声 

[「強制退去」を命じる司法判決(日本政府報告に対して、カウンターレポートを国連社会権規約委員会へ提出)(2001.06.01)(ウトロを守る会)[English/Japanese]
[日本のウトロに差し迫る、強制立ち退きについて(2001.05.02)(ウトロを守る会)[English/Japanese]
◆ 朴炯圭さん、ウトロへ(1998.11.24)
[「ウトロの人たち」韓国版イウサラム(1998.3 金瓏教(キムヨンギョ))]
[哀悼 金壬生アボジ(1998.3.10)]
[写真集『置き去りにされた街 ウトロ』(かもがわ出版)(1997.11)]
[『メッセージフロムウトロ』(1990.08.12)]


■朴炯圭さん、ウトロへ(1998.11.24)

朴炯圭さん、ウトロへ(報告:S)


朴炯圭さん                    
1923年   韓国・慶尚南道馬山市に生まれる    
1959年   東京神学大学修士(組織神学)修了   
1964年   ユニオン神学校で学ぶ(S.T.M)  
1971年より ソウル第一教会牧師          
1981年   韓国基督教長老会総会議長就任     
1982年   韓国キリスト教協議会人権委員長就任  
1989年現在 全国民族民主運動連合常任顧問     

著書       『イエスに従おうとするなら』  
(1976 韓国語書名は「解放の街角にて」)  
『解放への巡礼』(1986)  
いずれも邦訳。  

※『曠野の行進−朴炯圭牧師説教集』  
(1989 日本基督教団出版局より  

私は今年9月、ソウルで『イウサラム』(韓国版)出版記念会の時、韓国の「ウトロ同胞後援会」の代表としてウトロ町内会や守る会の方とはじめてお会いしました。すでに昨年、ウトロを訪問調査した韓国キリスト教協議会人権委員会のメンバーから、その報告を聞いていました。その時、住民の皆さんの顔を是非見たいと思いました。今日こうしてウトロを訪ね、実際に、地域を見て回りました。目をつぶると第二次世界大戦中にここで働かされたお祖父さんやお父さんの顔が、飯場に残っているようでした。私も9歳から15歳まで(1932〜38年)、大阪市福島区の飯場で生活した経験があります。皆さんの顔を見ていると、親戚に会ったような気になりました。皆さんの顔は明るく、平和と喜びがあります。少しほっとしました。

さて、私は韓国の社会問題とりわけ人権の問題に長年深く関わってきました。韓国で住民組織運動(コミュニティー・オーガナイゼイション)を最初に始めた一人です。現在もその一番影響力のある運動組織「居住権運動」の顧問をしています。


韓国の居住権問題では、とくにスラムの退去問題がありました。過去に私が経験したケースを考えてみると、たとえ法的に不可能に思えても団結して闘った人たちは、最後には何がしかを勝ち取ったのです。住民は団結して自らを組織することが一番大切です。スラムの人たちが団結して闘い、政府・市・町を動かして最後には住めるようになります。2つの例を紹介しましょう。1つ目はスンナムという都市。ここは朴独裁政権が貧しい人たちをトラックに乗せて捨てた場所でしたが、ここの人たちは独裁政権の下であるにもかかわらず、代償の土地をもらうか、アパートを貰うか、何かを得て解決しました。2つ目は金泳三政権の時の事件です。貧しい人たちは行くところがないから山の上に住んでいた。その土地をソウル市は売ってしまった。暴力団が来て、次にトラクターが来て、強引なやり方をして撤去を迫ったが、住民は団結して負けなかった。住民に対して暴力で脅かしたり、金をやったり、就職口を世話すると誘惑したり。だが負けずに最後まで団結して頑張った人は、最後にはソウル市から金を出させて、住民たちも自分の金を出しあって、住宅を保障する(アパートをあげる)という約束を得た。いまはその仮住居に住んでいます。運動によって大きく前進したのです。

日本に来る直前、私はスコット・レッキー氏とソウルで会いました。カトリックの金枢機卿、私、ハビタットの3人は「居住の権利」について、法律を作成するための委員会のメンバーです。レッキー氏はその私たちに会って、その次の日に金大中大統領に会いました。私は別の用事があってその場には同席できなかったのですが、金大統領は「努力しましょう」と約束したということです。

皆さんは決して寂しい人たちではない。皆さんは団結して知恵を出し合い、この問題を世界中に広げることができます。レッキー氏はこの問題を国連に訴えるでしょう。韓国でも支援の輪は今後大きくなっていきます。世界中に友人ができるのです。しかし、より重要なことは、皆さん方が全世界の貧しい人びとに多くの勇気と力を与えることができるということです。自分一人の利益のためと思わないで世界の貧しい人びとが住む権利を保障され平和に暮らせることが出来るように努力しましょう。権利がない、金がない、学問がないからと無視されてはいけない、、、人はみな平等でお互いを認め合わなくてはいけない。私たちはそのことを世の人びとに知らせなくてはいけないのです。
いまウトロの皆さんに必要なのは何より団結です。もし一人ひとりが気弱くなったら、勇気を出すように皆で助け合い、この闘いを闘うことによって、本当の人間としてのあるべき関係を回復することができると信じて下さい。あなたがたを守る会もあるのですから、決して闘いを放棄しないでください。裁判所で負けても失望することはありません。日本の法律よりももっと重要な法があるのです。それは神から与えられた権利であって、50年も住んでいる人を追い出すことなどできないのです。どうぞ頑張ってください。私も韓国に帰って最善を尽くします。韓国の居住権市民運動も支援すると約束できすでしょう。最後まで団結して目的を達成してください。韓国でも喜びを分かち合いたい。皆さんが平和に暮らせるように祈ります。


 韓国から見て、ウトロの何が知りたいですか。

 まず、この50年間住民はなぜこうした問題に無関心で暮らしたのか。次にウトロの人はどれほど真剣にこの問題の運動をしているのか。また、ここには若い人がいないがどうしてか。


 立ち退き要請の誘惑に負けた人、負けなかった人は何がそうさせたのか。

 誘惑にはいろいろある。貧しい人に金や就職口の斡旋。だが、金は使ってしまえば何も残らない。瞬間的に満足しただけ。最後まで残った人は確信を持っていた人。自分の居住権に関する確信と、もう一つは闘えば勝つという確信。指導者や守る会の人たちとの関係を信頼して、力を合わせて最後までバラバラにならないでいた人です。 チュングチャンという所の事件では、貧しい人に対して何十万円やるからという誘惑があった。誘惑に負けて夜逃げした人もいた。残った人は苦しかったけど暴力団と闘い、家を潰されたらテントを建てて闘った。とうとう時代が変わって10坪とか20坪とかを貰った。そこにテントをはって、だんだん家らしくなってきた。最近では韓国政府が土地の一部を提供して、住民は組合を作って解決した。しかし、家賃を払っている間借り人は行く所がない。そこと同じ家賃では他の所では借りられない。そこでアパート居住者組合を作って住める権利を得て解決した。途中で逃げた人らが悔しがって大騒ぎをしたそうだが、後の祭りです。


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