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2 後期家庭小説論

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                                         2000.6.10UP

1 出ていく人
 戦後、東京に戻ってきた太宰治は、家庭を題材とした作品を数多く書いている。しかしそこではまだ、最後の作品『人間失格』のように「人間」を問うてはいない。「父」であること、「夫」であることが問題にされている。そして父や夫は、家庭から〈出ていく人〉として描かれている。「ヴィヨンの妻」(昭和22年)「父」(同)「おさん」(同)「桜桃」(同)「家庭の幸福」(昭和23年)などの父や夫は、家庭から〈出ていく人〉である。

《さうしてこの子は、しよつちゆう、おなかをこはしたり、熱を出したり、夫は殆ど家に落ちついてゐる事は無く、子供の事など何と思つてゐるのやら、坊やが熱を出しまして、と私が言つても、あ、さう、お医者に連れて行つたらいいでせう、と言つて、いそがしげに二重廻しを羽織つてどこかへ出掛けてしまひます。》(「ヴィヨンの妻」傍線・引用者)
 
《午後三時か四時頃、私は仕事に一区切りをつけて立ち上る。机の引出しから財布を取り出し、内容をちらと調べて懐にいれ、黙つて二重廻しを羽織つて、外に出る。外では、子供たちが遊んでゐる。その子供たちの中に、私の子もゐる。私の子は遊びをやめて、私のはうに真正面向いて、私の顔を仰ぎ見る。私も、子の顔を見下す。共に無言である。たまに私は、袂からハンケチを出して、きゆつと子の洟(はな)を拭いてやる事もある。さうして、さつさと私は歩く。子供のおやつ、子供のおもちや、子供の着物、子供の靴、いろいろ買はなければならぬお金を、一夜のうちに紙屑の如く浪費すべき場所に向つて、さつさと歩く。これがすなはち、私の子わかれの場なのである。出掛けたらさいご、二日も三日も帰らない事がある。》(「父」傍線・引用者)

 「おさん」「桜桃」「家庭の幸福」の父や夫も同様である。しかし、父や夫は家庭から出ていくことによって、よけい強く家庭を意識せずにはいられなかった。「私の視線は、いつも人間の『家』のはうに向いてゐる。」(「家庭の幸福」)と言うときの「視線」とは、家庭から出ていった父や夫の、外からの視線にほかならなかった。それはまた、作者の視線でもあった。

 帰京直後の、坂口安吾、織田作之助、平野謙との座談会で、太宰治は次のように語っている。

《太宰 それは駄目だなあ。ホームといふのは、あれはいぢらしいものですよ。
 坂口 それは、若いときはホームがいぢらしいのぢやなくて、若さ自体がいぢらしいのだよ。なにも若さのホームがいぢらしいわけぢやないと思ふね。
 太宰 いや、ホームといふのも僕はいぢらしいものがあると思ふのですよ。たとへば、僕たち旅行をして歩いてをつて、ポーッと窓に明りがともつてゐるのを見て、なにか郷愁をそそられることがありはしないかしら。ああいふのはやはりホームのいぢらしさだと思ふけれども……。》(「現代小説を語る」昭和21年)

 ホームというのはいじらしいと、太宰治はしきりに語っている。ホームを外から見ている場所にいるためだ。そしてそれは、戦後、家庭小説を書きはじめた作者の場所でもあった。

 家庭から〈出ていく人〉である父や夫は、出ていく理由を次のように述べている。

《炉辺の幸福。どうして私には、それが出来ないのだらう。とても、ゐたたまらない気がするのである。炉辺が、こはくてならぬのである。》
《父はどこかで、義のために遊んでゐる。地獄の思ひで遊んでゐる。いのちを賭けて遊んでゐる。》(「父」)
 
《自分の家庭は大事だと思つてゐる。子供が夜中に、へんな咳一つしても、きつと眼がさめて、たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ。これでもう、精一ぱいなのだ。おれだつて、凶暴な魔物ではない。妻子を見殺しにして平然、といふやうな「度胸」を持つてはゐないのだ。配給や登録の事だつて、知らないのではない、知るひま(原文は傍点)が無いのだ。》(「桜桃」)
 
《家庭の幸福は諸悪の本(もと)。》(「家庭の幸福」)

 父や夫が家庭から出ていくのは、炉辺が恐くてならないためであり、義のために遊んでいるためであり、家のことを知るひまがないほど小説を書くのに精一ぱいなためであり、そこが諸悪のもととなるためであるとされる。しかしほんとうは、こうした理由で父や夫が家庭から出ていくわけではなかった。父や夫は、父や夫であるということにいたたまれず、〈出ていく人〉としてしか存在することができなかったのである。そこには、父や夫のイメージを作り出せないために、父である自分、夫である自分と和解することができない作者の姿が投影されている。  


2 内と外
 父や夫には、家庭の〈内〉と〈外〉という観念が消失してしまっている。家庭を濃密な空間として形成すべき、母と子の関係を根源的に欠いた、作者の原初の体験が反映しているに違いない。

 年譜(1999年筑摩書房版『太宰治全集第13巻』所収・山内祥史氏作成)から、太宰治 (津島修治)の幼年期の記録を抜き出してみる。

【明治四二年(一歳)】
 青森県北津軽郡金木村で、大地主津島家の六男(長男、次男は夭逝)として生まれた。生母タ子が病弱だったため、生まれて間もなく乳母をつけられた。それは津軽の資産家の格式でもあった。
【明治四三年(二歳)】
 乳母が再婚のために一年たらずで去った後は、同居していた叔母(母の妹)キヱに育てられた。父母に馴染みが薄く、叔母を生みの母と思い込み、叔母の一家と生活のすべてをともにして成長した。
【明治四五年(四歳)】
 女中として住み込んだ近村タケ(十五歳)の主な仕事は、太宰治の子守だった。夜は叔母と寝所をともにしたが、昼はいつもタケと一緒に過ごすようになった。衆議院議員になった父は留守がちで、家に帰るのは一カ月か二カ月に一回で、それも一週間ほど滞在すると東京などに出かけて行き、太宰治の相手になるようなことはほとんどなかった。母もこの頃から胸を患い、神田で治療を受けたり、湘南で療養したりしていた。父母は秋頃東京に一家を構え、そこで過ごすことが多くなった。
【大正二年(五歳)】
 絵本や童話を読むことを好み、また、五、六歳の時から毎晩、タケに字を教わった。
【大正三年(六歳)】
 タケに連れられて、金木第一尋常小学校に通った。
【大正四年(七歳)】
 休むことなく小学校に通い、夜はタケに小学読本を教わった。学校で祝祭日の式などがあると、タケに連れられて参列した。
【大正五年(八歳)】
 分家した叔母一家とともに五所川原に引越し、小学校入学直前までの二カ月余を叔母の家で過ごした。 
【大正六年(九歳)】
 タケは叔母の家の女中となって金木を去って行った。
【大正七年(十歳)】
 タケは北津軽郡最北端の小泊村に嫁いで行った。

 太宰治は自分の家庭を、濃密な関係空間として感受することができなかったに違いない。同じように家庭小説の父や夫も、家庭のイメージを手に入れることができない。そのことを「父」の主人公は、生まれつきの痼疾と考えようとしている。

《結局、私は私の全収入を浪費して、ひとりの人間をも楽しませる事が出来ず、しかも女房が七輪一つ買つても、これはいくらだ、ぜいたくだ、とこごとを言ふ自分勝手の亭主なのである。よろしくないのは、百も承知である。しかし私は、その癖を直す事が出来なかつた。戦争前もさうであつた。戦争中もさうであつた。戦争の後も、さうである。私は生れた時から今まで、実にやくかいな大病にかかつてゐるのかも知れない。生れてすぐにサナトリアムみたいなところに入院して、さうして今日まで充分の療養の生活をして来たとしても、その費用は、私のこれまでの酒煙草の費用の十分の一くらゐのものかも知れない。実に、べらぼうにお金のかかる大病人である。》(傍線・引用者)

 作者の意識の奥底に刻み込まれていた「やくかいな大病」は、戦後のこの時期に顕在化する。作者は自分の家庭を、濃密な空間として〈外〉から峻別することができないような、「大病人」であるといってもよかった。

 作者は、青森中学在学中の十八歳の時に、こんなことを書いていた。

《◎自分は嘗てこんなものを読んだことがある。
 外はヒドイ吹雪、外の人は寒がつてブルブル震つて居る。内には暖炉があつて、その傍に一家のもの共は皆顔をホテラして幸福そうに笑ひ興じて居る。
 外……内。そのひどい変りやうは……しかも、その境を成して居るものはたつた一枚のガラス戸一枚だ……といふのだ。》(「侏儒楽」大正15年、傍線・引用者)

 戦後の家庭小説と深いところで共鳴している。作者は最後まで、「外の人」としてしか存在することができなかったのである。  


3 「男には、不幸だけがある」
 家庭小説の父や夫は、家庭を出てどこへ行こうとしていたのか。作品では酒場に出掛けていくことになっている。しかし父や夫は、家庭の内と外の差異が消失した世界を浮遊しながら、死に向かって歩き始めていたのである。父や夫は、「魂の抜けた人みたいにぼんやりして、そのうちにふつとゐなくな」(「ヴィヨンの妻」)ってしまうし、「物体でないみたいに、ふはりと外に出」(「桜桃」)ていってしまう。父や夫の意識には、死の影が侵入してきていたのである。作者の深層にしまいこまれていた喪失感が、父や夫の死の意識となって噴出してきているといえる。

《「僕はね、キザのやうですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬ事ばかり考へてゐたんだ。皆のためにも、死んだはうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでゐて、なかなか死ねない。へんな、こはい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです。」》(「ヴィヨンの妻」)
 
《女房の身内のひとの事に少しでも、ふれると、ひどく二人の気持がややこしくなる。生きるといふ事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまつてゐて、少しでも動くと、血が噴き出す。
 私は黙つて立つて、六畳間の机の引出しから稿料のはひつてゐる封筒を取り出し、袂につつ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふはりと外に出る。
 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考へてゐる。さうして、酒を飲む場所へまつすぐに行く。》(「桜桃」)

 作品の自然な流れをせき止めるように、死がいきなり出現する。作者の現在の意識が作品の中に突出しているのだ。「生れた時から、死ぬ事ばかり考へてゐたんだ。」という言葉も、「自殺の事ばかり考へてゐる。」という言葉も、作者の意識であるかのように投げ出されている。そして、『斜陽』(昭和22年)の直治の自殺、『人間失格』の葉蔵の心中未遂や自殺未遂に見られるように、作品はしだいに死の意識に支配されていく。

 『斜陽』の主人公かず子の弟直治は、遺書にこう書いている。

《僕は、僕といふ草は、この世の空気と陽(ひ)の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けてゐるんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだつたのです。》

 家庭小説の父や夫が感じていたのもこういうことだったに違いない。けれども父や夫には、「ヴィヨンの妻」の妻のような人間が存在していた。妻と夫は、「一緒にたのしく家路をたどる事も、しばしば」だったし、妻は夫に、「人非人でもいいぢやないの。私たちは、生きてゐさへすればいいのよ。」と言い切ることさえできた。夫は家庭から出ていくこと(死)を志向していた。それに対して妻は、家庭に帰ること(生)を志向している。「ヴィヨンの妻」のように妻が語り手になっている作品では、妻の存在が夫を相対化している。

 そして作者は、〈出ていく人〉と〈帰る人〉とに、男と女の本質的な差異を見ていた。

《「とつても私は幸福よ。」
「女には、幸福も不幸も無いものです。」
「さうなの? さう言はれると、そんな気もして来るけど、それぢや、男のひとは、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦つてばかりゐるのです。」
「わからないわ、私には。でも、いつまでも私、こんな生活をつづけて行きたうございますわ。」》(「ヴィヨンの妻」傍線・引用者)
 
《どうやら、あなたも、私をお捨てになつたやうでございます。いいえ、だんだんお忘れになるらしうございます。
 けれども、私は、幸福なんですの。私の望みどほりに、赤ちやんが出来たやうでございますの。私は、いま、いつさいを失つたやうな気がしてゐますけど、でも、おなかの小さい生命が、私の孤独の微笑のたねになつてゐます。
 けがらはしい失策などとは、どうしても私には思はれません。この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかつて来ました。あなたは、ご存じないでせう。だから、いつまでも不幸なのですわ。それはね、教へてあげますわ、女がよい子を生むためです。》(『斜陽』傍線・引用者)

 「ヴィヨンの妻」の夫は妻に、女には幸福も不幸もない、男には不幸だけがあると言う。ここでは男と女の本質的な差異が問われている。男は家庭の〈外〉に出ていこうとする存在である。女は家庭の〈内〉にとどまろうとする存在である。このことはもちろん倫理的な問題ではない。志向性の差異としてあるのだ。だから、「私たちは、生きてゐさへすればいいのよ。」と言えるのは女だけである。なぜなら女は、「生きてゐさへすればいい」といった、家庭の〈内〉でだけ成り立つ生の論理を措定できる存在だからである。反対に男は、〈外〉の社会的な関係の中で、「いつも恐怖と、戦つてばかりゐる」というような、「不幸」を抱え込まざるを得ない存在である。「生きてゐさへすればいい」と言う女も、「死にたくて、仕様が無い」と言う男も、女と男の差異を極限までひっぱっていったときの姿にほかならなかった。

 男と女の差異については、『斜陽』のかず子が愛人に宛てた手紙の中で、より具体的に記述されている。「戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だの」という〈外〉の社会的な事象は、「女がよい子を生むため」にあるので、そのことを知らない男は「いつまでも不幸」なのだとされる。女の視点から価値観の転倒が示されているのではない。男と女の本質的な差異が捉えられているのだ。女は子供と強固に結び付くことによって、家庭を濃密な空間として形成することができる。それで、「よい子を生む」というようなことに、すべてを収斂することができるのである。「ヴィヨンの妻」の妻が、「とつても私は幸福よ。」と言えるのも、『斜陽』のかず子が「私は、幸福なんですの。」と言えるのも、女にはこうした世界を形成するちからが潜在しているからである。男は子供との結び付きを、女ほど強く持つことができない。だから、「よい子を生む」というふうなことに、すべてを収斂することができないのである。別の言い方もできる。子供(特に胎児・乳児期の)を育てるという目的のために、子供(特に胎児・乳児期の)と強く結び付くようにできているのが女であって、男との差異もそこにあるというように。

 男の「不幸」は、〈外〉に対する「恐怖」と、〈内〉に対する疎隔感の二重性としてあったのである。  


4 帰る人
 太宰治は『人間失格』で、「どんどん不幸になるばかり」な男の姿を描いたあと、最後の作品「グッド・バイ」(昭和23年)を未完のまま遺して死に赴くことになる。「グッド・バイ」には、〈出ていく人〉が〈帰る人〉に変貌する様子が描かれている。

《終戦になり、細君と女児を、細君のその実家にあづけ、かれは単身、東京に乗り込み、郊外のアパートの一部屋を借り、そこはもうただ、寝るだけのところ、抜け目なく四方八方を飛び歩いて、しこたま、まうけた。
 けれども、それから三年経ち、何だか気持が変つて来た。世の中が、何かしら微妙に変つて来たせゐか、または、彼のからだが、日頃の不節制のために最近めつきり痩せ細つて来たせゐか、いや、いや、単に「とし」のせゐか、色即是空、酒もつまらぬ、小さい家を一軒買ひ、田舎から女房子供を呼び寄せて、……といふ里心に似たものが、ふいと胸をかすめて通る事が多くなつた。》(「グッド・バイ/変心(一)」傍線・引用者)

 東京に戻ってきてはじめて、作者は〈帰る人〉を主人公に据えようとしている。『人間失格』で遠ざかってしまった「この世」への、帰り道を見つけ出そうとしていたのだろうか。「何だか気持が変つて来た。」というのは、過去の自分とグッド・バイしようとしている主人公の現在の心境である。この主人公の「変心」は、作者の「変心」を意味していたのだろうか。

 家庭小説の父や夫は家庭を出て、「酒を飲む場所」(「桜桃」)に直行する。そこは、〈外〉に対する「恐怖」を緩和してくれ、渇望していた〈内〉の親密さを可能にしてくれる場所だった。しかしこの作品の主人公は、「酒もつまらぬ」と考えており、また、「小さい家を一軒買ひ、田舎から女房子供を呼び寄せて、……といふ里心に似たもの」を感じるほど、家庭に対しても求心的になっていた。主人公は、父としての自分、夫としての自分に帰ろうとしていたのである。

 だが作者の死によって、主人公は、「女房子供を呼び寄せて、……といふ里心に似たもの」の実現を永遠に禁じられてしまう。〈帰る人〉を現実に着地させるためには、作者の意識はすでに現実から遊離し過ぎていたのである。(了)
                                      (2000.6.4)

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