・個人の問題の集積ではない社会問題
・社会問題の社会構築主義(Social Constructionism)的アプローチの特徴(客観的状況と問題とは別のもの)
・発表者の関心とねらい
@ アメリカにおける児童虐待問題の経緯
●1960時代初頭;問題の構成過程 −問題がセンセーショナルに提起−
・1962;小児科医ヘンリー・ケンプによる「打撲児症候群」
・1963−67の短期間に、児童虐待通報法の全州での制定(通報義務)
・1967;全米で通報件数1万件(うち実証されたもの60%)
●1970時代;問題の維持過程 −対策の進展と通報の爆発的増加−
・1972;児童虐待の防止と対策のための全米センター設立。74年、児童虐待防止対策法の成立(罰則あり)
「児童の虐待・放置の全米対策センター National Center of Child Abuse and Neglect(NCCAN)」の設置
・1976;通報件数66万9000件(実証されない通報の割合が35%)
・1977;国際学会、ついでジャーナルの刊行
●1980年代半ば;問題の変容過程 −性的虐待の発見と、バックラッシュ(反作用)−
・「児童虐待問題対策」そのものへの批判の噴出(手のひらを返すマスコミ)
・1983;マクマーティン保育園、次いでジョーダンでの集団性的虐待事件をきっかけに
ヴオーカル(victims of Child Abuse Laws;児童虐待関連の法律の犠牲者の会)が発足
・1985;実証されない通報の割合が65%に−多すぎる通報、「減ってきた」という調査結果の圧殺−
・1986;通報件数208万6000件
・1991;精神医学者リチャード・ガードナー、「性的虐待」を過去最悪の社会的ヒステリーとして告発
・1994;通報件数314万人。子ども1000人に47人の割合に
注) マクマーティン保育園事件:ロサンジェルス郊外のマクマーティン保育園における、
教師による性的虐待裁判事件。教師全員に嫌疑がかけられ、200以上の家族がインタビューを
受け、400人のこどもの診察と心理チェックが行われ、7年の調査と1600万ドル以上の費用が
かかったが、結果的には一つの有罪も取れなかった
ジョーダンでの集団性的虐待事件:ミネソタ州ジョーダンでの集団性的虐待事件。集
団で子どもたちを性的に虐待した容疑で、60人の大人に嫌疑がかけられたが、1人 が有罪に
なっただけで告訴取り下げになる。FBIの調査で、性的虐待における捜査方法の問題点が次々
に明るみに出る
言説:ディスコース。ある集団、ある研究領域、法律や専門家、国家や文化全体において、
共有され制度化された語り方や記録の仕方(M. Foucault,1975)
A 定義の変遷とパフォーマーの役割交代
<定義>
1960時代 養育者による3歳以下の子どもへの暴力と、そこから結果する身体的な怪我
1974 「18歳未満の子どもに対する身体傷害、精神的傷害、性的虐待、放置的扱い
その他不当な扱い」(児童虐待防止対策法)
<主たるパフォーマー>
1960年代 小児科医、放射線科医
1970時代中期まで 小児科医、放射線科医、議員、官僚
1980年代 ソーシャルワーカー、精神科医、心理学者
1990年代 精神科医、心理学者
B アメリカにおける児童虐待「問題」をめぐる議論
・医療対象化の是非に対する議論
原因帰属論争「心の問題か貧困の問題か」1970年代
医療メタファーのアポリア(疑わしきはなんでも虐待)
セレクティプ・サンクション(選択的な制裁)
*虐待が問われる時、どの地域の、どの人種の…といったことが疑義構成の要素になる
・家族を潜在的マーケットとする専門家集団への批判
膨大な連邦予算と時間を投下したのに、いっこうに減らない。むしろ増加の一途
児童福祉「産業」にとってなくてはならない「虐待」−暗数のレトリック−
・子どもにとっての最善の利益に関する論争
「半ば強制的な介入政策によって子どもの最善の利益が達成される」
↑↓
「子どもの利益は、家族が外部からいちいち監視されずに自立的な単位として尊重される
ことによって、もっとも効果的に達成される」
児童虐待をめぐる言説の特徴(非行問題をめぐる言説とパラレルに)
・児童虐待は増加・深刻化している
・現代家族の孤立化や機能不全にその原因がある
・幼いときに虐待された体験と、自分の子どもを虐待することは関係している(世代間で虐待が受け継がれていく)
・貧困と言うよりも、個人の内面の問題が原因して起こる
・早期に発見して、カウンセリングなどをすれば解決しうる
・現代社会においては、どの家族で起こっても不思議はない
・(ゆえに)専門諸機関の連携による早急な社会的解決を要する、深刻な問題である
→ いずれも検証されていない、あるいは検証が求められない。ではなぜ、このような言説が成立したのか
家族=問題発生、福祉・医療=問題解決という図式が一方的に定義される
増加と対策を主張していさえすれば、その根拠も資格も問われない
・貧困(階層問題)とその文化的再生産(階層との相関はあまりにも明白なのに)
・家族の自律性、子育ての自律性、家族のプライバシー
・「健康⇔病気」次元に還元される「生」のありよう(なんでもかんでも「ビョーキ」)
・子どもの育つ環境がシステムのネットに組み込まれていく現代的統制装置の姿
地域→学校→家庭→そして…
・家庭の文化の問題か、それとも即時の介入を要する客観的な問題状況か
・地域で防止するのか、それとも専門機関にまかせるのか
・誰にとっての問題か
・情報の客観性の確保の問題
・処遇のデザインと、それへの自縛
・医療問題化、心理学的個人還元から一定の距離をとる
・センセーショナルな限界ケースによる一点突破全面展開の戒め
・メタ分析(異なった立場(メタポジション)からの分析)→個人に還元されない問題の析出
・「なぜ虐待をしなくなったのか」。虐待からの離脱についての調査
・質的調査手法の高度化(客観的で、評価可能なデータを求める手法)
・保護者による不服申し立て手続きの確立
・「今、子どもがアブナイ」と定義せざるを得ない大人側の不安とは何か?
こどもを学校や家庭から「救いだし」、何重にも細かい網をかけていく保護(統制)システム
言葉きれいな「ネットワーク」の恐ろしさ
・ぜひとも読んでいただきたい文献 「児童虐待の社会学」、上野加世子著、世界思想社、1996