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 太宰治論を読む - サリンジャー著

2003年9月5日
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9 サリンジャー・村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

                            白水社2003年4月20日
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『人間失格』が1948年(昭和23)に書かれているのに対し、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は1949年(昭和24)に書き出されていること、『人間失格』の主人公葉蔵が「脳病院」に入れられるのに対し、『キャッチャー』の主人公ホールデンは精神病院に入っていること、葉蔵が23歳で若白髪になるのに対し、ホールデンは16歳で白髪がたくさんあること、そんなことは偶然かもしれないし、どんなことにでも共通点を見つけようと思えば見つかるということかもしれない。

それでも、『人間失格』の主人公と『キャッチャー』の主人公には、共通する心的な傾向があるような気がする。ホールデンが親しみを感じているのは、妹と死んだ弟のほかにはカソリックの二人の尼さんだけだが、その尼さんから宗派を聞かれることをホールデンは怖れている。尼さんとの宗派の違いが明らかになると、親しみが減じてしまうのではないかと考えているからである。

このことは、「女の身の上噺」よりも「侘びしい」という呟きのほうに共感をそそられると言う、『人間失格』の主人公葉蔵の心的な傾向と似ている。「身の上噺」によって、自分と相手との違いが明らかになり、そのことで親しみが減じてしまうのではないかと、葉蔵は怖れているのである。

『キャッチャー』の主人公が、他人より高級なスーツケースを持っているだけで落ち込んでしまうのは、他人との違いが親密さを妨げると感じているからではないか。ホールデンはすぐ落ち込むし、すぐ哀しい気分になるが、それはこうした感情が作用しているからではないか。

他人とは違うということが、現実のありのままの姿だとすれば、葉蔵もホールデンも他人のことがよく分からないという不安から、そのような現実を回避したいという気持ちを抱いているのかもしれない。

ただ『キャッチャー』の場合、ホールデンには、「ねえ、さっき言ったことは本当? どこにも行っちゃったりしないってこと。このあと本当におうちに帰る? 」(350ページ)と尋ねる妹がいるので、現実から呼びかける声のない『人間失格』とは、読後感がずいぶん違うように思える。


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