ホラ吹きじいさんがいてさ。酒場でビールを飲みながら、宇宙人や謎めいた発明や不思議な出来事を、毎晩毎晩語ってたんだよ。
その話ときたら、奇想天外な上に何度も話してるうちに尾ひれがついて、にわかに信じがたいもんでさ。
でも、見てきたように語るし、どうやらじいさん自身もそれを信じてるフシがあって、ついついみんな引き込まれてね。
まあ、常連たちは、「またじいさんのホラ話が始まったよ」って顔を見合わせるんだけど、新しい客が来るともう餌食。
じいさんが酔っぱらって眠くなるまで話に付き合わされる。ところがさ、そのじいさんが今年の3月に死んじまってね。
87歳だと。大往生って言ってもいい歳だから、俺たちも陽気に送り出してやったよ。
でも、あのじいさんの話が聞けなくなったら、なんか寂しくなってさあ。ときどき空を見て思うんだよ。
じいさんの話は全部ホントだったんじゃないかって。じいさんの話してた宇宙人やヘンテコな発明品は、全部現実のものだったんじゃないかって。
俺たちだって、世の中のことをホントにわかってるのか怪しいもんだからなあ。
じいさんの名前? R・A・ラファティっていうんだけどね。
SF界きってのホラ吹きじいさん(※1)。
「ラファティ」っていう鼻から息が抜けるようなトボけた語感そのままに、しれっとした顔でホラ話をかます。
今年の3月に享年87歳で他界しちゃったんですよ。なので、追悼ってことで、『九百人のお祖母さん』(ハヤカワ文庫)っていう短編集を紹介します。
SFなんてどれもホラ話みたいなもんじゃんって言われりゃその通りなんだけど、こんなSF作家は他にいないからね(※2)。
とにかくヘンテコな話のオンパレード。でも、いろいろヘンテコなことが起こっても、登場人物たちは慌てない。
いや、慌てる奴らもいるんだけど、一方に同じくらい、その不思議に対して無感動だったり、 超然としてたり、ぼんやりしてたりする奴らが出てくる。
もちろん、作者もことさら驚いてみせたりしない。当たり前の出来事みたいな顔をして語る。 なんだかネジがぶっとんじゃってる感じがするんだよ。
それが、凡百のSFと違うところ。
まあ、どこから読んでもいいんだけど、表題作の「九百人のお祖母さん」を読んでみよっか。
プロアヴィダスっていうアステロイドにやってきた調査隊。そのメンバーの一人、セランが「この星では誰も死なないらしい」って話を聞きつける。
で、プロアヴィダス人のノコマに質問をする。以下その会話(※3)。
「ノコマ、プロアヴィダス人は死なないという話を聞いたんだがね。ほんとうかい?」
「ほんとうでないはずあるの? もし死ぬならば、ここにいて、死なないという話できないね。
ああ、これ冗談、冗談。そう、わたしたちは死なないよ。
ばかばかしい外星人の習慣、わたしたち真似する必要ない。
プロアヴィダスで、死ぬのは下等生物だけ」
「きみたちはだれも死なないのか?」
「そう、あたりまえ。なぜだれが例外になりたがる?」
「しかし、すごく年をとったら、どうするんだ?」
「することだんだん少なくなる。エネルギー欠乏になるわ。あなたたちもおなじでない?」
「もちろんだ。しかし、ものすごく年をとったら、どこへ行く?」
「どこへも。家の中にじっといるわ。旅は、若者と働きざかりの人のもの」
セランには、ノコマの言ってることがさっぱりわからない。挙げ句の果てに、ノコマはこんなことを言うんだよ。
「わたしの家に、九百人のお祖母さんいると思う(後略)」
「で、そのご先祖はみんな生きているのかい?」
「どんなほかに? だれが生きてないものだいじにするの? どこにそんなご先祖あるの?」
長い引用になっちゃったけど、だいたい感じはつかんでもらえたかな?
このあと、セランはその一番の年寄りに会いに行くんだけど、その結果は読んで確かめてください。すごいことになってるから。
で、とりあえず、ここで僕が言いたいのは、この会話のかみ合わなさ。
この短編集にはいろんな宇宙人が出てくるけど、彼らには、人類のルールやモラルは通用しないんだよね。
ヘンテコで当たり前、人類じゃないんだもん。それを無理矢理常識の側に持ってこようとするとどうなるか?
コミュニケーション不全に陥る。どうにもこうにも、両者の会話はかみ合わない。
ルールが通用しないのは異星人に限らないのが、ラファティの怖いところ。
同じ地球人同士でも、コミュニケーションがとれなくなることがしばしば起きる。特に、手に負えないのが子供や田舎者だ。
ラファティは、残酷で憎たらしい子供が出てくる話もいっぱい書いているけど、狂気とかそーゆーんじゃないの。
どうも、別の論理で生きているみたいなんだ。彼らの「当たり前」と、僕らの「当たり前」には大きな隔たりがある。
うん、見えてきたぞ。僕らが人類のモラルって思ってるのは、実は大人の、それも都会人のモラルのことなんだな。
さて、「良識ある大人のルール=人類のルール」だとすると、でも、そんなのただのローカルルールじゃんって笑ってるのが、ラファティだ。
この人、地球人類の側に立ってない。地球の倫理は、ラファティからすれば、たくさんある倫理の中のひとつにすぎない。
地球だって宇宙規模で見たら、田舎かも知れない。だから彼は、宇宙人がヘンテコなことを言い出しても慌ててみせたりしないんだ。
「そんなこともあらあね」って、ノンシャラン。
これは、ある意味哲学的な問題だよね。冗談から始まる哲学レッスン。
「他人の目」っていう話では、他人の認識している世界を見ることができる機械が登場する。
他人の目を通すと、世界はまったく違って見える。すべてが官能に輝いている世界。すべてが幾何学的に捉えられええいる世界。あれやこれや。
それを発明した科学者は思い知る。同じ世界にいても、我々はまったく違う世界を見ているんだって。
そう、自分の「当たり前」は、他人から見たらクレイジーなものかもしれない。
まったく愉快じゃないか。その通り。我々は一つではない。
もちろん、絶望する必要なんてないよ。こんなに理解不能な世界が広がってるっていう、神様の冗談を楽しめるんだから(※4)。
ラファティの大笑いが聞こえる。
※1 「マーク・トウェインの流れをくむアメリカン・トール・テール(ホラ話)」なんてことを、よく言われてる。
あと、『ガリバー旅行記』のスィフトとか。
※2 とはいうものの、笑えるSFっていうくくりでは、『猫のゆりかご』のカート・ヴォネガット、『ソフトウェア』のルーディ・ラッカー、
『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスなんかがいる。笑いの質はそれぞれ違うけど、どれも僕は好きですよ。
※3 浅倉久志・訳。この異星人の微妙なカタコトがいいね。
※4 ラファティは敬虔なカソリック教徒。これについては、『地球礁』の柳下毅一郎の訳者あとがきに詳しい。
2002.10