太宰治論を読む - 五木寛之著2003年6月6日 『五木寛之全紀行5/金沢はいまも雪か』東京書籍2002年4月15日所収 この文章が書かれた1969年にはまだ、津軽半島北端の竜飛崎では青函トンネルの工事が行われており、竜飛方面から太宰の生家のある金木に行くのには、天井に頭を何度もぶつけながら、悪路をクルマで行くしかなかったらしい。 著者は日常の世界と虚構(小説)の世界は両方とも、同じ重さで実在する現実であるとして、つぎのように書いている。 「太宰の描いた場所に立ち、あたりを眺め回す。そして無意識に作家が創りだした世界ほど目の前の光景が魅力に富んだものでないことに気づきかけ、あわてて目をつぶる。そして心の中で呪文のようにあれこれ作中の描写の文章をとなえて、二、三度まばたきをし、今度はいま思い浮べた描写で武装した視線で周囲をおずおずと眺め回すのだ。そのとき辛うじてあたりの世界がわずかに虚構の世界、作品中の描写、と似て見え、私たちはほっと安心する。」(364ページ) 私も一度だけ、津軽に行ったことがある。1993年5月、太宰の小説『津軽』をたどるようにして、津軽半島をクルマでぐるっと回った。青函トンネルは1988年に開通していて竜飛崎は静かだったし、竜泊ラインは1984年に開通していて、竜飛方面からクルマで金木に行くのも楽になっていた。 そして、五木寛之が書いているように、小説『津軽』に描かれているような光景などどこにもないことに気づき、それでも太宰と『津軽』がどこかにあるのではないかと探そうとしていた。 そんなこころみに対し、著者は書いている。 「そんな旅の中で、私たちがおちいりやすい罠のひとつは、虚構を現実と対しあう等価の世界として確かめることを忘れ、作品を日常的現実の模写、もしくは美化された現実と受取りがちなことではないだろうか。」(365ページ) そうなのだと思う。それでもやはり、著者が述懐しているように、私もまた、作品の中の津軽と目の前の津軽を、必死に重ね合わせようとしていたのかもしれない。 津軽に行って驚いたことがある。津軽で見かけた人がみんな、太宰や越野たけ(二人とも写真でしか見たことがないが)とよく似ているのだ。泣きだす直前のような、そんな独特な表情が共通しているように感じられた。そしてそのことだけは、目の前の津軽と太宰を、無理やり重ね合わせようとした結果だとは思えなかった。
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