| 2009年11月30日 | |||||
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そこはとても大きな病院で、東病棟・西病棟・北病棟と分れていた。 東西病棟専用エレベーターに乗り目的のフロアで下りると、目の前はナースステーション。それを右に進めば東病棟、左に進めば西病棟だ。 たぶん、病棟はH字の形をしていて、そのセンターのブリッジ部分にエレベーターホールとナースステーションがあるという構造だと思う。 俺が入院することになったのは、西病棟の最上階の一番端にある4人部屋だ。H字で言うと左の縦棒の足もと。 点滴をつながれ、ベッドに横になる。病院の夜は早く、やがて夜9時の消灯時間がやってくる。 熱に朦朧としながら、シンメトリーの東病棟のことを思う。H字の右の縦棒の足もとでは、どんな人が横になっているんだろう。 どんな風にこの夜を過ごし、どんなことを考えているんだろう。 今、俺がこうしているように、西病棟のこの部屋のことを思い浮かべたりしてたらいいんだけど。 |
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| 2009年12月1日 | |||||
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点滴をぶら下げるキャスター付きの台、形が帽子掛けっぽいから仮に「点滴掛け」と名付けておくけど、 それをガラガラと引っぱったり押したりしながら、病院内を移動する。どこに行くときも点滴掛けを連れて行くのだ。 いや、俺だけじゃない。病院には点滴掛けを連れ歩く患者たちが、廊下にもラウンジにも至るところにいる。 夜更けに目覚め、点滴掛けを押しながらトイレに向かい、おしっこをする。点滴をしていると、その水分のせいでトイレが近くなるそうだ。 でもそれって、何だか点滴掛けが俺の体を通しておしっこをしているようなもんだよね。 そもそも、この点滴が俺に栄養を与えて生かしてるわけで、となると本体はこいつのほうかもしれないと思う。 点滴掛けに手を引かれ、俺はよろよろと歩いていく。廊下ですれ違えば、点滴掛け同士が会釈する。 ラウンジでは、点滴掛けたちがテレビを見ながらおしゃべりをしている。 この点滴がなくなってしまったら、俺はビニールの袋のようにしぼんでしまうんだろう。 |
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| 2009年12月4日 | |||||
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夜になると熱っぽくなり、体がゆらゆら揺れているような、変な感覚。ベッドが波打っているような気がしてくる。 やがてこの波に呑み込まれ、俺の体はずぶずぶと沈んでいく。7階の病室のベッドに沈み込み、どんどん深く潜っていくと、もうそこは6階だ。 6階のベッドにふわりと着地。ところが、そのベッドも波打ち始め、さらに沈み込んでいく。 5階、4階、どんどん深海へと潜っていく。 あたりを見ると、パジャマを着た患者たちが、水の中を漂っている。頭上の水面では看護士たちがボートに乗って見回りをしている。 ナースコールに呼ばれた看護士は、水中へ潜り患者を水の外へと引っぱり上げる。 そして、3階、2階…。俺はまだまだ潜り続ける。水中で揺らめいている掛け布団を体に巻き付け、通りすぎていく枕に手を伸ばす。 枕につかまり、ゆっくりと底を目指すんだ。そして、1階の廊下に降りてゆきそこでようやく、眠りにつく。 ああこれで、やっと揺れずに眠れる。というところで、起床時間。7階の水面へと引き戻されてしまった。 |
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| 2009年12月7日 | |||||
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何日かに1回の割合で、6時の起床と共に採血がある。 当然、そんな朝イチからしゃっきりできるわけもなく、朦朧としたままベッドに横になっている俺の腕に、 看護婦が注射針を刺し、試験官4本分くらいの血を手際よく吸い取っていく。 注射跡に脱脂綿をテープでピッピッと留め、看護婦は去っていく。 腕をだらんと垂らした状態で、俺はそのまま朝食時間までうとうととしている。 俺の血が、病院を運ばれていくところを想像する。何しろ大病院だ。しかも、俺の部屋は最上階の一番端だ。 血液の入った試験官は、ずいぶんと遠くまで運ばれるに違いない。 看護婦の手でキャスター付きの台に乗せられ、カラカラと廊下を移動し、エレベーターに乗り、検査室に運ばれ各専門医に手渡される。 そんな風にして、いろんな患者の血液が、病院中を駆け巡っているんだろう。 そうなると、病院はもはやひとつの生き物だ。注射針やチューブは、廊下やエレベーターは、血液の通り道だ。 体内を血液が巡るように、病院は多くの血液を巡らせ、せわしなく脈打っている。 いや、血液だけじゃない。様々な体液や、酸素や、栄養素が、大病院の廊下を通って端から端まで運ばれていく。 そんなことを考えているうちに、朝食の時間。ベッドにトレイが運ばれてきた。 |
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| 2009年12月9日 | |||||
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大病院の廊下は長い。俺の病室は一番端にあるんだけど、反対の端が遥か遠くに感じる。 眠れない夜、その廊下の向こうの端まで行ってみることにした。足音を立てないように静かに歩く。 夜の散歩は、どこか秘密めいていて楽しい。ああ、どこまでも歩いていけそうだ。 暗い病室をいくつも通り過ぎ、ナースステーションを何食わぬ顔で通り過ぎ、 工場を過ぎ、公園を過ぎ、森を抜け、丘を越え、やがて海へと出るんだろう。 でも、そうしたら、戻ってくる頃には夜が明けてしまう。そう思って、途中で引き返した。 |
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| 2009年12月12日 | |||||
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夜の病院は静かだ。そのせいで、寝ている人の物音が、よく聞こえる。寝返りを打ったり、鼻を鳴らしたり、人はいろんな音を出すもんだね。 俺のいる4人部屋でも、それぞれのベッドから音が聞こえてくる。 例えば、おならだ。俺がベッドの中で、「ぷぅ」とやる。すると、しばらくして隣のベッドから「ぷはっ」ってな音がする。 それに答えるように、別のベッドから「ぴしゅう」と音がする。違うベッドからも「ぶぶっ」と音がする。 まるで4人の男たちが、暗がりで囁きを交わしているかのようだ。 「起きてる?」「起きてるよ」「眠くなってきたわ」「あ、そう。じゃあ、俺も寝るか」、そんなおならたちの会話。 そして、そんな4人部屋に新たな患者がやってきた。 夜になってわかったんだけど、その人はえらく大きないびきをかくんだよ。 まるで動物が吠えているかのような、他の物音をかき消す「ぐおおおがごごご」といういびき。 残酷なのは、いびきの本人だけがぐっすり眠り、それ以外の3人が寝られないということだ。 結局、いびき男は、2日で別のベッドに移動することになった。 そして久々に静かな夜、俺らはおならで囁き合い、喜びを分かち合ったのだ。 |
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| 2009年12月15日 | |||||
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ベッドを仕切るカーテンは、まるでサーカスのテントのようだ。 眠れない夜は、このテントのなかで繰り広げられるサーカスを眺めていると、自然と眠りに落ちるんだよね。 猛獣使いのしなる鞭や、放り上げられるジャグリングのピンや、踊る女の揺れる胸が、催眠術のように俺を徐々に眠りへと誘う。 空中ブランコがゆーらゆーらと揺れる。綱渡りの長い棒も揺れる。寝返りを打つと落っこちちゃうから、息をひそめてじっと見ている。 あ、玉乗りしながらピエロの登場だ。次々とピエロが出てきて、輪になりステージを回り出す。 ピエロが1人、ピエロが2人、ピエロが3人…。もう、どこが始めかわからなくなってくる。 ピエロが15人、ピエロが16人、ピエロが17人…。ああ、数えてもきりがない。きりがない。きりがな…。ZZZZ…。 |
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| 2009年12月19日 | |||||
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いよいよ退院の日だ。いやあ、長かった。何だか長い夢を見ていたような気分だ。変化のない毎日だった。 何人もの看護婦が入れ替わり立ち替わり現われ、似たような味の煮物を食べ、同じ時間に起きて同じ時間に寝る、白々とした毎日。 採血の赤だけが、そこに句読点を打つ。 でも、退院するときは思いのほかあっさりだった。「え、もういいんですか?」「はい、どうぞ」「あ、じゃあ、お世話になりました」。 自転車を漕いで家に帰る。ペダルを踏む足が、自分の足じゃないみたいだ。ふわふわとしていて、今ひとつ実感がない。 家に着いても、妙な違和感を感じる。何をどうしたらいいか、よくわからない。 でも考えてみれば、俺の普段の毎日だって、変化のない白々とした日々じゃないか。 ふわふわとしたまま、家でぼーっとしているうちに夕方。未だ夢の中。 |
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