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 太宰治論を読む - 臼井吉見著

2004年2月6日
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14 臼井吉見「太宰治論」

         『太宰治研究1/その文学』筑摩書房1978年6月15日所収
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昭和23年9月初出の「太宰治の笑い」と、昭和29年7月初出の「鎖のまま」の、二つの文章から成り立っている。

太宰治が戦争中、『新釈諸国噺』や『お伽草紙』などの作品で、人間の滑稽を笑うコメディを書き続けたことを、臼井吉見は「健全なゆとりのある精神」と呼んで、次のように書いている。

「ひとは彼をニヒリストと呼び、デカダンと呼ぶ。おそらく、この呼称は誤りである。彼はみずから言つているように、生涯「薄汚れた泥酔者」だつたにしても、その心奥には、つねにコメディを創り出す健全なゆとりのある精神を蔵していたのである。」(「太宰治の笑い」)

戦争中に太宰だけがなぜ、作品を書き続けることができたのかという、前回の疑問に対する、一つの答えがここにあるような気がする。

戦争一色の時流の中で、「ゆとりのある精神」を保持することが、いかに困難なことであるか。それは私などには想像もできないことであるが、「終始死の対談者であつた彼は、また終始心からの明るい笑いを笑つていた作家でもあつた。」(「太宰治の笑い」)と臼井吉見が書いているように、太宰が「心からの明るい笑い」を笑える作家であったこと、それが「死の対談者」であったことと交換することで可能だったとしても、そのことと無縁だとは思えない。

そして、「厳粛な態度をとればとるほど、てれくさいものにならざるをえない。」(「鎖のまま」)という太宰の心の持ち方に、「心からの明るい笑い」が、つまり「ゆとりのある精神」が宿っていたと思えてくる。太宰の場合、「厳粛な態度」を要求されるような時代に、そんな 「てれ」が「ゆとりのある精神」として、本物の強さを発揮したのかもしれない。

「ゆとりのある精神」を保持することは、いまでもこれからも、とても困難なことだから、太宰はいつでも甦ってくるのだと思う。


▲『太宰治研究1/その文学』(筑摩書房1978年6月15日)は絶版ですが、サイト「日本の古本屋」で見つけることができるかもしれません(2005年2月13日現在:あり)。
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