2004年度以降
 ウトロを守る緊急行動  2004.08.08

■ (1)当日のプログラム

13:30「討論集会と映画上映」/城南勤労者福祉会館
(1) 「初心者向けティーチィン」
/3Fホール
 経過説明・最近の土地を巡る動きについて
 ウトロ町内会副会長 厳本明夫
(2) 『ウトロ 家族の街』映画58分/2F視聴覚室
 製作:大阪CINEMA塾 武田ブループ
 ※(1)(2)同時並行開催
15:00「フィールドワーク」/ウトロ町内
ウトロの街を見学しながら散歩
※広場入りにて水分補給のためペットボトルを配布
15:30 「集会」/ウトロ広場
町内会からのあいさつ・住民の訴え・行動提起
16:30「ヒューマンチェーン」/町内周囲
「デモ」/近鉄大久保駅まで約1km

プラカードや風船などを持ちつつ
18:00 解散/近鉄大久保駅



■ (2)朝も早うから広場で準備

午前10時から準備開始。集いで使う手持ちプラカード類を作成。福祉会館でも会場設営の準備開始。僕は11時に広場に到着し、持参した楽器や衣装類を待合室に置く。台風の通り過ぎた後ということで、発汗量は心持ち少ないように感じるが、気温は既に摂氏33度を超えている。換気していない部屋の中は、、、おいおい40度近いじゃないですか!
既に日差しの強い午前中、めげずにプラカード作りに精を出し筆を走らせる広場の方々。上記「右写真」のプラカードは、高齢の副委員長が作成。脇の地面に置いている茶の入ったペットボトルも、随分熱を帯びている。
「ようさん人が来てくれればいいのだが、、、」
そうだね。来るのかな。どうなんだろう。とりあえず、ペットボトルを建物の陰へ避難させる。
ウトロは近鉄伊勢田駅から西へ徒歩15分というところ。駅からの要所に案内看板を立掛けさせて頂く。伊勢田駅前の菓子屋さんにも無理を言う。ありがとうございます。看板内矢印の向きをどうするかはいつも悩みどころ。とりあえず「←(左向)看板」を多めに準備する必要あり。
僕はそのまま伊勢田駅近所の茶店で昼飯を食う。身体中が汗でベトベトだ。腹ごしらえを終え、ウトロへ戻ってみると、おぉ、もう守る会の斎藤はんが、若い人相手に早速町内を案内しているぞ! すばらしい。会場設営も進んでいる。僕は殆ど手伝っていないが^^; 色々なノボリが設営されている。ノボリや横断幕には沢山の書込みがある。いっぱい「いっしょに頑張ろうー!」という書込みがある。割と泣ける。



■ (3)話し合いやら映画上映やら。イス足らへん!

集いは、ウトロ敷地南隣の城南勤労者福祉会館の2階3階において、2ヶ所同時進行という形をとる。2階では武田くん@大阪CINEMA塾 たちが撮った『ウトロ 家族の街』を上映。メンバーの方も今回の集いに来ている。元気そうでなにより。

3階では「初心者向けティーチィン」と銘打ち、厳本はん@ウトロ町内会副会長 が住民・参加者を前に経過報告。「初心者向け」とあるが、どの辺りが初心者向けなのかは割と謎。かなり突っ込んだ内容であった。僕は既に知っている話だけれど、初めて聴く方がどの程度リアリティを持って想像できたかは判りません。

  • ウトロの形成史
  • 日産車体との土地を巡るいきさつ
  • 裁判経過
  • 最近の土地登記を巡る情勢
  • 会場での質疑応答
以上の流れで話されました。
当日配布した資料より

ウトロの判決 それから / ウトロ町内会副会長 厳明夫
2000年、ウトロ訴訟団住民の最後の一人が、最高裁からの棄却決定通知を受け取った。このことは、申すまでもなく敗訴が確定して、住民がウトロに居住できる法的根拠を失ったということである。もともと、ウトロの土地問題は、日本政府の過去の戦後補償、企業の戦争責任のあいまいさに起因しておこったものだから「行政」の問題であるべきだが、たまたま土地所有者=(有)西日本殖産が、住民立ち退きの民事訴訟を、京都地裁におこしたというなりゆきで、「司法」にすりかわった経過があった。それが本来の「行政」の問題に戻っただけのことである。
そうはいっても、今さらの戦後補償では、根拠がうすすぎる。
そこで「守る会」では、2001年8月の国連の社会権規約委員会で、ウトロの強制退去の危険性をアピールし、政府に対しての「強制退去」は、社会権規約違反という勧告を出させることが、必要だという結論に達した。そのためには、英語で話のできる人がスイスのジュネーブに行って、国連の委員会で発言しなければならない。結果は、委員会からの「ウトロの強制退去を懸念する」という、最終所見をひきだすことに成功した。
このことは、ウトロ土地問題は本当は、戦後補償問題なのだという論点と、あらたに、ウトロ住民退去への強制執行がもし行われれば日本政府の批准している国際条約違反なのだというカードを、ウトロ住民は手に入れたということである。この社会権規約違反という耳なれない言葉は、実は、大阪高裁での控訴理由のひとつに登場していた。しかし裁判所は判決の中で、国際条約は努力目標として、国内法を優先するという判決を下し住民敗訴となった。住民敗訴をみこして、守る会事務局では、1999年ごろから2001年8月のジュネーブを目標に取り組んできた。判決の骨子を英文に翻訳したり、「日本NGO連絡会」をはじめとする運動団体と連絡をとりあったり、社会権規約に詳しい熊野勝之弁護士にアドバイスを受けたり、月1回の「守る会」の会議はジュネーブに向けて非常に忙しかった。
あらためて、ウトロ住民として、守る会事務局のみなさんにお礼を申し上げたい。

ウトロの土地 / 土地登記簿謄本記載内容(部分)
宇治市伊勢田町ウトロ51土地登記簿謄本の抜粋

1番        抵当権設定仮登記
          平成6年8月19日受付
    原因    平成6年5月31日金銭消費貸借
    債権額   金5億5554万5806円
    債務者   大阪市北区西天満**
          有限会社 西日本殖産
    権利者   大阪市北区西天満**
          三栄地所株式会社

2、3番      抹消

4、5番      抵当権設定 計1000万円
    原因    平成15年1月10日設定
    債務者   大阪市北区西天満**
          有限会社 西日本殖産
    抵当権者  兵庫県芦屋市**
          米田 **

6番        根抵当権設定 平成15年2月14日受付
    原因    平成11年6月22日設定
    極度額   金4億5000万円
    債務者   京都市南区**
          株式会社 金澤土建
    根抵当権者 東京都中野区本町2丁目46番1号
          株式会社 整理回収機構

7番        1番抵当権抹消予告登記
          平成15年2月17日受付
    原因    平成15年2月4日大阪地方裁判所へ提起

8番        抵当権設定仮登記
          平成15年4月8日受付
    原因    平成15年4月1日設定
    債権額   金10億円
    債務者   大阪市北区西天満**
          有限会社 西日本殖産
    権利者   滋賀県大津市**
          大畑**

これらのことから、ウトロの土地所有者の債権(借金)がRCC<整理回収機構>に移り、ウトロの土地の任意売却、競売がこの2〜3年(長くても5年)の間に予想される。 ウトロ町内会としては、ウトロを追い出されたら、行く先のない一世の高齢者と、生活保護世帯のくらしていける場所が保障されない限り、最後まで戦い抜き、今日までの在日の歴史を通じて反戦と人権を訴えつづけて行くつもりである。(厳明夫)

  • [青ひょん注]
    余り意味はありませんが、よく判らないので部分的に伏字(**)にしています。集いでは謄本写しのコピーが配布されました。(上記内容は部分)

ウトロの残る意味 / ウトロ町内会副会長 厳明夫
ウトロという在日の集落、わずか65世帯200人(*2004.08ウトロ公式発表(?))。そこに在日が住み続けているということが過去の戦争の歴史を残し、反戦の記念碑となりうると思う。
明治の「日韓併合」までさかのぼって始った、朝鮮の植民地支配。それによって、土地を奪われたり、生活ができなくなったりした、朝鮮の人々は満州へ、又は日本へ渡ってこざるをえなかった。本来なら、在日のすべてを戦後、朝鮮でくらして行けるようにして、帰国させるべきであった戦後補償という問題を50年以上曖昧にしてきた。その決算が、在日の集落であるウトロを強制退去させるという清算的な解決であるならば、あまりにも理不尽ではなかろうか。
ここウトロ(在日の集落)は、かつての日本の植民地支配(帝国主義)の破綻の結果である。国益を戦争で解決をはかる無意味さと、その後に残る人々の苦労と悲劇は、イラクを見ればよくわかる。過去を学ぶ、遺産としてウトロが残ることは大切なことではないだろうか。
ドイツでは、国内のあちこちに、ユダヤ人迫害の歴史観を残して、戦争のいましめとしている。ウトロが、それほどのものとはいいにくいが、今の日本にはひとつやふたつ必要ではなかろうか。イラクへの自衛隊の派遣を見ていて、特にそう思う。

以下に、関連年表を挙げます。 [ ■ウトロ形成史( keisei01.html ) ] と内容は重複します。

関連年表(最近)
2001.08  国連・社会権規約委員会(スイス ジュネーブ)にて、
       守る会会員新屋敷氏「ウトロ強制退去の違法性」をアピール
2001.09  同規約委員会最終所見の中に「ウトロ強制退去」懸念を盛り込む。
2002.02  「われら、住んで斗う!」ウトロ団結集会
2002.04  民団・総連支部合同にて、ウトロ現地調査を宇治市に要請
2002.06  NPO法人京都コリアン生活センター「エルファ」が
       分室「ハナマダン南京都」をウトロ町内に開設。
2003.07  ウトロフィールドワークと焼肉交流会
2003.08  国連会権規約委員会が
       「強制立ち退きを懸念する。その場合、政府が何らかの救済措置を取るべき」
       との勧告を最終所見で明らかにする。
2004.01  ウトロ問題を考える映画と講演の集い
2004.08  ウトロを守る緊急行動(今回)
関連年表(1988年前後)
1986.06  「ウトロ地区に水道敷設を要望する市民の会」発足
       署名運動、宇治市への要望を行う
1986.08  住民が宇治市に水道布設の要望書を提出
1986.12  日産車体、国土法の届出を宇治市経由で京都府に提出
1987.03  日産車体、ウトロの土地を平山個人に売却する契約結ぶ(9日)
1987.03  日産車体、ウトロヘの水道埋設同意書を宇治市水道部へ提出(9日)
1987.04  平山らが有限会社西日本殖産を設立登記(30日)
1987.05  平山がウトロの土地を西日本殖産に転売する契約結ぶ(9日)
1987.08  西日本殖産、ウトロの土地所有権移転登記(12日)
1988.01  水道配水管布設工事開始を祝う式
1988.02  ウトロの土地が売りに出たとの噂が業界に流れる
1988.03  水道管埋設工事完了
1988.04  ウトロの各世帯(住民の約半分)に給水開始
1988.07  住民の多数が転売をはじめて知る。町内会を再建し土地対策委員会設立
       弁護士と対策を協議。宇治市に日産車体との話し合い仲介を依頼
1988.10  第1回ウトロ町づくりの集い開催
1988.12  西日本殖産より住民に立ち退きの通告郵送。
1989.01  宇治市が日産車体本社に住民の意向を伝える
1989.02  西日本殖産、京都地裁へ第一次の土地立ち退き訴訟提訴
       以降漸次提訴。全69世帯が被告とされる
1989.02  地上げ業者、建物解体に来る。住民に追い返される
1989.03  ウトロ裁判始まる(京都地裁)。第1回口頭弁論
1989.03  「地上げ反対!ウトロを守る会」結成
最後にその他の発言に関して、当日の僕のメモよりかいつまみ報告します。多くは厳本はんが経過説明中にトピックスとして話された内容です。その中身は、日産車体、平山氏、地主の”思惑”といった「実際どうであったのか今のところ判らない。想像するしかできない」話題を含みます。であるからして、本来であればオフレコ部分に相当するわけで、「そういう見方もあるのかな」ぐらいに差し引いて読んで頂けると幸いです。
日産の思惑とは?
  • 日産は当時経営上苦しい状況。また、固定資産税を支払っているにも関わらず、自分の土地として有効活用できていない状況がある。税金対策もあり、売却したいという思いがあったのではないか。
  • 日産車体から西日本殖産へ土地を転売した当初は、ウトロ住民に分け与えようとする意図があったのではないか。
  • 事の一端を担った当事者として、日産に裁判の場へ出てきて欲しいという欲求は当初よりあった。なんとか算段して顔を出して頂けるようになったが、裁判内で「どういう意図で西日本殖産に土地を売却したのか?」というこちらの問いに対しては、「特に意図はなく、ただ不動産の処理をしたいから西日本殖産に売却した。ウトロ住民に分配するということは前提にしていない」という回答を頂くにとどまった、、、。
  • 因みに、2001年には日産車体宇治工場も閉鎖されている。
自称町内会長の平山氏とは?
  • 本名ホチャング氏
  • 状況が進む1987年よりも更に2年前に、ウトロ敷地北側の水路底地改修工事が行われる。日産が宇治市と交渉をすすめ、幅1mほどの所有権移転が行われた経緯が後に判明。どうやらその頃に登場したのが平山氏。
  • ウトロには当時町内会が無いが、宇治市行政からウトロ町内向けに通達が色々下りていた事が後に判明。平山氏が受け皿となっていたようだ。
  • 彼は土地周りのことに直接携わりながら、日産から土地を分譲させるために西日本殖産を設立する。後に住民が買ってくれるのが良いであろうという判断は彼にあったであろう。ウトロの敷地約6400坪を、3億ないし3億4500万で買い取ったとして、坪辺り5万円。非常に安い買い物をしたという経過。坪当り10万で6億4千万。当時バブルの時代は坪当り50、60万円になるかという次元(?)。
  • 西日本殖産設立当初、途中で代表者が平山氏よりH氏へ変わる。H氏は「ウトロ町内の住民のためにもなるだろうから」と平山氏に乗せられ(?)代表となり資金を出しウトロ物件を所有。
  • 町内の方でも「ウトロの土地が売りに出された」という噂が出て、調べるうちに色々と判明していく経過があった。
  • 実質ウトロ住民に払い下げなかった背景には、住民の大きな抵抗があったためか。にっちもさっちもいかず宙ぶらりの状況下、西日本殖産もウトロの土地を持ち続ける訳にいかなくなり、金澤土建へ転売。
  • 裁判上、平山氏に出頭して頂きたかったが、現在のところも行方不明。実際どういう思いであったのかは判らない。
西日本殖産とは?
  • 平山氏より代表者が変わった西日本殖産は、ウトロの土地を持ち続けられず、金澤土建に転売。
  • 転売に関しては、国土法という障害がある、また土地所有者の名義変更をすれば多額の金がかかる。故に、金澤土建は西日本殖産を会社ごと買収。
  • 建物を撤去し更地にする必要があるため、三栄地所にその辺りの仕事を依頼・契約。
  • 町内1軒1軒に対して「幾らで出て行って欲しい」という内容証明書付の封書を送付し、交渉を進めるが、様々な事情があるなか殆ど進展は見られない。1989年に「ウトロ住民には何の権利も無い。不法占拠だから建物を収去し出て行くように」という主張で京都地裁へ提訴。
  • 2003年12月まで西日本殖産、金澤氏が土地所有者であったが、ここにきて所有者が変更された経過あり。
裁判に関して
  • 1989年に裁判が始まり、京都地裁において金額が折合わず和解不成立で、実質司法上の解決は果たされず、最後の一人が最高裁から上告棄却決定通知を貰うまで11年間、ウトロは裁判で闘ってきた。
  • ウトロは裁判で被告であったが、ウトロが戦争の名残として存在し、戦争戦後補償というテーマが根幹にあることを考えるとき、「企業、日本政府相手に戦後補償訴訟を起こすべきではないか」という声もあった。弁護士とも相談したが、殆どの裁判が国籍条項で敗れる状況の中、訴訟しないことに決める。
最近の土地登記簿謄本に現れる人物は?
  • 2004年春以降、不動産業者や解体業者と思われる見知らぬ人々がウトロ地区に出入りし始める。6月が一番多かった。同時に業者の間で、既にウトロの解体契約が結ばれたとの噂が流れる。
  • ウトロ内を物色していた出入り業者の数名から、厳本はんは一応名刺を貰う。
  • 登記簿上名前の挙がる方々についても調べたが、記載住所先も正しくないようで現在のところ実体は判らず。
会場からの質問と返答
  • 謄本に挙がる根抵当権者などについて、実体が判らないということだが、行政書士などプロも手は尽くしたのか?

    正直、理解できていない部分もあろうかと思います。
    相当お詳しそうですね。会議なりに是非来て頂けないかと。
  • 強制執行が行われる状況になったとして、支援する側への連絡・行動提起はどうなされるのか。突然執行者がウトロへ現れたとして、どう対応するのか?

    まず、最初の執行なり来訪の段階では、事前通知があると予想されます。町内会・守る会事務局のほうで情報発信をするようにします。緊急連絡先などがあれば、事務局へ伝えて下さい。また、強制執行が始まったニュースを何らかの形で聞いたならば、その次の日曜日に、ウトロへ集って下さい。
今後の見通しなど
  • もともと「行政」の問題であったところ、「司法」の問題へとすりかわる経過があったものの、現在、本来の「行政」の問題に立ち戻ったという認識。
  • 宇治市行政は数十年間ウトロを放置してきた。裁判時には「係争中であり司法に介入できない」とするものの、裁判が終わってみても、新たな方向性を示す気配は無い。
  • 宇治市行政は、「ウトロ住民が土地の権利を取得したならば区画整理をする用意がある」と以前に答弁している。また、仮に強制執行が行われた場合に「災害時救助並の対応をする」としている。
  • まず所有権がウトロ住民に無ければならないという、宇治市行政の方針に従えば、住民がRCC競売で権利を入手することが、考えられる選択肢か。甘い考えかもしれないが。
  • 強制執行がどの様に行われていくのか不透明な部分はあるが、「最後までがんばろう」というのが町内の一致した意見。
  • 今日8月8日に暑い中多数集まっていただけたことは、住民にとって、今、一番ありがたい支援である。今後、強制執行に対する場面で駆けつけて頂いたり、ウトロの土地問題を色々な形で広げていただく、支援はそういう形でお願いしたい。
  • 「土地問題のことばかりを考えてやってますと、17年間も息が続きません。ワークショップ、研修で、一人でも多くの人に在日の歴史を知って頂き、戦争の無意味さ、戦争になればこんなことにもなるんだ、そういう事を感じてもらう、そういうことが、ウトロに住む住まないということよりも重要なのかもしれない、というぐらいに考えています。研修の方が重要やという思いもありで、ちょうどエエ具合かなと思うんです」
3階会場は超満員で椅子が足りない状態。会場の舞台前に住民がずらりと並ぶ。厳しい表情だ。住民以外のたくさんの参加者がそれを囲む。今までに何度も足を運んで下さっている方もおられるし、知らない顔もずいぶんある。若い方も年輩の方もおられる。 「 これほどぎょうさんの人が来てくれはるとは。うちらも頑張らなあかんなぁ! 」 と住民が言う。




■ (4)フィールドワーク、集い、散歩。暑いぞ。

城南勤労者福祉会館から場所を移し、ウトロ町内へ。参加者の大半がフィールドワークとして町内を歩く。これだけ人数が多いと、幾らメガホンがあろうとも声は届かんよなぁ。陸上自衛隊大久保駐屯地とウトロ敷地の脇道を通ったり、昔の飯場のなごりを前に説明を受けている。広場入口で、水分補給のためにとペットボトルを配布。今回はじめてウトロへ来られた方も随分いるようだ。
僕はワークショップ中の群集を抜けて、農楽サークルの面々のもとへ急ぐ。パヂチョゴリ、チャング(杖鼓)、ちょんまげなどを装着。バッタもんのコッカル(花傘)を持参したので、メンバーに被っていただく。にぎやかだ。次回は、ホンモノのコッカルを用意したい。暑い中、最後まで演奏できるかどないなるか判らんものの、4拍子、3拍子、2拍子を合わせる。クェンガリ×1台、プク×2台、チャング×3台の構成でデモの先頭を歩く予定。後方には各々きれいな風船やプラカードや楽器やノボリなどを携えた参加者が連なることに。広場へ目を移すと、ワークショップから帰ってきた人々がわいわい集まってきた。人がいっぱいだ!
今回は500名ほどの人々がウトロへ集まった。これはかなり多い! 遠方より参加してくださった方も随分いると聞く。僕がよく知る大阪方面の面々や京都市内の面々の姿も群集に見つける。そうか、えらい多方面から集まったのだなぁ。後日その筋の人から、幾つかのメーリングリストや掲示板で集いが紹介され、「わしも行くでー」「うちも参加するよ」という声が事前にあったと聞く。今回、僕は殆ど情宣も書込みもしなかったので、とてもありがたい話だ。ありがとう。集いの最中はダラダラと汗を流しバタバタ動き回っていたので、話ができなかったのは残念。とはいえ、こういう機会の思わぬ邂逅に、瞬間踊る気持ちというのは、明日生きるエネルギーに直結する気がする。「おぉ、生きてたか!心強い!お互い次に会う時まで、もぅちょっと頑張ろな」というやりとりが住民・参加者各人にあちらこちらであったに違いない。厳しい状況下で、尚かつ、直接的に暑くて暑くてダルいにもかかわらず、なんだかニヤけたり、ニヤける自分自身を恥ずかしく思う瞬間が何度もあった。
広場で集会が進められる。やっぱり日差しが厳しいので色々と省略する。主催者からの一声。住民の一声。守る会事務局から一声。ヒューマンチェーン(人間の鎖)は、ウトロ敷地全部は網羅できないが、北側(南山蔭田線)と南側(伊勢田町123号線)で2列作るらしい。
ノボリや風船がたくさん目に入る。カラフルだ。プラカードのメッセージが見える。「高齢者を追い出すな」「ウトロを無くすことは在日の歴史をなくすこと」「ウトロは反戦の記念碑」。ハングル文字やアルファベットで書かれたメッセージも目を引く。
おなじみのウトロ横断幕、海外で使った黄色い横断幕の他にも、日雇労働者支援旗、ユニオン旗、赤い旗や黒い旗も目に入る^^;。そういえば、ウトロ写真集などでおなじみの「恨」と書かれた大きな垂幕は今は無いのだった。残念。
北側道路脇で僕は、タイコを抱えスチールカメラを首からぶら下げ右往左往する。対向2車線の狭い道路。交通整理をする京都府宇治署の警察官も大変だ。腕の見せ所か。行き交う車の運転手さんも、なにごとかとこっちを見る。騒がしてすんませんと僕は頭を垂れる。
さすがに大勢で立ち並ぶと、端っこが見えない。すごいな。ヒューマンチェーンが出来あがると、合図にサイレン(!)を1度鳴らすのだと言う。そんなんウトロにあったっけ? 今までサイレンを聞いたことが無かったが(鳴らすことも無かっただろうが)、そんなん鳴らして大丈夫かいなとドキドキする間に、野太い「ヴゥゥ〜」という合図。
デモは、ウトロ敷地南西角から出発し、日産工場跡と陸上自衛隊大久保駐屯地の間の道を南下し、駐屯地敷地をぐるりと回って近鉄大久保駅へ向かうコース。
先頭の農楽組の後に「地上げ反対 ウトロ市民の生存権を守れ!」と書かれた横断幕が続く。その後に風船やプラカードやなにやら大勢が続く。どこまで続いているのかよく見えない。大通りに出るまでは人通りは少なかったが、大通りに出ると、さすがに車や人が何事かと注目する。
近鉄大久保駅につく頃には、汗やら何やらでもう何がなんだか判らない状態。プクを叩いている農楽メンバーは足腰にかなり負担を抱えながらデモに参加していたんだが、「当分とても仕事にならへん」状態。今回歩くだけでも大変だろうと楽器を持たなかったメンバーもすぐ後で一緒に頑張る。
一番後続のグループが駅前に辿り着いた時点で、簡潔にシュプレヒコール。その後、解散。
僕は、ヘトヘトとで友人を探すこともできず、太鼓を抱えたまま、ウトロへ初めて来たという方と一緒に雑談しながらウトロへ戻る。

町内では、ごくろうさんー、おつかれー、と声を掛合う。
蒼白になって声の出ない方もおられる^^; ちょっと心配。
たくさん集まりましたね。よかったですね。と、副委員長に声を掛ける。返ってくる声は張りがある。いい機嫌のようだ。

今回は「焼肉食べてる場合じゃない」ということで参加者・住民のフランクな交流会は無かった。残念といえば残念な気もするが、ウトロに関心を寄せる人は「いる」し、それも割とたくさん「いる」んだという実感が、皆の心に残ったように思う。



■ (5)さいごに

今後状況がどう動くかは、相手方のいる話ですので一概には言えませんが、集会にて、ウトロを守る会事務局のほうから一声ありました。

業者が建物取り壊しを始めたというニュースが流れたら、
その次の日曜日に、是非もう一度ウトロへ集って欲しい!

ということです。

以下、関連リンクです。

[temporary] は、リンク切れになった場合の copypage です。





※写真類は、全て僕(青ひょん)が「雰囲気を伝える」という目的で撮影したものですが、「特定できとるやん!」などの指摘あるようでしたら、すんませんがその旨メール等でお知らせ下さい。対応します。ごまかしとるつもりなんですが、判る人は判るね^^; また、印刷用に画像データが欲しいという事でしたら、大きい画像を send しますので言うてください。よろしく。


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画像と文章 by 青ひょん <aohyon@ka2.so-net.ne.jp>