太宰治論を読む - 村瀬学著2003年12月5日
佐藤泰正編『太宰治を読む』笠間書院1999年10月30日所収 「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」といったことを、『人間失格』の主人公葉蔵は、手記でくり返し述べている。村瀬学はこの 「人間」を、たとえば「日本人」に置き換え、「自分」を「外国人」に置き換えることを提案して、次のように書いている。 「なぜこんなことを私が想定するのかというと、この『人間失格』という作品が、一見すると「一人の個人の生涯」を描いているようなふりをして、実は「個人」とは別な「文化と文化のぶつかり」「慣習と慣習のぶつかり」を描いている節があるように感じられてきたからだ。」 (128ページ) 「自分(外国人)には、人間(日本人)の生活というものが、見当つかないのです」と置き換えることで、『人間失格』は確実に読み替えられている。 ところで、個人の資質と考えられているものが、文化・慣習を反映したものであるとしても、それを私たちは個人で引き受けていくしかない。主人公葉蔵は自己の資質を、個人で引き受けようとしているか。そして、作者はそうした主人公を、どこまで引き受けようとしているか。『人間失格』 に対する共感と嫌悪とには、それをどう見るかで分かれるような気がする。 『人間失格』がなかったら、あるいは『人間失格』しかなかったら、太宰のイメージは大きく変わるだろう。様々な読み方のできる作品だと思う。
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