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 太宰治論を読む - 檀一雄著

2003年8月8日
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8 檀一雄『太宰と安吾』             バジリコ2003年5月14日
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1968年に虎見書房から刊行された本の復刊。

太宰の身内だったり、友人だったら、太宰の顔や仕草や癖や性格や態度などを知っているから、そのことが太宰の小説を読むときに影響を与えないわけにはいかないと思う。その人を知っているということは、その人をある意味では見えなくさせる。身近に接している人はどんな人でも、 「ただの人」である外はないからである。

その人を知らないほうがいい場合もある。いまは誰も太宰と接することができない。檀一雄の次のような文章を読んで、そのことは必ずしも不幸なことではないと感じた。

「その文章(太宰の作品)は時には誇張もあり、虚飾もあり、見栄や、気取り、さまざまのまぎらわしい雑多のよせ合わせから成立っているに相違ないが、それでもその雑多の文飾の中心に、ぽっかりと淋しげな太宰の面持が浮び上がってくるから有難い。/いかなる身近な友人も、その近親も、素直に読む読者以上には、作家の身近に忍びよることは出来にくかろう。」(18ページ)

太宰の文章から、誇張や虚飾や見栄や気取りを感じ取るということには、著者が太宰の友人だったことが関係しているのではないか。太宰の文章の背後に、身近に接していた太宰の姿を見ているからではないか。しかし、 「素直に読む読者」は、そんな「雑多のよせ合わせ」とは関係なく、作品の文章からじかに、「ぽっかりと淋しげな太宰の面持」を感じることができるのだと、著者は言いたいように思える。


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