過去の泡 01.12 02.01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 03.01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
04.01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 05.01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
06.01 02 03 04 05
祭の泡 02 フジ 引っ越し  03 フジ1 フジ2 タチ ピー  04 フジ1 フジ2 CCCD 05 フジ





日々の泡

2006年6月

06.6.28 アンバランスな関係
前々から不公平だなあと思ってることがある。
ずいぶん昔にここにも書いたことがあると思うけど、
「きちんとさん」と「だらしなさん」の話だ。
きちんとさんは、几帳面だからルーズな人を見ると気になってしょうがない。
何とか、相手のだらしなさを正そうと、あれこれ口うるさいことを言ったりする。
一方、だらしなさんはルーズだから、他人がどうあれさほど気にならない。
つまり、きちんとさんは、だらしなさんに対して几帳面になることを求めるけど、
だらしなさんは、きちんとさんに対してルーズになれとは言わないわけ。
ね、不公平でしょ。
だらしなさんの俺は、何度もこのアンバランスさに直面してきた。
「お前に何か迷惑かけたかよ」と。

似たようなことは、他にもある。
世の中には連帯感を味わいたくてしょうがないタイプの人がいる。
みんなで一緒に盛り上がりたい。一丸となって同じ目的に向かって進みたい。
俺は、あんまりそーゆーのないんだよね。
だから、連帯とかは、そーゆーの好きなヤツらで楽しんでくれたまえ、って思う。
でもね、そーゆーヤツに限って、連帯を求めてくるんだよな。
「人それぞれでいいじゃん」タイプと「みんなで一緒に進もう」タイプ。
「人それぞれくん」は、相手が「みんなで一緒にくん」であっても、
いろんな人がいるんだからいいんじゃないって思ってる。
でも「みんなで一緒にくん」は、相手が「人それぞれくん」だとすると、
余計に「みんな」の中に入れたがるんだよ。
何てアンバランスな関係だろう。
心配しなくていいのになあ。
別に、君が盛り上がってるものを否定してるわけじゃないんだから。
ただ、俺は、君が面白いと思うことに関心がないだけなんだよ。

06.6.26 乱れ髪
月曜日ってのはイヤだ。
新しい仕事が入ってくるのは、いいことなんだろう。
仕事がなくなったら、食っていけないわけだし。
でもね、小さな声で言わせてもらえば、「めんどくせー」。

週末、4ヶ月ぶりくらいに髪を切った。そのときの会話。
「けっこう伸びたでしょ」
「GOTOさん、なかなか切りに来ないから」
「いや、忙しいんだよねー。
 昼飯が夕方の5時なんてのもよくあるし、
 毎晩、帰ってくるのは11時とか12時だし。
 もぉ、すっかり仕事人間だよ」
「ホントですかぁ? 何か、伝わってこないんスよねえ、GOTOさんが言うと」
俺、どんだけ、テキトーな人間に思われてんだか…。
こんなに髪を振り乱して説明しても、わかっちゃくれないのか?

どうも俺は、攻めの姿勢でガンガンがんばるようなタイプじゃないらしい。
確かに、根性とか、ピッチでひとり横になって涙ぐむとか、そーゆーのは苦手だ。
体をかわしていきたいタイプ。ドッジボールとかで逃げるの得意だったし。
でも、守りに入ってるつもりはないんだよね。こそっと、攻撃したい気持ちもある。
以前、同僚にこんなことを言われた。
「GOTOくんって、攻めないことで攻撃してるでしょ?」
なるほどね。そーゆーことになるのかも。
攻めの姿勢だとか、守りの姿勢だとか、そーゆーことにこだわるヤツらに対する攻撃。

06.6.23 時蕎麦
昼飯を食って会計中のこと。
千円のランチで、5千円札を出した。
「5千円お預かりします」とレジの女の子。
で、おつりを渡すとき、千円札を俺のほうに向けて数え始めた。
「6、7、8、9千円のお返しになります」
古典落語か?
こーゆーうっかり者は、可愛らしい。
思わず顔を見合わせて吹き出す、彼女と俺。
俺もうっかり愛してしまいそうだ。
そんなうっかり者の俺を、またどこかでうっかり者の誰かが愛してしまう。
やがてそうして、世界中のうっかり者たちが愛で結ばれることを、
うっかり夢見た午後のこと。

06.6.21 ハリー・アップ!
またまた、フジロックの話。
細野晴臣が出演するんだけど、名義が「ハリー・ホソノ・クインテット」になっているんだよ。
で、今日、この名義でのライブレポを見つけて読んでみた。
そしたら、わぁお。細野さん、歌ってるじゃん。
「ハリー細野」っていうトロピカルダンディーな呼び名から、もしかしてとは思ってたけど、
予想を越えた歌いっぷり。
だってさ、「恋は桃色」に「終わりの季節」に「PomPom蒸気」に「夏なんです」だぜ!
すげーすげー。
『HOSONO HOUSE』に、『泰安洋行』だ。もひとつおまけに、はっぴいえんどだ。
こんなことになってるとは、全然知らなかった。
俺、細野さんのアルバムでは、歌もの中心のこの頃が一番好き。
東京っ子の乾いたセンチメンタリズムと、書き割りっぽいなんちゃってエキゾティシズム。
あと、細野さんの声も渋くて好きだ。あーゆー低い歌声って、実はけっこう珍しいでしょ。
俄然、ステージが観たくなる。
同日に出演する矢野顕子の飛び入りだって、ない話じゃない。
あ、サンディーもいるな。
もし久保田麻琴が一緒に来れば、ハリー&マックもできるし、
坂本冬美を連れてくれば、清志郎に声かけて、HISだってできちゃうぞ。
うー、楽しみだ。

それにしても、何だかんだ言って、フジで楽しみなのは、フィッシュマンズを別格とすれば、
清志郎&チャボ、細野さん、アッコちゃんあたりだったりする。
…「宝島」ですか?
すまんね、80年代に10代を過ごしたもんで。

06.6.19 イェー! ギョエー!
うれしいことが2つもあったよ。

フジロック、オフィシャルにはまだ出てないけど、
忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS plus 仲井戸"CHABO"麗市
出演らしい。
清志郎とチャボ、ちなみにドラムは新井田耕造。半分RCじゃんか。
オーイェー! イェーって言えーっ!
やっぱ、フジに清志郎が出ないわきゃあないと思ってたんだ。
しかも、チャボだ! 2年前のフジで俺をメロメロに泣かせたチャボだ。
よく来てくれたぁ、よぉこそー!
さあ、みんな、準備はいいか?
バッテリーをビンビンにしてフジに臨もうぜ。

楳図かずおの数々の名作を、装いも新たに発刊する「UMEZZ PREFECTION!」シリーズ、
『おろち』『恐怖』ときて、今月は映画公開に合わせ、『猫目小僧』全2巻。
かつての少年漫画誌が東南アジアで海賊版として生まれ変わったような、
キッチュな色づかいと英語のタイトルがイカす装丁。もちろん、祖父江慎の仕事。
で、この2巻目に「約束」っていう話が収録されている。
あれ? これ、読んだことない話だぞ。
『猫目小僧』は、これまで何度か読んでるんだけど、知らない話があるとは思わなかった。
雑誌「ユリイカ」に掲載されていた作品目録で調べてみると、
『猫目小僧』は、「UMEZZ PREFECTION!」以前に6回単行本化されていて、
その際、一度しか収録されたことがなかった作品らしい。
わぁお。それが読めるなんて、うれしいじゃないか。
さすが、「パーフェクション!」。
ちなみに、この話、「へび女」もののバリエーションなんだけど、ラストに驚愕。
ページをめくって大ゴマでドーンってのは、先生お得意の手法だけど、
この作品のショック度はかなりなものだと思う。
ギョエー! ギョエーって言えーっ!

06.6.18 Wハイテンション
確か、前回のW杯の際、裏番組で映画『十戒』を放送してたことを受けて、
故ナンシー関は「壮大な逆ギレ」と讚えていたっけ。
本日のワールドカップの裏番組も、何だかどれもヤケクソ気味だった。
ダウンタウンの「ガキの使い」では、「ハイテンション王決定戦」の総集編。
ヤケクソという言葉がこれほど似合う企画はない。
爆笑問題のニュース番組「スタメン」では、テリー・ギリアムのインタビュー。
太田が大ファンだそうだけど、こーゆーときこそ、趣味を優先しなきゃあね。
ちなみに、俺、試合結果はよく知りません。
どうせ明日職場でみんな話題にしてるだろうから、あわてなくてもいいやね

06.6.17 ひとりでできぬもん
昼過ぎに起きたら、今日は晴れてるじゃないの。
それじゃあってことで、急遽、テントを立ててみることにした。
フジロックまであと1ヶ月半。
初キャンプを滞りなく行うためにも、練習しとかないとね。
先日購入したテントは4人用。それを持って、我が家の裏にある駐車場へ。
もちろん手伝ってくれる人がいるわけもなく、ひとりで挑戦。
車の来なさそうなところを見つけて、キャリーバッグから出して広げてみる。
うーん、どうなってんだ、これ? でかすぎてどう広げたもんか、よくわからない。
たぐってもたぐっても、どこが端で、どこが天面でどこが底面なのか…。
つうか、入り口がどこにあるのかもわからない。
仮にテントを張れたとしても、中に入れないんじゃ意味ないじゃん。
次はポールだ。
カシャカシャカシャとポールを伸ばしていくと、これまた予想以上に長い。
伸びる伸びる伸びる、俺の身長の3倍くらいあんじゃないの?
片側だけに集中してると、もう一方の端が隣の家の塀の下にもぐりこんでたりする。
そして、ポールをテントに通す。
でも、どこまで通しゃあいいんだ? しかも2本のポールがうまいことクロスしない。
しばらくテントと格闘してたけど、にっちもさっちもいかない。
でかいテントと2本の長いポール、これをひとりでどう扱えと?
硬直状態。この先、どう進めりゃいいんだろう?
どうあってもテントが立つ気がしない。
小林幸子紅白で失敗、みたいな気分。
あーあー、裏の家の犬が吠え始めちゃったよ。
やっぱ、ひとりじゃムリか…。ギブアップ。もう帰ろう。
でも、たたむのもまたえらく面倒なんだよな。
いったい、いくつ折りにすりゃあいいんだ?
しかも、風が出てきて、たたんでいる最中にも、うっかしりてるとすぐめくれあがっちゃう。
あらら、車が入ってきちゃったよ。
つうか、このまんまじゃバッグに入んねえよ。犬、うるせーよ。おっさん、こっち見てんなよ。
つうかつうか、見てるんなら手伝って。
トータルで1時間のチャレンジ。汗だく。
苗場でホントにできんのか、俺?

06.6.16 少女の夢
「アタシ、子供の頃、自分の親はホントの親じゃなくって、実はすごいお金持ちの家の子だって思ってたんだよねー」
「えー、わかるぅ。アタシもちっちゃい頃、自分がホントは宇宙人で、おっきくなったら、その星から迎えが来るって信じてたんですよぉ」
「誰でもそーゆーのあるんじゃない? アタシも、ちっちゃい頃、自分のことを魔女だって思ってたもん。実は100年以上生きてるおばあちゃんなんだけど、子供のふりをしてるの。その頃、5歳くらいだったと思うけど、自分的には105歳のつもりだったから」
デーモン小暮か?
ともあれ、3人のなかでは、君の少女時代が一番オモロイ。

06.6.15 傷だらけの天使
後輩にCDを借りたら、盤面が傷だらけだった。
こーゆー人、たまにいるよね。頓着しない人。
もちろん、借りたCDの盤面を下にしてそこらに置くようなヤツは
デリカシーねえなあって思うし、
CDでフリスビーをしたり、砂場に埋めて遊ぶなんてのは論外だ。
でも、自分のCDに対してぞんざいな人ってのは嫌いじゃない。
ざっくりしてていいじゃん。
フェティッシュなところがないってのは、見ていてすがすがしい。
俺はダメだもん。
できるだけ傷つけないように、買ったときのまんまの状態にしておきたいって思う。
でも、根が雜だから、盤に傷つけたり、ケース割ったり、
歌詞カード折り曲げちゃったりするんだけどさ。
で、中途半端に気にするところが、みみっちい。
昔、友人宅でCDを聴かせてもらって、「これいいねえ」なんて言ってたら、
「GOTOくんにあげるよ」ってそのまんまプレゼントされたことがあった。
で、そのCDを見たら、盤面傷だらけで、歌詞カードには醤油の染みがついてたんだよね。
「あ、雜でいいなあ」と思ったね。
そーゆー人だから、ポンとCDをくれたりするんだなあと。

別な友人の話。
そいつは、やたらと人を自分の車に乗せたがるヤツだった。
ご自慢の車らしく、チューンナップとかしちゃってるんだよね。
そいつが以前、勢いよく車のドアを閉めたヤツに、いきなりキレだしたことがあった。
「ったく、信じらんねえよっ! 傷がつくだろっ!」とかなんとか。
そこまで怒らなくてもとは思ったけど、まあそいつの車だから強くも言えず。
で、そのあと車を降りるときに、俺、めっちゃ気をつかったわけよ。
そーっとそーっと、恐る恐るドアを閉める。
そしたら、冷ややかな声でまた怒られた。
「半ドアだよ}
あー、うぜえなあっ。
そんなにイラつくならいいよ、ムリに車に乗せてくれなくても…。
と、20歳の俺は思ったね。
つまり、他人のフェティシズムは、ときに面倒くさいっつうことです。

06.6.14 火曜日に日曜気分を持ち帰る
有給で休んだ昨日、とってもキュートな映画を観た。
『ダック・シーズン』。いやー、これはいいよ。大好き。メキシコ映画で、監督はこれが長編第一作になるフェルナンド・エインビッケ。この名前は覚えておこう。
主な登場人物は4人、舞台はほとんどがこのアパートの室内、映像はモノクロ。こうしたミニマルさは低予算からくるものなのかもしれないけど、それがすべて魅力になっている。映像も音楽も描かれている世界も、すべてが愛らしい。
日曜日午前11時、アパートの一室。両親は留守。14歳のフラマは親友のモコと共に留守番をしている。そこへ、近所の女の子が、「オーブンを貸してくれ」とやってくる。さらに、ピザを届けに来た宅配人とモメてしまい、そのおっさん(30代くらいのメガネくん)も居座ることに。そんなわけで、午後8時まで、この4人が時間を共にする。
日曜日の昼間の、宙ぶらりんの時間。時間はたっぷりあるんだけど、そこはかとなく退屈。親がいない家で羽根を伸ばすといっても、テレビゲームくらいしかやることがない。ソファーにスナック菓子とコーラ。冒頭のこの「日曜日感」がたまらなくいい。
そして停電だ。ゲームが途切れる。オーブンも止まる。エレベーターも止まる。4人がこの部屋に留まるきっかけは、すべてこの停電にある。ただし、ありがちな暗闇の物語ではなく、「昼間の停電」ってのがユニーク。これがミソだ。
夜の停電ってのは、のっぴきならない感じがするでしょ。でも、昼間の停電はどこか間が抜けている。ぼんやりしてて、とりとめがない。困るけど困らないというか、どっちつかずというか。彼らも出て行こうと思えば出て行けるんだよね。でも、何となくそこに留まっちゃってる。
何となく時を過ごすうちに、何となく相手のことがわかってくる。4人がそれぞれのことを知るのに時間がかかったように、観ている俺らもゆっくりと彼らのことを知っていく。ダメな大人に、ふてくされ気味の女の子、他に友達がいなさそうな男の子二人。そんな彼らが、ちょっとした触れ合いと、ちょっとしたバカ騒ぎで、ちょっとだけ相手と近くなる。
据えっぱなしのカメラで、横並びの彼らを捉えたシーンがたびたび出てくる。向き合うよりも横並びで座るってのが、この映画のスタイルだ。そこにゆるやかな連帯感みたいなものを感じるんだよね。抱きしめ合ったり罵り合ったりするような熱い交わりじゃなくて、たまたま同じ部屋にいることになった4人のゆるいつながり。それがとても魅力的だ。
登場人物たちはそれぞれに悩みや孤独を抱えてたりする。でも、このゆるいつながりがほどけてまたひとりになるとき、それぞれにちょっぴり幸福なシーンが用意されている。たぶんみんな、ちょっとだけ気分が上向きになって、それぞれの暮らしに戻っていくんだろうってことを予感させる。
そう、このちょっとだけってのがいいんだ。でっかくぶち上げた話は映画の中だけのものだけど、こういうちょびっとだけの幸福感は、家に持ち帰ることができる。あの4人も、このあとの人生で時折この日曜日のことを思い出すに違いない。

以下、メモ。
●音楽の使い方が巧い。オープニング、ボサノヴァの名曲「O Pato」のカヴァーがとてもかわいい。その他、蛇口から漏れる水音、時計の音、階段を上る足音などが刻むリズムを、曲に使うセンスもなかなか。
●小道具の使い方が巧い。ブラウニーと鴨の絵がキーになってるけど、それ以外でもお菓子づくしの鳥づくし。あちこちに、スナック菓子と鳥の小物が登場する。あと、モコの着ているランシドのTシャツが気になったんだけど、これもちゃんと効いてくる。
●モノクロの映像も効いている。電源の切れたテレビ画面やチョコレートなど、「黒」が効果的に使われている。フラウの赤毛が話題になるシーンがあるけど、モノクロなので黒髪にしか見えないってのがニクい。
●画面の構図がいちいちキマってる。シンメトリーの構図が多いのは、横並びのシーンが多いから。アパートのベランダから4人が顔を出すシーンのセリフが可笑しい。「ビートルズみたいだ」。そ、『プリーズ・プリーズ・ミー』のアレ。
●エンドクレジットで、小津安二郎とジム・ジャームッシュの名前が挙げられてるけど、確かにスタイルに影響を受けてそう。俺がその他に連想したのは、ジャック・タチとアキ・カウリスマキと山下敦弘。みんな語りすぎないところが魅力の監督ですね。

06.6.12 ピッチを遠く離れて
月曜日ってのは憂鬱なもんで、今日は何だか仕事をしたくない気分だった。
したけどさ。
「何か、めんどくせーよなあ、仕事するの」
「ですよねえ、サッカーが気になっちゃって、仕事どころじゃないですよねえ」
いやいや、そーゆーことじゃなくて。
単なるブルーマンデー、サムライブルーはカンケーなし。

仕事を終えて帰る頃には、街に人気がなくなっていた。
そっか、みんな今頃テレビの前か。
目の前を歩いている若いサラリーマンがケータイで喋ってる。
「リモコンに録画モードのボタンない? いや、録画ボタンじゃなくて。違うよ、それはテレビのリモコンでしょっ!」
あらら、もうキックオフだってのに…。

ここんところ働きすぎなので、明日は休むことにした。
「サッカーで盛り上がって、夜更かしとかしちゃうんじゃないの?」
いや、だから、そーゆーんじゃないんだけどなあ。
君らはサポーターかもしれないけど、俺は単なるサボタージュ。
合言葉は、蹴球より有給を!

06.6.11 オバカラ
ちょっとした違和感が、そのものの印象を大きく変えてしまうことがある。
昨日行ったカラオケボックスには、してやられた。
カラオケ屋の店員って、たいてい学生アルバイトみたいなのばっかでしょ。
ところが、その店は違った。受付にいたのは、二人のおばちゃん。
このそぐわなさに、一瞬たじろぐ。
奥の方ではおっさんが働いている姿が見えるものの、
若者の従業員はひとりとして見当たらない。
そのせいか、都内なのに、じわーっとにじみ出るローカル感。
んでまた、このおばちゃんたちが、何か知らないけど、二人でぺちゃぺちゃ喋ってんだよ。
客が来たってのに、お喋りは止まらない。
「もお、泣けてきちゃうっ」
「そぉなの?」
「泣けてきちゃうわよぉ。だって、ねえ、泣けてきちゃうじゃない。」
「何でよ?」
「悲しくてよぉ」
入店直後に、いきなり何を言い出すんだ?
文脈はよくわかんないけど、会話の香ばしさにクラクラする。
友人が受付をしてる間、俺は後ろのソファーで笑いが止まらなかった。
で、その友人が、俺らを振り返って訊く。
「時間どーする? 2時間? 3時間?」
「えー、どーしよっか? つうか、今、何時なの?」
そしたら訊かれてもいないのに、おばちゃん二人が同時に答えた。
「8時よっ!」
だから、笑かさないでくれってば。おすぎとピーコか?

室内に入れば、飲食メニューの至るところに「自家製」とか「手作り」の文字。
そんなところにも漂うローカル感。
おばちゃんたちが作ってるのかなあ。作ってるんだろうなあ。
おばちゃん。泣けてきちゃうわよって言いながら、決して泣いたりしないおばちゃん。
自家製のクリームあんみつは、必要以上に甘すぎだったよ。
おばちゃん。空調の設定温度を間違えてたおばちゃん。
「あらぁ、21度だもん、寒いわけよぉ」って、他人事みたいに言わないでくれよ。
おばちゃん。「ガキの使い」に出てるチヨちゃんそっくりのおばちゃん。
「エロカッコイイ」って知ってる?
知らないでいて欲しいな。ねえ、おばちゃん。

06.6.8 欽ちゃんのどこまでやるの?
もしもシリーズ。
もしも、萩本欽一がテリー伊藤のモノマネをしてまくしたてたら。
あらら、村上世彰に見えてくる。

そう言えば、最近、保険会社のテレビCMで、萩本欽一が出ているヤツがある。
あれ、たまらなくイヤだ。
水色の検査着を着て、紙コップの中の液体をごくごく飲む欽ちゃん。
で、飲み干したところで、ドーンとアップになって、キメゼリフを言う。
とりあえずセリフはどうでもいいや。
それよりも、口の周りにべっとりついている白い液体だ。
そう、欽ちゃんが飲んでいたのはバリウムだったわけ。
このCM何が言いたいのかさっぱりわからないし、わかりたくもない。
どーんといってみよーってなノリかもしれないけど、見ている俺はドッチラケ。
ただただ、あの口元の汚らしさが気にさわってしょうがない。
バリウムって、確かに誰もがあんな風に口の周りに垂らしちゃうんだけど、
だらしなく汚れた口元なんて、あんまりアップで見たいもんじゃないでしょ。
それだけじゃなく、このCMを見ていると、バリウムを飲むときの不快さがよみがえり、
さらには、そのあとの白いうんこまで思い出す。
なのに、健全なイメージを打ち出したCMになっているところが、また気にくわない。
無自覚というか、無神経というか。
下ネタには厳しい欽ちゃんも、口周りには甘いようだ。

06.6.7 コヨーテの受難
今日も今日とて終電帰り。仕事でくたくたです。
そう言えば、6年くらい前、仕事でこてんぱんにされてたときに、
こんな短歌を作ったこともあった。

・ハンマーでぶん殴られたコヨーテの頭をめぐる星に願いを

「コヨーテ」はワーナー映画のイメージだったんだけど、
「星に願いを」はディズニー映画の主題歌だから、そこがちょっと詰めが甘いですね。
そして、その5年後に作ったのが、こんな短歌。

・コヨーテはまた重力に裏切られ残業代のつかない仕事

コヨーテの受難はまだまだ続く。

06.6.6 吠えてはみるが
もおいやだ。
毎度のこととは言え、今日はうんざり。
クライアントに振り回されて、昼飯食う暇がなかった。
腹だたしさと、腹へりの、ダブルパンチ。ストマックにガツンとくる。
しかも、帰りは雨に降られてびしょ濡れで帰宅。
あー、クサクサする。
こーゆー夜は、ワーナーのカートゥーンを観よう。
ペテン師じみたバッグス・バニーの、冷ややかで執拗な復讐を楽しもう。
わめき散らすダフィ・ダックの、誰にも聞き届けられない怒りを楽しもう。
果たして俺は、バッグスか? それともダフィか?
いや、腹をすかせたコヨーテかもしれない。
そう、ロードランナーを捕まえようとして、毎度毎度失敗するあいつだ。

・日替わりでいたぶり/ぶられブルドッグ吠えてはみるが飼い犬である

06.6.5 目鱗剥落〜『アニメーション入門』とフライシャー兄弟をめぐって
森卓也『アニメーション入門』(美術出版社)を、手に入れた。
これ、日本で初めてアニメーションについて包括的に書かれたもので、アニメーションファンの間では名著とされているんだけど、現在は残念ながら絶版。で、ネット古書店で、「そこそこはするがべらぼうに高くもない」というあたりの金額で購入したわけ。初版は1966年。俺の生まれる4年前。奥付に書かれた当時の定価は680円。カバーの返しには、中原弓彦(若かりし頃の小林信彦)による推薦文が掲載されている。
つうことで、さっそくむさぼり読みましたよ。もちろん66年の本だから、ノルシュテインもニック・パークも宮崎駿も登場しない。でも、マクラレンに「ひとぎらい」の匂いを嗅ぎ、トルンカに「東洋の幽玄美」を見るあたりの目利きっぷりは、現在読んでも、十分に刺激的で面白い。
中でもうれしいのは、フライシャー兄弟に多くのページを割いていることだ。俺がこれまでに読んだフライシャー論の中では、最も長い。たいていの場合は、ディズニーのライバルとして添え物的に紹介されてるだけだからね。森さんのフライシャーに対する高評価がうかがえる。
この人のアニメーション評の特徴は、情報量の多さと作品を見る目の確かさ、そしてポイントをズバッと切り取る鋭さだ。例を挙げてみよう。
「当時のフライシャーの作風は、不景気と禁酒法とシカゴ・ギャングの世相をずばり反映したエロ・グロ・ナンセンスへのエスケープであり、あまりにも都会文明病的なセンスに満ちていた。(中略)そのセックス・アッピールが『プレイボーイ』の艶笑漫画的グラマラスとはおよそかけ離れた、むしろ奇形的な容姿によって表現されるところに、都会感覚と文明病的センスに裏付けられた、フライシャーのディフォルマシオンとカリカチュアライズの巧みさが光っているのだ」(「ベティ・ブープ」シリーズについて)
「フライシャーのポパイの魅力は、そのすべてが超バーバリズムに集約される。ポパイの怪力にはなによりも詩があった。(中略)その気宇の壮大さは、コロラドの山男の大ボラ精神を後ろ楯に、白髪三千丈と詠んだ中国詩人や砲弾に乗って天駆けるムンシャウゼン男爵の夢につらなって、全世界を駆けめぐる」(「ポパイ」シリーズについて)
「ところでその《カラー・クラシック》だが、ディズニーの亜流じみた作品、(中略)フライシャー的毒気の希薄な作品はやはりつまらない。そうではなくて、ジャズの感覚もペーソスも、いかにもニグロ的なねばっこい表現でもってぐいぐい迫るところにこそ、まぎれもないフライシャーの作家精神が光るからである」(「カラー・クラシック」シリーズについて)
どうよ、この密度の濃さ。短い文章に、キーとなるようなフレーズがいくつも畳み込まれている。そして、この切れ味の鋭さ。ベティシリーズに当時の世相におけるエスケープを見出し、ポパイシリーズからホラ話の詩情を見出す。さらに森さんは、奇形的な容姿のセックス・アピールやナンセンスに突き抜けたバーバリズム、ニグロ的な(この言い方はアレだけど)リズム感とペーソスを身上とするフライシャー作品の根底に、ブルックリン育ちの下町っ子気質を見て取る。こういうところが、目利きたる所以。そっかなるほど、なるほどそっかと、いちいち腑に落ち、鱗が落ちる。

ところで、フライシャー兄弟「カラー・クラシック」シリーズに、「Hold It!」って作品がある。「猫じゃ猫じゃ」という邦題で、森さんもこの本で取り上げてるんだけど、これは俺も大好きな作品。なので、ちょっと紹介しよう。
人々が寝静まった満月の夜、猫たちが裏庭に集まりノリノリのジャズに合わせて歌い踊る、っていう短いカートゥーン。ストーリーはあってないようなものだけど、その分、音楽と動きのノリのよさが光る、アニメーションミュージカルなんだよ。
まず、猫たちのダンスが楽しいし、さらには洗濯物や木までが踊り出すあたりは、いかにもフライシャー的で面白い。そしてもうひとつ、このアニメーションにはユニークな仕掛けがある。ボス猫の「Hold It!」って掛け声で、曲が一瞬ストップする。すると、それに合わせてダンスもストップする。ジャンプしていれば空中でストップする。で、曲が始まるとまた動き出す。時間が一瞬止まるような効果を与えているわけ。そして、フライシャーがすごいのは、これをダンス以外のすべての動きにも波及させていこと。ばらばらと降ってくる木の実も、消火栓から噴き出した水も、凍りついたように宙で止まる。すべての動きが音楽とシンクロし、ブレイクするんだよ。最後には、飛び跳ねる猫たちが変形しながら、ストップ・ゴー、ストップ・ゴーをくり返すという、シュールな盛り上がりを見せて終る。
これを観ていると、森さんが言う「ニグロ的ねばっこさ」や、俺が感じるスウィング感ってのは、この「タメ」のリズム感なんだなあと思う。タメがあるってのは、ギクシャクしてるってことでもあるんだけど、それが独自のグルーヴやコクを生み出すんだよ。これは、流麗なクラシックを好むディズニーのメロディー志向とも、畳みかけるようなリズムを好むMGMやワーナーのスピード志向とも違う、フライシャーならではの個性だと思う。
ああ、今夜もボス猫の掛け声が聞こえる。「Hold It!」。俺の目から剥がれた鱗が、宙で止まる。

06.6.3 「これは現代美術ではない」
オモロイなあ、盗作。
いや、なっちでもタイゾーでもなくて、
アルベルト・スギの絵画をそっくりに真似た和田義彦による盗作事件。
オリジナルとパクった絵を並べちゃうと、これはちょっと言い逃れできないよね。
だって、そっくりだもん。模写というか、劣化コピー。
しかも、20枚くらいあるんでしょ。どうなってんだか。
スギ氏は、一緒に並べて展示してみろって言っているらしい。
壮観だろうな。オリジナルとパクりが、一同に会したら。
裏返して並べたら、「神経衰弱」ができそうだ。
さて、ニセモノにもいろいろあるけど、
俺の分類によれば和田氏の絵は、「ホンモノになりたがるニセモノ」ってことになる。
「ホンモノになりたがる」のは、
ホンモノであること自体に価値があると思い込んでいるからだ。
だから、あそこまでそっくりに描いちゃうんだと思う。
でもニセモノだからさ、結局、それだけじゃ足りないんだよね。
誰かに、ホンモノだっていうお墨付きをもらわないと成立しない。
なので、このニセモノが欲しがるのは、芸術性とか、賞賛ではなくて、権威だ。
ハクがつけばつくほど、ホンモノに近づけると思ってるわけよ。
文部科学大臣賞受賞、ぴったりじゃないか。
ところで、アルベルト・スギって画家を、俺は全然知らなかった。
名前の印象は怖いね。
なんちゃって外国人みたいな名前のせいで、この人のほうがニセモノに思える。
せっかく、ホンモノの威を借るなら、もっと有名な相手にすればいいのにな。
ピカソとか、ゴッホとか。
いっそ、モナリザにヒゲ描いちゃうとか、
キャンベルスープの缶をシルクスクリーンで大量に刷って並べるってのはどうだ?
俺の分類では、こーゆーのを「ホンモノをからかうニセモノ」という。


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