相手を倒すようプログラムされたロボットがいる。
ロボットは、ヨシミっていう女の子と闘わなければならない。でも、こいつがヨシミに恋をしちゃうんだ。
で、悩んだロボットは、彼女の前で、彼女を殺すかわりに自殺してしまう。
フレーミング・リップス2002年の新作、『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』は、
そんなストーリーがベースになっている(※1)。
ジャケットを見ると、コロシアムみたいなところで対してる思しきピンクロボッツとヨシミのイラスト。
手塚治虫のマンガみたいな丸っこいロボットの絵。このコンピュータ時代に…。
B級SF風というか、パルプ雑誌の表紙風というか、イメージの中のチープな未来。
フレーミング・リップスは、何度もその音を変化させてきた。
ノイジーなギターをギュウウンギュウウンと弾いてた頃から、ストリングスを取り入れたり、サンプリングを駆使したり。
今回のアルバムでは、これまでで一番エレクトロニクスが多用されている。
すべての音はユーモラスに加工され、打ち込みのビートが鳴っている。で、そこでかき鳴らされる、アコースティックギターが印象的。
でもね、一貫して変わらないのは、メロディのドリィミーな美しさ。それもどこか歪んでいて、壊れている。いびつな白昼夢。
あと、もうひとつ変わらないのが、ウェイン・コインのヘロヘロとした不安定なボーカル。
地上1mをふわふわ漂っているような、頼りなげなボーカル。
ホントに崇高な美しさを目指すんだったら、この音の歪みやボーカルのよじれはジャマだよね(※2)。
にもかかわらず、ここの部分が僕は好きでたまらない。何だかね、可笑しいんだ。そして、何だか哀しいんだ。
一度、彼らのライブを観たことがある。ジュディ・ガーランドのセリフをサンプリングしながら、「虹の彼方へ」をカヴァーしてた。
フレーミング・リップスの描き出す白昼夢は、あの『オズの魔法使い』の人工的な色彩に似ている(※3)。
そう、彼らの音楽は、ハリウッドのミュージカルやディズニー映画のように、カラフルだ。
でも、ハリウッドの青空はホリゾントに描かれたニセモノの空だし、ディズニー映画の星は、セルに描かれたニセモノの星。
ライブでは、シアトリカルなパフォーマンスも見ものだった。
オモチャの鳩をあやつり、血のりを額からたらし、紙吹雪を降らせる。そ、鳩も血も雪も、みーんなニセモノ。チープな作りもの。
ニセモノは可笑しい。そして、ニセモノは哀しい。だって、ホンモノよりマヌケだから。まるで、オズの国のブリキのきこりだ。
フレーミング・リップスの音楽が、ファニーでメランコリックなのは、そんなニセモノの夢ばかり奏でているからだ。
そう、人間になれないピンク・ロボットは、彼らの世界そのものだ。
でもさ、僕らの日々が、そんなにリアルなものなんだろうか?
現実だってチープで薄っぺらなんだから、夢だってニセモノじみた白昼夢になるしかないじゃん。
こんなにメディアに囲まれてて、何がホントかなんてわかんない世の中で、
夢を見ようとすればするほど、それはチープになっていく。カラフルであればあるほど、いびつになっていく。
そして困ったことに、それが美しくて愛おしいものに思えてくるんだ。
やっぱり僕には、ファンタジーが必要だったりする。
悪いロボットと闘う女の子の勇気や、そして愛に目覚めちゃうロボットの純情が必要だったりする。
確信なんかどこにもないけど、夢を見せてくれよ。ウェインの声は、そんな風にむずがる子供のようだ。
♪君や僕は
未来を生きることにはなっていない
僕らには今しかない
いつだって今しかなかった
僕らには今しかない
これからもつねに今しかない
僕らには今しかない
「All We Have Is Now」
こんなシビアな現実認識から見る夢は、可笑しくって哀しくって、でもちょっぴり希望がある。
※1 ヨシミって名前は、ボアダムスのヨシミからとったとか。このアルバムにも、彼女は参加している。
※2 同じサイケデリックとかってくくりで語られがちな、マーキュリー・レヴやスピリチュアル・ライズドとの決定的な違いは、
この歪みのある/なしだと思う。マーキュリーやスピリチュアルの音は、美しいけどファニーじゃない。
※3 映画『オズの魔法使い』の主題歌が「虹の彼方へ」。歌っているのは、主演のジュディ・ガーランド。
愛らしい彼女の声を切り刻んじゃってるのが、彼ららしい。
それは例えば、同じ『オズの魔法使い』を下敷きに、グロテスクな恋愛映画『ワイルド・アット・ハート』を撮った、
デヴィッド・リンチに近いかも。
2002.9