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 太宰治論を読む - 坂口安吾著

2004年10月18日
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22 坂口安吾「不良少年とキリスト」

         『太宰治研究1/その文学』筑摩書房1978年6月15日所収
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初出は太宰の死の直後の、昭和23年7月。

安吾は書いている。

「『父』だの『桜桃』だの、苦しいよ。あれを人に見せちやア、いけないんだ。あれはフツカヨヒの中にだけあり、フツカヨヒの中で処理してしまはなければいけない性質のものだ。/フツカヨヒの、もしくは、フツカヨヒ的の、自責や追悔の苦しさ、切なさを、文学の問題にしてもいけないし、人生の問題にしてもいけない。/死に近きころの太宰は、フツカヨヒ的でありすぎた。毎日がいくらフツカヨヒであるにしても文学がフツカヨヒぢや、いけない。」

安吾は太宰に対する親愛の情から、こう書いているに違いない。けれども、「自責」「追悔」はフツカヨヒの中で処理すべきで、文学や人生の問題にしてはいけないと書くことで、太宰の読者を撃つことになっているのではないか。自責や自虐や後悔に苦しめられて、太宰の作品に入っていく読者は多いのかもしれない。でも、そんなものは文学の問題にしてもいけないし、人生の問題にしてもいけないと安吾は言う。太宰はフツカヨヒ的でありたくないと思いながらも、そうできなかったのだとして、安吾はその理由を次のように書いている。

「フツカヨヒ的自虐作用は、わかり易いものだから、深刻ずきな青年のカッサイを博すのは当然であるが、太宰ほどの高い孤独な魂が、フツカヨヒのM・Cにひきずられがちであつたのは、虚弱の致すところ、又、ひとつ、酒の致すところであつたと私は思ふ。」

自虐的であるのは、「孤独な魂」に耐えられないからで、 太宰ほどの「高い孤独な魂」がフツカヨヒ的自虐作用に引きずられたのは、虚弱と酒のせいだと言う。虚弱と酒のせいだと言うことで、安吾は太宰の「高い孤独な魂」を救い出そうとしている。太宰は「深刻ずきな青年」のように、「孤独な魂」に耐えられないで、自虐的に苦しんだのではないのだ、と。


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