『ウトロニュース』 
ウトロニュースは会員のみんなに郵送しとるミニコミ冊子です。 

No.38(2001.11.22)
No.37(2000.7.20) No.36(1999.7.1) No.35(1998.4.15) No.34(1998.3.15) No.33(1997.10.20) No.32(1997.4.29) No.31(1996.10.10)

■ウトロニュース No.38 (2001.11.22)


ウトロ街づくりプランの早期実現を!
京都府への要請ハガキ
運動にご協力ください
8月12日「ウトロの街 きのう きょう あした」と題して、京都アバンティホールで開催された<ウトロ街づくりのつどい>。400名が参加した。最後は場内一体となり農楽隊の演奏と踊りで盛り上がりました。



「新しいウトロの町を!町づくり宣言」住民_
「8・12参加者アンケートより」_
「要望書」ウトロ町内会_
「要請はがきにご協力ください!」ウトロ実_
「「国際人権法と居住の権利」学習会レポート」新屋敷健_
「守る会お願い」ウトロを守る会事務局_


地上げ反対!ウトロを守る会 


 
 _ 「新しいウトロの町を!町づくり宣言」住民


  新しいウトロの町を!
  町づくり宣言
  8月12日、住民6名が
  それぞれの思いを訴えました



_私は、大阪で生まれました。物心がついた時には頭巾をかぶり防空壕から防空壕へと逃げ隠れしていました。アボジは飛行場建設の仕事でウトロへ出稼ぎに行っていました。やがて大阪の町も焼け落ち、私達家族もアボジを頼ってウトロへ来ることになりました。やがて敗戦となり、アボジの仕事もなくなりその後は大変な苦労をすることになりました。それなりに年月が流れ、私も20才の時に結婚をし、6人の子どもを生み育てていくことでこのウトロで必死で生きてきました。せめて子どもたちが結婚して出て行く時にはしっかりした家から出してやりたいと主人と2人でがんばって今の家を建てました。私と主人の努力と夢と希望のつまった宝物です。その主人はこの家に3年も住めないうちに亡くなりました。2人で建てたこの家は私の宝物でありすべてです。

それなのに10年続いた裁判の結果は「ウトロから出て行け!」ということでした。私は立っていることもできないほどのショックを受け絶望しました。私は55年間このウトロで生きてきてウトロ以外は知りません。亡くなった主人の為にも子ども達や孫の為にも私は出て行く訳にはいかないのです。主人の残してくれた家をつぶされたくはありません。ですが、今のウトロを更地にして町づくりをするのだという考えを聞き、ウトロのみんなが揃ってこれからもこの土地に住み続けるためには、力を合わせて新しい町づくりをしなければならないと考えました。 新しくウトロが生まれ変われるのなら私の大切な家を取り壊しても仕方がないと悩みに悩み抜いた末に涙をのんで決心したのです。今までとは全く違う新しいウトロを作り、安らいだ暮らしがしたいと心から願います。何年か後に苦しい闘いの末にこんなすばらしい町を作ったのだと誇りに思いたいです。伊勢田の中にウトロがあってよかったと思うような町を作りたいです。今日はそんな思いを込めて太鼓をたたきます。どうか応援してください。

姜 春子

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_戦後55年たった今日、私達の一世の方々がウトロに来た理由は、あの恐ろしい戦争中の飛行場建設のために連れて来られたからです。昼夜必死で命がけで働き守り抜いてきたウトロ。幼い私達は、何も知らずそんなウトロではしゃぎまわっていました。そんな時、いつも寂しく焚き火をされていた一人の老人が私達の遊んでいる姿を見て、「君達は戦争に負けてくやしくないのか?」「遊んでばかりいないで自分の国の字や言葉を習う気はないのか?」と話しかけられました。1回2回と逢うにつれ、その老人の言葉に耳を傾けるようになりました。だからといっても、帳面や鉛筆がある訳じゃなく、老人は朝鮮の字でアイウエオや、父や母のことはアボジ・オモニというのだと、焚き火をしていた棒で地面に書いて教えてくださいました。今思えば、厳しかったウトロの歴史や美しい人間関係を教わった思いです。

命がけでウトロを守り、私達を教育してくださった一世の方々。そんな歴史が刻み込まれたウトロの土地です。不動産屋の金儲けのために裁判にかけられ「出て行け」と言われて出て行くことなどできません。法律とは人間が作るものであり、法律が人間を作る訳ではないと思います。建物を壊して出て行けというのは、露骨に「死ね」というのに等しいことではないでしょうか?日本政府は一世に対して戦後何をしてくれたでしょうか?私達は一世の方々に教わった美しい人間関係を忘れず子孫に対して受け継ぐためにも日本政府や世論に訴えていきたいと思います。私達の武器の一つはチャンゴの音です。チャンゴの音を響かせて力いっぱい必死で叩き、ウトロの町づくりを一歩一歩闘っていきたいと思います。

黄 順禮

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_私にとってのウトロは、同じ国の者が住んでいて、自分はもちろん、みんなが気軽に住める所であり、一生住み続ける所でもあります。この長い間、たくさんの人たちが、このウトロをどうにか守ろうとしてきましたけれど、やはり自分の家を守るのは自分しかありません。判決が出た今、ウトロ住民の全員で出来る事のすべての力を出してたたかっていこうと思います。たとえ、住民の中で、ウトロ問題を放り投げる者が出たとしても、私は最後までこのウトロを守りたいと思います。住民のみなさん、今まで築いてきた町内の固い絆で、これからもいっしょに闘っていきましょう。

姜 栄次

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_私は日本名で本田ひろむ、本名で劉達三といいます。私は、ウトロで生まれて47年間、今日まで住んできました。 子どもの頃は、バラック小屋ばかりでしたが、小さな路地がいっぱいあり、まわりもたんぼと畑とで囲まれた遊ぶところに不自由のないウトロでした。そしてウトロ中の大人たちが、いつもおじさんやおばさん、ときには兄さん姉さんがいいことも悪いことも教えてくれました。

そんな小さなころから育ってきたこのウトロから出て行かなくてはならないことになるとは、まさか裁判で負けるとは、思ってもみなかった。それが実感です。

裁判では、法廷に何回も行きました。3回の和解案ではまじめに考えました。デモにも、集会にも参加してきて負けたこの10年間は何だったのか。

今は、原告の最後の手段である強制執行には法律的にはかないません。しかし、たかだか土地を所有する権利があるかないかという法律だけで、私の生活する場を奪われるわけにはいきません。ここには、私の親父とおふくろが住み続けてきたわけがあるからです。在日の一世が、戦後暮らしていくのには在日ばかりかりの住んでいる町ウトロが一番住みやすかったからです。今47才になって親父おふくろの気持ちがよくわかります。ウトロは、日本の人のいう「在所」の中なのです。

私の家を奪おうとしているのは、民間の不動産会社です。しかも、判決の名をもって日本の法律が後押しをしています。しかし、結果としては在日韓国朝鮮人の住んでいる町を日本社会が住めなくしている、抹殺しようとしているのです。虐げられてきた在日のオモニ、アボジたちを日本が追い出す。そんなことが許されていいのでしょうか?

最後まで私は家を守ります。

そんな中で、今日「ウトロの町づくりプラン」が発表されました。折角新しいウトロを作るのなら、路地のいっぱいある、おじいさんおばあさん、子どもたちが声をかけあうような町、近くの人たち・隣の町内の人がウトロに来ても、在日の町を感じると同時に、一昔前の在所のようで「ホッとできる」ウトロの町にしてみたい。

今、追い込まれたウトロだからこそ、このプランをたてて、政府に京都府に宇治市に働きかけていきたい。行政の逃げ口上であった「係争中・裁判中だから」は裁判が終わったのだから、もはや通用しません。行政の出番なのです。

その行政を動かすために、今日以降、私もウトロも努力します。

裁判では負けました。しかし、今日が新しい再出発の日です。新しい闘いにこれから挑んでいきます。私達ウトロ住民はより一層団結して道を切り開いていく覚悟です。汗を流します。デモもやります。その時は、みなさんの参加をお願いして、私の決意表明とします。ありがとうございました。

劉 達三

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_私はウトロ住民の河本です。私達の一世たちが長い間苦労して築いてきたウトロの土地はどうしても守っていかなければと思います。裁判で負け強制執行の不安がありますが、国・京都府・宇治市に新しい町づくりを示して年寄りや子・孫たちが安心して暮らせる街をつくるため行政の協力をお願いするしかありません。

今後、この新しい街づくりの運動を展開していく為にはみなさんの協力が必要です。よろしくお願いします。

河 秀夫

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_(韓国語で)韓国から遠いところを私たちウトロ住民を励ますためにおいでいただきありがとうございます。今日はすばらしい音楽を演奏してくださり、力強く勇気づけられました。ありがとうございました。

(日本語で)日本のみなさん、私たちも宇治市の市民です。ウトロを町づくりで生まれかわらせたいと思っています。私たちウトロ住民も安全で清潔な町に住む権利があるはずです。ウトロはずっと社会からほったらかしにされ続けた町です。私たちは真剣に町づくりをやって「あのウトロがこんなに生まれ変わった」と将来言えるようにしたいのです。人間らしく生きたいのです。もう地上げ屋におびえて暮らすのはイヤです。どうかみなさんウトロを見ていてください。私たちは一生懸命やります。カムサハムニダ。

鄭 光子



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 _ 「8・12参加者アンケートより」


  8・12参加者アンケートより



街づくりプランを聞いて絶対に成功して欲しいという思いしかありません。5つの宣言通りのまちが実現したら、これまでマイナスのイメージしかなかったウトロが、京都を切り拓いていくまちになります。今は具体的アイデアが浮かびません。でも平和なウトロが実現するまで一緒に考えていこうと思います。

(在日コリアン学生 20才)

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「ウトロ」を残すために、みんなで住みやすい街づくりをされることは大変すばらしいと思います。実現には大変厳しい状況も多くあると思いますが、宇治市・京都府・国の責任も追及しながら、一緒に闘っていきたいと思います。何かできることがあれば是非ご連絡ください。

(女性 45才)

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きびしい状況だと聞き心配していましたが、みなさんの前向きな決意を目の当たりにして心にひびきました。がんばってください。

 (学生 24才)
(街づくりの)すばらしい説明がありました。でも宇治市の対応がむつかしいでしょう。私はウトロの地名を今日はじめて知りました。なくしてはいけない地だと思います。もっともっとウトロの地を知ってもらうことです。苦労をわかってもらうことです。

(アルバイト 37才)

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一世の人たちが、故郷を感じられるような、後世にそれを伝えられるような、そんな部分が共存した街にしてほしい。

(在日コリアン学生 22才)

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ウトロの街の「いきさつ」、住民の方ひとりひとりの「いきさつ」、今後に残したい。どんなカタチであれ、伝わるものを残したい。農学隊の演奏は泣いてしまいました。「ウトロに住み続けたい」という思い、魂に届きました。

(学生 24才)

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 _ 「要望書」ウトロ町内会


  要望書
   ウトロ町内会




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 _ 「要請はがきにご協力ください!」ウトロ実


  「ウトロまちづくりプラン」実現のため、
  京都府への要請はがきにご協力下さい!
  〜ウトロ実からのお願い
   ウトロ実


守る会会員のみなさん、こんにちは。私たちは「ウトロ住民の追い出しを許さない学生・青年実行委員会(略称、ウトロ実)」という学生と青年の集まりです。ウトロ実は1996年に結成されて以来、裁判や現地への支援を行うとともに、街頭で情宣活動をしたり、大学内では学生への働きかけをおこなってきました。現在、日本人有志数人と在日の学生団体とで構成されており、ウトロ現地や守る会と協力しつつ活動を展開しています。メンバーの、ウトロに関わっている動機や理由は人それぞれですが、「ウトロを守り、住民たちに安心して暮らしてもらいたい」という(住民や守る会の人たちに劣らない)強い思いは、みんなで共有しています。

さて、10年以上続けられた裁判では、ウトロのもつ歴史的経緯や住民の居住権はかえりみられず、不当な立ち退き判決が下されました。このように日本の司法の差別的かつ反動的な性格が明らかになった今、日本社会全体のウトロ問題に対するあり方が問われることになったといえます。とりわけ、これまで「係争中なので対応できない」と言い逃れを続けてきた京都府や宇治市には、早期に土地問題の解決策を住民と協議して実行に移す、行政としての責任があるといえます。9、10月にウトロ町内会は、宇治市と京都府に対して「ウトロまちづくりプラン」の実現を要望しました。そこで、ウトロ実ではそういう動きに合わせて、宇治市の政策決定に影響を与えるであろう京都府に対して、プラン実現を求める「要請はがき」を送る運動を行うことにしました。

言うまでもありませんが、京都府は戦時中に京都飛行場建設でウトロの人々を酷使しながら、戦後は何の補償も行わず放置するだけでした。いま住民が立ち退きを迫られている厳しい状況も、戦後に京都府がきちんと補償をしていれば有り得なかったはずです。歴史的に見て、府が住民に対して負っている責任はとても大きなものであるといえます。また京都府は1995年に『京都府国際化プラン』を、昨年3月には『人権教育のための国連10年京都府行動計画』を策定しており、その中で「在日韓国・朝鮮の朝鮮の人々に対しては、帰化した人も含めて、依然として人権侵害が発生している状況です」と指摘し、「共に暮らす府民として受け入れる環境づくりを進め(中略)人権を尊重し共生していく社会を築いていくことが重要になっています」と述べています。在日朝鮮人(*)の人権を尊重する、とこのように公言しているのであれば、京都府は歴史的経緯も踏まえ、今まさに在日朝鮮人住民が立ち退きを迫られ人権を侵害されているウトロ問題に積極的に取り組み、「まちづくりプラン」を受け入れるべきです。これまで裁判においては、本来被害者であるはずのウトロ住民が「被告」として裁かれていたために、京都府の責任が問われることはありませんでした。

今回の要請はがき行動は、「まちづくりプラン」実現を要求・獲得することを通じて、戦前から今に至る京都府の責任を追及するという、積極的な意義のある運動であると思われます。腰の重い京都府を動かすためには、一人でも多くの方の声をぶつけていく必要があります。会員のみなさまの協力をお願いします。

同封したはがき記載の4項目の要求は、ウトロ町内会が行政に要請したものと同一のものです。「私の一言」の欄には自身の思いを書いて、お手数ですが切手を貼って投函してください。

(*)…日本の朝鮮植民地支配の結果、日本に住むことになった、朝鮮半島にルーツをもつ人々の総称。

ウトロ実の連絡先:
電  話:075−7532537/2538(呼)
アドレス:pochico@clubaa.com http://utoromi.tripod.co.jp



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 _ 「「国際人権法と居住の権利」学習会レポート」新屋敷健


  「国際人権法と居住の権利」学習会レポート
   新屋敷 健


ウトロ・強制立ち退き阻止のための「国際人権法と居住の権利」学習会第1回が、10月1日(日)午後1時半から、府立城南勤労者福祉会館(ウトロ地区の南隣)1F会議室で、コメンテイターに中井伊都子さん(甲南大学、国際法)をお迎えして、守る会の斉藤さんの司会で、約40名の住民・支援者が参加して行われました。

最初に司会の斉藤さんが、ウトロ確定判決(高裁)の各判決文からの抜粋を資料にして「居住の権利」の観点から見た、ウトロ確定判決の問題点を説明されました。殆どの判決文が、裁判への「居住の権利」の適用を「直接私人間の法律関係に適用される法規範でないこと」ことを理由に却下している一方で、1999年10月6日の第5民判決文は、被控訴人の、国際人権法に関する誤った理解に基づく誤った主張をそのまま受け入れ、「強制退去の禁止は、法律に従って、かつ国際人権規約の規定に合致して実力で行われる退去には適用されない」ので、「裁判に基づく強制退去については禁止されていないと解される」という、国際人権法の専門家からみると明らかに誤った判決を下しているそうです。

続いて、中井さんが「国際人権規約とその国内的効力」について、その成立の歴史的経過と、国内法との関係を、わかりやすく解説されました。「私人間の法律関係に適用される法規範でない」という国内法の判決は問題があることと、日本政府が外圧に非常に弱いことを指摘され、国連社会権規約委員会へ、ウトロからも独自に、カウンターレポートを提出することの必要性を強調されました。

住民側からも熱心な質問が出て、ウトロ判決の不当性と、カウンターレポートによって国際世論に訴えていくことの重要性を確認できた点で、非常に有意義な学習会でした。



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 _ 「守る会お願い」ウトロを守る会事務局


  守る会会費納入およびカンパのお願い
   ウトロを守る会事務局


住民の新たな闘い=「街づくり」が始まりました。ここ一、二年が勝負どころになると思われます。引き続きのご支援をお願いいたします。 同封の振込用紙にて、守る会の会費(年一口千円)およびカンパのご協力をお願い申し上げます。

(事務局 吉田泰夫)



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