮を剥がされてそこに塩酸や硫酸をぶっかけられたような痛み、神経に直接包丁を刺したような 痛み、どう説明すれば良いのかわからない。カユミについてもそうだ。全身の体液が沸騰したかのように、 体の奥から湧き上がる猛烈なカユミ、チクチク、ヒリヒリするようなカユミ、皮膚の中に虫が走り周っている のではないかと思った。あまりの痒さと痛さに狂ったように踊り出すときもあった。はたから見たらまるで 狂人であった(実際その時はそうだったのだろう)。動くと痛いが、じっとしていても痛いのである。 生き地獄。まさに狂気の沙汰であった。首を振り、手足をくねらせ、頭を殴り、体を殴り、 大声をだし、わめき、のたうちまわり、力尽きるまで「踊り」つづけた。 痛さに耐えるあまり、ふと気付くと呼吸が止まっていたこともあった。

ほんの数日ならたいしたことないが、毎日24時間こんな状態が続くのである。休む暇もない。 そして何よりも、いつこの状態から解放されるのか分からなかった。一生続くかもしれないと 思った。もし、この時脱ステ医に出会っていれば、数ヶ月だか数年だか分からないが このリバウンドという期間が終わればこの苦しみから解放されるということを知ることができ、 生きる希望を失わずにすんだであろう。苦痛の程度が同じだとしても、「いつまでも続く」と 思いながらそれに耐えるのと「いつかは終わる」という見とおしをもちながら耐えるのでは、 精神的に全く異なったであろう。とにかく、僕の周りには脱ステしている人もいないし、 脱ステ医もいなかった。一人ぼっちでいつ終わるともしれぬこの生き地獄に耐えていた。 まさに無限地獄。救いは安らかな死のみしかないと思った。

一時期、酒を飲んで痛さを紛らわせようとした。安い酒(アルコール度数 30 %位)を買ってきて 夜寝る前に飲んだ。1 杯飲んでも、2 杯飲んでも、3 杯飲んでも、痛みの感覚は消えなかった。 ついに全部飲み干した。1時間ぐらいでボトル一本飲んでしまった。結構酔った。でも痛い。もちろん 眠れない。しばらくすると体が冷えて寒気がした。吐き気に襲われ何回か吐いた。急性アル中の一歩 手前だった。苦しかった。でも、おかげで皮膚の方の痛みは少し忘れることができた。その後 1 時間くらい 寝ることができた。起きると、手が震えていた。やっぱり急性アル中になりかけてたのだろうか? アルコールでは痛さを忘れることができないと悟り、酒を飲むことはごく短期間で終了した。

どうしても痛みは消えなかった。生き地獄であった。世の中は不条理だと思った。

「なんでこんな目にあわなければならないんだぁぁぁ!」

「いったい、自分が何をした?」

自分がなんでこんな悲惨な状況に追い込まれたのか分からなかった。 潮風に当たったのが悪かったのか、体質が原因なのか、とにかく分からなかった。 医者も良く分からないらしい。自分の体質を呪った、これまでの自分の行為を呪った、 自分の性格を呪い、自分の考え方を呪った。こんな目にあうのは、すべて自分に原因があったのだと 思った。そして何の不自由もなく生活している人をみると激しく呪った。そんな自分の心に気づくと、 なおさら自分が嫌いになった。

「自分がこんな状況にあるのは自分が悪いだけだろう。他人は関係無い。他人を恨むのは間違いだ」

そう自分に言い聞かせた。

「ボロボロなのは体だけで十分だ。せめて心だけは綺麗でいたい」

なるべくそう思うようにした。


3、自己否定の世界

状況はますます悪化して行った。カユミと痛みと不眠と行動制約、精神不安、すべて悪化していった。 そしてリバウンドとは梅雨知らない僕は、こんな状況が一生続くのではないかと思った。 そう、現在の状況も非常に辛いが、それが一生続くかと思うともっと辛かった。将来など無いにも 等しかった。就職も結婚も普通の暮らしさえ僕には実現不能であると思った。いったい何が悪くて こうなったのであろうか?医者は具体的にはっきりとした原因は示せなかった。 僕は、すべて自分のせいだと思った。今苦しむのは自分のせいだし、これから続いて行く苦しみも自分の せいだし、将来を台無しにしたのも自分のせいだと思った。もはや生きる意味を見出せなかった。

「おい、神よいるなら教えてくれ、いったいなんでこんな目に遇わなくちゃならんのだ?」

「俺が何をしたっていうだ? 天罰のつもりか、ええ?」

「これほど悲惨な目に遇わないような悪いことなどした覚えがないぞ」

「いるなら返事しねぇか、この野郎!」

「おら、返事しろ、返事しろ、返事しろ、返事しろ、返事しろ!」

一応、自分は理系の学生である。神の存在は信じない。科学が万能であるなどとは全く考えていないが、 科学で証明されてないものを 100% 信じるつもりも全く無い。天罰なども全く信じてない。しかし、 自分が何でこれほどまでに過酷な状況に追い込まれて、なおかつ医師も満足に説明できないのか、 全く分からなかった。やはり、これは天罰か?それなら自分はどんな悪いことをしたっていうんだ? 痛みで半ば錯乱状態になり、加えて不眠と将来への不安でまともな思考ができなくなる時間が増えた。

痛み、カユミ、怒り、不安、狂気、錯乱、不眠、絶望、呪い、嫉妬、失望、憎悪、苦痛、 憤怒、不満、鬱蒼、鬱屈、自己嫌悪、自己否定

すべての負の感情、考え、思いが僕の思考を支配した。 もはや、希望も何もなかった。理性はすでにぶっ飛んでいた。

「そうか、そうか、俺が全部悪いんだな」

「みんなおまえが悪いんだ」

「いったい何が悪かったんだろう?」

「勉強が足りなかったのか?普通の人よりは勉強してきたつもりだぞ」

「それなら性格が原因か?お人好しで他人を攻撃することをあまりしないのがいけないのか?」

「そうか、そうか、これからは人を傷つけ、人を踏み台にして、潰していけばいいのか?」

「はん、いまさらそう簡単に性格が変わるかよ」

「全く取り返しのつかないことをしてきたもんだ」

「今までの行い、考え、性格、全部間違いだったんだ!」

「だからこんな目にあうんだな」

「全くお笑い種だよ、おまえは!」

「喜劇と悲劇は表裏一体っていうけど、他人から見ればほんとにお笑い種だよな」

「ほんとに喜劇だよ、おまえの人生は。この間抜けが!」

「こんなお話はどうだい?」

「むかし、むかし、あるところに男がいました」

「おとこは普通の人よりは、まじめに努力してきたつもりでした」

「おとこは、人にはなるべく親切にしようと心がけてきました」

「おとこは、自分の行い、自分の考えは、正しいと思ってました」

「ところが、それはとんだ間違いだったです!」

「すべて間違いでした。神は怒りました」

「『この男に天罰あれ』と」

「おとこに天罰が下されました」

「おとこは毎日毎日激しい痛みにのたうちまわりました」

「そしてやっと自分の行いが間違っていたことに気づきました」

「でも、もう手遅れだったのです!」

「おとこは、一生狂気のまま苦しみもだえ続きました」

「さぁ、みなさん、この哀れで愚かな男を笑ってやりましょう!」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「ハハハ、みんなお前が悪いんだ。馬鹿なやつだよお前は!」

他人がこの文章を見たら、僕が面白半分に書いてるのではないかと思う。でも、あのリバウンドの 最中は理性が吹っ飛び、いつもこんなことを考えていた。全部自分が悪いと思っていた。悲嘆にくれ やけっぱちになり、絶望の深みにどんどんとはまって行った。

強烈な自己否定。自分が築き上げていた世界がすべて否定された思いであった。そしてこんな状態が 続くのであれば、これから築き上げる世界などなんの価値もなかった。もはや自己の存在価値が見出 せなかった。生まれた来たのも間違いだと思った。こうして自殺することを考える機会が増えた。

道を走っているトラックに衝動的に飛び込もうとしたこともあった。

包丁を首を突き立てたこともあった。

でも死ねなかった。自殺はなかなか難しいことだと思った。でも、あれほど自殺したいと思ったことは 今までになかった。自分の置かれた状況の酷さよりも、生きる気力の程度、自己否定の程度によって 自殺したい気持ちの程度が決まるのではないかと思った。あの時の自分は、悲惨な状況をすべて 自分のせいにして、自分の過去を否定し、現在に苦しみ、将来になんの希望も見出せなかった。 生きる気力もなかったし、自己嫌悪、自己否定に縛られた。マイナス思考が新たなマイナス思考を 呼んで、状態は悪くなるばかりであった。人間としての価値が見出せなかった。自分は、ただの 肉塊、ただの有機物の集合体としか考えられなかった。どうしてこんな体質になってしまったのか、 自分自身が許せなかった。この世から消去したかった。でも、結局自殺しなかったので、自分は それほど悩んでなかったのであろう。結構人間はタフである。だから拷問が存在するのだろう。 人間が容易に自殺する生物なら拷問なんて存在しない。生に執着する本能はたいしたものである。


4、リバウンドの症状と感覚

これまで語ったリバウンドの症状や感覚についてまとめてみたい。 僕のリバウンドの特徴は以下のようなものであった。

@激しい乾燥と落屑

A皮膚が赤くなる

B発熱

C亀裂が入る

D黄色い汁がでる

E激烈な痛み

F猛烈なカユミ

G脱毛

H皮膚が厚くなる

以上についてもう少し詳しく書くと次のようになる。

@について:腕や足、胸、肩、顔、頭などひどく乾燥した。ワセリンをつけても皮膚とともに 剥げ落ちるので、10分ともたないこともあった。乾燥して皮膚のバリアー機能が低下し、 皮膚が過敏になった。衣服にあたるだけでも痛かった。落屑も多く、朝起きると、布団が落屑だらけ になった。あつめると、お椀一杯になった。

Aについて:はじめは赤い斑点が幾つかあった。その斑点が大きくなって行き、やがて全体的に 赤くなった。腹、胸、首、肩、腕、足、手の甲、足の甲、すべて赤くなった。

Bについて:赤くなった皮膚が発熱した。寝るときは気持ち悪かった。

Cについて:肩と首に主に亀裂が入った。少しでも動かすと激痛で辛かった。

Dについて:亀裂の入ったところから黄色い汁が出てきた。シャツが黄色くなった。とても不快だった。

Eについて:鋭い痛み、燃えるような痛み、いろんな痛みが存在した。あまりの痛さで気が狂いそうだった。

Fについて:まるで全身の体液が沸騰したようなカユミに襲われることもあった。これも様々な種類があった。

Gについて:手と足の関節に生えていた毛が抜けた。そこの皮膚は赤くなっていた。

Hについて:手首、足首の関節部の皮膚が厚くなった。単に膨らんだのかもしれないが、靴をはくのが辛かった

ここで、注意すべき点はステロイド外用剤を塗っていなかった皮膚にもリバウンドが現れたことである。 顔にステロイドを塗ったことは、3回しかなかったがひどく乾燥した。背中や腕、足の一部にもステロイド を塗ったことはなかったが、リバウンドが現れた。血液を通してステロイドが全身に行き渡ったのでは ないかと思う。僕以外でもこういう経験をした人はいるそうだ。 ステロイド外用剤を使うにあたっては、この点も注意すべきであろう。医師はこのことをどこまで 認識しているのであろうか?効くところによると、耳鼻科や内科ではこういうステロイド外用剤の 副作用についてはほとんど知らないらしい。もっとも多くの皮膚科も容易にステロイドを処方するが。


5、その後

こういった症状が3ヶ月くらい続いた後、当時通っていた医師はこういった 「アトピーを超えた」 と。そして、総合病院の皮膚科の医師を紹介した。そこに行くと、ほぼ全身にステロイドを 塗られた。僕は、そんなにステロイドを使いたくないといったが、「そうしなければ治らない」 と医師が言ったので、仕方なくステロイドを塗りまくった。翌日には激痛が消えた。ステロイドは すごいと思った。その後、10 月になるまではステロイドを断続的に使いながら症状を「コントロール」 していた。「ステロイドを使って症状をうまくコントロールする」、これが多くの医師が目指す「正しい」 治療なのであろう。しかし、10 月に入ると再び皮膚が乾燥し症状が悪化した。僕は、もともと乾燥肌ではない。 しかし、ここ数年ひどく乾燥するようになった。医師はアトピーが悪化したとか体質だからとか言ったが 、脱ステがある程度すすんだ現在(2000 年 3 月)では、ほとんど乾燥しなくなった。僕は、ここ数年の 皮膚の乾燥はステロイドの副作用あるいはリバウンドのためと思う。また、この症状の悪化 を因子の増減ですべてを説明することも無理が有ると思う。

1999 年 11 月に医師やステロイド治療に疑問を強く感じ、インターネットで調べた結果、自分と同じ経緯 をもつ方が大勢いると知った。その人達の多くは、脱ステ後に症状がはるかに改善した。ステロイドを使っ ていた時よりもはるかに状態が良好なのである。現在の自分も同じことが言える。また脱ステの約 1 ヶ月後 に脱保湿も行った。その約 1 週間後に一夜にして皮膚が乾燥して剥げ落ち、その後赤くもならず、 激烈な痛みやカユミがなくなった。乾燥の程度も減った。現在に至るまで幾つかの悪化と改善の波を 経験したが、少しずつ良くなっているのが分かる。


終わりに

リバウンドの体験は非常に辛かったが、そこから得られたものも幾つかあった。 まず、精神面が鍛えられてた。以前よりも打たれ強くなった。ささいなことは気にしなくなった。 肉体的、精神的に相当なダメージを受けた期間を乗り越えたので当然であろう。次に、自分の体は 自分で守らなくてはならないと感じた。同時に医療を過信することは間違いだと思った。医師が 完璧であるなどとは幻想である。もちろん医師がいなくては困るのだが、医療のより一層の発展と 現在の問題点の改善を願う。そして自分自身について見なおすことができた。このリバウンドを すべて薬や医師のせいにするつもりはない。そういう治療を選んだのは自分の責任であるからだ。 自己責任とは想像以上に大変なものであると思った。結局のところ、自分の考えが甘く、医師という 権威を信じ、盲信的にその治療を信じたことが悪かったのであろう。同じ過ちはもう繰り返さない。 そして、現在の医療の様々な問題も知ることができた。その点については「 素人の独り言」で述べていくつもりである。


ホームへ