太宰治論を読む小浜逸郎『太宰治の場所』2003年7月4日 Tweet 太宰の小説の中で一番好きなものと問われたら、ためらわずに「富嶽百景」をあげると思う。この作品の中の、「いいねえ。富士は、やつぱり、いいとこあるねえ。よくやつてるなあ。」というコトバを真似して言えば、「いいねえ。「富嶽百景」はよくやってるなあ。」という感じになると思う。 小浜逸郎はこの本の中で、「満願」「黄金風景」などこの世と和解していこうとする作品と、「俗天使」「春の盗賊」などこの世と和解できないとする作品の、二系列の作品が合流した地点に、「富嶽百景」の成立を見ている。 「『富嶽百景』は、その静かな心あたたまる情調にも拘らず、矛盾の多い作品である。その矛盾はつまるところ、前述の二系列がそれぞれ持っていた基本性格をそのまま内包している点に発していると思われる。」(23ページ) 「そこに秘められた矛盾は、ちょうど細かいモザイク模様の片々のように緻密に散りばめられており、遠くから眺めると個々の色彩の異同が捨象され、大きなぼかされた図柄となって観察者の目にはいってくる仕掛になっている。」(27ページ) わが意を得たり、という感じである。この「矛盾」はもちろん、否定的なものとは考えられていない。 むしろこの「矛盾」こそ、「富嶽百景」を多色的にし、読む者を感動させることになっているのではないか。この作品では「単一表現」ということが言われているが、二系列の作品が合流していることで、中心が複数になり、作品自体は単色ではなく多色的になっている。 「いいねえ。よくやってるなあ。」、そう感じながら、今回も「富嶽百景」を読んだ。
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