表紙太宰治論を読む[一覧]サイトマップ

 太宰治論を読む

吉本隆明他『吉本隆明「太宰治」を語る』

2010年8月10日 
───────────────────────────────
33 吉本隆明他『吉本隆明「太宰治」を語る』 大和書房1988年10月31日
───────────────────────────────

1988年に弘前で行われた、太宰治に関する講演とシンポジウムの記録である。吉本隆明はシンポジウムの中で、「同時代的な読み方」だとして、つぎのように語っている(164〜166ページ)。

-------------------------------------------------------------
・太宰以外の無頼派(坂口安吾、織田作之助、石川淳)は、「堕ちよ」といっても、遊んでいる。個人の倫理はあるが、使命感はない。
・太宰だけが飛び抜けて真剣で、個人の倫理ではなく、フィクションを媒介にして、使命・義を表現している。太宰の場合、個人にはなりきれないという思い、また、欲望の行為をじかに表現しているのではないという思いがあった。
・志賀直哉は、自分の欲動の表現が、ひとりでに文学作品になっている。

-------------------------------------------------------------

太宰治の場合、太宰個人の欲望や倫理が、否定的に語られることが多い。そして、太宰の作品も、そんな「個人の欲望」「個人の倫理」によって評価されていく。

吉本隆明は太宰が、「自分の文学は欲望のナチュラリズムの文学じゃないぞ、つまり、欲望の行為をじかに表現しているんじゃないぞ」と考えていたと、語っている。

そして、坂口安吾や織田作之助が、デカダンスを強調したような作品を描いても、エッセイとかスローガンでそういっているようにしか感じられないのとは違って、太宰の場合、「表現の様式としては、いつでもフィクションを媒介にしてい」ると、述べている。

太宰の場合、個人の欲望や倫理をじかに表現しているのではなく、フィクションを媒介にして、使命・義を表現しているという指摘は、太宰の評価を転換させる発言のように思える。

太宰治が現在に生きているとすれば、あるいはこれから甦るとすれば、こういう視点からであるような気がする。

『吉本隆明「太宰治」を語る』 amazonはこちら

『DVD版 シンポジウム太宰治論』 amazonはこちら

(シンポジウムはDVD版にも録画されていますが、DVD版付属のテキストには収録されていません。)


サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ


日本の古本屋
 


表紙太宰治論を読む[一覧]サイトマップ