太宰治の「心のあり方」について
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(K市ニッセイ・セミナールームで、2009年12月に行った話の草稿を整理したものです) 今年は生誕100年ということで、太宰治については何かと話題になっています。今日は作品についてというより、太宰治という作家の「心のあり方」について、お話したいと思います。 1 太宰の「心のあり方」(1)…不動明王像
太宰の文学仲間である山岸外史が、太宰の死後に書いた『人間太宰治』という本があります。山岸はそこで、太宰がこの石像をすごく恐がったとして、次のように書いています。 山岸外史は近くまでいって、その像を見たいと思い、崖沿いに20メートルほど歩いていきました。鎌倉仏だというだけあって、なかなかいい出来の不動像だったと感じたそうです。 そのとき、太宰も一緒にきていると思ったので、背後を振りかえり、「おい、太宰、なかなかいい出来じゃないか」と話しかけました。ところが、太宰は後にいなくて、はるか向うの小道のところに、一人でしょんぼりと立って、山岸を待っていたといいます。 山岸が、「おい、ここまできて見ないか」と、大きな声で呼んでも、太宰はとうとうこなかったそうです。 仕方なく、山岸はひとりでその石仏を見て引き返し、太宰に、「どうして見にこないのだネ」と言うと、太宰は、「山岸君、恐いのですよ。ぼくは、ああいうものは恐いのですよ」と、言ったそうです。 そのときの印象を、山岸外史は次のように書いています。
《それは異様な言葉だった。ぼくはながいつきあいの間に、太宰に何回か異様なものを感じているが、このときの太宰にもやはり異様なものを感じた。〈恐い〉ぼくは「へえ」と思って、逆に驚いたものである。ぼくはそれきりなにもいわず、また、もとの掛茶屋の方に二人でひき返した。しかし、太宰は、こういう『もの』をたしかに子供のように『恐れた』ようである。 太宰は、7、80センチほどの小さな石像を遠くから見て、すごく恐がったといいますが、遠くからではその小さな石像を、はっきりと見ることはできなかったはずです。太宰はその石像の表情や姿形を見て、恐がったということではないような気がします。 太宰は「見えていないのに恐がった」と、言ってもいいかもしれません。あるいは、「見えていないからこそ恐がった」とも、言えるように思います。遠くにあってよく見えないものを、恐がったということは、遠くにあるものを近くにあるかのように感じている、ということになります。 ヘビが嫌いな人でも、それがはるかかなたの遠くに、見えるか見えないほど小さくしか見えていないときには、恐がったりしないと思います。ところが、それが目の前までくれば、恐がるに違いありません。もし、遠くにいるヘビを恐がる人がいるとすれば、それは目の前にいるかのように想像するからだと思います。 そうすると、ヘビがいなくても、ヘビの話を聞いただけで恐がる人がいるとすれば、ヘビを目の前にいるかのように想像するからだと考えられます。ヘビを目の前で、大きな姿で見たことを記憶していて、ヘビの話を聞いただけでその記憶を思い浮べてしまうために、恐いのだと思います。 小さな石像を遠くから見て、すごく恐がったという場面は、太宰の「心のあり方」の特徴を、よく示しているようにみえます。それは、「自分の外」にあるものを見たとき、それがどのようなものか理解しようとするより、まず、「自分の内」にある気持ちの方が先に出てきてしまうということだと思います。 「自分の外」にあるものとは、「自分の内」の気持ちの外にあるはずなのに、自分の気持ちのほうを先に感じてしまう。どうしてそうなるのか。それは遠くにあるものを、遠くにあるものとして見ることができず、すぐ間近にあるものとして想像して見てしまう。そのため、好き嫌いのような感情が、真っ先に出てきてしまう。ヘビの話を聞いただけで、目の前にヘビがいるかのように想像して、恐がることと同じだと思います。 不動明王の石像を見ても、こういう姿形でこういう表情をしているとは見ないで、それをすぐ目の前にあるかのように想像して、自分の感情や欲求と結びつけてしまう。 そのことは、人間の場合でも同じだと思います。つまり、太宰が、不動明王の石像を恐がったということは、人間を恐がったということにも通じています。太宰は、遠くに小さくしか見えない、不動明王の石像を恐がったのと同じように、遠くに小さくしか見えない人間を恐がっていました。太宰には、人間は遠くに小さくしか見えていないのですが、それは太宰の言い方でいえば、「人間が分からない」ということになります。 「人間が分からない」ということは、人間が遠くに小さくしか見えないということです。そして、「分からない」ということは「不安」を与えますので、その「分からない」ものと付き合っていかなければならないとしたら、そのことは「緊張」を強いることになるはずです。 太宰が人間に対して、「不安」を感じ、「緊張」を感じていたのは、そういうふうに、「人間が分からない」ということが元になっているように思えます。人と接することに対して抱く「不安」がエスカレートすると、人と接することにドキドキしたり、息苦しくなったりして、「緊張」しか感じないようになります。そして、人と接することに「恐怖」を感じて、逃げ出したいと思うようになると思います。 太宰が作品の中で、生涯にわたってこだわり続けたのは、「人が分からない。他人はもちろん、親も分からない」ということで、そのことにはやはり「太宰の生い立ち」が関係しているのではないかと思います。 太宰は叔母や子守に育てられていますので、自分の母親の姿が遠くに、小さくしか感じられなかった。そのため、「母の鮮明なイメージ」が、記憶から消えてしまっていたのではないか。それで、「母が分からない」ということになり、その結果、「人は分からない。他人は分からない」ということになったのではないか。 2 太宰の「心のあり方」(2)…「盲目の人」 美知子夫人が散歩に行こうと誘っても、太宰はヘビが恐いと言って部屋にこもり、酒を飲んでいるだけだったそうです。そのときのことを、美知子夫人は、太宰にとって、自然とか風景とかは一体どういう意味があるのだろうか、自分の心に浮かんだイメージ・風景の中だけで生きているのだろうかと書いています。 そして、美知子夫人は、「盲目の人」と連れ立って旅をしているような寂しさを感じたと、語っています。美知子夫人は太宰のことを、「盲目の人」と呼んでいます。ここでいう「盲目の人」とは、「自分の外」にあるものが、ちっとも見えていない人という意味だと思います。 それはどういう心の状態なのか。たとえば、大きな心配事があるときとか、考え事をしているときとかに、人の話を聞いても、テレビを見ても、「見えているのに見ていない。聞こえているのに聞いていない」という状態になることがあります。目や耳に、相手の姿や声、テレビの映像や音声は入ってきているのですが、それを理解することができない。太宰の「心のあり方」はいつも、そんな状態だったのではないか。 「見えているのに見ていない。聞こえているのに聞いていない」というのは、自分の気持ちを中心に考えていて、自分の気持ちの外のことには関心が向いていない状態のことです。太宰の場合、外の景色は遠くに後退してしまっていて見えない。見えなければ分からないので、その景色のことを感じることができない、という状態になっていると考えられます。美知子夫人が、「盲目の人」と呼んでいる状態です。 そうすると、不動明王の石像を恐がったことと同じことが起こります。「自分の外」のことに関心が向かないので、現実のすべての物事に対して、「自分の内」の感情や欲求を中心とした振る舞いになります。 「自分の外」のものは遠くにしか見えないため、それが何かは「分からない」わけです。だから、すべての対象を目の前に自分のやり方で近づけて、肌触りのようなものとして感じるしかありません。そうすると、好き嫌いのような「自分の内」の感情の世界が、心の動きの中心になってしまいます。そういう心の世界に、太宰は住んでいたと考えられます。 3 太宰の「心のあり方」と作品(「葉桜と魔笛」「饗応夫人」) (1)「葉桜と魔笛」 この作品に登場する「妹」は18歳で、結核が進行していて、あと100日の命だと医者に言われています。この「妹」の「姉」が、この作品の語り手になっていますが、「姉」はこのときの気持ちを、「妹のことで一杯で、半気違いの有様だった」と語っています。 つまり、「姉」の気持ちは、「妹のことで一杯で、半気違いの有様だった」わけですから、「妹」以外のことを見ても、「見えているのに見ていない。聞こえているのに聞いていない」という状態だったと思います。「妹」の気持ちも、同じようなものだったといっていいと思います。 「姉」は「妹」の恋人だった、「MT」という人の筆跡を真似て、「妹」に手紙を書きます。その手紙には、「晩の6時に塀の外で、軍艦マーチの口笛を吹いて聞かせる」と書いてありました。「妹」はその手紙を「姉」が書いたということを知っていて、そのことを「姉」に告げるという場面があります。 「姉」は自分で、口笛を吹こうと思っていましたが、それもできなくなってしまいます。そのため、悲しくて、妹をそっと抱いていると、「軍艦マーチの口笛」が低くかすかに聞こえてきます。時計を見るとちょうど6時で、その三日後に「妹」は死ぬことになります。「姉」は35年後の現在になって、あの口笛は「父の仕業」ではなかったかと、疑いを持つことがあると語っています。 その当時、「姉」の心の中は、「妹のことで一杯で、半気違いの有様だった」わけです。そうすると、「姉」と「妹」の心の中は、「姉」が書いた手紙の中の、「晩の6時に塀の外で、軍艦マーチの口笛を吹いて聞かせる」という場面で充たされていたと考えることができます。 そういう心の状態のとき、口笛の音が聞こえてきたとしても、不思議ではないような気がします。「低くかすかに」聞こえてきたということが、そのことを物語っています。その口笛の音は、「姉」と「妹」の頭の中だけに聞こえていたのだと思います。 それは、「幻聴」あるいは「空耳」といってもいいと思います。太宰の「心のあり方」としてみれば、自分の気持ちを中心に考えていて、自分の気持ちの外のことには関心が向かないということ、美知子夫人の言葉で言えば、「盲目の人」としての太宰の「心のあり方」が、こういう作品を書かせたと考えることができます。 「自分の外」にあるものの声を聞かないで、「自分の内」の声にじいっと耳をすましているため、「幻聴」あるいは「空耳」が聞こえてくるのではないか。そういう太宰の「心のあり方」がまた、このような味わい深い作品の世界を作り上げているように思えます。 (2)「饗応夫人」 「奥さま」の夫は、戦争に行ったまま消息不明になっています。戦後、夫の知人として、それほど親しくしていたわけでもない、「笹島先生」という人物がたずねてきます。「奥さま」は、「興奮と緊張とあわて加減」を示して、「笹島先生」を饗応します。 「奥さま」にとって、「笹島先生」はもともと、距離のある他人ですから、よく分からない存在なわけです。だから、相手を他人とみなす範囲内で、お互いの関係を結んでいけばいい、ということになるはずです。 ところが、この作品の「奥さま」は、そのようには考えないわけです。他人を他人として、どういう「言葉」や「態度」をあらわし、どの程度距離を縮めたらよいかが分からない。 そのため「奥さま」は、他人に対してもいきなり、身内のような感情的な一体感を求めてしまいます。「奥さま」は夫の知人というだけで、その相手を夫と同じような身内と感じ、自分のすぐそばまで近づけてしまいます。 「よく分からない他人」を目の前まで近づけて、身内のように感じてしまうということは、「よく分からない不動明王の像」を目の前まで近づけて、「恐い」と感じることと同じ発想です。どちらも、自分の気持ちを中心とした行動であるため、感情だけが露出してしまっています。 「奥さま」は自分を「無」にして、他人との間で、身内のような結びつきを実現しようとします。「奥さま」は他人を、他人として見て関係を結ぶのではなく、お母さんが赤ちゃんの面倒を見るように、自分の近くに引き寄せて、ベタベタと世話をするようになります。 自分を「無」にしてまで、他人の世話を焼かざるをえない「奥さま」の姿に、この作品の語り手のお手伝いさんは、「底知れぬ優しさ」を感じます。誰とでも間近な距離で、一体感を求めようとする太宰の「心のあり方」が、この「奥さま」のような、魅力的な人物を作りあげているといえると思います。(了)
▼湯河原不動滝の不動明王の石像については、「散歩・太宰治が恐がった不動明王を見に湯河原に」をご覧ください。 【太宰治・文学教室より】
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