太宰治論を読む - 高橋和巳著2004年3月5日
『太宰治研究1/その文学』筑摩書房1978年6月15日所収 初出は1967年。タカハシ・カズミという響きだけで、私など、あぁーと思ってしまう。1960年代の後半から1970年代にかけて、本屋の新刊コーナーにはいつも、高橋和巳の小説が平積みにされていて、けっこう一所懸命読んだ。 高橋和巳は1971年5月に、太宰と同じ39歳で亡くなっている。私など、とっくの昔に、年齢だけは超えてしまった。 高橋和巳は太宰の、戦争中の健康的な生活と作品について、こんなふうに書いている。 「下降的な精神の持主が健康になるためには、外的な呪縛を必要とするものであり、真空的な自由はむしろその人の破滅につらなる。はつきり言えば、戦争が太宰治を一時的に救つたのである。その規制されることによつて、かえつて立ち直る精神構造の機微は、限られた紙面で語るためにはあまりに複雑であるけれども、一つの不幸な精神を時代全体の不幸が一時的に救済することがあるということは知られていいことであろう。芸術はそういう危険なものである。」 太宰は生涯、就職することもなく、ずっと実家から生活費の仕送りを受けていた。 人は制度を通じてしか、社会と接触することはできないし、社会と接触できない限り、現実に対する喪失感を抱かざるを得ない。就職や結婚を通じてしか、制度という 「外的な呪縛」を感じることはできないし、社会の現実感を得ることもできない。 太宰はだから、「真空的な自由」によって、現実に対する喪失感を味わっていたのかもしれない。そして、「外的な呪縛」は戦争という形で、太宰にやってきたに違いない。太宰はそのことによって、社会との接触を回復し、現実感を獲得したのではないか。 「戦争が太宰治を一時的に救つた」のだとすれば、戦争が強いる「外的な呪縛」によるのではないか、そんなことを思った。
▲「滅びの使徒―太宰治」は下記の本にも収録されています。
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