報道 

[雑誌面等] [新聞紙面]
──────────
[「ウトロまちづくりプラン」ワークショップ4(2000.7.2)]new!!
_すべて住民敗訴 (2000.6.28)!!
[分割の区画整理を展望 土地問題、現実的対応を模索 (2000.5.15)]
[「居住の権利」で調査 (2000.03.20)]
[(宇治市市議会)(2000.03.04)]
[府に陳情、立ち退き問題対処求む (1999.10.19)]
[ウトロ建物調査 (1999.08〜)]
[最高裁住民側の上告を棄却 (1999.06.25〜)]
[新聞連載 (1999.04.07〜)]!!
[敗訴後、(1999.03.09〜)]
[高裁控訴審判決、敗訴 (1998.12.22,23)]
[ウトロ農楽隊ロビーコンサート〜 (1998.11.10)]
[署名 (1997.12.10)]
[写真集発売(1997.11.10)報道 (1997.12.13)]
[韓国訪問(1997.9.21-25)報道 (1997.09.25〜)]
[ウトロ水道問題報道 (1997.09.19〜)]
[イグナシオ・アルミヤスさん (1997.08.25)]
[和解交渉決裂(京都地裁) (1997.03〜1997.06〜)]!!


すべて住民敗訴 (2000.6.28)

『すべて住民敗訴』/毎日新聞(2000.6.28)_


 
 _ 『すべて住民敗訴』/毎日新聞(2000.6.28)


ウトロ訴訟
すべて住民敗訴
大阪高裁 3世帯3人分も棄却


第二次大戦中、軍用飛行場建設の工事宿舎があった京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区で暮らす在日韓国・朝鮮人68世帯69人に対し、土地を所有する不動産会社「西日本殖産」(大阪市)が立ち退きを求めたウトロ訴訟のうち、3世帯3人分の控訴審判決が27日、大阪高裁であった。妹尾圭策裁判長は立ち退きを命じた1審判決を支持し、住民側の控訴を棄却した。これで、6つの控訴審はすべて住民敗訴に終わった。住民側は上告する方針。

問題の土地約2万平方メートルには戦時中、国や府、国策企業が計画した軍用飛行場建設の宿舎があり、工事に集められた朝鮮人労働者が住みついた。戦後、日産車体に払い下げられ、同社は1987年、住民に知らせず西日本殖産に転売した。

住民側は、日本も批准した国連の社会権規約「居住の権利」条項などを基に「代替地を設けない強制立ち退きは条項に違反する」などと主張。しかし、判決は「社会権規約は、立法措置はとることなく個人に権利(居住権)を与えたものと理解することはできない」と住民の主張を退けた。

同訴訟は既に、最高裁が住民2グループ25人の上告を棄却、上告しなかった住民を含め36世帯37人の立ち退き判決が確定している。

判決後、ウトロ訴訟弁護団は「戦後補償を抜きにして、問題を解決することは不可能に思われる」とコメント。ウトロ町内会の金教一(61)は「強制的な退去には応じない。人権問題として国内だけでなく、国連へもアピールしていく」と話した。【木村 哲人】



行政が重い腰上げるべき時


<視点>
最後の控訴審も住民敗訴に終わり、これまでの上告審の決定から判断して、全住民の立ち退き命令が確定するのは時間の問題となった。

しかし、問題の背景には、戦争遂行のために朝鮮人労働者を集め、終戦後は補償もせず放置した歴史的な経緯がある。外国メディアも注目しており、住民らが追い出される事態になれば国際社会からの非難も受けかねない。「民間同士の争い」と傍観を続けてきた国や地元自治体が、解決策を模索すべき時期に来ている。

司法救済の見込みが薄れ、住民は自治体に解決を求めて提示する「まちづくりプラン」の作成に取りかかっている。土地を3分割し、資力ある人は土地を購入し、他の2区域に公営住宅や公的施設を建設するアイデアだ。これとても、行政が重い腰を上げなければ実現は不可能だ。がけっぷちに立つ住民の切実な声に、行政は、どう耳を傾けるのか。【木村 哲人】

[このページの頭へ] 
[目次頭へ]