年表 
 ウトロ形成史  2006.03.08


今から60年以上前、日中戦争が激化し、「太平洋戦争」を目前に控えた1940年4月、2000名の労働者を動員して京都飛行場建設工事が始まった。「一朝有事の際には直ちに軍飛行場として商都大阪及ぴ京都の盾となる」と当時の新聞が伝え、「国防上あるいは国策上とあればやむを得ないことではありますが」と当時の佐山村村長が述べているように、朝鮮、アジアへの侵略戦争下での軍事飛行場であった。

この工事は、「国策に寄与するため、陸軍の要請に応じて」設立した国際工業(株)(1941年に会社合弁で日本国際航空工業(株)となる)、これを「土地買収と設備工事は一切府において引受く」などを条件として誘致した京都府、そして、米国開戦を前に軍事飛行場設置と合わせて各地への航空機乗員養成所設立の一つとしてこの地を選んだ国(逓信省)の三者が一体となって進められた。

飛行場、乗員養成所、航空機製造工場など約100万坪の大規模な工事だった。そして、この工事に、安価な労働力として多くの朝鮮人労働者が雇われた。現在、ウトロに居住する人々はこの飛行場建設に動員された労働者たちとその家族、その縁故者たちも多い。


  • ■ 2006.03.03/追記(青ひょん)
    逓信省が発表した

    労務者募集の内容には、(1) 労務することにより徴兵を免れること (2) 家族が敷地内で一緒に暮らせること などの条件があったということ。僕自身は伝聞でその様に聞く。集まった人たちは、現場について最初、土を掘り集め固めてカマド作りに精を出したそうな。
    現在ウトロの地盤高が周囲に比べて低いのは、飛行場滑走路側(現在の陸上自衛隊大久保駐屯地)整備のために、ウトロ側の地盤を堀り運んだため。
□ 形成期
1937.05 日本航空工業(株)設立(本社・大阪市)
1939.11 国際工業(株)設立(本社・東京市)
1940.01 京都飛行場用地が佐山村を中心とする区域に決定
1940.02 現在の京都府宇治市と久世郡久御山町にまたがる97万坪に、
      飛行機製造工場と乗員養成所を併せ持つ京都飛行場建設事業正式決定
1940.04 国際工業京都工場および付属飛行場起工式
1941.07 日本国際航空工業(株)設立(両社が合併
      本社東京市。工場、京都府久世郡大久保村、神奈川県平塚市
      社長津田信吾。従業員3000人)
1941.08 京都府が計画地域内の農民地主から、ウトロ部分(約21,000M^2)を買収し、
      日本国際航空工業の名前で所有権登記
1943頃  ウトロに飯場が作られる
1941.12 米英両国と開戦
1944.91 日本国際航空工業を軍需会社に指定
1945.07 同大久保工場を、米軍が爆撃
1945.07 再爆撃により、工場の生産活動停止
1945.08 日本敗戦、朝鮮解放。飛行場建設中止
      1300余人の朝鮮人労働者と家族は放置される
1945.09 米占領軍、日本国際航空工業敷地を接収
      ウトロ飯場は住民の反対により接収できず
1945.09 ウトロに朝鮮人学校が自主的に建てられる
      (帰国に際し、自国の言葉、歴史などを学ぶため)
1945.12 津田信吾(社長)A級戦犯容疑で連行
1946.02 日本国際航空工業、日国工業(株)と社名変更(社長・寺田道彦)
      鉄道車両および自動車車体製作に転換
1946.05 GHQ、津田を無罪釈放
1946.09 日国工業が車体の製造を始める
1949.04 新日国工業(株)設立
      旧会社・日国工業は、実質、旧軍需会社の債務を含む資産の清算会社に
      ウトロの土地も含まれる
1949.12頃 日本政府の弾圧により、ウトロの朝鮮人学校閉鎖される
1950.06 朝鮮戦争始まる。戦争特需により日本の産業は復興する
1951.05 住民が宇治市に生活困窮救済を訴える
1951.06 新日国工業(株)が、日産自動車と資本提携
1952.03 警察が間諜容疑で2回にわたりウトロを強制捜査
1952.10 外国人登録法に反対し、宇治市に抗議
1953.06 基地反対闘争が激化。杭打ちを阻止
1953.07 宇治市に生活保護を適用するよう陳情
1953.09 台風13号で浸水。大きな被害
1953.12 京都府に朝鮮人の越年資金を陳情
1955.02 生活保護法違反で警察がウトロを強制捜査
1956.10 米軍大久保キャンプ、日本に返還
1957.02 陸上自衛隊大久保駐屯部隊が発足
1958.09 宇治市が失業対策事業を開始

1961.10 西宇治中学で朝鮮帰国生徒の送別会
1962.01 日産車体工機(株)へ社名交更
1962.07 日産車体工機が清算会社・日国工業を合併

1970.02 住民ら日産車体工機に「要請」書を発送


1971.06 現在の日産車体(株)となる

1979.10 宇治市に水道、消火栓、道路舗装を要望
1984.11 日産車体より”自称”町内会長・許昌九(ホチャング/平山桝夫)にウトロの土地譲渡を提案
1985.03 ウトロで火事。4戸全半焼


  • ■ 2006.03.03/加筆修正(青ひょん)
    2006年2月26日「第1回 ウトロ住民にみなさんの意見を!現状報告と町づくりへ向けた討論会」の中で配布された資料を確認し、一部修正
  • ■ 2006.03.10/日国工業(青ひょん)
    軍需工場時代の清算対象資産のうち、米軍基地となった部分は、日本政府に買い上げられ、宇治市内に点在した旧社宅は日本人の居住者にそれぞれ払い下げられる。ウトロの土地部分は未処分のまま、1962年7月に日産車体工機株式会社(新日国工業の後身)と日国工業(清算会社)は再び合併する運びとなる
  • ■ 2006.03.10/「要請」書(青ひょん)
    1970年2月に住民代表が懸案の土地問題を解決しようと「土地の売却」を要望する文書を作り、居住者の連名を添えて日産車体工機(株)に送ったもの。

    「住民の窮状を訴えたこの文書は皮肉なことに、後のウトロ裁判で決定的な証拠となります」、「「土地売却を求めたのだから、その時点でウトロ訴訟を所有の意思をもっていたとは言えない」と裁判所が判断すると時効主張は崩れる」(『ウトロ置き去りにされた街』)
  • ■ date/sub(name)
    com

飯場跡6400坪には行くあてのない在日朝鮮・韓国人。約80世帯380人が家を建てささやかな暮らしを続けた。しかし、行政の施策からは取り残され、水道管すら、地区内には引かれていない状況であった。
 
1986.06 「ウトロ地区に水道敷設を要望する市民の会」発足
     署名運動、宇治市への要望を行う
1986.08 住民が宇治市に水道布設の要望書を提出
1986.12 日産車体、国土法の届出を宇治市経由で京都府に提出(現況:遊休地)
1987.03 日産車体、ウトロの土地を許(平山)個人に売却する契約結ぶ(9日)
1987.03 日産車体(株)、ウトロヘの水道埋設同意書を宇治市水道部へ提出(9日)
1987.04 許(平山)らが有限会社西日本殖産を設立登記(30日)
1987.05 許(平山)がウトロの土地を西日本殖産に転売する契約結ぶ(9日)
1987.08 西日本殖産、ウトロの土地所有権移転登記(12日)
1988.01 水道配水管布設工事開始を祝う式
1988.02 ウトロの土地が売りに出たとの噂が業界に流れる
1988.03 水道管埋設工事完了
1988.04 ウトロの各世帯(住民の約半分)に給水開始
1988.07 住民の多数が転売をはじめて知る。町内会を再建し土地対策委員会設立
      弁護士と対策を協議。宇治市に日産車体との話し合い仲介を依頼
1988.10 第1回ウトロ町づくりの集い開催(以降、毎秋開催)
1988.12 西日本殖産より住民に立ち退きの通告郵送。
1989.01 宇治市が日産車体本社に住民の意向を伝える
1989.02 西日本殖産、京都地裁へ第一次の土地立ち退き訴訟提訴
      以降漸次提訴。全69世帯が被告とされる
1989.02 地上げ業者、建物解体に来る。住民に追い返される
1989.03 ウトロ裁判始まる(京都地裁)。第1回口頭弁論
1989.03 「地上げ反対!ウトロを守る会」結成
1989.04 町内会が京都府に要請書を提出
1989.04 日産車体の拒否回答を宇治市が町内会に伝える
1989.04 第1回ウトロの集い開催(以降:毎春開催)
      初めて日産車体京都工場へ抗議パレード
1989.11 住民ら日産車体本社(平塚市)日産自動車本社(東京・銀座)ヘ
      抗議・要講行動
1990.03 ウトロ婦人会、国際婦人デー「女のフェスティバル」参加
1990.04 ウトロを守る10万人署名運動開始(対日産)
      ウトロを守る会会員、訪独
1990.05 韓国ハンギョレ新聞に報道
1990.06 衆議院法務委員会でウトロ問題取り上げられる
1990.08 「国際平和フオーラム IN ウトロ」開催
1991.03 文光子がウトロの歴史証人として法廷証言
1991.04 日産車体の関係者が法廷で証言
1991.11 京都地栽、第一次和解交渉開始
1991.11 第2回東京行動。署名を手に日産自動車本社、首相官邸ヘ
1992.06 第一次和解交渉決裂
1992.08 ウトロを守る意見広告運動開始
1992.10 「農楽と演劇の夕べ」開催(京都会館第2ホール)
1993.03 ニューヨークタイムズ紙に全面意見広告掲載
1993.04 韓国文化放送(MBC)が特集報道
1993.08 ロサンゼルス・タイムズが社説で取り上げる
1993.09 ウトロ町内会、守る会代表。訪米
1993.10 ウトロ裁判、「個人尋問」始まる
1994.03 第二次和解交渉開始
1994.05 「ウトロを励ますパレード」開催(シルクホール)
1994.11 ウトロ町内会、守る会代表、韓国訪問
1995.04 第二次和解交渉決裂
1996.05 「新井英一コンサート in ウトロ」開催(韓国より市民団体参加)
1996.05 ウトロ裁判、「個人尋問」終了
1996.07 韓国で「ウトロ在日同胞の居住権を守る署名運動」始まる
1996.10 第三次和解交渉閉始
1996.10 ウトロを守る賛同署名運動開始
1996.12 第9回ウトロ町づくりの集い
    講演「居住の権利とは・アジアの事例から」穂坂光彦(日本福祉大学教授)
    「『40番地』の町づくりの現状と問題点」宇野豊(東九条40番地自治会事務局長)
□ 1997年
01.29 住民側主張7億400万に対し裁判長「和解金額」14億円提示
02.10 韓国MBCがウトロに張り付く
 -17 韓国人権団体協議会執行委員会で正式にウトロへ調査団派遣決定
03.02 夜9時、韓国MBCでウトロ報道特別番組
03.19 交渉期日。和解交渉決裂。「ウトロ裁判報告の集い」
05.01 順次「結審」が下される。
05.24 韓国人権団体協議会派遣のウトロ調査団訪日
05.25 「ウトロのまちづくりの集い」
05.26 ウトロ調査団、現地調査
05.27 ウトロ調査団、宇治市役所、京都府訪問
05.27 「韓国から見たウトロ問題」講演(大谷大学)
09.21-25 町内会・守る会メンバー訪韓!
10.26 ウトロまちづくりの集い
11.10 『ウトロ 置き去りにされた街』発売
□ 1998年
01.30 京都地裁第3民事部(3人2世帯) 判決(敗訴) +判決鍋
02.23 京都地裁第4民事部(10人10世帯) 判決(敗訴) +激励会
03.26 京都地裁第2民事部(12人12世帯) 判決(敗訴) +激励会
07.17 京都地裁第6民事部(11人10世帯) 判決(敗訴) +激励会
06.09 大阪高裁第9民事部(13人12世帯) 初公判
12.16 大阪高裁第12民事部(14人14世帯)
12.22 大阪高裁第9民事部(13人12世帯) 判決(敗訴)
   ─────
04.26 「まちづくりのつどい」
08.16 ウトロで夏祭り!
08.23 講演「控訴審に向けて〜居住の権利とは」熊野勝之弁護士
08.27 19:30-20:25 馬山MBCにて模様を放映(in韓国)
10.25 第11回まちづくりのつどい
11.01 宇治市民文化芸術祭参加(農楽隊)
11.03 ウトロ農楽隊、第6回東九条マダン参加(2回目)
11.08 ウトロ写真集の紫式部市民文化賞審査員特別賞授賞式
11.09 市民交流ロビーコンサート(宇治市市役所内)(案内)
11.22 第1回 井手町&ウトロの交流会(案内)
12.23 抗議とがんばるぞ集会・デモ・ヒューマンチェーン
□ 1999年
京都地裁第1民事部/31人31世帯 1999/ 1/28 敗訴
京都地裁第2民事部/14人14世帯 1998/ 3/26 敗訴
京都地裁第3民事部/ 3人 2世帯 1998/ 1/30 敗訴
京都地裁第4民事部/10人10世帯 1998/ 2/23 敗訴
京都地裁第6民事部/11人10世帯 1998/ 7/17 敗訴

大阪高裁第9民事部/13人12世帯 1998/12/22 敗訴
         →1999/6/24 最高裁上告棄却
大阪高裁第12民事部/14人14世帯 1999/ 4/13 敗訴
         →1999/10/6 最高裁上告棄却

大阪高裁第5民事部/ 9人 9世帯 敗訴→上告中
大阪高裁第6民事部/18人18世帯 敗訴→上告中
大阪高裁第7民事部/14人14世帯 判決日未定
   ─────
03.07 あんたも太鼓叩いてみんさい! ウトロ農楽隊公開練習
05.09 ウトロ・ワークショップ1「ウトロ。これから、どうなる」
07.03 廬溝橋事件62周年京都平和・文化の集い 13:00〜ラボール京都大ホール
     第1部:ウトロからのメッセージ・民族のリズムと踊り
     ウトロ農楽隊・訴え「この地に生きる」
     第2部:新谷英子ひとり芝居『身世打鈴(シンセタリョン)』
08.  ウトロまちづくり研究会発足
08.28 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊初公演
     以後、ほぼ毎年参加
10.18 町内会、まちづくり研究会、京都府へ陳情
10.24 ウトロ・ワークショップ2「ウトロ住民はどうしたら追い出されないか」
11.14 「がんばれ!ウトロ まちづくりのつどい」
□ 2000年
大阪高裁第9民事部/13人12世帯 1999/ 6/24 最高裁上告棄却
大阪高裁第12民事部/14人14世帯 1999/10/ 6 最高裁上告棄却
大阪高裁第5民事部/ 9人 9世帯 2000/07  最高裁上告棄却
大阪高裁第6民事部/19人18世帯 2000/07  最高裁上告棄却
大阪高裁第7民事部/10人11世帯 2000/07  最高裁上告棄却
大阪高裁第7民事部/ 3人 3世帯 2000/07  最高裁上告棄却
※1名のみ高裁判決保留状態。    ─────
02.  判決確定を前に「住民の聞き取り調査」
03.13 金祥根氏(韓国:第2建国委員会企画団長)ウトロ訪問
03.19 「居住福祉学会」(準)メンバー、ウトロ訪問 <報道>
05.14 ウトロワークショップ3「いまウトロ住民に問われているもの」 <報道>
06.27 高裁、全住民敗訴確定 <報道>
07.02 ウトロワークショップ4 <報道>
08.12 ウトロのまち きのう きょう あした!(in アバンティホール)
08.26 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊参加
11.14 最高裁の上告棄却決定により全住民の敗訴が最終確定
□ 2001年
08   国連・社会権規約委員会(スイス ジュネーブ)にて、守る会会員新屋敷氏
     「ウトロ強制退去の違法性」をアピール
08.26 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊参加
09   同規約委員会最終所見の中に「ウトロ強制退去」懸念を盛り込む。
□ 2002年
02.24 「われら、住んで斗う!」ウトロ団結集会
04   民団、総連支部合同にて、ウトロ現地調査を宇治市に要請
06   NPO法人京都コリアン生活センター「エルファ」が
    分室「ハナマダン南京都」をウトロ町内に開設。
08.26 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊参加
□ 2003年
07.13 ウトロフィールドワークと焼肉交流会
08   国連会権規約委員会が
    「強制立ち退きを懸念する。その場合、政府が何らかの救済措置を取るべき」
     との勧告を最終所見で明らかにする。
08.30 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊参加
12.06 「西宇治オープンフェスタ」(市立西宇治中学校)ウトロ農楽サークル特別出演。
12.20 ウトロ町内で福島さん宅より出火。木造瓦葺2階建(約150m2)一棟全焼。
□ 2004年
2004.01.29 所有権移転
        (有)西日本殖産→井上正美/大阪市在住(即決和解2000万円)
2004.01.25 ウトロ問題を考える映画と講演の集い
2004.08.08 ウトロを守る緊急行動
2004.06.30 所有権抹消予告登記なされる
        ← (有)西日本殖産、井上正美を相手に登記無効訴訟(大阪地裁) 2004.09   韓国 Seoul 行動
2004.11.14 町づくりの集い「ウトロに住み続ける、明日のまちづくりを考える」。
        同時開催「日本居住福祉学会第10回研究集会」
2004.11.17 韓国大阪総領事(鄭華泰氏)ウトロ訪問。
2004.11.22 韓国外交通商部在外国民領事局長(李俊揆氏)ウトロ訪問
□ 2005年
2005.03.29 大阪地裁にて西日本殖産×井上正美 の所有権裁判判決
        西日本殖産敗訴
2005.04.01 井上正美との買取り交渉開始
        住民側、買取り意思を伝達。井上、後日電話で売却額を11億円で提示。
        以後、正式には4回交渉。売却額は5.5億にまで引下げ(抵当権などはまま)
2005.04.08 西日本殖産、大阪高裁へ井上を控訴。
2005.04.23 韓国「国会議員の会」訪問
2005.04.25 韓国「調査委員会」訪問
2005.04.27 「地球村同胞青年連帯」(KIN)・「仏教平和連帯」など市民社会団体と
        「ウトロ問題を考える国会議員集い」議員など50余名が
        「歴史清算!居住権保障!ウトロ国際対策会議」を発足
2005.07.03 ウトロ現況報告の集い
2005.07.06 大阪高裁にて、井上×西日本殖産の控訴審始まる(第1回口頭弁論)
2005.08.15 新井英一とともに平和への道 コンサート
2005.08.22 現登記簿上土地所有者井上正美、「空き家1軒」強制執行申立て
2005.08.27 伊勢田まつり(地域住民の祭) ウトロ農楽隊参加
2005.08.30 執行官、町内に「公示書」を張出し(井上の申立による)
2005.09.10 緊急住民集会
2005.09.14 大阪高裁にて、井上×西日本殖産の控訴審第3回口頭弁論
2005.09.13 町内会「声明文」発表
2005.09.22 京都地裁亀谷執行官→厳本ウトロ町内会副会長へ
        「27日の執行を中止する」と電話連絡
2005.09.25 ウトロにて緊急集会
2005.09.27 執行予定であったが、当日の執行「中止」
2005.11.09 「所有権争い」で井上・現所有者敗訴、西日本殖産逆転勝訴(大阪高裁)
2005.11.18 現所有者上告
2005.11   西日本殖産との買取り交渉開始
2005.12   買取り交渉一時中断(最高裁判決までの間)
□ 2006年
2006.02.26 第1回 ウトロ住民にみなさんの意見を!現状報告と町づくりへ向けた討論会
2006.03.26 第2回 13:30-
2006.04.23 第3回 13:30-
2006.06.10 住民集会で「町内会が資金を集め地区の土地を一括買取る」方針決定
2006.07.01 ハン・コリア イン ウトロ


  • ■ 2006.03.03/加筆修正(青ひょん)
    2006年2月26日「第1回 ウトロ住民にみなさんの意見を!現状報告と町づくりへ向けた討論会」の中で配布された資料を確認し、一部修正。
    あと、全体レイアウト変更。
  • ■ 2006.03.08/所有権争い(青ひょん)
    突然現れた井上正美氏だったが、高裁判決は確定するであろう見方が強い。井上氏は、自らが在日韓国人であり、「ウトロの”同胞”のために手助けしたい」という内容のことを地裁で弁論したり、各種メディアで述べられていた模様。
    現在は、西日本殖産の現在の代表(お亡くなりになった元代表の娘婿)と住民の間で「買取り交渉」協議進行中。
    また、ウトロの集いなどで事務局サイドの報告を聞いている人は判ってはるけど、ウェブしか見ていない人はよく判っていないかもしれない、西日本殖産の”スポンサー”の金澤土建の話や、何度かの場面で出てきた開発会社、RCC、都市銀などについてはココではふれません。今となっては、、、という話。

    ※ 「ウトロを守る緊急行動 2004.08.08」 に西日本殖産と金澤土建の関係は若干ふれています。大勢に関わりあることではないですが。
  • ■ 2006.03.08/『ウトロを守る運動の経過(居住問題を中心に)』(斎藤正樹)より部分転載
    「2005年12月、町内会は西日本殖産と初めて話し合い、今後も継続して交渉することを約束しました。町内会は土地の買い取りを想定して住民の意向調査を行いました。その結果、住民の中には経済的格差があり、「(安ければ)土地を買い取れる」と推定される世帯が実質的に半数まで、「公営住宅に入りたい、入ってもよい」世帯は逆方向から半数を超えました。また、態度を決めかねている中間層もかなり厚く存在することがわかりました。」

    2006年2月26日「第1回 ウトロ住民にみなさんの意見を!現状報告と町づくりへ向けた討論会」資料に、斎藤正樹@守る会の『ウトロを守る運動の経過(居住問題を中心に)1998-2005』が添附。別ページで報告せなならんと思われるが、ここでは末尾の一部分のみ転載(転載は青ひょん)

  • ■ date/sub(name)
    com

□ 2004年度以降目次に戻る
■ BBS www02.so-net.ne.jp/~utoro/framebbs.html
■ TOP www02.so-net.ne.jp/~utoro/


ドイツ訪問の横断幕
「一体、ウトロって何なの?」というあなたは、「ウトロって、、、?」へ。


転載など by 青ひょん <aohyon@ka2.so-net.ne.jp>