太宰治とつげ義春の御嶽へ行ってきました
2001.11.26UP
1
太宰治の御嶽
太宰治直筆の寄せ書きが、
奥多摩のそば屋にあるかもしれない。
青梅線の御嶽駅近くの、
玉川屋というそば屋に、である。
行ってみたい。
直筆を見てみたいというより、
それがほんとうにあるのかどうか、
それを確かめてみたいという、
そんな好奇心のほうが強かった。
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| 玉川屋(2001年11月13日撮影) |
青柳いづみこ著『青柳瑞穂の生涯』
(新潮社2000年9月)に、
こんなことが書いてあって、
そんな興味をかきたてられた。
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昭和17年2月5日、
太宰治、上林暁、青柳瑞穂、木山捷平ら7人は、
奥多摩の御嶽に遠足に行った。
立川駅に12時半に集合。
青梅線の沢井という駅で降り、
多摩川の河原づたいに御嶽まで散策した。
沢井駅を出て、
澤乃井という大きな造り酒屋の庭に乾かされている、
六尺桶を見ながら坂を下ると、
楓橋という白い橋に出る。
橋の向こうにある寒山寺の鐘撞き堂で、
さっそく誰かがひとつ鐘を撞いた。
見ると、
「乱打してはいけない」と注意書きがある。
楓橋を戻って、
川沿いに岩角づたいの路をたどって歩く。
御嶽橋に着き、
吊り橋の上で写真を撮った。
ハイキングを終えた一行は、
御嶽駅近くの玉川屋というそば屋に上がった。
そこで、
いまは太平洋戦争に報道班員として徴用されて不在の、
井伏鱒二、小田嶽夫、中村地平に
寄せ書きをしたためた。
3時から9時までしたたかに飲んで、
9時26分の御嶽発の電車に乗った。
御嶽からの寄せ書きは、
シンガポール入りした井伏鱒二のもとに
無事届けられた。
「寒山寺における寄せ書き落掌」と書かれた、
井伏の礼状が残っている。
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そして青柳いづみこ氏は、
つぎのような謎めいた
(と感じるのは私だけかなぁ)
一文を書きつけている。
「店に飾られた寄せ書きによれば、
木山は八杯も蕎麦をたいらげた。
瑞穂も
「そばきさらぎ玉川や 川ざかなよろしよろし」と書き、
太宰一人が
「川沿ひの路をのぼれば赤き橋
またゆきゆけば人の家可奈」と気取っている。」
この、
「店に飾られた寄せ書き」というのは、
玉川屋で井伏鱒二、小田嶽夫、中村地平にあてて
したためられた寄せ書きなのか。
直筆なのか、それともコピーなのか。
いまでも玉川屋にあるのか。
そもそも、玉川屋はいまもあるのか。
謎だらけだ。
考えていても仕方がない。
行ったほうが早そうだ、いい季節だし。
というわけで、
太宰たちがたどったコースをたどってみようと、
奥多摩に出かけた。
2
つげ義春の御嶽
つげ義春のマンガは好きで、
くり返し読んできた。
旅行記も好きだ。
『無能の人』(日本文芸社)の「あとがき」には、
「御嶽駅前の渓谷美は圧巻だった。
これまであちこちの渓谷を見てきたけれど、
御嶽駅前の美しさ以上のものは見たことない。」
と書かれていて、ずっと気になっていた。
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| つげ義春「探石行」から |
そのときのことは、
「奥多摩貧困行」
(新潮文庫の『新版貧困旅行記』に収録)
という文章に、
こんなふうに書かれている。
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昭和60年5月の連休。
東京の秋川沿いにある檜原村に、
つげ義春は家族3人で出かけた。
国民宿舎の殺風景な部屋に一泊したが、
侘しくなるばかりで意気が上がらない。
翌日、満足しない妻子にせがまれ、
奥多摩に行くことにする。
連休でどこもいっぱいだったが、
やっと、御嶽駅の近くにある
五州園という旅館の離れに泊まることができた。
翌朝、宿の下を流れる多摩川におりてみて、
つげ義春は感激する。
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その感激を、つげ義春はこう書いている。
「この御岳橋付近の渓谷を眺めて、
私は久しぶりに自然の景色に感激した。
くもっていた目が洗われた気がした。
これまでは景色を見ても
あまり心を動かされることはなかったので、
以前とくらべ何か心持ちが変化したのだろうか、
有難い気持ちで見ることができた。」
太宰治とつげ義春の御嶽へ行ってみたい。
3
御嶽へ
2001年11月13日(火)。
中央線で立川に向かう。
途中、三鷹駅を通過する。
太宰はここから乗ったのだろう。
立川で青梅線に乗り換える。
青梅駅で奥多摩行きに乗り換えた当たりから、
奥多摩を散策するらしい
オバサンの小グループでにぎやかになる。
もしかすると、オバサンたち、
いまが一番充足しているときかもしれない。
そう思うと、うるさいと感じるよりも、
うらやましいと感じる。
オジサンのグループは見当たらない。
一人でいるのは私くらいかもしれない。
沢井駅を降り、
清酒澤乃井の小沢酒造を左に見て、
坂を下っていく。
すぐ多摩川に出る。
吊り橋になった楓橋を渡ると、
寒山寺の鐘撞き堂が目の前にあった。
「乱打してはいけない」という注意書きはなかったが、
2、3度ついてみると、
もっと続けたくなるからおかしい。
きっと、乱打する人がたくさんいたので、
そんな注意書きをするようになったに違いない。
乱打したくなる気持ち、
やってみてすごくよく分かった。
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| 寒山寺の鐘撞き堂 |
楓橋を戻って、
川沿いの遊歩道を上流の御嶽へ向かう。
紅葉の季節なので、人が多い。
30分ほどで、御嶽橋に到着する。
つげ義春と同じ渓谷を見ていると思うだけで
感傷的になる。
でも、心が洗われるほど感激するには、
人のいない朝早くにこないと
だめかもしれないと思う。
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| 御嶽渓谷 |
すぐ上の御嶽駅から、
青梅街道を上流方向にすこし行くと、
つげ義春の泊まった五州園が左に見えた。
五州園の離れは
渓谷沿いに下の方にあるはずだから、
もう一度遊歩道に降りてみる。
あったあった!
遊歩道のすぐわきの高台に、
五州園の離れらしい建物がある。
「離れは木造二階の安アパートのように見えた」
と書いてあったから、
これに間違いないと思う。
もっと近づいて見てみたい。
でも敷地の入口には、
通り抜け禁止の看板がぶらさげてある。
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「私有地のため
通り抜けできません 五州園」 |
回りには誰もいない。
だいじょうぶそうだ。
よし、行ってみよう。
離れらしい建物の入口まで近づいてみる。
引き戸のすきまから中をのぞいてみても、
人の気配はない。
完全に廃屋と化しているようだ。
裏に回ってみる。
確かに、渓谷を眺めるのには、
いい位置に建っているのだけれど。
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| 五州園の離れ |
下の遊歩道の方を見ると、
ほかの人はみんな、散策を楽しんでいる。
ひとりで廃屋の回りをうろついたりしていると、
いったい自分は何をしているのだろうという
気分になってくる。
よそから見たら、やはり変でしょうか。
変ですよね。
いつの間にか2時になっている。
だいぶお腹もすいてきた。
もう一度御嶽駅に戻り、
青梅街道を反対方向にすこし進むと、
左側に玉川屋が見えた。
青梅街道から入ると1階に上がるようになっていて、
上の道から入ると2階に上がるようになっている。
上の道から入った。
思っていたより大きなおそば屋さんだ。
壁をぐるーっと見回し、
色紙が貼ってある壁を見つけると、
すぐ下の席に座った。
都合よく空いていてよかった。
座ってから、ゆっくり色紙を眺めた。
間違いない。
色紙の一枚に、
太宰治、木山捷平ら3人の署名が記されている。
立ち上がってじいーっと見た。
間違いなく、直筆だ。
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真ん中の色紙に、
左から太宰治、木山捷平、安成二郎署名の寄せ書き |
したたかに飲むこともなく、
天ざるを食べて、
御嶽発の電車に乗った。
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青柳 いづみこ 
・『無能の人』つげ義春(日本文芸社)は絶版ですが、サイト「日本の古本屋」で見つけることができるかもしれません(2005年11月23日現在:多数 あり)。 →「日本の古本屋」はこちら

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つげ 義春

【太宰治・散歩】
・太宰治が散歩していた船橋の神社を探して ・太宰治とつげ義春の御嶽へ行ってきました ・太宰治のいた碧雲荘は荻窪に残ってました ・太宰治は船橋の玉川旅館で遊んでいたか? ・太宰治が恐がった不動明王を見に湯河原に
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