超バター犬だって。トホホな名前。チョーがついても、しょぼっ。
それもチョーしょぼいんじゃなくて、かなりテキトーにしょぼっ。
いや、しょぼが悪いわけじゃあない。僕もしょぼだし、キミもしょぼだ。「世界に広げようしょぼだちの輪」。
ファンクなんて、ペニスのでっかい黒人さんの音楽だよ。
俺様はでっけえモノを持ってる男だぜ。今に見てろ、いつかでかいことをやらかすぜ。俺のメッセージを聞け!ってな。
ああ、強力な自己主張。男俺節。俺様イズムを発揮しないと、サヴァイヴしていけない国ってのがあるんだ。
一方島国ニッポンでは、そんなに熱くなることなんてめったないね。
バイオレンスな日常を送ってる奴もいるだろーけど、僕は違うんだ。もっと、ぬるーく生きている。
ぬるーい天国とぬるーい地獄を行ったり来たり。
そんなぬるま湯ジャパニーズにとって、ファンクは日常音楽じゃあない。
盛り上げ音楽っていうか、ハジけたいときの音楽。しょぼしょぼとした日々に、ちょっとスパイスを加えるもの。
でも、日本にはSUPER BUTTER DOGがいる。
日本語でファンクをやるってことは、差別や圧制を歌うことでも、
よだれのたれそうなイイ女について歌うことでもなくって、ウーロン茶や兄弟ゲンカについて歌うことなんだ。
しょぼいじゃねえか、コノヤロウ。そんなファンクは一気に日常音楽だ(※1)。
バター犬は、日本語で歌うことをあえて選んでいるに決まってる(※2)。
じゃなきゃ、「五十音」とか「LOVERS法」みたいな、ダジャレでできたような歌は歌えないもんな。
ダブルミーニングなんてもんじゃないよ、ダジャレ。
すげえ不幸があったら、「神様の冗談」何てことも言えるけど、日々の暮らしなんてしょぼいダジャレみたいなもんだよ。
それもあんまりできのよくないやつ。
で、『grooblue』だってさ。グルーヴとブルーのチャンポン語(※3)。
ブルーって言っても泣き叫んだりするそれじゃなく、深く静かな哀しみでもなく、
なんかヤ、なんかやりきれない、なんか切ない、そんな感じ。限りなくそこはかとないブルー。
にっちもさっちもどうにもブルードッグ。
終わり近くに「ナンモナイ」って歌が出てくる。
♪ホシイモノはだいたい 手に入れられるし
まちがいも無く スコヤカにそだってるし
リアルが何やかんや わめくほど 怒ってないし
ブルーに染まるのも それほど やじゃないし
幸せかもね
ホントに幸せか? あーあ、不幸が足りない僕らは幸せだって淡いんだ。
ちょと待って、甘ったれんなよ、飯が食えない国もあるんだぞ、病気で寝たきりの人もいるんだぞ。
それはそうだね、申し訳ない。もちろんそういうことがあるのは知っているけど、
でもやっぱりそれは僕にとっては非日常。自分の状態が不幸か幸せかわからないってのことの方が、リアルなブルー。
厳しい社会状況に対抗するために踊るのが黒人のファンクなら、
ぼんやりした空虚を生き抜くためのダンスがイエローの僕らにはよく似合う。
盛り上がるためのダンスじゃ満足できない。日常の中で、踊るように暮らしたいから、バター犬が必要なんだ。
だから、しょぼだちよ、しょぼいダンスを踊ろうじゃないか。
※1フィッシュマンズのレゲエも、スチャダラパーのヒップホップも、ニッポンサイズの日常音楽。
※2ズボンズがアメリカ行って英語でファンクをやったりするのは、そこに「本物」を見ているからだと思う。
逆に、日本で暮らしているバタ犬は、日本語でチマチマやらざるをえない。
本場のファンクから見たら「偽物」だけど、日本から見たら「偽物」の方がリアル。
※3ブ(B)とヴ(V)を混ぜちゃうあたりもニホンジン。
2001.12