太宰治論を読む - 檀一雄著2003年3月7日 元の本は1949年(昭和24年)刊行。 著者は一時期(昭和10、11年)、太宰と放蕩を繰り返していたというが、2、3日あるいは1週間近くあけた家に帰ることを、太宰はとても怖がっていたとして、次のように書いている。 「私は、また太宰の家への帰り方をよく知っている。真直ぐ家に這入れない。とつおいつ、さんざん迷って、家の周囲を遠巻きに迂廻する。家には不吉な事が起っているに相違ない。不吉な電報。不吉な手紙。太宰はこれを極端にこわがった。後に船橋に移っていってからは、ちょっと散歩に出ただけでも、もうこわがって家に戻れない。/私だって、家に幸福が待っていようとはつゆ思わないが、それにしても太宰の、この脅迫観念は異常だった。」(28ページ) 太宰自身も作品「家庭の幸福」で、同様なことを書いている。「私がれいに依つてよそで二、三夜飲みつづけ、夕方、家は無事かと胸がドキドキして歩けないくらゐの不安と恐怖とたたかひながら、やつと家の玄関前までたどりつき」、と。 「家庭の幸福」の主人公が感じている「不安と恐怖」は、現実の太宰の姿でもあったようだ。ここには太宰の資質が、よく現れているように思える。太宰には、他者は分からないという不安があって、そのため他者はえたいの知れない恐怖を感じさせる対象となっていた。何日もあけた家に帰るのをこわがったのは、他者に対する怖れが、太宰に被害意識を抱かせるようになったためではないか。 この被害意識は妄想だったとしても、他者に対する「不安と恐怖」が、そんな妄想を招き寄せることになったのではないかと思う。檀一雄はこの本のなかで、「太宰の場合は、殊に一方的に増大してゆく妄想が激しかった。」(116ページ)と書いているが、一方的に増大していく「妄想」と、そのことによる「不安と恐怖」が、太宰の文学のある部分を形造っているではないかと思えてくる。
|