まちづくり 

[ 2002年以降の資料 ]

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[日本居住福祉学会 第2回研究集会のご案内(2001.06.01)]

[ウトロまちづくりの集い「ウトロのまち きのう きょう あした!」ビラ(2000.08.12)]

[ウトロ・ワークショップ1(1999.05.09)]
[ウトロ・ワークショップ2(1999.10.24)]
[ウトロ・ワークショップ3(2000.05.14)]
[ウトロ・ワークショップ4(2000.07.02)]
[『「強制立ち退き」との闘い』/住宅会議 49号]!!

[「京都府知事宛書簡」まちづくり研究会(1999.10.18)]
_地区概要(1999.11.21)
[調査概要(1999.11.21)]


 
_「京都府知事宛書簡」まちづくり研究会(1999.10.18)


京都府知事様

1999年10月18日 地上げ反対!ウトロを守る会 
ウトロまちづくり研究会 
代表 斎藤正樹 


    [地区の概要]

  1. 地域の沿革

    1940年に起工式が行われた「京都飛行場」建設工事に動員された朝鮮人労働者と家族は、1943年ごろウトロ飯場に集められました。現在のウトロ51番地です。日本の敗戦と同時に全員が失業し、国・府や企業から何ら補償もなく、戦後そのまま住み続けた人びとは極貧生活をおくりました。土地の所有名義は、戦時中の軍需会社を引き継いだ日産車体株式会社でした。1987年に日産車体が土地(約6400坪)を第3者に転売し、買い取った不動産会社「西日本殖産」が住民の立ち退きを請求して、69世帯を訴えました。現在までに、うち12世帯の敗訴が確定しました。

  2. 世帯・人口

    1999年10月現在の世帯数は67世帯、229人です。昨年同時期の調査では71世帯、266人でした。人口の約9割が在日韓国・朝鮮人です。

  3. 住環境の実態

    地区内に公園、緑地、集会所などの公共施設はなく、地区内の道路はいわゆる「路地」で、道路位置の指定はありません。上水道のない世帯が約3割あります。下水道は全くありません。都市下水路、用悪水路は水勾配がとれずに夏には悪臭が発生しています。宇治市内で最も住環境の悪い地域です。

    [今後の動向]

  4. 訴訟のゆくえ

    今後1〜2年内にほとんどの世帯の敗訴が確定するでしょう。原告が立ち退き「強制執行」の手段をとれば、大きな混乱が予想されます。京都地裁は過去に3回、和解斡旋をしましたが成立しませんでした。2者間だけでは解決の目途は立たないでしょう。

  5. 今後の予想

    住民が今後もウトロに住めることを前提に、住民・NGO・行政が協力して「ウトロまちづくり」プランを作成し、本事業の実施によって住環境を改善し、併せて(反射的に)原告の利益も保証する以外に、現実的な包括的解決方法はないでしょう。

    今後も問題を放置すれば、住民と原告との泥沼の永久戦争となり、「在日」住民の人権を侵害する具体的事例として国際世論の注目も集めることになるでしょう。地方行政の責任が今まで以上に問われることになります。



− 調査の概要 −
  1. 調査目的

    密集住宅市街地整備促進事業が実施可能か事前判断の資料とする目的で行いました。

  2. 調査対象

    ウトロ地区の全世帯。訴訟地域(62世帯)及び農水省敷地(5世帯)の約2.71ヘクタールとしました。

  3. 調査方法

    建築物の経年及び接道の2点を調査しました。経年については不動産登記、所有者の法廷証言、陳述書などによりました。また、訴訟関係図面や航空写真などを参考にしました。こうした資料がない場合は、外観により調査済み家屋と比較して判断しました。

  4. 調査期間

    1999年8月8日〜同年9月25日

  5. 調査経過

    調査目的を「守る会」で確認したのち、ウトロ町内会の了承を得て、町内会定例集会で説明して協力依頼をしました。8月と9月の毎週土曜日の午後、町内の事務所一室を借りて、多い時で7〜8人、少ない時でも3人が作業をしました。町内の人びとの対応は協力的でした。

  6. 調査体制

    代表を中心に建築士や主に学生が行いました。


19999910ウトロ現況図


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