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 きのう読んだ本

  ★[287]冊目からは、面白かった本だけを採り上げ ています。(2010.8)

301‐310-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
 

2015.12.14
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310 網野善彦『東と西の語る日本の歴史』

を、12月12日17時30分、自宅で読了しました(1998年9月10日講談社学術文庫・1188円)。

東日本と西日本の違いについて書かれた本(原本は1982年刊行)。東日本と西日本の間で人口の移動が少ない例として、「東−西」間の男女の婚姻率(昭和40年代)は一割にも満たないのに、「東−東」間、「西−西」間では約九割に上ること。また、東に生まれて西に住む人が1パーセント、西に生まれて東に住む人が2パーセントであるのに、東に生まれて東に住む人・西に生まれて西に住む人は97パーセントであるというデータを著者は紹介している。

著者はまた、考古学からみた東西日本の違いについて、以下のような具体的な事実をあげている。東日本と西日本では旧石器時代から、石器の作り方や形などに違いがあり、東西日本の文化の違いは二万年前に根を持っている。西日本の縄文時代の遺跡は貧弱で、東日本が圧倒的に複雑・多様な縄文文化を生み出しており、縄文時代の東日本優位は疑いない。縄文中期の日本列島(北海道をのぞく)の人口は約二十六万人だが、西日本には約二万人(7.7パーセント)しかいなかった。

縄文時代までは東日本が先進地域で、西日本は後進地域だったが、弥生文化(水稲耕作・鉄器・青銅器)が北九州に流入するにおよんで、この状況は一転する。弥生文化は数十年の短期間で西日本一帯に伝播するが、名古屋・丹後半島まで広がったところでいったん停止してしまう。その結果、弥生時代前期は、西日本=弥生文化、東日本=縄文文化という著しい違いが百年以上続くことになる。

著者はこのことについて、後年の東日本と西日本の、民俗・社会構造の差異の基底はここにあるとする。東日本=先進、西日本=後進という縄文時代までの関係はここにいたって完全に逆転し、その後の歴史をさまざまのところで規定していくことになるという。東西の社会構造の違いについては、この後、中世を中心に詳細に記述される。

大和朝廷(西日本)による日本列島の征服は、徳川家康の東軍が西軍に大勝した関ヶ原の戦いによって、歴史上はじめて東国国家が西国国家を征服するまで続くことになる。著者は最後に、東日本と西日本の違いの大きさからみて、「東国と西国が分裂し、別個の民族となり、国家となった可能性も、大いにありうる」(312ページ)ことだったと書いている。

この本を読んで、東日本と西日本の違いの大きさと根の深さに驚いたのと同時に、日ごろ何となく感じている東と西の違いについて根拠を示されたような気がした。この本が出てから三十年以上経過しているので、その後の状況の変化を知りたいと思う。

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2015.12.10
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309 W.T.ガルウェイ『新インナーゲーム』

を、11月11日10時00分、自宅で読了しました(後藤新弥訳、2000年7月4日日刊スポーツ出版社・1404円)。

テニスの上達方法について書かれた本だが、著者も述べているように、さまざまな分野において自分の能力をフルに引き出すための考え方が示されている。テニスプレーヤーに最大能力を発揮させることを妨げているのは、プレーヤーが自分自身に「しっかりやれ」「いいぞその調子」というようなことを話しかけていることだという。テニスの上達を望むならば、自分の思考、判断、心配、恐れ、希望、頑張り、後悔、焦りといった活動を鎮めて、自分の習得・実行能力を連続的に拡充することを目標にすべきであるとされる。

そのためには「リラックスした集中状態」が必要とされ、それは自分の注意の焦点を何かに絞り込むことによって心を静かにし、心を「いま、ここ」に保つことによって得られる。そして、「リラックスした集中状態」が得られなければ、テニスやどんな行為でも、個人の最大の力を発揮することはできないという。

自分の注意の焦点を絞り込む対象は、テニスであれば目で見えるボールの姿に絞り込むこと、しかも、微妙で見えにくいものを選ぶのがいちばんで、たとえばボールの縫い目に絞り込むのがいい。心が縫い目に占領されると、さあ頑張るんだと力むことも忘れて、心は肉体の自然な動きを妨害しなくなる。ボールの縫い目は「いま、ここ」にある対象だから、心がそれに焦点を絞り込んでいる限り、心が過去や未来に飛ぶこともなくなり、「リラックスした集中状態」が得られるという。

集中力の途切れを起こす最大の要因は、未来に対する心配と過去に対する後悔である。たとえばボールの縫い目に集中することは、心を「いま、ここ」に釘付けにすることだから、未来や過去に向けられた思考は「いま」に引き戻されるという。

この方法を習得すると、すぐにしかも自動的に、人生の全局面で活用できる。そして、たとえばテニスの試合の勝ち負けとは関係なく、「人はほっとする何かを深く感じるはずだ」と著者は述べている。

テニスに限らず、勝っても負けても、あるいは成功しても失敗しても、「ほっとする何かを深く感じる」ことができるならば、恐れることも、緊張することもなくなるのかもしれない。この『新インナーゲーム』という本を読むという行為によって、「いま、ここ」に釘付けにされた心が、「ほっとする何か」を感じていたことは確かなことのように思える。

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2015.7.7
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308 末木文美士『日本仏教史』

を、6月30日10時00分、自宅で読了しました(1992年9月1日新潮文庫・590円)。

サブタイトルに「思想史としてのアプローチ」とある。日本の仏教はインドで発祥した仏教を中国経由(漢文)で受け容れたため、二重、三重に屈折したものに変容しているという。さらに、日本に伝来してからも変容が大きいため、もともとのインドの仏教とどうつながるのか、その道筋が「糸がこんがらかったようになっている」という。

著者はその道筋を、初期の南都六宗から、平安仏教(最澄・空海など)、鎌倉新仏教(法然・親鸞・道元・日蓮など)を経て、儒学などに思想としての主流の座を明け渡す江戸時代の仏教に至るまでの過程としてスリリングに描いてみせる。そして、神仏習合なども外来思想の受容・変容の問題として捉え、「糸がこんがらかったようになっている」日本仏教(宗教)の姿を確かなイメージとして描出してくれる。

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2014.6.17
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307 中沢厚『石にやどるもの』

を、6月6日13時40分、大戸屋(親子丼783円)で読了しました(平凡社1988年12月12日・3,456円)。

この本はサブタイトルに「甲斐の石神と石仏」とあるように、山梨県にだけ集中して存在するという丸石神を中心に、山梨県の道祖神や石仏について書かれたものである。

佐藤宗太郎の写真集『石仏の美』を見たときは、その石仏写真に衝撃を受けていたので、現実の石仏を見にいこうという気はそれほど起きなかった。写真で表現されている石仏を見ることで、満足していたといえる。

ところが、中沢厚の『石にやどるもの』を読むと、なぜか、現実の丸石神を見にくるようにと誘われているような気がしてくる。この本に収録されている、山梨県三富村広瀬や芹沢の丸石神の写真が、その気にさせることは事実である。そして、そのことと同時に、中沢厚の文章が、現実の丸石神を見にくるように誘っているように思える。

吉本隆明はこの本の著者について、『新・書物の解体学』(1992年メタローグ刊)で、「一個の独特の記述のスタイルをもったいい文章家でもある」(p52)と述べている。そして、「久しぶりに散文で書かれたいい全詩集一冊を読みおえた気がした」(p56)と、この本を評している。

ところで、中沢厚はこの本の中で、「へんてこな馬頭観音」(p208)との出会いについて、「私の石仏観を変えた」(p209)として、次のように書いている。

「どういうふうに変えたかといえば、ひと口にいって野仏の、内なる声をよく聞こうという気持ちが生まれたのである。石仏を刻んでそこに置いた、庶民の生きざまを考えることがなくてはなんにもならぬではないか、と。
(略)
 仏典の儀軌にてらして説明することは、石仏研究の出発点としてはむろん重要だ。しかし馬頭観音に限らず、諸石仏を路傍に残した庶民信仰というものは仏教ではない。それはひどく重層的であり、関連的であり、気ままなものである。外観・分布にも石仏にまつわるさまざまな民間信仰のあり方を加味して理解せねばならないし、信仰の推移をきわめ、なおかついろいろに推論して、その神髄にせまらねばならない。」(p209〜210)

「へんてこな馬頭観音」とは、この本に写真も掲載されているが、地蔵の頭上に、不釣りあいに大きい馬頭がのっかている、芸術作品とは義理にもいえないものだと、著者は述べている。しかし、その馬頭観音には「石の仏の温かさ」(p209)があって、そのときから、「野仏の、内なる声をよく聞こうという気持ち」が生まれたと書いている。

著者によれば、「仏典の儀軌」にかなった本来の馬頭観音とは、荒々しい忿怒の相で、忿怒相の象徴たる燃え上がる焔髪をいただき、その焔髪の正面に馬頭が彫ってある、人間救済のための仏教仏である。しかし、山梨県などの路傍の馬頭観音では、焔髪はオカッパ髪やおさげ髪に変わり、忿怒相は温顔に変わっている。江戸時代の馬飼いの人々の創作仏で、馬属の救済仏に変わっているという。

仏道の馬頭観音と路傍にある野仏の馬頭観音は、名称は同じでも別物だとして、著者は野仏の馬頭観音について次のように述べている。

「馬飼いの庶民が馬頭観音を野に立て、死馬を供養したということは、彼らが仏教よりも広い世界をもっていたことであり、仏教を高めたといってもいいのである。」(p210)

路傍の馬頭観音に対して、「仏教よりも広い世界をもっていた」「仏教を高めた」と、著者は述べている。山梨県にだけ集中して存在する丸石神に対する著者の見方が、野仏の馬頭観音の見方にも反映しているように思える。丸石神について、著者は次のような仮説を立てている。

「日本列島の中部山岳地帯には、文化度の高い集団グループが住んでいた。彼らの勢力、特に文化は列島の西にも北にも及んでいたが、丸石信仰は彼らの中で発生し、そして尊崇されていた文化である。生活集団の繁栄を保証する神、生殖神たる性格があったのかもしれない。そうして比較的平穏な長い時の経過ののちに、列島の西方から権力集中の変動が始まった。紆余曲折の末、結果的に権力を握ったのが、大陸文化で武装した九州方面の土着グループか、それとも、山陰地方を通じて朝鮮と深くかかわりをもった大和地方のグループか、あるいは朝鮮海峡を押し渡って日本列島を席巻した北方騎馬族の一団か、はたまたそれらの協力態勢によって成立をみたかは別として、とにかくそんな変動の中で事態は一変したにちがいない。
 中部山岳地方の勢力が減退し、その文化的影響も逐次後退した。しかし丸石信仰を自らの生活の中から生み育てた人々は、その後千年も二千年も、借りものの文化でない証しとして丸石神を残し、今日まで丸石信仰の命脈を保ったのではあるまいか。」(p326〜327)

「丸石信仰の起源は石器時代に求めるべきた。」(p326)という、著者の仮説を受け入れるとすれば、丸石信仰は原始からの信仰として、仏教などの宗教に組み込まれることなく、現在まで生き残っているということになる。

そうだとすれば、仏道の馬頭観音が丸石信仰の力によって、仏教以前の姿に変えられることは必然的なことのような気がする。仏道の馬頭観音は路傍の馬頭観音として、焔髪はオカッパ髪やおさげ髪に、忿怒相は温顔に変えられてしまう。日本に仏教が入ってくる以前からあって、現在も生きているという丸石信仰の力が、仏道の馬頭観音を路傍の馬頭観音として「へんてこな馬頭観音」に変貌させたからではないだろうか。

丸石信仰の起源は謎であるかもしれない。「散文で書かれたいい全詩集一冊」(吉本隆明)という夢なのかもしれない。

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2014.5.30
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306 佐藤宗太郎『石仏の解体』『石仏の世界』

を、4月27日10時00分、自宅で読了しました(『石仏の解体』1974年9月15日学芸書林、『石仏の世界』1982年3月5日東京書籍)。

大学浪人だった、18歳のときのこと。本屋でたまたま手にとった、佐藤宗太郎の写真集『石仏の美』は衝撃的だった。この写真集を見なければ、石仏に関心を持つことはなかったに違いない。

石仏それ自体に衝撃を受けたということではない。この写真集の「石仏写真」でしか表現されていない、「何か」がそこにはあって、その「何か」に私の心が感応したのだと思う。その「何か」とは?

こんど、佐藤宗太郎の『石仏の解体』と『石仏の世界』を読んで、その「何か」が少しは分かったような気がした。

『石仏の解体』の中で、著者は、石仏の内面性を把握するために、視覚と触覚を使って、石仏を見たり、触ったりして、石仏と接触を重ねてきたと語っている。私もまた、『石仏の美』という写真集によって、石仏写真を見る(視覚)という行為を通じて、石仏の肌触り(触覚)のようなものを感じとっていたように思う。大学浪人という宙ぶらりんで孤独な心が、石仏の肌触りによって、慰藉されていたのかもしれない。

もちろん、このことだけでは、『石仏の美』という写真集に衝撃を受けた理由を説明したことにはならない。著者はさらに、石仏(仏像、仏堂)とは、聖なる世界が現実の俗的世界に凸起したもので、人は聖なる世界を志向することによって、自己の俗なるものが浄化されるのを感じると述べている。私の受けた衝撃とは、大学浪人という気ままだが宙ぶらりんな生活(現実の俗的世界)が、この写真集の石仏が発散している聖なる世界に触れて、一瞬、浄化されたという体験だったのかもしれない。

また、佐藤宗太郎は『石仏の世界』で、石仏とかかわるということに関して、次のように書いている。

「石仏を愛好するということと、石仏を研究するということは、もともとそんなに違うものではない。石仏にかかわるという位相ではまったく等しい。愛好するから研究する場合も多々あるのだ。ただ石仏という存在に対して、やや受身で接する場合は、「愛好的」といえるし、やや攻撃的に接する場合を「研究的」といって分けることはできるかもしれない。問題は「愛好的」であるか「研究的」であるかにあるのではない。接し方が深いか浅いかが問題なのだ。」 (p53)

石仏を見ながら、石仏を見ている自分のことを中心に考える(愛好的)か、石仏を見ながら、石仏のことを中心に考えるか(研究的)という、意識の向け方の違いといってもいいかもしれない。私が大学浪人のとき、石仏写真から受けた衝撃は「愛好的」だといえる。石仏に対する関心より、自分の心の動きの方に関心を向けていたからである。

石仏のことを語ることが、同時に自分のことを語っているような、そんな石仏の見方ができれば理想的ではないかと、現在は考えている。

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2013.12.27
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305 ドストエフスキー『罪と罰』(上・下)

を、12月11日15時10分、自宅で読了しました(工藤精一郎訳、1968年6月5日新潮文庫、上780円・下820円)。

主人公のラスコーリニコフはあるときから、不安な気持ちに悩まされるようになって、世間から隠れるように暮らしていた。人と会うことを恐れ、仕事もすっかりやめてしまっていた。

ラスコーリニコフは高利貸の老婆とその妹を殺してしまうが、ラスコーリニコフに殺人を犯す具体的な動機や理由があるわけではなかった。ラスコーリニコフは次のように考える。人並みを出ている者、つまり何か新しいことを言う能力のある者は、犯罪者たることをまぬがれない。そうでなければ人並みを出ることは難しいし、人並みの中にとどまることは賛成できない、と(上、p455)。こうした考えは、作品の言葉で言えば「傲慢」ということになるが、ラスコーリニコフのこのような「傲慢」が殺人の動機であるといえる。

作者はこの作品で、ラスコーリニコフはなぜ殺人を犯したのかということを問うてはいないような気がする。殺人(罪)を犯した者の心の動きを問題にしたかったのではないか。ラスコーリニコフの殺人に、具体的な動機や理由がないのはそのためであるように思える。

ラスコーリニコフが、人並みの中にとどまることができないという「傲慢」から、老婆を殺したとすれば、ラスコーリニコフに罪の意識がないのは当然かもしれない。殺人によって、人並みを出ることができたと考えているからである。

ところが、ラスコーリニコフは予審判事に追いつめられ、さらに「傲慢」とは無縁な少女ソーニャに説得されて、警察署に自首する。

ラスコーリニコフはシベリアに流刑される。ソーニャはラスコーリニコフと一緒に、シベリアまでついてくる。ラスコーリニコフはある日の夕暮れ、自分が病気で入院している病院の門のそばに、ソーニャが何かを待っているように佇んでいるのを病室の窓辺から見る。そのソーニャの姿を見た瞬間、ラスコーリニコフは「何かが彼の心を貫いたような気がした」(下、p575)と感じる。ラスコーリニコフは退院後、ソーニャの足もとに倒れこんで、泣きながらソーニャの膝を抱きしめる。作品には、「愛が二人をよみがえらせた」(下、p578)と書かれている。

ラスコーリニコフは、自分が否定していた、どこまでも人並みの中にとどまろうとする人(ソーニャ)に救われる。自分が否定していたこと(人並みの中にとどまろうとすること)に救われることによって、ラスコーリニコフの「傲慢」(人並みを出ていこうとすること)は打ち砕かれる。「人並みを出ていこうとすること」自体が罪だったことを、ラスコーリニコフは悟ったのではないだろうか。

ラスコーリニコフはソーニャを苦しめた償いをしようと考える。自分の「傲慢」が、ソーニャを苦しめていたことに気がついたからだと思える。そして、過去の苦しみも、罪も判決も流刑でさえ、他人事(ひとごと)のように思われると、ラスコーリニコフの心境が語られる(下、p579)。

この作品で問われていることは何だろうか。犯罪(老婆を殺したこと)ではなく、「傲慢」自体が罪悪であることが問われているのではないだろうか。「傲慢」は犯罪にまでつながってしまうし、犯罪を正当化さえしてしまう、と。ラスコーリニコフが、人と会うことを恐れ、世間から隠れるように暮らしていたのも、その「傲慢」のせいであるような気がする。

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2013.9.27
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304 夏目漱石『三四郎』『それから』『門』

を、9月23日19時20分、自宅で読了しました(新潮文庫・各357〜389円)。

最初の三部作。以前読んだとき、三作品の中では『それから』が、いちばん面白いと思った。今回は『門』が、断然いいと感じた。

(1)『三四郎』
『三四郎』(明41)は、主人公の三四郎(23歳)が、東京の大学に入るために、熊本から乗った汽車の中の出来事から、物語がはじまる。三四郎はその汽車に乗り合わせた、夫と子供のいる女性と、名古屋の宿屋で同じ部屋に泊まることになってしまう。宿では二人連れと勘違いし、布団を一枚しか敷かない。三四郎はシーツをぐるぐる巻いて、それで布団の真中に仕切りを作り、朝まで何事もなく眠る。翌日、宿を出て駅で別れるとき、その女性は「落付いた調子」で、「あなたは余っ程度胸のない方ですね」(p14)と三四郎に言って、にやりと笑う。

三四郎はこの一言に衝撃を受け、「二十三年の弱点」(p15)が一度に露見したように感じる。そして、「現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界は危なくて近寄れない気がする。」(p32)と考える。

やがて、三四郎は東京で、美禰子に思いを寄せるようになる。初めて逢ったときの美禰子の目の動きに、三四郎は、汽車の女に「度胸のない方」と言われたときと似たものを感じて、恐ろしくなる。

三四郎は、美禰子の謎に満ちた振る舞いに翻弄される。「現実世界は危なくて近寄れない」と考える三四郎の態度が、美禰子のそんな行動を誘発しているようにもみえる。美禰子は結局、別の男と結婚してしまう。

作品の冒頭で、三四郎は、汽車の女に「度胸のない方」と言われる。そして、「現実世界はあぶなくて近寄れない」と考える。この三四郎の態度が、美禰子との関係を中心とした、三四郎の関係世界をつくっている。

三四郎が美禰子に、汽車の女と似たものを感じるのも、また、三四郎が美禰子に翻弄されて無力なのも、三四郎の「現実世界はあぶなくて近寄れない」という態度が、三四郎を「現実世界」から遠ざけた結果であるように思える。

(2)『それから』
『それから』(明42)は、『三四郎』の「それから」を書いた作品である。主人公の代助(30歳)は職業にも就かず、父から金銭的な援助を受けて、遊んで暮らしている。

代助は、中学時代からの友人の平岡夫婦と、三年ぶりに再会する。平岡は京坂地方のある銀行の支店に勤めていたが、事情があって会社を辞め、東京に帰ってきたところだった。

代助は平岡の妻三千代を通じて、平岡夫婦がうまくいっていないことを知る。代助はかつて、三千代を愛していたが、「義侠心」(p331)から、三千代を平岡に譲ってしまう。だがいまは、三千代が幸福でないことを知り、自分と三千代の過去を思い出して、そこに「二人の間に燃る愛の炎」(p237)を見出す。そして、「三千代が平岡に嫁ぐ前、既に自分に嫁いでいたのも同じ事だ」(p237)とまで考える。

代助は三千代に愛を告白する。三千代は代助の遅すぎた告白に、「余(あんま)りだわ」(p281)と言って泣くが、毅然として「覚悟を極めましょう」(p285)と言う。

代助は、告白から三日目に会った三千代の、「落ち付き払った態度」(p292)に驚かされる。代助は三千代から反対に、「何でそんなに、そわそわしていらっしゃるの」(p293)と言われてしまう。この場面は作品の終盤に当たるが、ここまでの代助は、『三四郎』の三四郎と同じように、「度胸のない方」として描かれている。

三四郎は、「現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界は危なくて近寄れない気がする。」と考える。しかし、代助は三千代の毅然とした態度に押されて、「あぶなくて近寄れない現実世界」に近づく決意をする。三千代との愛を実現するためには、「現実世界は自分に必要」と考えているからである。代助が三四郎と、別れを告げるのはここからである。

しかし、代助は平岡から、三千代が病気であることを理由に、三千代と逢うことを禁じられてしまう。代助は父からも義絶され、「三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であった」(p342)という、孤立した状態に追い込まれていく。

代助は書生に、「職業」を探してくると言って、家を出る。そして、妄想と錯乱した心を抱えたまま電車に乗る。作品はここで終わっている。

代助は「現実世界」に近寄る決意をするが、三千代と逢うことができなくなったことで、三千代はいま死につつあるという妄想を抱いたり、頭が回転して焼け尽きるような異変を感じたりするようになる。代助は周囲を敵に回すことによって、孤立感を深化させ、かえって「現実世界」から遠ざかってしまう。「現実世界」に近寄るということは、孤立を避けるということだからである。

(3)『門』
『それから』が『三四郎』の「それから」を書いた作品とすれば、『門』(明43)は『それから』の「それから」を書いた作品である。

主人公の宗助と御米の夫婦は、二人きりで、崖下の貸家にひっそりと暮らしている。宗助は『それから』の代助と違って、役所勤めという「職業」に就いている。

御米はかつて、宗助の学生時代の友人安井の妻だった人である。そのため、宗助と御米は安井に対する、罪の意識に捉えられている。御米は宗助の子を三回妊娠するが、三回とも育つことがなかった。御米は易者を訪ねてみて、「貴方は人に対して済まない事をした覚がある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」(p184)と、残酷な宣告を受けてしまう。

宗助はある日、家主に、家主の弟と安井が満州から東京に戻ってきている。明後日の晩、その二人が家主の家に来ることになっているから、逢ってみないかと言われる。宗助はそれを聞いて、逃げるように、鎌倉の寺に参禅にでかけてしまう。それは宗助が、「弱くて落付かなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎ」る自分の心を、「心の実質が太くなるもの」(p243)に作り変えなければならないと、考えてのことだった。

このとき、宗助は「自分を救う事」(p243)だけを考えて、その不安の原因になった自分の罪や過失を考えてはいなかった。宗助は「他(ひと)の事」(p243)を考える余裕をなくして、「自己本位」(p243)になっていたと、作品の語り手は語っている。

鎌倉の寺における、十日間の参禅も、宗助には何も与えなかった。帰宅した宗助は、家主の弟と安井が、四、五日前に満州に帰ったことを知らされる。宗助夫婦の日常は「小康」(p292)をとり戻す。だが、「これに似た不安」はこれから先何度でも、繰り返されなければならない、そして、「それを繰り返させるのは天の事」で、「それを逃げて回るのは宗助の事」(p290)であるとされる。

作品からは、次のような声が聞こえてくる。宗助が、自分の「弱くて落付かなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎ」る心に支配されているのは、「この心から逃れ出たい」と思って、「自分を救う事」だけを考えて、「自己本位」になっているからではないか。「宗助の事」(逃げて回る)に固執している限り、「天の事」(繰り返させる)に翻弄されるしかないのではないか。「自己本位」を超えるためには、「他(ひと)の事」という考えが必要ではないか。

しかし、作品の最後で、春になって嬉しいと言う御米に対して、宗助は、またすぐ冬になると答えることしかできない。宗助は自分の「不安で不定」な気持ち(「宗助の事」)に固執していて、妻の御米の気持ち(「他(ひと)の事」)に意識を向けることができない。宗助にとって、「他(ひと)の事」は不在なままである。

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2013.7.17
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303 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(全3巻)

を、7月13日19時20分、自宅で読了しました(原卓也訳、全3巻・1978年7月20日新潮文庫・各830〜882円)。

訳し方によるのだろうか。ドストエフスキーの代表作であるこの長編を、サスペンスのようなストーリーの面白さに、引き込まれるようにして読み終えた。作品から、深遠な思想を引き出そうという気にはあまりなれなかった。

この作品に登場する人物はいつも、何かに気持ちを高ぶらせている。小さな動機にみえることでも、その動機が個人の欲望に深く根差しているため、本人にとっては人生を左右するような、思いもよらない行動を招来してしまう。気持ちが高ぶっていて、行動を意識的にコントロールすることが困難なためかもしれない。

登場人物は、男であれば女を、女であれば男を欲望の対象にしていて、その対象に向けて感情を沸騰させる。そして、作者もおなじように、自分の気持ちを高ぶらせ、作品の中にまで身を乗り出してしまう(ように描かれている)。作者とおぼしき「わたし」なる人物は、カラマーゾフ家の三人兄弟の末弟を、作中で、「わたしの大好きな主人公」(中、p184)と語ってしまう。作者の意識的な行為にみえる。

さらに、カラマーゾフ家の長兄の裁判の審理の場面では、作者とおぼしき「わたし」は、法廷内で生じた大混乱について、「わたしはすべてを順序正しく思いだせない。わたし自身、興奮してしまい、よく観察できなかったのだ。」(下、p445)と、まるで自分(作者)が傍聴席にいたかのように語っている。それまで、物語の外にいた「わたし」は、ここでは物語の裁判の場面の中にまで入り込んで、物語の登場人物であるかのように「興奮してしまい」と語ってしまう(ように描かれている)。

登場人物が感情を沸騰させても、作品を読む者が冷静でいられるのは、作者とおぼしき「わたし」なる人物が、作中に時々顔を出して、作品をコントロールしていることを示しているためかもしれない。

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2013.5.3
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302 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

を、4月29日13時00分、自宅で読了しました(2013年4月15日文芸春秋刊・1785円)。

この作品には、前作の『1Q84』と同じテーマが追究されている。いつでも帰ることのできる豊かな場所があること、その場所にくりかえし帰ることによって、この現在がいつでも新鮮な場所でありつづけること。このことが共通したテーマであるような気がする。

『1Q84』と違うところは、視覚的なイメージを喚起するようには描かれていないことである。どこまでも説明的な言葉で描かれている。

主人公の「多崎つくる」は、高校時代の男女五人の親密なグループを、「帰るべき場所」(p357)と考えていた。ところが、大学二年の夏に、「今いる場所」(p356)と「帰るべき場所」を行き来する生活が、何の説明もなく、他の四人から突然切断されてしまう。

十六年後、「多崎つくる」はその理由を求めて、かつての「帰るべき場所」にいた友人を訪ねる。そのことによって、「向かうべき場所」(p356)を探し出そうとしているかのように。

そして、「木元沙羅」という二歳年上の女性を、その「向かうべき場所」として発見する。また、列車が停まる鉄道駅のように、その女性が停まりたくなるような自分の姿を、「向かうべき場所」として目指していこうとする(多崎は鉄道駅を造る技術者)。

説明的な言葉で描かれていることが、この作品全体を、「色彩を持たない」と感じさせているのではないか。物足りなさはそこからきているのかもしれない。

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2012.11.3
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301 トルストイ『戦争と平和/1-6巻』

を、10月29日17時40分、千代田線の車中で読了しました(藤沼貴訳、全6巻・2006年1月17日〜9月15日岩波文庫、各987〜1050円)。

19世紀初頭のロシア。ナポレオン戦争を背景に、貴族の家庭生活を描いた長編小説。

この物語はなぜ、こんなに長いのだろうか。読みながら、そうした疑問が頭から去らなかった。それは作者の内面に、物語の結末を先に延ばそうとする、何らかの動機があるためではないか。読み進めるうちに、そう感じるようになった。あるいは、作者が結末を求めていないため、話が長くなるのではないか、と。

この長編小説に描かれている出来事は、一定の方向に進んでいくこともなければ、大団円を迎えることもない。結末が無限に先に延ばされているように感じさせる。同じ著者の『アンナ・カレーニナ』を、一年前に読んだときもおなじ印象だった。

「戦争と平和」のうち、「戦争」(ナポレオン戦争)は結末が分かっている、過去の歴史上の出来事である。「平和」(貴族の家庭生活)は作者の創作であって、過去の事実ではないから結末は分からない。読者はそのように読んでいる。

ところが、結末が分かっている戦争(ナポレオン戦争)でさえ、一定の方向に進んでいく出来事としては語られていない。そして、貴族の家庭生活はもちろん、結末が予定されているようには描かれない。

登場人物にも一定の性格が与えられていない。どの人物も揺れ動く感情の持ち主として描かれているのは、物語に一定の方向性を持たせないためには必要なことだったかもしれない。

主人公格の人物ピエールは、混乱と絶望の気持に陥りやすい性格で、そういう気持にふいに襲われたときの出来事が描かれている(5巻、134ページ)。混乱と絶望の気持にふいに襲われるような人物である限り、その人物の物語は結末がいつも先に延ばされるほかないように思える。なぜなら、混乱と絶望にはどんな未来もないため、物語は結末を迎えることができないからである。

そして、このような混乱と絶望の気持にふいに襲われるという性格は、作者自身が所有していたのではないだろうかという気がしてくる。

主人公格のピエールのように、この物語に登場する人物は大なり小なり、揺れ動く感情の持ち主であるため、その人物たちの物語は一定の方向に進んでいくことができない。だから、人生の方向転換が突然生じたり、異性や他人に対する好悪の感情が突然逆転したりする。

最後の「エピローグ第1篇」(6巻)に至って、物語の流れを中断するように、貴族の家庭生活の結末が示される。方向のない物語に、唐突な感じで結末がやってくるため、物語が中断したという印象を強く感じさせるのかもしれない。

この物語がこんなに長いのは、人間や出来事が一定の方向に進んでいくということに、トルストイが深い疑いをもっていて、そのため結末が無限に先に延ばされた結果ではないかと思えてくる。

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『アンナ・カレーニナ』の感想はこちらです
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