| 03.9.20 | |
|
「ジャック・タチ フィルムフェスティバル」について書いた日記を集めました。つまり、抜粋バージョンです。 「ジャック・タチ フィルムフェスティバル 鑑賞日記」略して、「タチッキ」。 こうやって並べてみると、同じことを何度もくり返してますが、まあ、そこいらへんは大目にみるように。 あと、FAVORITEのコーナーでも『僕の伯父さんの休暇』について書いてるんで、そちらもよろしく。 |
| 03.7.1 | |
|
六本木のヴァージンシネマで、「ジャック・タチ・フィルムフェスティバル」があるらしい。 タチの代表作4本を、まとめて観られる夏。 すばらしい。愛らしい。メルシー。ぜひとも、駆けつけたい。 |
| 03.7.16 アワ・アワー推奨映画 〜火星人が撮ったフィルム〜 | |
|
「ジャック・タチ・フィルムフェスティバル」がもうすぐ始まる。 7月19〜8月29日、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて。 『プレイタイム<新世紀修復版>』『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』『のんき大将<カラー版>』と、短編3本が、週替わりで上映されるそうだ。 観たい、観たい、観たーい。 あのね、こーゆー昔の映画がスクリーンで観られるってのは、貴重な機会なんだよ。ましてや、ジャック・タチでしょ。行くよ、六本木に。六本人になるよ。 いや、しょうみのはなし、みんなも観たほうがいいよ。この機会に。おフレンチ好きなおしゃまさんも、笑いに一家言あるうるさがたも、映画マニアの大学院生も、ボケーッと毎日を過ごしているぼんくらどもも、六本木に集合! 東京以外でも上映するらしいので、各自各所に、みんな集合! どれを観たらいいのかわかんないなんて、つまんないこと言わないように。そんなことで迷ってるくらいなら、全部観ようよ。どーせ、一本観たら他のも観たくなるに決まってるんだから。 すみずみまで計算された建築のような『プレイタイム』のアンサンブル、夏のバカンスをスケッチした『ぼくの伯父さんの休暇』のポエジー、仕掛け絵本のような『ぼくの伯父さん』の愛らしさ、田舎の祭が舞台の『のんき大将』のおおらかさ。どれもこれもが素晴らしい。 タチの映画は、人やモノの動きに目をこらす映画だ。奇妙な音に、耳をすます映画だ。そうすると、いつも見てるようなものがちょっと可笑しく思えてくる。例えば、人がおじぎをするだけで、何か、奇妙で滑稽な儀式のようでもあり、まったく新しいバレエのようでもある。 フランソワ・トリュフォーは、タチにこんな賛辞を贈っている。 「『プレイタイム』は、映画史上のいかなる作品にも似ていません。あんなふうにフレーミングされ、ミキシングされた映画はないのです。あれは、どこか別の惑星で作られた映画で、撮り方が地球とは全く違うのでしょう」 そう、世の中を火星人の目で見たら、あんな風に見えるのかも知れない。そして、こんな風に叫ぶんだろう。 「なんて、奇妙で愛らしい人々だ。なんて、不思議で滑稽なできごとだ。なんて、奇想天外で美しい世界なんだ!」 |
| 03.7.20 クスクスの宝箱 | |
|
六本木に行ってきました。先日書いたように、ジャック・タチの『プレイタイム』を観に行った。 六本木ヒルズは、やたら人が多くて、家族連れやカップルでいっぱい。しかも、何をするでもなく、うーろうーろ。話題の場所に行ってみようってなことなんスかね。おのぼりさん感覚で。お父さんとか、ベンチでぐったりしてたよ。何が六本人だ? お疲れさん。 なんだか、ゆるーいカーブを描いた階段やらスロープが多くて、自分がどこにいるのかわからなくなる。これ、道に迷うなあ。 『プレイタイム』は、ホントに何度観ても素晴らしい。 映画の構成は緻密で、徐々に画面に人が増えていき、色が増えていき、音楽が増えていく。最後は、カーニバルというか、遊園地のようになる。これ、比喩で言っているんじゃないよ。パリの街がホントに遊園地になるんだから。まさに「プレイタイム」、遊びの時間! ギャグと呼ぶにはささやかすぎる細かなクスクスの数々。そう、「クスクス」とここでは一応呼んでおこう。全部は拾いきれないほど、スクリーンのあちこちで同時進行するクスクス。近代的ビルで迷子になり、観光客の波が行ったり来たりして、人間違いをくり返す。ガラスのむこうとこちらですれ違い、通りは車であふれ、モダンで間抜けなオブジェがちりばめられ、ビルのアナウンスがひっきりなしに何かを語りかける。そして後半の怒濤のようなバーでの大騒ぎ。クスクスが連鎖し次のクスクスを呼び、ドタバタをエスカレートさせていく。そして、映画史上もっとも奇想天外で心躍るシーンへ。そう、あのロータリーのシーン。ほーっってため息が出ちゃうような、素晴らしさなんだけど、これ以上は言わないほうがいいな。映画を観た人とだけ語り合いたい。 『プレイタイム』には、文明社会で起こるクスクスが山のように出てくるんだけど、あまり文明批判って感じはしない。むしろ、そんな文明社会で振り回されちゃってる人間ってかわいいよね、って気がしてくるんだ。 映画終って外へ出るときは、すっかりニコニコ気分。暗くなった六本木ヒルズ、さっきまであんだけうっとおしいなあって思ってた六本人たちが、なんだか憎めなく思えてきた。右往左往しちゃってさ、かーわいい。道に迷うのもまた楽し、みたいな。 |
| 03.7.21 一生クスクスしていたい | |
|
例えば、こんな状況に出くわしたことがある。 ケンタッキー前のカーネル・サンダース人形が、手を振っていたんだよ。 え? んなバカな。 近づいていってよーく見たら、店内で従業員の女の子が、ガラス窓を拭いてただけだった。 わかるかなあ。 人形の後ろのガラスを拭いていて、その動きがまるで手を振っているように見えたわけ。 こーゆーのを、俺は「タチ的クスクス」と呼びたい。 ジャック・タチの映画は、観客が目をこらして見つけなきゃなんないクスクスがいっぱいある。 考えようによっちゃ、不親切な映画なの。 でもさ、日常だってそうでしょ。 気づかないだけで、目をこらせば、実はあちこちにクスクスはあるじゃないか。 タチの映画を観て、思う。 世界はこんなにも豊かだ。 ねえ、クスクス笑いながら、生きていきたいじゃないか。 |
| 03.8.1 | |
|
今日は、ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』を観てきました。 何度観ても素晴らしい。 もちろんクスクス笑えるんだけど、それに加えて、海辺の避暑地の光景がいいんだよね。 海風に大きな帽子を押さえて、老夫婦が海岸沿いを歩ていく。 子供がアイスクリームを両手に持って、危なっかしく階段をあがっていく。 昼飯の合図でみんなホテルに戻って、その間だけ、浜辺がからっぽになる。 ビーチボールやパラソルがそこに残される。 海辺の絵ハガキのような、このポエジー。 バカンスの気分が映画館を満たしていく。 |
| 03.8.3 カーニバルのスイッチ | |
|
今日も今日とてジャック・タチ。今日も今日とて六本木。 今回は、『ぼくの伯父さん』です。魚の噴水、目玉の窓、ソーセージのホース、奇妙な椅子などなど、モダンでヘンテコなオブジェがてんこ盛り。 でもね、隣の席の男のポップコーンがうるさかったんだよなあ。暗闇でポップコーンを、がざざがざざまさぐってる。もうちょっと食い方ってもんがあるだろうに。無神経なヤツ。 タチの映画は、音にすごく凝っているんだよ。ナイロン衣類のこすれるシュシュシュって音や、ヒールのコツコツコツコツって音、噴水から水が出るゴボゴボゴボッって音など、妙にディフォルメされていて可笑しい。 だからこそ、音に耳をすましていたいのに、隣ではがざざがざざと。ポップコーンの彼は、自分がコメディの間抜けキャラのような音を出してることに、気づかないんだろうか? あとね、ラスト近くで、いきなり軽快なジャズが流れ、空港前の通りがダンスホールのようになるシーンがある。 この映画、何回か観てるんだけど、このシーンがダンスを表してることに今回初めて気づいた。それまでは、なんかガヤガヤしてるだけだと思ってたんだよ。いや、そーゆー風にも見えるように撮ってるんだけどさ。 つまりどんな日常も、見方を変えればカーニバルに見えてくるのが、タチの映画だって思ったわけ。 タチ扮するユロ氏は、特に滑稽なことをするわけじゃない。ただ、見方を変えるきっかけを与えるだけなんだよね。そうするとスイッチが入ったみたいに、世界がカーニバルに見えてくる。退屈なバカンスには花火が上がり、渋滞のロータリーは遊園地になり、空港の混雑もダンスパーティになる。 ああ、なんて幸福な映画なんだろう。 来週上映されるタチの長編デビュー作、原題は『祭の日』っていうんだよ。これもまた、カーニバルの映画だ。 |
| 03.8.4 空から降ってくる | |
|
突然だけど、映画のBGMって、基本的には、登場人物たちには聞こえていない音なんだよね。ミュージカル以外では。 ラジオやレコードから音楽が流れるシーン、ライブのシーン、なんてのもあるけど、基本的にはスクリーンの内側では鳴ってないことになっている。 例えば、『ジョーズ』のあのテーマ曲は、海辺の観光客たちには聞こえてないでしょ。『タイタニック』のあのテーマ曲は、船の上の恋人たちには聞こえてないでしょ。 観客の気持ちを盛り上げるために音楽は流れるんであって、映画内の登場人物には影響を与えない。 で、ジャック・タチの話なんだけど、タチの映画音楽は、どうもそうじゃないみたいなんだよ。テーマ曲が何度もくり返されるけど、映画外に流れているのか、映画内に流れているのか、判然としない。 『ぼくの伯父さん』には、受話器の向こうからテーマ音楽が聞こえてくるシーンがある。つまり、電話の相手の背後でその曲が流れてるわけ。 これは、ちょっと奇妙なことだよね。それまで映画外で流れてたはずの音楽が、スクリーン内でも流れていたことになっちゃう。 さて、そこで、昨日も書いた空港前のシーンだ。ひょっとしてって思うんだよ。このシーンの音楽は、映画の中の彼らにも聞こえていたんじゃないか? さっきの電話のシーンを考えれば、そうであってもおかしくはない。 さあ、想像してみよう。ここは、空港前の通り。重い荷物を抱えた人や、颯爽と歩くスチュワーデス、家族連れ、ビジネスマン、たくさんの人が行き交っている。そこへ、突然、軽快なドラムが響き渡り、にぎやかなジャズが流れ出すんだ。どこから聞こえてくるのかわからないその音楽に、にわかに空港の前の通りが活気づき、道行く人がスィングし始める。もちろん、僕らもダンスのようなステップで歩き出す。 うん、そう考えたほうが、楽しいな。空からいきなり降ってくる音楽。 カーニバルのスイッチが入る。 |
| 03.8.5 持ち帰りでお願いします | |
|
えー、最近のアワ・アワーは、ほとんど、フジロックとジャック・タチについてしか、書いてないですね。 しつこいかなあ? うっとおしいかなあ? くどいかなあ? ってたたみかけるあたりも、くどいかなあ? 毎度おんなじようなことを書いちゃってさ。一言、「面白かった」「楽しかった」「よかった」で、いーじゃん。 そりゃあそうなんですけどね。 僕は、音楽を聴いたら、その気分を日常に持ち帰りたいの。映画を観たら、その楽しさを日々の暮らしに溶け込ませたいの。 現実からひととき離れて楽しむってだけじゃ、不満なんだよ。 日常を離れて楽しいことがあるんじゃなくて、日常そのものも楽しいものにしたいの。 こうやって文章でくどくど書くことによって、そのための方法を探ってるわけ。 だって、ロックフェスのようにわくわく毎日を過ごせたら、どんなにいいだろう。タチの映画の登場人物になれたら、どんなにいいだろう。 夏休みはいつか終るって知ったうえで、それでも楽しくやることを考えたい。 いつだって、「プレイタイム=遊びの時間」を生きたいんだよ。 |
| 03.8.10 銀輪は歌う | |
|
ジャック・タチ、最後の1本は、処女長編『のんき大将〈カラー版〉』。観てきましたよ。 村に祭がやってきて去るまでの物語。ここには、おなじみのユロ氏は出てきません。主人公は、郵便配達夫のフランソワ。けたたましいドタバタが繰り広げられるんだけど、どこかのどかで牧歌的なのは、田舎が舞台のせいかな? いや、タチの品性によるものだと思う。 自転車の郵便配達のシーンはとても楽しい。カウベルのようなベルを鳴らし、長いカーブの坂道を下っていく。フランソワ・トリュフォーの「あこがれ」、スピルバーグの『ET』、北野武の『キッズ・リターン』などなど、自転車映画の原点として、この映画を置きたい。 自転車の遊戯感が好きなんだと思う。自動車だと、機械に運ばれてる感じだけど、自転車は、体と直結してる気がするんだよね。風の音も道のでこぼこも直に伝わってくる。坂道を下るときのスピード感、カーブを切るときの体が傾く感じ、そーゆーのが楽しい。 銀輪が回る。くるくる回る。祭のメリーゴーランドが回る。回転木馬が自転車の回転を呼び、郵便配達の退屈なワークを、プレイタイムに変えていく。くるくる回る。フィルムが回る。フィルムが巻き取られ、祭の1日がはじまりおわる。 |
| 03.8.30 トラフィック+パラード | |
|
「ジャック・タチ フィルム・フェスティバル」の個人的しめくくりとして、『トラフィック』『パラード』を、ビデオで観た。 この『プレイタイム』以降に撮られた2本で、タチの映画はほぼすべて観たことになる。 ということで、ざっと感想を。 『トラフィック』は、車・車・車の映画。フランスの自動車会社から、オランダのモーターショーへ車を届けるという話。その車を届けるのが、ユロ氏なんだよね。だから当然、ものごとは予定通りには運ばない。トラブルに継ぐトラブルで、目的地にはなかなかたどり着けない。 車を何台も巻き込んだ交通事故のシーンがある。事故のあとの静寂。ホイールがカラカラ回る音と、鳥の声が聞こえてくる。やがて、あちこちの車から人が出てきて、腰を伸ばしたり、肩を回したりする…。こののどかな、おかしさ。悲惨なはずの玉突き事故が、タチの手にかかると、なんだかピクニックのように見えてくる。 つまりこれは、ユロ氏の仕事が、ピクニックへとどんどん脱線していく映画なんだよ。ここでもやっぱり、タチのモチーフは、「ワークタイムがプレイタイムに変わること」にある。ここで言う「プレイタイム」は、「遊戯の時間」ってことね。 『パラード』は、サーカスの舞台をまるごと映画にしたもの。タチは、このサーカス団の団長に扮し、得意のパントマイム芸をたっぷりと見せてくれる。 面白いのは、サーカスの芸人だけじゃなく、裏方も、ときに観客も、サーカスの一員のように撮られていること。舞台の進行に合わせ、裏方たちがジャグリングをしたり、手品を見せたりする。三原色を基調にした観客たちのファッションは、サーカスの芸人と見分けがつかない。 でもこれも、タチの映画ではごくごく当前のこと。ユロ氏が出てくる映画では、日常の風景がカーニバルに変わっちゃうわけじゃん。プレイタイムは、特別な芸人たちだけのものじゃないんだよね。普通の人の身振りの中も、サーカス的要素があるってことだ。 映画の中で、回転木馬の歌が歌われているんだけど、『のんき大将』の祭の日の回転木馬がぐるーっと回って、この遺作につながっている気がした。 回転するものはいつも、遊戯の時間を生きている。 |
| 03.9.10 夜が来てまた新しい朝が来る | |
|
「ジャック・タチ フィルムフェスティバル」ですが、六本木ヒルズでの上映が終わり、新宿でアンコール上映(レイトショー)をやってます。 で、せっかくの機会なので、再度『プレイタイム』を観てきました。 しつこいようだけど、何度観ても飽きない。ワタシ、ホント、スキヨ、コレ。と、思わずカタコトになっちゃうくらい、大好き。観るたびに発見がある。初めて、世界を見るような新鮮さがある。 この映画は、大きく分けて二つのパートに分かれている。空港のシーンからオフィスビル、家具の展示場などの昼間のシーン。ここで、会おうと思った人とすれ違い続けるユロ氏のシークエンスと、バーバラという女性を中心としたパリ観光客のシークエンスが並行して描かれる。もうひとつは、レストランの開店パーティの大騒ぎが描かれる夜のパート。ここで、ユロ氏とバーバラのシークエンスが交差する。 繰り広げられるギャグはもちろん素晴らしいんだけど、今回は、ギャグじゃないシーンについて話そうかな。タチの映画はどれも、時間の経過が明確に描かれている。でね、僕が好きなのは、昼から夜になるシーンや、夜から朝になるシーン。 『プレイタイム』で夜が来るシーンは、旅行案内所が閉店して、帰宅する人々でバスが混雑し、ビルの窓に明かりが灯っていく。そうしたシーンに、何とも言えないポエジーが漂う。普段、僕らが目にしているものなんだけど、そこに詩を見出しているわけ。 さらに、朝になるシーンも素晴らしい。レストランで夜通しのバカ騒ぎ。で、外へ出るともう明るくなっている。ゆっくりとすべり来る散水車、夜の余韻を残した人々がカフェに集まってきて、街は少しずつ動き出す。この感じ、知ってるよね。あの、軽い熱っぽさと軽い気だるさが入り混じった感じ。 パーティのシーンは最高に楽しく笑いっぱなしなんだけど、やがて朝が来るんだよね。それで、やるせない気持ちになったりする人もいるでしょう。でも、そんな人のために、タチは素晴らしいマジックを用意している。ラストシーンでは、昼間の街がそのまま遊びの空間になっちゃうんだよ。 以前日記に、映画が終った後でも、その楽しさを日々の暮らしに「お持ち帰りしたい」って書いたことがある。それにかこつけて言えば、タチは、パーティの興奮を昼間の世界に持ち帰ったわけ。 いつも見ている街を、まるで初めて見るような驚きの目で見つめること。街のノイズを、初めて聞くように耳をすますこと。そうすると、ほら、楽しくなってくるでしょ。やがて、活き活きと世界が回り出す。そう、メリーゴーランドだ。ゴー・ゴー・ラウンド・ディス・ワールド! |
| 03.9.11 迷子になりに行く 〜『プレイタイム』を初めて観る人へ〜 | |
|
『プレイタイム』を初めて観た人曰く、「最初は退屈な感じだったけど、後半はかなり面白かった」。 これ、正直な感想だね。うん、それでいいと思う。そういう風に作られてる映画だから。僕も初めて観たときは、何が起きているのかわかんなかったし。 映画冒頭、ロビーのような空間が空港だと気づくまでには、しばらく時間がかかる。そこに出てくる人物たちが何者なのか把握するには、もっと時間がかかる。そもそも、主人公も明快なストーリーもないんだけど、そのことに気づくまではどこを観たらいいかわからず、混乱するんじゃないかな。 タチが『プレイタイム』で作ったセットは、「タチヴィル」って呼ばれていたそうな。「タチの街」みたいな意味だろうね。つまり、街が丸ごとセットなわけ。『プレイタイム』を観るってことは、この街に迷い込むことなんだよ。 地図もなけりゃ、ガイドもいない。そりゃあ、最初は迷子になるわな。スクリーンの中で右往左往するユロ氏のように、視線をうろうろさまよわせるばかり。でも、自分で道を探しながら歩いていくうちに、だんだん楽しくなってくる、そんな映画だと思う。 これに比べると、ハリウッドに代表される多くの映画がいかに親切かわかる。ここが見せ場ですよ、ここが笑うところですよ、この人物は重要ですよ、ここでいいセリフを言いますよ。そう言わんばかりの演出。ストーリーはできるだけ効率よく語り、キャラクターには感情移入しやすく、無駄なシーンはどんどん省く。言ってみれば、ガイドに案内される旅だ。目的地は、エンドマーク。 でも一方、迷子は何を見ようと自由だ。目的地なんかないの。そう気づいちゃえば、ぶらぶらそこらの風景や人を見てるだけで、面白いものに出会えるかも知れない。だから『プレイタイム』は、何度観ても飽きないんだよ、きっと。 これから観る人がいたら、ぜひ、迷子になってきてほしい。最初はわけがわからない。そんなのは、当たり前。知らない街に行くんだから。 そういえば、映画の中で、観光客としてパリを訪れたバーバラは、しばしば、ガイドの列を離れて立ち止まる。 きっと彼女も、迷子になることの楽しさを知っていたに違いない。 |