♪どうにかなるかな?
金持ったら変わるんかな
誰かを守るために変われるかな
すぐに忘れるわ
こんなこと
「GUILTY」
のっけからこれだ。変わりたいんか、変わる気ないんか、どっちやねん(※1)。
くるりの歌は、いつももやもやした気分にさせられる。
2枚目のアルバム『図鑑』を初めて聴いたとき、正直、何を歌っているのかわからなかった。
歌詞が聞き取れないとかそういうことではなく、歌ってる世界はわかるのに感情がはっきりとした像を結ばないんだ。
悲しい歌なのか、楽しい歌なのかわからない。ただもやもやした、あいまいな気分が残る。
さらに、曲調があまりにもバラバラで、アルバム全体を通してのイメージも見えてこない。
途方に暮れる。
『TEAM ROCK』もそうだったし、最新アルバム『THE WORLD IS MINE』に至っては、
よりあいまいにイメージが拡散している。
ひとつの像を結ばないまま、様々な音や言葉が乱反射してる。どうにも、とらえどころがない。
だから、どないしたいねん。
でもこの感覚は、実は、僕には結構親しいものだったりする。あいまいな、とらえどころがない気分。
あるある、もう普通にあるね。
核となるものがない、ぼんやりした 空虚感。そんな気分によく似てる(※2)。
でも、そんなどっちつかずのぼんやりした気分でしか、世界とはつながれないんじゃないか。
くるりはどうも、そんな風に歌っているように聞こえる。
世界は、本質的にはバラバラであいまいでぼんやりしてるんだと。
だから、空っぽのまま世界をまるごと受け止めるのが、「世界を自分のものにする方法」だと。
ひとつのメッセージを高らかに宣言するような音楽は、わかりやすいよね。
でも、くるりは、ひとつの色に染め上げようとしない(※3)。
「AとBが合わさってCっていうよりよいものになる」なんて話じゃないんだ。
物語らないで、断片を散りばめる。
バラバラなものがバラバラのままある。
希望と諦念、高揚と倦怠、期待と不安、それぞれが境目もはっきりしないままそこにある。
例えば、ダンスミュージックってのは、そーゆーもんだと思う。
そこでは、「こうあるべし」っていう自分の核なんて邪魔なだけだ。
陶酔と覚醒を繰り返して、瞬間の連なりを踊るんだ。世界をまるごと受け止め、動き続けるんだ。
「水中モーター」って曲が好きだ。感情を歌わずに、ただくるくる回る運動だけがある。
もしくは、「WORLD'S END SUPERNOVA」のこんなフレーズ。
♪ラフラフ&ダンスミュージック 僕らいつも考えて忘れて
どこまでもゆける
考えて、忘れて、考えて、忘れて、断片だけをつなげていく。
「何ものにも拠らない」っていうことだけを、拠り所として回り続ける水中モーター。
それは、「どこまでもゆける」のかもしれない。
そう、僕だって世界とつながりたいんだ。でも、世界は多様であいまいで、わけがわからない。
だったら、わかったふりなんかしないから、全部欲しい。まるごと欲しい(※4)。
なんて、欲張りなんだろう。そういえば、「欲望を止めるなよ」ってフレーズもあったね。
うん、そうだ。「どないしたいねん」って訊かれたら、こう答えればいいんだ。
「どれもこれも全部!」
※1 『THE WORLD IS MINE』のジャケット、灰色の壁と思しき面に赤と青のペンで渦巻きが書かれている。
少しずれながら渦を巻く2本の線。これもまた、どっちやねん。
ちなみに、赤と青のペン2本をまとめて持って書くと、こういう風に書ける。
くるりのCDのアートワークは、この手の変な子供っぽさがあって、楽しい。
※2 春先ってこーゆー気分になりがちで、だからあんまり好きじゃない。
「春先メランコリア」って呼んでるんだけどさ。
毎年、くるりのアルバムが、冬から春にかけてのこの時期に出てるってのは、偶然だろうか?
※3 ボーカルの岸田くん、叫ばなくなっちゃったもんな。ひとつの想いや物語を、がーっと歌い上げたりしなくなった。
※4 余談だけど、近眼の僕は、コンタクトレンズをはずすともの輪郭がぼやけて見える。
ものとものを分けることができず、まるごと世界をつかまえるしかなくなるんだ。
岸田のメガネのことなどを、ふと考える。
2002.4