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 太宰治論を読む

津島美知子『回想の太宰治』

2003年11月7日 
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11 津島美知子『回想の太宰治』 講談社文庫1983年6月15日
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身近で接していた夫人しか知ることのできない、太宰治の姿を興味深く読むことができる。

太宰の短編小説「善蔵を思ふ」は、だまされて買ったと思っていたバラの苗が、意外にも優秀なものだったという、ちょっとしみじみとした話だが、その素材となった出来事について、美知子夫人は次のように書いている。

「(三鷹に引っ越してきて早々のこと)あるとき花の苗を売り歩く男が庭に入ってきた、生垣がざっと境界になっているだけで誰でも何時でも庭に入ってこれる。それは郊外でよく見かける行商人で、べつに贋百姓というわけではないが、特有の強引さで売りつけて、まごまごしているとそこらに植えてしまいそうな勢である。太宰はまだこの一種の押し売りを相手にしたことがなかったのだろう。机に向かって余念ないとき、突然鼻先に、見知らぬ男が現われたので動転して、喧嘩を売られたような応答をしたので先方もやり返し、険悪な空気になった。結局六本のバラの苗を植えて男は立ち去り、この苗はちゃんと根付いたのであるが、このとき私は太宰という人の、新しい一面を見たと思った。来客との話は文学か、美術の世界に限られていて、隣人と天気の挨拶を交すことも不得手なのである。ましてこのような行商人との応酬など一番苦手で、出会いのはじめから平静を失っている。このとき不意討ちだったのもまずかった。気の弱い人の常で、人に先手をとられることをきらう。それでいつも人に先廻りばかりし取越苦労するという損な性分である。/私はその後、この一件を書いた小説を読んで、さらに驚いた。あのとき一部始終を私は近くで見聞きしていた。私にとっての事実と太宰の書いた内容とのくい違い、これはどういうことなのだろう。偽かまことかという人だ――と私は思った。」(33ページ)

生活的にダメであることと、現実の素材を離れて話を作れることとは、関係があるのだろうか。生活というのは現実に着くことで、話を作るというのは現実から離れることだとすれば、関係があるといえるのかもしれない。

ただ、現実を離れてもう一つの現実を、小説という形で示そうとすれば、現実(人)そのものをよく知っていなければ、現実感を持たせることも、共感を与えることもできないような気がする。

太宰は自分の小説を、「おいしい奉仕」(「桜桃」)と呼んでいるが、太宰が現実とは別に、「おいしい現実」をもう一つ作ることができたのは、「常識圏外に住む人」(回想・28ページ)だったのと同時に、「常識圏内に住む人」のことをよく理解していたためではないかと思える。よく理解していることが、よく振舞えることではないとしても、である。

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