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 きのう読んだ本

241‐250-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
 

2009.9.10
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250 長部日出雄『富士には月見草』

を、9月9日22時40分、自宅で読了しました(2009年5月1日新潮文庫・420円)。

サブタイトルに「太宰治100の名言・名場面」とあるように、右のページには太宰の作品から抜き出した文章が、左のページにはその文章に対する、著者の長部氏の注釈と、関連する事柄が記述されている。著者は「あとがき」で、「生涯をかけて抽出した太宰文学のエッセンス」だと書いているが、左のページは著者の太宰論のエッセンスだといえる。太宰の作品と太宰論を同時に読めるという、充実した読書体験ができる本だ。

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2009.9.6
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249 村上春樹『1Q84』

を、9月5日00時30分、自宅で読了しました(2009年5月30日新潮社刊・上下各1890円)。

生い立ちに問題を抱えているために、「顔の表情が極端に乏しい」(上25ページ)青豆(女)と、同じように、一歳半のとき目撃した母親の記憶に襲われて、「発作」を起こす(上33ページ)天吾(男)の、出会いと別れの物語。二人の生い立ちとその後の生き方に、作者は「現在」を象徴させているようにみえる。そしてやはり、「表情というものが欠落」(上421ページ)している、「ふかえり」という少女が書いた、『空気さなぎ』という作品がつくりだす世界の中で、二人は過去の出会いをもう一度、現在の出会いとして体験しようとしているかのようにみえる。しかし、青豆と天吾の現在(1984年)が、鮮明なイメージを喚起するのに対し、『空気さなぎ』という作品がつくり出すもうひとつの現在(1Q84年)が、限定されたイメージしか喚起しないのは、「現在」という「いまここ」が、未来のイメージを思い描くことを許さないからだろうか。青豆も天吾も周期的に、肉体的なセックスしか求めないのも、そのことを物語っているような気がする。

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2009.8.10
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248 齋藤孝『若いうちに読みたい太宰治』

を、8月8日20時50分、つくばエクスプレスの車中で読了しました(2009年5月10日ちくまプリマー新書・819円)。

太宰治は十代、二十代で、もっとも共感できる作家ではないかと述べた上で、著者はとくに十代の人に太宰の作品を薦めたいとしている。「いつも世間を気にしているのが太宰治です。」「「世間」とは何かというと、人です。」(103〜104ページ)と、太宰を 的確に捉えた言葉もあるが、全体的には「共感」ということに比重がおかれているため、情緒的な言説になっているような気がする。

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2009.7.26
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247 麒麟・田村裕『ホームレス中学生』

を、7月25日21時00分、つくばエクスプレスの車中で読了しました(2007年9月30日ワニブックス刊・1365円)。

中学生のホームレス生活を記した本というより、母と母の死について語った本といったほうがいいと思う。母について語ると、どうしてこんなに生き生きと描けるのだろうか。生き生きと描けてしまうということが、普遍的な問題なのかもしれない。

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2009.7.17
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246 柳田国男『明治大正史 世相篇(下)』

を、7月16日22時30分、自宅で読了しました(1976年6月30日講談社学術文庫)。

下巻には、酒、恋愛、家、商業などに関する、興味深い話が記述されている。例えば、死者について、もとは朽ちてなくなるものとして、人のいない遠い谷の奥などに隠して、自然に返すようにしていた。それが今では、里近くに石を立てて墓とすることにより、かつては「忘却方法」であったものが、「永久の記念地」と化していると言う。死者に対する意識は、現在も変化の過程にあるのだと、認識させてくれる。

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2009.7.14
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245 小西行郎『赤ちゃんと脳科学』

を、7月13日22時20分、自宅で読了しました(2003年5月21日集英社新書・672円)。

脳科学の本なのか、育児の本なのか、それとも、脳科学を育児に生かそうとした本なのか、統一した印象が得られなかった。たとえば、母親の感情が胎児に与える影響について、脳科学の知見が紹介された後、母親の感情はある程度子どもに伝わるが、そのことを心配するより、無事に出産することを考えるのが先決だと書かれている(77ページ)。こういう記述を読むと、脳科学の知見を紹介する必要性があったのだろうかと、疑問に感じてしまう。

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2009.7.4
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244 井上荒野『切羽へ』

を、7月3日23時30分、自宅で読了しました(2008年5月30日新潮社刊・1575円)。

小島の小学校で、養護教諭をしている主人公のセイと、東京からきた新任教師石和の、恋心の行方が描かれている。しかし、主人公の夫や、同じ小学校の教師月江、そして老婆のしずかさんといった人物が、主人公と同じような、あるいは主人公以上の比重で存在しているため、二人の恋の物語は中心から周辺へと、拡散してしまっているような印象を与える。

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2009.6.21
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243 上野千鶴子『おひとりさまの老後』

を、6月20日11時30分、自宅で読了しました(2007年7月12日法研刊・1470円)。

老いも死も、避けることはできないという意味で、普遍的な課題だといえる。著者は老後の暮らしについて、「せっかく歳をとって世俗的な利害から離れているのだもの、もうイヤな相手とがまんしてつきあう理由はない。」(109ページ)と書いている。しかし、老いも死も、「世俗的な利害」の延長としてあるからこそ、誰にとっても普遍的なのではないか。老いや死を、「世俗的な利害から離れている」としたことが、この本を、読む者の実感から遠ざけてしまった理由ではないだろうか。

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2009.6.7
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242 佐藤江梨子他『女が読む太宰治』

を、6月6日20時30分、自宅で読了しました(2009年5月10日ちくまプリマー新書・714円)。

12人の女性が、太宰と太宰の作品について語っている。この本全体が、「太宰治という男」に向けたラブレターのような印象が強く(井上荒野と中沢けいを除く)、太宰も太宰の作品も、それぞれの著者の情感の背後に、隠れてしまっているような気がする。

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2009.5.25
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241 吉田六郎『作家以前の漱石』

を、5月24日12時30分、自宅で読了しました(1966年5月30日勁草書房刊)。

昭和17年の著作。漱石が『猫』を書き始めるまでの、二十四歳から三十八歳に至る期間を、対象にして論じた本。漱石が強く求めていたのは、母の懐に抱かれているような、「主客融合の歓喜」で、そこに漱石の精神の根本があると、著者は述べている。そして、漱石の作品や神経衰弱が、そうした「歓喜」を強烈に求める心から生じたものであることを明らかにしている。漱石という存在と作品の奥にあるものを、手に取るように示してくれる。この本を読むと、漱石の作品が無性に読みたくなる。

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