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1 『人間失格』論 (1/2)

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                                 2013.7.6更新(改訂版)

1 世間
主人公葉蔵の手記は、「人間の生活」が「見当つかない」として、次のように書き出されている。

《恥の多い生涯を送つて来ました。
 自分には、人間の生活といふものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなつてからでした。自分は停車場のブリツヂを、上つて、降りて、さうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだといふ事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思つてゐました。しかも、かなり永い間さう思つてゐたのです。ブリツヂの上つたり降りたりは、自分にはむしろ、ずゐぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴイスの中でも、最も気のきいたサーヴイスの一つだと思つてゐたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にはかに興が覚めました。
 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道といふものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗つたはうが風がはりで面白い遊びだから、とばかり思つてゐました。
 自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴア、掛蒲団のカヴアを、つくづく、つまらない装飾だと思ひ、それが案外に実用品だつた事を、二十歳ちかくになつてわかつて、人間のつましさに暗然とし、悲しい思ひをしました。》(「第一の手記」)

手記の冒頭のこの箇所には、葉蔵の心的な傾向があざやかに示されている。葉蔵は、実利的な階段に過ぎない停車場のブリッジを、「ずゐぶん垢抜けのした遊戯」と思い込み、地下鉄道という実利的なものを「面白い遊び」と思い込んでいた。また、敷布や枕カバーといった実用品を、「装飾」と考えていた。実用・実利に密着して生活をしている人を、葉蔵にならって「人間」と呼ぶなら、「人間失格」とはそうした生活から逸脱してしまう人のことでもあった。それは世間の規範(実用・実利)を、情緒的(遊び)にしか感取することができない人のことだった。

大人になるということは、遊びの場面を時間的・空間的に限定していくことである。ところが、葉蔵にはそれができない。葉蔵は手記の冒頭で、情緒的な関係を過度に求める人物として性格づけられている。人は共同的な規範性を媒介としない限り、他者と関係を結ぶことができない。他者との共通性が、他者を理解する基盤になっている。しかし、世間の規範を情緒的にしか感取できない葉蔵にとって、他者の内面は、うかがい知ることのできないものとしか感じられていない。

《つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食へたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍ひなど、吹つ飛んでしまふ程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかひを続けて行ける、苦しくないんぢやないか? エゴイストになりきつて、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑つた事が無いんぢやないか? それなら、楽だ、しかし、人間といふものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐつすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見てゐるのだらう、道を歩きながら何を考へてゐるのだらう、金? まさか、それだけでも無いだらう、人間は、めしを食ふために生きてゐるのだ、といふ説は聞いた事があるやうな気がするけれども、金のために生きてゐる、といふ言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考へれば考へるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変つてゐるやうな、不安と恐怖に襲はれるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言つたらいいのか、わからないのです。》(「第一の手記」傍線・引用者)

葉蔵は、自己の内面から類推して、他者の内面にたどり着くという方法で、他者を理解することに自信が持てない。そのため、他者の内面が「わからない」と、くり返し述べることしかできない。その結果、「自分ひとり全く変つてゐる」と他者との違いだけが過剰に意識され、他者に、「何を、どう言つたらいいのか、わからない」という状態に追い込まれていく。

他者との会話は、家族との関係(根源的には、唯一の濃密な関係である母性との関係)で獲得される関係性に支えられて成り立っている。母性との非言語的な関係性が、言語を媒介とした、「わかる」という人と人との関係を支えている。葉蔵は、母性との非言語的コミュニケーションが希薄だったため、言語的コミュニケーションの困難さにぶつからざるを得なかった。


2 道化
葉蔵は手記の中で、人間のことが分からない不安と恐怖を語っている。その不安と恐怖は、葉蔵を、自己の内面を他者に開示しようとしない、受動的な存在にした。葉蔵の道化は、受動的なまま他者とかかわろうとしたとき採用されたものだった。

《人間に対して、いつも恐怖に震ひをののき、また、人間としての自分の言動に、みぢんも自信を持てず、さうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴアスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装ひ、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
 何でもいいから、笑はせてをればいいのだ、さうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にゐても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになつてはいけない、自分は無だ、風だ、空(そら)だ、といふやうな思ひばかりが募り、自分はお道化に依つて家族を笑はせ、また、家族よりも、もつと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴイスをしたのです。》(「第一の手記」)

葉蔵は自分が、「所謂『生活』の外」にはみ出してしまっていることを自覚していた。そして、道化によって笑わせていれば、人間たちの目障りになることもないかもしれないと考える。しかし、笑わせることは、「無だ、風だ、空だ」というふうに存在することではなかった。道化とは、他者に依存してしか成立しない受動的なものだった。

また、葉蔵には、「尊敬されるといふ観念」が次のように捉えられていた。

《ほとんど完全に近く人をだまして、さうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木つ葉みぢんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」といふ状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知つてゐる、さうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教へられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いつたい、まあ、どんなでせうか。想像してさへ、身の毛がよだつ心地がするのです。》(「第一の手記」)

これはそっくりそのまま、道化の「定義」と考えても差し支えないように思える。道化も「尊敬される」ということも、他者に依存してしか成り立たないという理由で、いつでも反対のものに転化する可能性を孕んでいた。

葉蔵の「第一の手記」が、葉蔵という人物を総論的にとりあげたものとするなら、「第二の手記」「第三の手記」は、葉蔵が実際に世の中に出たときの、実践編とでもいえるものである。そこには、学校や世間とぶつかりながら、「恥の多い生涯」を送っていく葉蔵の姿が描かれている。

「第二の手記」は、葉蔵が東北の中学校に入学したところから始まる。やがてそこで、葉蔵の道化が、「或るひとりの全知全能の者」に見破られるという事件が起きる。「定義」が現実のものとなったのだ。葉蔵は鉄棒の練習のとき、幅飛びのように前方へ飛んでしまい、砂地にドスンと尻餅をつく。すべてが計画的な失敗だった。皆の大笑いになるが、竹一という「白痴に似た生徒」だけはその道化を見破り、葉蔵の背中をつついて、「ワザ。ワザ。」と低い声で囁く。「誰かひとりが知つてゐる」のだった。

道化の場合も、道化であることが見破られのではないかという恐怖が、「尊敬される」ということと同じように、次のように語られる。

《表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑はせてゐましたが、ふつと思はず重苦しい溜息が出て、何をしたつてすべて竹一に木つ葉みぢんに見破られてゐて、さうしてあれは、そのうちにきつと誰かれとなく、それを言ひふらして歩くに違ひないのだ、と考へると、額にじつとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキヨロキヨロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍から離れず彼が秘密を口走らないやうに監視してゐたい気持でした。さうして、自分が、彼にまつはりついてゐる間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであつたといふやう思ひ込ませるやうにあらゆる努力を払ひ、あはよくば、彼と無二の親友になつてしまひたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさへ思ひつめました。》(「第二の手記」)

道化を演じるということは、「お道化」(人気者)という位置から転落してしまうのではないかという不安を、いつも感じ続けていなければならないことだった。

「尊敬される」ということが、「定義」どおりに実現したときの反応も、道化の場合と同じである。それは、前期の自伝的な作品「思ひ出」(昭和8年)に、次のように書かれている。

《学校(小学校・引用者)で作る私の綴方も、ことごとく出鱈目であつたと言つてよい。私は私自身を神妙ないい子にして綴るやう努力した。さうすれば、いつも皆にかつさいされるのである。剽竊さへした。当時傑作として先生たちに言ひはやされた「弟の影絵」といふのは、なにか少年雑誌の一等当選作だつたのを私がそつくり盗んだものである。先生は私にそれを毛筆で清書させ、展覧会に出させた。あとで本好きのひとりの生徒にそれを発見され、私はその生徒の死ぬことを祈つた。》

「思ひ出」の主人公の「私」が、小学校で「神妙ないい子」を演じるのも、『人間失格』の主人公の「自分」が、中学校でクラスの人気者を演じるのも、恐れていた「人間」(世間)と関係を結んでいくための手立てに過ぎなかった。そして、演技を見破った者の死を祈るほど恐れなけらばならなかったのは、「神妙ないい子」や「クラスの人気者」という位置から転落して、「人間」から孤立してしまうのではないかということだった。

道化は他者に依存してしか成り立たない。しかし、他者はいつ注目するのをやめるか知れない。東京の高等学校に入学した葉蔵が目にしたのは、他人のことなど歯牙にもかけようとしない周囲の存在だった。青年の頭の中は自分のことで占められていて、他人の道化に興じている余裕などなかった。「教室も寮も、ゆがめられた性欲の、はきだめみたいな気さへして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした」と述べる葉蔵には、他者と交わる方法が何もなくなっていた。


3 堀木
葉蔵は、高等学校の寮から上野桜木町の父の別荘に移り、世の中とかかわりを失くした生活に閉じこもるようになる。

《父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在してゐませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちよいちよい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(略)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしてゐました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デツサンの練習をしてゐる事もあつたのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にゐるような、それは自分のひがみかも知れなかつたのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いつそう学校へ行くのが、おつくうになつたのでした。》(「第二の手記」)

これが、父の別荘に移ってから堀木と出逢うまでの、葉蔵の東京での生活である。葉蔵は社会から孤立した生活を送っていた。そんな時、葉蔵の孤独の匂いを嗅ぎつけて、堀木が接近してくる。葉蔵が堀木と画塾ではじめて逢った時の、堀木のスタイルは、堀木の存在を象徴していた。

《堀木は、色が浅黒く端正な顔をしてゐて、画学生には珍らしく、ちやんとした背広を着て、ネクタイの好みも地味で、さうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺつたりとわけてゐました。》(「第二の手記」傍線・引用者)

堀木は「画学生」という非社会的な存在として、また、「ちやんとした背広を着て、ネクタイの好みも地味」という社会的な存在として、二重に存在していた。それで堀木は、社会から孤立していた葉蔵と結びつき、葉蔵を社会に橋渡しすることができたのである。

葉蔵の「人間恐怖」は、東京に出てきてからも改まらなかった。電車の車掌が恐ろしく、歌舞伎座の案内嬢が恐ろしく、レストランのボーイが恐ろしく、それで一日中、家の中で「ごろごろ」していたのだった。葉蔵は堀木を介して、はじめて世間と関係を持つことができるようになる。また、堀木に教えられた「酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想」によって、はじめて他者と関係を持つことができるようになる。

《堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切つて、しかも遊び上手といふのか、わづかなお金で最大の効果のあるやうな支払ひ振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くといふ手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々といふ料亭に立ち寄つて朝風呂へはひり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔ひの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。》(「第二の手記」)

《酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとひ一時でも、まぎらす事の出来るずゐぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかつて来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さへ、抱くやうになりました。》(「第二の手記」)

堀木の役割は、孤立していた葉蔵を世間に橋渡しすることだった。葉蔵が恐れていた「人間」とかかわりを持つ「手段」は、堀木によって与えられる。葉蔵は誘いを待っていたかのように、堀木と結びついていく。

葉蔵はやがて、堀木の手引きによって世間に出ていき、世間から指弾されるような様々な事件を引き起こすことになる。葉蔵が事件を起こす直前には、必ず堀木が現れる。堀木とは、〈事前に現れる人〉である。堀木は葉蔵を世間に連れ出し、葉蔵に事件を起こさせ、最終的には葉蔵を世間の外に追放する。


4 淫売婦と左翼思想
葉蔵は堀木から、「人間」(世間)とのつながりを保持する「手段」として、「淫売婦」と「左翼思想」を授けられる。そのことによって、葉蔵は束の間の慰安を感じてもいた。

《自分には、淫売婦といふものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のやうに見え、そのふところの中で、自分はかへつて全く安心して、ぐつすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらゐ、実にみぢんも欲といふものが無いのでした。さうして、自分に、同類の親和感とでもいつたやうなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあつたのです。》(「第二の手記」)

葉蔵は女性を、「男性よりもさらに数倍難解」(第二の手記)と考えていたから、「人間でも、女性でもない」、「白痴か狂人」のようにしか見えない「淫売婦」のふところの中でしか、安心してぐっすり眠ることができなかった。世間に流通している規範を介して、「人間」と関係を結ぶことができない以上、こうした、心と心がじかに感じあえるような情緒的関係が求められていくことは必然だった。「淫売婦」とのそうした関係は、言語的コミュニケーションを欠いているという理由によって、彼女たちを「白痴か狂人」のように見せざるを得なかった。いうまでもなく、母性(「マリヤの円光」)の再現である。

「淫売婦」が葉蔵に示す、「何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意」は、「同類の親和感」によるのだろうか。ここでは、葉蔵の夢が語られているだけだ。「打算も無い好意」は打算に、「押し売りでは無い好意」は押し売りに、いつでも転化する可能性を秘めていた。だから堀木に、「女達者」という匂いがつきまとってきたと指摘されるだけで、葉蔵は、「淫売婦」と遊ぶことにも覚めてしまう。

「左翼思想」の場合も、事情は変わらない。

《非合法。自分には、それが幽かに楽しかつたのです。むしろ、居心地がよかつたのです。世の中の合法といふもののはうが、かへつておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐つてをられず、外は非合法の海であつても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るはうが、自分には、いつそ気楽のやうでした。》(「第二の手記」傍線・引用者)

「地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合つた感じなのでした」と述懐する葉蔵には、どんなところからも親和的な「雰囲気」を感じとりたいという強い願望があった。そのことは、暖かく抱擁してくれる家族性というものに対して、深刻な飢渇感を抱えていたことを物語っていた。

また、「世の中の合法」が、「窓の無い、底冷えのする部屋」として、独房(非合法)を想起させるものとしかイメージされていない。この作品ではこのように、家族性を象徴する家や部屋が、寒さを感じさせるところとしかイメージされていない。葉蔵が子供のころ、家族と食事をともにした部屋は、薄暗くて肌寒いところでしかなかった(第一の手記)。後に葉蔵が、若い妻(ヨシ子)と住むことになるアパートの部屋では、葉蔵を絶望の底に突き落とすことになる惨劇がひき起こされる(第三の手記)。手記の最後には、六〇に近い老女中と茅屋に住む、幸福も不幸もない葉蔵の暮らしが描かれている。

このように、家や部屋は、暖かく抱擁してくれる家族性というイメージからますます遠のいていく。そのことは作者が、暖かく迎え入れてくれるような家族性を、最終的に断念したことを意味するのだろうか。

政治の世界は、親和的な「雰囲気」を楽しむような世界とは次元を異にしていた。しかし、葉蔵が地下運動に参加した動機は、そこが「居心地」よかったためで、葉蔵が手記で記しているように、「必ずしも、マルクスに依つて結ばれた親愛感では無かつた」のである。だから、中央地区のマルクス学生の行動隊々長となり、P(党)から息をつく暇もないくらい用事の依頼がくると、地下運動も「世の中の合法」と同じように、桎梏以外のものとは感じられなくなる。

《もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝ひをしてゐたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が出たやうに、いやにいそがしくなつて来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお門ちがひでせう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、といふやうないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。》(「第二の手記」)

逃げることは、「人間」(世間)と直面することを回避しようとする、葉蔵の習性のようなものだ。「死」は、逃げることの延長と考えられていた。葉蔵はツネ子という女のところに逃げ込む。そして、「高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の婦人(ツネ子・引用者)と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。」と書いているように、境遇を「一変」させる。


5 ツネ子
葉蔵は地下運動から逃げることによって、「絶えず追はれてゐるやうな心」を抱え込むようになる。そのため、大カフェでたくさんの酔客や女給やボーイたちにまぎれ込むことができたら、「自分のこの追はれてゐるやうな心」も落ちつくのではないかと考える。そして、葉蔵は銀座の大カフェにひとりで入っていき、女給のツネ子と出逢う。ツネ子の印象を、葉蔵はつぎのように述べている。

《そのひとも、身のまはりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞ひ狂ひ、完全に孤立してゐる感じの女でした。》(「第二の手記」)

葉蔵はツネ子の傍にいるだけで、「震へをののいてゐる心」がしづめられるのを感じる。また、ツネ子に「安心」しているので、「お道化」などを演じる気持も起こらず、「自分の地金の無口で陰惨なところ」を隠さずに見せても平気だった。ツネ子が語る身の上話を聞いて、葉蔵はつぎのような感想を持つ。葉蔵が希求していた、人との関係の特徴をよく示している箇所だ。

《自分は、どういふものか、女の身の上噺といふものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせゐか、つまり、話の重点の置き方を間違つてゐるせゐなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました。
 侘びしい。
 自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟きのはうに、共感をそそられるに違ひないと期待してゐても、この世の中の女から、つひにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じてをります。けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言ひませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらゐの幅の気流みたいに持つてゐて、そのひとに寄り添ふと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持つてゐる多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合ひ、「水底の岩に落ち附く枯葉」のやうに、わが身は、恐怖からも不安からも、離れる事が出来るのでした。》(「第二の手記」)

葉蔵は、「女の身の上噺」よりも、「侘びしい」という一言の呟きのほうに共感をそそられると述べている。ツネ子は葉蔵に、自分は葉蔵より二つ年上であること、広島で床屋をしていたが、昨年夫と東京へ出てきたこと、夫が詐欺罪に問われ刑務所に入っていることなどを物語る。

「身の上噺」とはこのように、自分の境遇を他者に、理性の言葉で伝えようとすることである。それは聞き手に、語り手との違いを確認させ、距離感を覚えさせる。しかし、葉蔵はそうした距離のある関係を、望んでいたわけではなかった。いつでも親密な関係が、一気に訪れることを望んでいた。そのことは、言葉による伝達を拒否しているのにひとしかった。だから、葉蔵は他者(ツネ子)の話に、「馬耳東風」の態度で接するよりほかなかったのである。

言葉による時間的関係 (「身の上噺」を理解しようとすること)を経ずに、言葉によらない空間的関係(情動的に結びつこうとすること)を一気に実現させようとすること。それが、「身の上噺」には無関心であっても、「侘びしい」という一言で他者と結びつこうとする、葉蔵の心的な特性である。

「侘びしい」という一言を呟きたかったのは、ほんとうは葉蔵自身だったに違いない。そう考えなければ、ツネ子に寄り添うとその気流に包まれ、恐怖からも不安からも離れることができたという、葉蔵の気持ちも理解できない。なぜなら、侘しさを身にまとっているツネ子のほうが、寄り添い包まれたいと願うのが自然だからである。人間(世間)恐怖から解放され、無限に癒されたいという葉蔵(作者)の願望が、こうした表現をとらせている。

葉蔵がツネ子の部屋に、二度目に泊まった翌日の夜明けがたのこと。ツネ子の口から「死」という言葉が出て、葉蔵もその提案に気軽に同意する。だがその時、葉蔵にはまだ、実感として「死なう」という覚悟はできていなかった。どこかに「遊び」の気持ちがひそんでいた。

その日の午前、葉蔵はツネ子と喫茶店に入って、牛乳を飲んでいた。支払いのとき、葉蔵は自分のがま口の中に、銅銭が三枚しか入っていないことに気づき、「これが自分の現実なのだ、生きて行けない」とはっきり思い知らされる。ツネ子はそのがま口をのぞき込んで、「あら、たつたそれだけ?」と無心の声を発する。葉蔵は、「とても生きてをられない屈辱」を感じ、「みづからすすんでも死なうと、実感として(原文は傍点・引用者)決意」する。

葉蔵には、ツネ子の「あら、たつたそれだけ?」という無心の声が、自分を非難する世間の声のように聞こえたに違いない。「はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かつた」と、葉蔵は記している。そのことは、「侘びしい」という一言に共感している心の中に、「身の上噺」が割り込んでくることに似ていた。この共感からの墜落が、葉蔵を孤立感の中に佇立させ、葉蔵に死を決意させる。


6 ヒラメ
葉蔵はツネ子と一緒に、鎌倉の海に飛び込むが、自分だけが生き残ってしまう。作者は、『人間失格』の中でいちばん母性的なツネ子を、はやばやと退場させてしまう。この「情死事件」に対して、葉蔵は逃げることも、道化でごまかすこともできない。葉蔵が受けた、社会的な制裁を列記してみる。
 (1)新聞に大きな問題として取り上げられる
 (2)生家から義絶される
 (3)自殺幇助罪に問われる(起訴猶予)
 (4)高等学校から追放される

葉蔵は、「人間の生活」「人間の営み」から逸脱してしまう行為(情死事件)によって、社会的な制裁を受け、「人間失格」の烙印を押される。自殺幇助罪に問われて、警察から検事局に行く時の様子を、葉蔵は次のように書いている。

《お昼すぎ、自分は、細い麻縄で胴を縛られ、それはマントで隠すことを許されましたが、その麻縄の端を若いお巡りが、しつかり握つてゐて、二人一緒に電車で横浜に向ひました。
 けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼、自分はどうしてかうなのでせう、罪人として縛られると、かへつてほつとして、さうしてゆつたり落ちついて、その時の追憶を、いま書くに当つても、本当にのびのびした楽しい気持になるのです。》(「第二の手記」)

罪人として縛られると、かえってほっとすると、葉蔵は語っている。「情死事件」が招来する、世間の指弾や煩わしい事後処理などの一切から、徹底的に逃亡しようとしているからである。「罪人として縛られる」ということは、世間との関係を絶たれることだった。だが葉蔵には、恐れていた世間と向き合うことを免除されることでもあった。

しかし、不運(?)にも、葉蔵の自殺幇助罪は成立せず、起訴猶予となる。葉蔵は、現実が突きつける厄介な問題に直面せざるを得なかったはずだが、故郷から親戚の者がひとり駈けつけ、さまざまの始末をしてくれる。さらにもうひとり、後始末をしてくれる人物がいた。ここで登場するのがヒラメである。

《署長は書類を書き終へて、
「起訴になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引受人に、電報か電話で、けふ横浜の検事局に来てもらふやうに、たのんだはうがいいな。誰か、あるだらう、お前の保護者とか保証人とかいふものが。」
 父の東京の別荘に出入りしてゐた書画骨董商の渋田といふ、自分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めてゐたずんぐりした独身の四十男が、自分の学校の保証人になつてゐるのを、自分は思ひ出しました。その男の顔が、殊に眼つきが、ヒラメに似てゐるといふので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、さう呼びなれてゐました。》(「第二の手記」)

ヒラメは、葉蔵の「学校の保証人」になっていたため、葉蔵の「身元引受人」となる。また、葉蔵の父の「たいこ持ち」のような役も勤めていたことで、父の意思を伝達する役目を負ってもいた。事実ヒラメは、葉蔵がしでかした不始末を処理するために、葉蔵の父の意思を体現して現れる。ヒラメとは、〈事後処理をする人〉である。堀木が〈事前に現れる人〉であるのと、対照的な存在である。

堀木が「情死事件」の前に現れ、事件を誘発するような言葉(ツネ子に対して「こんな貧乏くさい女」)を口に出したりするのに対して、ヒラメは、その事件の後始末をするような存在だった。そのことは後日、自殺を図った葉蔵を見舞った時の、ヒラメの様子からも明らかである。

《次第に霧がはれて、見ると、枕元にヒラメが、ひどく不機嫌な顔をして坐つてゐました。
「このまへも、年の暮の事でしてね、お互ひもう、目が廻るくらゐいそがしいのに、いつも、年の暮をねらつて、こんな事をやられたひには、こつちの命がたまらない。」
 ヒラメの話の聞き手になつてゐるのは、京橋のバアのマダムでした。》(「第三の手記」)

「このまへも、年の暮の事」とは、明らかに、ツネ子との「情死事件」(「十一月の末」の出来事)を指している。ヒラメの不機嫌な顔や、「こつちの命がたまらない」という発言からは、葉蔵の不始末の処理をし続けてきたヒラメの姿を思い浮かべることができる。

葉蔵は、堀木の手引きがなければ、世間に出ていけなかった。そして、ヒラメの手助けがなければ、自分が引き起こした不始末の処理をすることができなかった。後にヒラメは、堀木と面識を得ることになり、決定的な場面では、葉蔵の父の意思を体現して二人一緒に登場する。


7 男めかけ
葉蔵は生家から義絶されて、ヒラメの家の居候になっていた。しかし、「ヒラメと小僧の蔑視」に耐え切れなくなって、ヒラメの家から逃げ出し、堀木を訪ねる。そして、堀木の家で、雑誌社の女記者シヅ子(二八歳)と出逢う。シヅ子は夫と死別して、五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいた。

葉蔵はやがて、シヅ子のアパートで、一年以上「男めかけみたいな生活」を続けることになる。またその後も、京橋のスタンド・バアのマダムのところで、一年ちかく「男めかけの形で、寝そべる事」になる。葉蔵は、東京にいた五年半(十九歳の春から二四歳の秋まで)のうち、二年間(二一歳・二二歳)を「男めかけの形」で過ごしたことになる。それは決して短い期間とはいえなかった。

それにもかかわらず、葉蔵の「男めかけ」のような生活には、必然性が感じられない。作者はなぜ、伝記的な事実にもない「男めかけ」のような生活を、葉蔵にさせたのだろうか。太宰治の文学的生涯は、錯乱の前期(昭和8年〜12年)、安定の中期(昭和13年〜20年)、錯乱の後期(昭和20年〜23年)の三つの時期に区分されている。安定の中期(石原美知子との見合い・婚約(昭和13年)前後〜敗戦)を真ん中に挟んで、前後に錯乱の時期が置かれている。

『人間失格』(昭和23年)も、相対的安定期といえる、葉蔵の「男めかけ」のような生活を真ん中に挟んで、前期と後期に別けることができる。葉蔵の前期は作者の前期を、葉蔵の中期は作者の中期を、葉蔵の後期は作者の後期をいくぶんかの割合で反映している。『人間失格』という自画像を描くに当たって、作者は、ツネ子との心中未遂事件で自身の前期を象徴させている。そして、シヅ子・マダムとの「男めかけ」のような生活で、自身の中期を象徴させ、ヨシ子との生活で自身の戦後の後期を象徴させている。

葉蔵が、シヅ子との「男めかけみたいな生活」に、顔を赤くする場面が二箇所ある。

《一週間ほど、ぼんやり、自分はそこ(シヅ子のアパート・引用者)にゐました。アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧が一つひつからまつてゐて、春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつつこく電線にからみついて離れず、何やら首肯いたりなんかしてゐるので、自分はそれを見る度毎に苦笑し、赤面し、夢にさへ見て、うなされました。》(「第三の手記」)

《 してその翌日(あくるひ)も同じ事を繰返して、
  昨日(きのふ)に異(かは)らぬ慣例(しきたり)に従へばよい。
  即ち荒つぽい大きな歓楽(よろこび)を避(よ)けてさへゐれば、
  自然また大きな悲哀(かなしみ)もやつて来(こ)ないのだ。
  ゆくてを塞ぐ邪魔な石を
  蟾蜍(ひきがへる)は廻つて通る。

 上田敏訳のギイ・シヤルル・クロオとかいふひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらゐに赤くしました。
 蟾蜍(ひきがへる)。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いてゐるだけだ。)》(「第三の手記」)

葉蔵は、シヅ子との「男めかけみたいな生活」を、生活無能力者の生活として、電線にからみついている奴凧や、のそのそ動いているだけの蟾蜍と同一視している。また、スタンド・バアのマダムとの生活に対しても、自分の現在の喜びは、お客とむだごとを言いあい、お客の酒を飲むことだけの「くだらない生活」でしかないと、心中を吐露している。こうした充足感のなさが、後に、「大きな歓楽」を求める行動に葉蔵を駆り立てることになる。しかし、この時期の葉蔵の生活が、世間から指弾されるような事件を起こすこともなく、相対的な安定を得ていたことも確かだ。

こうした葉蔵の態度は、作者の新婚時代(昭和十四年一月六日から、東京三鷹に移転する昭和十四年九月一日まで、作者は甲府市御崎町で、美知子夫人と新婚生活を送っていた。)の作品、「春の盗賊」ですでに用意されていた。

《どろぼうに見舞はれたときにも、やはり一般市民を真似て、どろぼう、どろぼうと絶叫して、ふんどしひとつで外へ飛び出し、かなだらひたたいて近所近辺を駈けまはり、町内の大騒ぎにしたはうが、いいのか。それが、いいのか。私は、いやになつた。それならば、現実といふものは、いやだ! 愛し、切れないものがある。あの悪徳の、どろぼうにしても、この世のものは、なんと、白々しく、興覚めのものか。ぬつとはひつて来て、お金さらつて、ぬつとかへつた。それだけのものでは、ないか。この世に、ロマンチツクは、無い。私ひとりが、変質者だ。さうして、私も、いまは営々と、小市民生活を修養し、けちな世渡りをはじめてゐる。いやだ。私ひとりでもよい。もういちど、あの野望と献身の、ロマンスの地獄に飛び込んで、くたばりたい! できないことか。いけないことか。この大動揺は、昨夜の盗賊来襲を契機として、けさも、否、これを書きとばしながら、いまのいままで、なお止まず烈しく継続してゐるのである。》

葉蔵の中期と明らかに共鳴している。「春の盗賊」の「私」は、「いまは営々と、小市民生活を修養し、けちな世渡りをはじめてゐる」と考えている。一方で「私」は、「現実といふものは、いやだ! 愛し、切れないものがある。」、「もういちど、あの野望と献身の、ロマンスの地獄に飛び込んで、くたばりたい!」という思いに捉えられ、内心の「大動揺」を体験している。しかし「私」が、「同じ失敗を二度繰りかへすやつは、ばかである。」と考えるように、作者も中期の安定を持続していく。

これに対して葉蔵は、「昨日に異らぬ慣例」(「小市民生活」)を、のそのそ動いているだけの蟾蜍(「けちな世渡り」)と否定し、「荒つぽい大きな歓楽」を求めていくことになる。『人間失格』の作者は中期の葉蔵を、みずからの中期の作品「春の盗賊」で描いたような、「大動揺」する人物としては描かない。むしろ、「ロマンスの地獄に飛び込んで、くたばりたい!」人物として、方向づけたのである。


8 「世間とは個人」 (1)
葉蔵は、居候になっていたヒラメの家から逃げ出し、シヅ子のアパートで「男めかけ」のような生活を始めていた。そして、再び訪ねてくるようになった堀木の発言をキッカケに、「世間とは個人」という、「思想めいたもの」を持つようになる。その「思想」には、世間が堀木やヒラメという、具体的な個人の姿をとって現れてきたことと、葉蔵が社会的な存在として帰属する場所を持たない、「男めかけ」のような生活を送っていたことが刻印されている。

《「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
 世間とは、いつたい、何の事でせう。人間の複数でせうか。どこに、その世間といふものの実体があるのでせう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こはいもの、とばかり思つてこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にさう言はれて、ふと、
「世間といふのは、君ぢやないか。」
 といふ言葉が、舌の先まで出かかつて、堀木を怒らせるのがイヤで、ひつこめました。
(それは世間が、ゆるさない。)
(世間ぢやない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢ふぞ。)
(世間ぢやない。あなたでせう?)
(いまに世間から葬られる。)
(世間ぢやない。葬むるのは、あなたでせう?)        
 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗、冷汗。」
 と言つて笑つただけでした。
 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人ぢやないか)といふ、思想めいたものを持つやうになつたのです。
 さうして、世間といふものは、個人ではなからうかと思ひはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るやうになりました。シヅ子の言葉を借りて言へば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言へば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言へば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。》(「第三の手記」傍線・引用者)

「世間とは個人」という「思想」を持つようになる前の葉蔵は、世間を、「強く、きびしく、こはいもの」と思っていた。そして、世間とは「人間の複数」か、世間というものの「実体」はどこにあるのか、と問うている。

世間は、「個人」として出現しようと、「人間の複数」として出現しようと、社会的な共同規範性をその本質としているから、「実体」としては存在しえない。それで、恐れることも、無視することも可能だったのである。葉蔵も後に、「黙殺」すれば自分と関係なくなると考える。葉蔵は、「人間の生活といふものが、見当つかない」(第一の手記)という不安から、世間を過大に評価して恐れたり、過小に評価して黙殺したりしているのである。

葉蔵が、「世間とは個人」という思想を持つようになったのは、ひとつには心中未遂事件後、堀木やヒラメという個人が、世間の意思を体現しているかのように登場してきたことによる。しかし、そのことは、堀木やヒラメが世間であることを意味するものではなかった。それは、堀木やヒラメの消滅が、世間の消滅を意味しないことからも明らかである。堀木やヒラメが、個人の意思を世間の意思であるかのように示して振る舞う限りにおいて、世間であるように見えるだけである。共同規範としての世間は、個人の背後に控えていて姿を現さない。「世間とは個人」という倒錯が発生する根拠がここにある。

ふたつには、シヅ子との生活を、「男めかけみたいな生活」と葉蔵みずからが呼んでいるように、葉蔵の存在が社会的なつながりを欠くものだったことによる。葉蔵は社会的な存在として、世間の意思を体現し、シヅ子親子を世間に橋渡しすることができない。世間と交渉するのはシヅ子のほうである。葉蔵は、家出の後仕末などのほとんど全部を、この「男まさりの甲州女(シヅ子・引用者)」の世話を受ける。また、シヅ子の取計らいで同棲も実現し、シヅ子の奔走のおかげで、葉蔵の漫画も金になるのだった。こうした葉蔵の非社会性が、葉蔵に、世間を社会的な広がりとして把握させることを妨げている。「世間とは個人」という「思想」は、葉蔵の「男めかけみたいな」存在から発想されたものだといえる。

「世間とは個人」と思い始めてから、「自分の意志」で動くことができるようになったと、葉蔵は言う。「強く、きびしく、こはいもの」と思っていた世間の正体が、実は「個人」だったと納得したとき、恐れていた世間にかわって、身近な「個人」が、恐れずに対処できる具体的な対象として据えられた。

しかし、「世間とは個人ぢやないか」と考えることは、世間の本質である共同規範性を無視することにしかならなかった。だから、葉蔵が「自分の意志」で動くことができるのは、シヅ子や堀木やシゲ子(シヅ子の娘)のような「個人」に対してであって、世間に対してではなかった。そのことは、「個人」との情緒的な関係を、関係のすべてとみなそうとすることに通じていた。葉蔵に対して、シヅ子が「少しわがまま」になったと言い、堀木が「へんにケチ」になったと言い、シゲ子が「あまりシゲ子を可愛がらなく」なったと言うのも、そうした葉蔵の態度を指したものにほかならなかった。

葉蔵は世間に疎隔感を覚えていたため、世間との理性的な関係を遠ざけたぶん、個人との情緒的な関係を引き寄せている。それは、停車場のブリッヂや地下鉄のような実利的なものを、遊びと思い込むことと同様なことだった。葉蔵は、世間の問題を回避したところで、「自分の意志」を発動させたため、社会的な関係を個人との情緒的関係に収斂せざるを得なかったのである。


9 「世間とは個人」 (2)
葉蔵はやがて、シヅ子親子の幸福を壊してしまうのではないかと恐れて、高円寺のアパートから逃げ出していく。そして、京橋のスタンド・バアのマダムのところで、ふたたび「男めかけ」のような生活を送ることになる。「世間とは個人」という「思想」が孕んでいた矛盾は、「男めかけ」のような生活がくり返されることでいっそう拡大していく。

《世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たやうな気がしてゐました。個人と個人の争ひで、しかも、その場の争ひで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない(原文は傍点・引用者)、奴隷でさへ奴隷らしい卑屈なシツペがへしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称へてゐながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシヤン)は世間でなくて、個人なのだ、と世の中といふ大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣ひする事なく、謂はば差し当つての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞ふ事を覚えて来たのです。
 高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド・バアのマダムに、
「わかれて来た。」
 それだけ言つて、それで充分、つまり一本勝負はきまつて、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になつたのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加へませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だつたら、それですべてがいいのでした。》(「第三の手記」傍線・引用者)

これが、「世間とは個人」という「思想」の行き着いたところである。「世間」は、「個人と個人の争ひ」にまで縮小される。葉蔵は、「世の中といふ大海の幻影」におびえることから解放され、「いくぶん図々しく振舞ふ事を覚えて来た」と言う。葉蔵のこうした考えこそ、「幻影」と言わなければならない。「世間」は、「個人と個人」との、「その場の一本勝負」に解消できるものではなかった。「世間の難解は、個人の難解」でないし、「大洋は世間でなくて、個人」なのでもない。「マダムが、その気だつたら、それですべてがいい」と言えるのは、葉蔵のように、非社会的な「男めかけ」の生活を前提とした場合だけである。

こうして、「世間」の問題は、葉蔵の関心の埒外に置かれていく。「自分は、その店のお客のやうでもあり、亭主のやうでもあり、走り使ひのやうでもあり、親戚の者のやうでもあり、はたから見て甚だ得態の知れない存在だつた」と語る葉蔵は、社会的に帰属する場所を持たない。そのことは、葉蔵の内的世界が社会とつながりを失うことで内閉化し、社会に対して無防備になることでもあった。

葉蔵中期の、「世間とは個人」という思想の原型はすでに、作者中期の作品「春の盗賊」で次のように述べられていた。

《以前は、私にとつて、世評は生活の全部であり、それゆゑに、おつかなくて、ことさらにそれに無関心を装ひ、それへの反発で、かへつて私は猛りたち、人が右と言へば、意味なく左に踏み迷ひ、そこにおのれの高さを誇示しようと努めたものだ。けれども今は、どんな人にでも、一対一だ。これは私の自信でもあり、謙遜でもある。どんな人にでも、負けてはならぬ。勝をゆづる、など、なんといふ思ひあがつた、さうして卑劣な精神であらう。ゆづるも、ゆづらぬもない。勝利などといふものは、これはよほどの努力である。人は、もし、ほんたうに自身を虚しくして、近親の誰かつまらぬひとりでもよい、そこに暮しの上での責任を負はされ生きなければならぬ宿業に置かれて在るとしたならば、ひとは、みぢんも余裕など持てる筈がないではないか。》(傍線・引用者)

作者と等身大の「春の盗賊」の「私」は、錯乱の前期を回想して、「世評は生活の全部であり、それゆゑに、おつかな」かったと語っている。だが、現在では、「どんな人にでも、一対一だ。」と言う。世間を恐れていた葉蔵が、世間とは「個人と個人の争ひ」だと考えることと照応している。

葉蔵が、「春の盗賊」の「私」と決定的に違うところは、「私」が「近親の誰かつまらぬひとり」に、「暮しの上での責任を負はされ生きなければならぬ宿業」を感じているのに対して、「男めかけの形で、寝そべる」生活を続けていることである。「春の盗賊」の「私」の「一対一」は、「暮しの上での責任」という社会性に開いている。しかし、葉蔵の「個人と個人の争ひ」は、「マダムが、その気だつたら、それですべてがいい」というふうに、閉じていくものでしかなかった。

「一対一」の関係は、中期の「駈込み訴へ」(昭和14年)「走れメロス」(昭和15年)などで立体的なイメージを与えられているが、『人間失格』では否定的で平板なイメージしか与えられていない。

こうして葉蔵は、シヅ子・マダムと暮らすうちに、「自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中といふところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思ふやうになりました。」という感想を持つまでになる。葉蔵は、春の風や銭湯に潜んでいる何十万の黴菌と同じように、世間も、「その存在を完全に黙殺さへすれば、それは自分とみぢんのつながりも無くなつてたちまち消え失せる」と考える。そして、「自分は、世の中といふものの実体を少しづつ知つて来たといふわけなのでした。」と述べている。しかし、世間は、「黙殺」すれば無関係となるというものではなかった。ここに葉蔵の錯誤があった。  


10 ヨシ子
葉蔵は、シヅ子との「男めかけ」のような生活に、「心細さ、うつたうしさ」を感じ、「『沈み』に『沈み』切つて」いた。そのため、新宿、銀座のほうにまで酒を飲みに出かけて外泊したり、酒の金に窮してシヅ子の衣類を持ち出したりするようになっていた。また、 その後の、スタンド・バアのマダムとの「男めかけ」のような生活でも、子供相手の雑誌に漫画を画くだけでなく、卑猥な雑誌に「汚いはだかの絵」などを画くようになっていた。

葉蔵の生活が、明るいものとなる兆しはどこにもなかった。こうしたとき現れたヨシ子は、ほかの女たちと異なり、作品中ただひとり明るく輝いている。ヨシ子が作品に登場する場面は、次のように描かれている。

《けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がゐました。
「いけないわ、毎日、お昼から、酔つていらつしやる。」
 バアの向ひの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちやんと言ひ、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買ひに行くたびに、笑つて忠告するのでした。》(「第三の手記」)

葉蔵と女たちとの年齢を比較してみると、次のようになる。
 (1)葉蔵二〇歳―ツネ子二二歳
 (2)葉蔵二一歳―シヅ子二八歳
 (3)葉蔵二二歳―マダム?歳
 (4)葉蔵二三歳―ヨシ子十七、八歳

マダムの年齢は明らかではないが、葉蔵よりも年上であることは確かだ。すると、ヨシ子だけが葉蔵より年下であることになる。さらに、シヅ子は、痩せて背の高い男まさりの甲州女とされ、マダムは、美人というよりは美青年といっつたほうがいいくらいの固い感じの人(「あとがき」における小説家「私」の印象)とされている。いうまでもなく、「色の白い、八重歯のある」ヨシ子は、シヅ子やマダムと異なるイメージを与えられている。

葉蔵は女性について、「惚れられる」という言葉も、「好かれる」という言葉も、自分の場合にはふさわしくなく、「かまはれる」とでも言ったほうが実情の説明に適している(第二の手記)と述べている。事実、ヨシ子以外の女には「かまはれる」ような存在だったし、葉蔵自身、「かまわれたい」と望んでいたように見える。そのため、ツネ子には「寄り添ふ」ことを欲していたし、シヅ子・マダムとは「男めかけ」のような生活を送っていた。生活を支えていたのは、葉蔵ではなくてシヅ子やマダムだった。

ある厳寒の夜、葉蔵は酔って煙草屋の前のマンホールに落ち、ヨシ子に助けられる。葉蔵はヨシ子に、飲みすぎると言われると、あしたからは一滴も飲まないと約束し、やめたら僕のお嫁になってくれるかいと冗談でつけ加える。ヨシ子は、「モチよ。」と答える。

《さうして翌る日、自分は、やはり昼から飲みました。
 夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちやんの店の前に立ち、
「ヨシちやん、ごめんね。飲んぢやつた。」
「あら、いやだ。酔つた振りなんかして。」
 ハツとしました。酔ひもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔つた振りなんかしてるんぢやない。」
「からかはないでよ。ひとがわるい。」
 てんで疑はうとしないのです。
「見ればわかりさうなものだ。けふも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね。」
「お芝居が、うまいのねえ。」
「芝居ぢやあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ。」
「してよ。」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらふのもあきらめなくちやならん。顔を見なさい、赤いだらう? 飲んだのだよ。」
「それあ、夕陽が当つてゐるからよ。かつがうたつて、だめよ。きのふ約束したんですもの。飲む筈が無いぢやないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ。」》(「第三の手記」)

ヨシ子はカマトトぶっているわけではない。葉蔵(作者)にとって、ヨシ子は「信頼の天才」でなければならないのだ。葉蔵は、「世の中の全部の人の話方」には、「小うるさい駈引」「不必要な用心」「不可解な見栄」といったものがあって、そのことにいつも自分は「当惑」し、「陰鬱な思ひ」をしたと語っている。そうしたものといっさい無縁なヨシ子のことを、葉蔵は、「信頼の天才」と呼んでいる。しかし、そのことはヨシ子が、「世の中」に対して無防備な存在でしかないことを示唆してもいた。

「大きな悲哀(かなしみ)」が後からやってきてもよい、「荒つぽいほどの大きな歓楽(よろこび)」がほしいと、葉蔵はヨシ子との結婚を決意する。そのことは、「近親の誰かつまらぬひとりでもよい、そこに暮しの上での責任を負はされ生きなければならぬ宿業に置かれて在る」(「春の盗賊」)者として生きていくことでもあった。ヨシ子との関係では、「かまはれる」という受動性が成り立つ余地はなかった。葉蔵はヨシ子を、「近親の誰かつまらぬひとり」として、積極的に守り抜かなければならない立場に立たされることになったのである。


11 結婚
葉蔵がヨシ子との結婚を決意した理由は二つあった。一つは、「男めかけ」のような生活から充足感を得られず、「荒つぽい大きな歓楽が欲しい」と、内心あせっていたこと。二つには、世間をそんなに恐ろしいところではないと思うようになっていたこと、である。

ところが、結婚によって、自分も「人間らしいもの」になることができるのではないかという、葉蔵の「甘い思ひ」は、堀木の出現で中断される。不幸な事件を予告するかのように、〈事前に現れる人〉堀木が登場する。

《煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、さうして築地、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定つた職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはひり、また、花の鉢を買つたりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれてゐるこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見てゐるのが楽しく、これは自分もひよつとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなからうかといふ甘い思ひを幽かに胸にあたためはじめてゐた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現はれました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがつた。けふは、高円寺女史からのお使者なんだがね、」》(「第三の手記」傍線・引用者)

作者は葉蔵を、不幸に捉えられるのが宿命であるかのように描写するのをやめない。その年のむし暑い夏の夜、葉蔵が「決定的な事件」と呼ぶ出来事が起きて、ヨシ子との蜜月はあっというまに終わってしまう。それは作者の短かった新婚生活(甲府市御崎町時代)を反映しているだけではない。戦争が終わった直後に、「幽かな『希望』の風が、頬を撫でる。」(『パンドラの匣』昭和20年11月)と書いていた作者の「希望」が、あっというまに失望に変わってしまったことをも反映していた。「信頼の天才」ヨシ子が汚されるのは、戦後の希望が失望に変わるのと同じことだった。そのことはまた、作者に『人間失格』を書かせる契機になったといっていいかもしれない。

ヨシ子との生活は、はじめて葉蔵が、自分ひとりのちからで作り上げたものだった。葉蔵は世間とつながりながら、ヨシ子を守り抜かなければならない社会的責務を課されていたといえる。「酒は止めて、そろそろ自分の定つた職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し」と語る葉蔵の姿には、世間とつながりながら家庭を守っていこうとする、葉蔵の意志が感じられる。

ところで、堀木はこれより以前に、シヅ子と暮らしている葉蔵のところへ訪ねてくるようになっていた。それは次のように描かれている。

《「色魔! ゐるかい?」
 堀木が、また自分のところへたづねて来るやうになつてゐたのです。あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、幽かに笑つて迎へるのでした。》(「第三の手記」)

葉蔵は堀木を拒否できない。そのことは、家庭の親和性を突き崩すかもしれない世間の規範性を、家庭の内に「迎へる」ことを意味していた。

葉蔵は今度も堀木を拒否できない。ヨシ子との暮らしの中に堀木を迎え入れ、止めていた酒も自分から誘って飲むようになってしまう。葉蔵は、ヨシ子との生活を守っていこうとする意志を、みずから放棄してしまうのである。

《「なに、たいした事ぢやないがね、たまには、高円寺のはうへも遊びに来てくれつていふ御伝言さ。」
 忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやつて来て、記憶の傷口をその嘴で突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあつと叫びたいほどの恐怖で、坐つてをられなくなるのです。
「飲まうか。」
 と自分。
「よし。」
 と堀木。
 自分と堀木。形は、ふたり似てゐました。そつくりの人間のやうな気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み歩いてゐる時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるといふ具合ひになるのでした。
 その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたといふ形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、さうして、たうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどといふ事にさへなつてしまつたのです。》(「第三の手記」)

堀木の出現は、葉蔵に、忘れかけていた「過去の恥と罪の記憶」を思い出させ、「わあつと叫びたいほどの恐怖」を与える。葉蔵の「過去の恥と罪の記憶」とは、地下運動から逃げ出したこと、心中未遂で相手を死なせたこと、「男めかけ」のような生活を送っていたことなど、堀木と出逢ってから生じた出来事を指していた。それは、堀木が葉蔵に教えた、「酒と煙草と淫売婦と質屋と左翼思想」がもとになって生じたもので、〈事前に現れる人〉としての堀木の役割が遺憾なく発揮された結果だった。

堀木は「高円寺女史からのお使者」として、葉蔵の「過去」を背負って、「現在」にやってきていた。葉蔵の「過去」が浮かび上がり、葉蔵とヨシ子との「現在」は沈み込む。その結果、葉蔵は、マダムのいる京橋のバアや、高円寺のシヅ子のアパートという、「過去の恥と罪」のほうへ堀木と出掛けて行き、泊まってきたりするようになる。

しかし、葉蔵と堀木が似ていたのは、安い酒を飲み歩いているときだけのことだった。堀木は家庭と世間の違いを区別し、どちらにも自在に行き来することができるような人物だった。だが葉蔵は、家庭と世間との違いを区別することなく、どこまでも浮遊していくような人物であるほかなかった。

『人間失格』論(2/2)に続く


『人間失格』論 1/22/2

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