第2回研究発表


宝塚歌劇の魅力にせまる

男役が誕生するまで
歌劇団創設者の小林一三は「女性ばかりの歌劇であるが故に遊戯的であり非芸術的であるというがごとき
月並みの攻撃を一笑にふしたい」という見解をもっていました。これからわかるように、男女が共演しない舞台は
非芸術的であるという言説が形成されていたことになります。この当時、少女ばかりの歌劇団は「変態」と
なじられていました。「少女」という領域は、主婦でも妻でも母でもないというような自立性などを見出せない
空虚なことを定義していました。「少女」というカテゴリーは従来、近代化がもたらした女性にとっての
モラトリアム期間として、あるいは良妻賢母主義の強化の対象として論じられてきました。
しかし、「少女」たちにも内発的な力はあり自分たちの文化を広め、次の時代へと受け継いでいくメディアや
ネットワークを形成してきたのです。宝塚歌劇に男性を加入させるかどうか、という外圧をはねかえしたのは
レビューの成功とそこで誕生した男役の成長、そして男役を支持する観客の広がりでした。
男性と共演しなくても、女性には舞台表現の可能性、多様性があるということを男役が証明したのです。
ファンの求めた宝塚の男役は男性の演技者の代替ではない、女性が演じる男役だったのです。

少女歌劇から歌劇へ
宝塚初期の男役スターとして、戦前の黄金期を代表するのは小夜福子、葦原邦子で彼女たちによって
娘役から男役へと人気が変化してきました。男役が台頭する時期は並行して戦時統制社会へと回収されていく
時代でもあり、軍事体制には男女を問わずモラトリアムを許す余地がありませんでした。
戦時下の国家にとって少女期や少女文化は無用とされ、少女に対する時代の風圧をうけて1940年に
歌劇団は正式名称の「宝塚少女歌劇団」から「少女」を除き「宝塚歌劇団」と改称することになったのです。

レビュー
レビューを成功させたのは昭和初期で、岸田辰弥の作・演出、白井鉄造振り付けによる『モン・パリ』
でした。岸田辰弥は1926年に渡欧し、翌27年5月に帰国して発表した『モン・パリ』の中には、
パリのレビュー劇場でのラインダンスの写真をもとに、白井鉄造が振付をしました。
それはダンサーを1列に並べ脚線をそろえメカニックに、リズミカルに、そしてスピード感ある
振り付けを考案しました。これが日本で初めてのラインダンスです。のちに白井鉄造も留学し、
1930年にフランスから帰国した時に発表した『パリゼット』で、ダンサーが身にまとう羽飾りや、
オーケストラボックスの手前にかけられた銀橋と呼ばれる装置、「すみれの花咲く頃」に代表される
シャンソンのメロディ、客席に向かって脚をふりあげるラインダンスの振付など、現在の宝塚の舞台に
直結するモチーフを次々と取り入れていったのです。

男役の断髪
『モン・パリ』が流行していた時の男役は帽子で長い髪を隠していました。しかし1932年の
『ブーケ・ダムール』の稽古中に門田芦子、佐保美代子、神代錦の3人が髪を切ったのが、
宝塚での断髪の始まりです。この時代の宝塚は男役を演じる生徒、娘役を演じる生徒の区別がなく、
作品ごとにしばしば交換されていました。現在では、宝塚音楽学校の入学試験の時点で、
男役か娘役かを考えて採用されます。男役であればある程度の身長を要し、音域を下げ、声量を増し、
男役としてみせるための指先の伸ばし方やお衣装の着こなし、帽子のかぶり方、立ち居振舞い・・・などを
訓練によって体に刻み込んでいくのです。

男役>娘役
現在、5組各組に一人ずつの男役・娘役トップスターがいます。これにはいくつかの条件があります。
男役トップのほうが娘役トップより身長が高いこと、学年が上であること、などです。
これらから男役トップスターを引き立たせるためのことであるとわかります。
そして現在に至るまでのほぼすべての演目で男役トップスターを中心にしたお芝居が作られ
演じられてきています。これらからわかるように宝塚歌劇における男役の役割はとても大きいのです。

ここで研究発表時に使用したビデオ資料について解説します。同じ題材を使っているが、
映画版と宝塚版では演出の仕方が違うので、その特徴をとらえていきます。

映画『BONNIE&CLYDE』と宝塚版『凍てついた明日−ボニー&クライド』の比較

映画版のあらすじ>
1929年、大恐慌に襲われたアメリカ・テキサス州ダラスのギャング・クライドとボニーの運命的な出会い。
罪を犯しながら警察から逃れ、逃避行を続けるが、1934年5月23日、警官隊に射殺される。

<映画版のラストシーン>
クライドとボニーの2人はいつもと同じように盗んだ車で逃亡していたが、途中で待ち伏せしていた
警官隊に射殺され、血まみれになった2人の死体が映される。

主な登場人物(逃避行の仲間)

−映画版−
クライド・バロウ(ギャング)
ボニ−・パーカー(クライドの恋人)
W.D(クライドの弟分)

−宝塚版− (太線は男役
クライド・バロウ
ボニー・パーカー
ジェレミーメスヴィン(クライドの弟分)
レイモンド・ハミルトン(クライドの仲間)
メアリー・オーディル(レイモンドの恋人)
ジョーンズ(車の修理屋で働く少年)

宝塚版のあらすじ>
  大恐慌下のアメリカ、テキサス州ダラス。不況が続く中、恋人と別れてギャングの真似事を
始めたクライドは、夫と離婚したばかりのカフェのウェイトレス、ボニーと出会う。
2人は、いつしか惹かれあい、お互いの心の隙間を埋めるように寄り添っていく。
アメリカのくらい時代を駆け抜けていこうとする2人は、いくつもの罪を犯しながら逃亡を続けていく。
(レイモンド、メアリー、ジョーンズは途中で抜けてしまって、射殺されたり逮捕されてしまう。)
しかし、警察やFBIの操作の手が、次第に二人に迫りつつあった。そして1934年5月23日、
包囲した警官隊により2人は射殺される。

<宝塚版のラストシーン>
ビリーという女の子(ジェレミーを好きな幼なじみ)はジェレミーを助けたかった。
警察はビリーに捜査の協力をしてくれたらジェレミーは殺さないという約束をする。
ジェレミーがダラスに戻ってきた時、ビリーは警察に通報し、警官はジェレミーを捕らえ
"クライドとボニーを売る"か"電気椅子に座る"かをせまられ、2人を売ってしまう。
一方、ボニーとクライドは様々なことから逃げ続けてきてようやく生きることの意味を見つけ
2人のすれ違っていた心が結ばれる。

★POINT★(映画と違う部分の演出に仕方)
 ボニーとクライドは向かう先に警官隊が待っていると知っていてそこへ恐れずに向かっていく。
 現世で結ばれなかった2人が射殺された後に白い衣装で登場し、来世で結ばれたことを示す。
  (白=結婚の意味がある)

まとめ
映画は事実に基づいた演出である一方で、宝塚版ではアレンジを加えている。
そのひとつにメインキャストが増えていてその多くが男役であるということがあげられる。
ちなみに宝塚版では全出演者25人中15人、逃亡仲間の6人中4人が男役であるのが特徴である。
物語も男役を中心に進められ、重要な役どころも男役の方が断然多い。歌のソロもボニー役(娘役)
よりもクライド役(男役)の方が多く、“クライドのテーマ”というテーマ曲も作られている。
映画では『俺たちに明日はない』という邦題にあるように、罪を犯しながら逃げ続けている
2人の姿は、死に向かって突き進んでいくようなとても破滅的な印象が強い。
しかし宝塚版ではタイトルロールにあるように“凍てついて”いるけれども“明日”はあるという
ように映画とちがって前向きな印象を出している。
愛や人生などに対して肯定的に演出しているのが宝塚的な演出の仕方である。