太宰治論を読む -福田恒存著2003年10月3日 『太宰治研究1/その文学』筑摩書房1978年6月15日所収 太宰の死(昭和23年6月)の、直前と直後に書かれたもの。 太宰は同じ場所に、じっと留まっていない。いつも動いている。作者が動くと作品も動き、作品が動くと作者も動く。そして、読者もいっしょに動くから、いつまでも安定は訪れない。この批評を読んで、そんなことを思った。 動きはなぜ生じるのか。「美しい表現のために、自己の事実よりははるかに愛した嘘のために、かさねて嘘をつかねばならなくなつた。」(「道化の文学 」)と言われているように、「愛した嘘」(作品)がさらに「嘘」(作品)を求め続けるため、「自己の事実」(生活)もまた動き続けるしかなかったのではないか。 このような動きが、太宰の作品を魅力的にしているような気がする。そしてその動きは、特に戦後、不幸の方へ不幸の方へと向かう動きとなった。 ただ、現在の読者は(少なくとも私は)、リアルタイムで太宰に伴走しているわけではないから、太宰といっしょに動いていくことはないと思える。
「道化の文学」(昭和23年5月)
▲「道化の文学」「太宰治再論」は下記の本にも収録されています。
|