68. KTD発足20周年によせて

冬の凍てついた夜は星空がもっとも美しい季節。ただでさえ
明るい星の多い冬の星座に
おうし座の土星、かに座の木星も加わり、
都会の夜空でも星たちが存在をアピールしています。この「星空への招待」を
冬に執筆するのは今回が初めてです。私の個人サイト上でのみ公開
ということで、個人的な期待を込めて、思い出話などを書いてみます。

 私の出身は広島県安芸郡熊野町という田舎町です。全国一の筆の産地
貴方のパソコンのキーボードにも名前が載っているはずですよ。
真ん中より少し下あたり、く・ま・の と横に並んでいませんか?

・・・それはともかく、幼少期から星への関心は
若干抱いていた私でしたが、本格的には小学校卒業を間近に控えた
1983年2月28日のKTDつまり「熊野天文同好会」発足がきっかけとなりました。
社会科の研究発表の壁新聞作成のため、友人2人と私の自宅に集まって
夜遅くまで(小学生が!)ダベったり作業を進めていたある晩のこと、
私の自宅にはいとこからもらった口径5cmの簡易な望遠鏡があり、
たまたま東から昇ってきた満月を「観てみよう!」となったことから、
数日後にはもう天文同好会結成の話が決まっていました。

その時一緒にいた友人のうちの一人が会長になり、私は副会長に就任。
会計、会報発行なども私が一手に引き受けました。

すぐ中学生になり、KTDのメンバーはなぜかそろって
バスケットボール部へ。同好会としての活動は、天気が良ければ
毎週土曜の夜、誰かの家に集まって観測したりダベったりというものでした。
学校公認ではないので子どもが深夜まで集まっていかがなものか、
との見方もあったことでしょう。しかし多少騒いだりはあった
かも知れませんが、社会的に悪とされるような行動は一切なかったと
自信をもって言えます。しばらくして学校の理科の先生も
特別会員に加わり、心強い助っ人を得た気がしました。

 当時は‘86年のハレー彗星回帰も近づいていましたし、天文への関心が
高まっていたのか、同級生を中心に会員数も一時15人くらいまで増えました。
月100円ほどの会費を集め、会報「月刊STAR WATCHING GUIDE」発行のコピー代や、
季節ごとに内容の変わる広島市の「こども文化科学館」プラネタリウム観覧料
などに充てていました。

“発足1周年記念”などと称し、口径10cmの反射望遠鏡を自作するため
お年玉を臨時徴収したこともありましたが、作製途中で断念し
「金返せ!」とひんしゅくを買ったこともありました。(^^ゞ

 創刊間もない天文誌「SKY WATCHER」(現・星ナビの前身)の
天文サークルを紹介するコーナーに採用されたことも、我々田舎の子どもの間では
「すげーっ」と話題になりました。

春休みなどには町内の山に望遠鏡を担ぎ上げ、テントを張って
“徹夜観測会”をしたり・・・思い出話を始めればキリがありませんが、
そうした活動が3年ほど続いたものの、高校生になると学校も別々になり、
KTDは自然消滅の状態を余儀なくされました。それでも私は
辛うじてつながりを維持したいと会報の臨時増刊号や、前出の「月刊SWG」も
(鉄人と呼んだ特大号)28号まで発行を続けました。
高校卒業後 私自身が地元を離れ、漂泊の人生を歩むこととなり、
今や当時のメンバーとも音信不通、疎遠になっています。

風の便りでは、かつての天文少年も今では学校の先生をしている者、
警察官になった者、亡くなった友人さえいるのですが、ふと気が付けば
今月末でKTD発足20周年。私のなかでは当時 考えもしなかった
インターネットなどというものが普及し、こうしてHPに載せることで
小瓶につめたメッセージを大海に流すが如く、いつの日かあの頃のことを
知っている人が見つけてメールでもよこしてくれないかな、と
淡い期待を込めて書いています。

 熊野の夜空もずいぶん明るくなりましたね。今でも星を見上げる時間がありますか。

2003年2月(あさおOld nameにっしゃ)


注:管理人の部屋にあるこのころのトピックスは、年と年度がごっちゃになり、
一部 正確さに欠けるところがあります。ご了承ください。

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