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 太宰治論を読む

吉本隆明「太宰治」

2004年7月5日 
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19 吉本隆明「太宰治」 『悲劇の解読』ちくま文庫1985年12月4日所収
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初出は1976年5月。太宰治には最後まで「成熟」が訪れなかったとして、著者は次のように書いている。

「太宰治は作品からうかがうかぎり、人間は不可解なものだという恐怖にとらえられ、ついにその恐怖から脱することができなかった。ひとは誰でも、じぶんの心と行動から他者を理解しようとし、その理解から人間と人間の関係の仕方を、少しずつおぼえこんでゆく。そしておぼえこみが深ければ深いほど、かれは人間にたいする洞察力が優れているということになる。おぼえこみが深くならなくてもそれに狃れれば、人間通にはなれる。この世界を人間と人間との関係の仕方としてみるかぎり、成熟とはこのいずれかひとつを択ぶことをさしている。太宰治に悲劇があったとすれば、じぶんの心の動きから他者を推しはかれない点にあった。いくらやっても他者はじぶんとはまったく異った根から養分をとり、まったく異った原則で生きている異類としかおもわれなかった。この思いは生涯にわたって深まる一方であった。かれの作品は人間洞察を深めてゆく成熟の道のりも、人間と人間との関係の仕方に狃れた風化への道のりをも示さなかった。最後まで人間がわからぬ、人間は怖ろしい、じぶんは人間から仲間外れになっている、という嬰児のようなおびえ(原文傍点)のまま立ちすくんでいた。」(21ページ、アンダーラインは引用者)

「人間洞察を深めてゆく成熟」にも、「人間と人間との関係の仕方に狃れた風化」にも到達できず、嬰児のようなおびえのまま立ちすくんでいたという指摘は痛切である。太宰の作品に対する考察としてだけではなく、読者が自分をそう感じているという指摘にもなっているという意味で痛切なのだと思う。

著者は書き出しで、「作品は読者に担がれて作者を超えて誇張される。」(17ページ)と述べているが、この太宰論全体が読者に、自分のことが指摘されているように感じさせるのではないか。それがこの太宰論の著者を超えて、誇張されたものだとしても、である。


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