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『人間失格』論 (2/2)

【太宰治作品論 1-2】 

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2000.2.6UP / 2013.7.6更新

12 罪と罰
葉蔵は手記の中で、「神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じてゐるのでした。(略)地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかつたのです。」(第三の手記)と訴えている。葉蔵とヨシ子との生活は、この「罰」と「地獄」が次々と実現していく過程でもあった。

葉蔵に漫画を画かせてはわずかなお金を置いていく、三十歳前後の「小男の商人」に、ヨシ子が犯されるという出来事が起きる。それはむし暑い夏の夜のことだった。葉蔵は堀木とアパートの屋上で、「まことに薄汚い納涼の宴」を張り、対義語(アントニム)の当てっこといった「遊戯」をしていた。「白のアントは、赤。赤のアントは、黒。」というふうなやりとりをする遊びで、葉蔵が問い、堀木が答えていた。葉蔵はこの遊びを通じて、自分がまるで、「人間らしいもの」として扱われていなかったことを思い知らされる。

《「恥。オントのアント。」
「恥知らずさ。流行漫画家上司幾太(葉蔵のこと・引用者)。」
「堀木正雄は?」
 この辺から二人だんだん笑へなくなつて、焼酎の酔ひ特有の、あのガラスの破片が頭に充満してゐるやうな、陰鬱な気分になつて来たのでした。
「生意気言ふな。おれはまだお前のやうに、縄目の恥辱など受けた事が無えんだ。」
 ぎよつとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかひにしてゐなかつたのだ、自分をただ、死にぞこなひの、恥知らずの、阿呆のばけものの、謂はば「生ける屍」としか解してくれず、さうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それつきりの「交友」だつたのだ、と思つたら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのやうに見てゐるのも、もつともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だつたのだ、やつぱり堀木にさへ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だらう。これは、むづかしいぞ。」
 と何気無ささうな表情を装つて、言ふのでした。
「法律さ。」
 堀木が平然とさう答へましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづく呆れかへり、
「罪つてのは、君、そんなものぢやないだらう。」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらゐに簡単に考へて、澄まして暮してゐるのかも知れません。刑事のゐないところにこそ罪がうごめいてゐる、と。》(「第三の手記」傍線・引用者)

「罪のアントニム」をめぐって、会話はこの後も続いていく。葉蔵は自分が、堀木から「真人間」として扱われていなかったことを知り、「自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だつたのだ」と考える。この直後に、「罪のアントニムは、何だらう。」という、葉蔵の問いが飛び出すことになる。葉蔵は「何気無ささうな表情」を装って、実は必死に「罪のアントニム」を、つまり「最も『罪』らしくないもの」を探さなければならなかった。なぜなら、「真人間あつかひ」されていない自分自身を、「罪のアントニム」と位置づけることによってしか、自分を救出することができなかったからである。すでに、対義語の当てっこといった「遊戯」ではなくなっていた。

葉蔵が、「自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だつた」のだから、「真人間あつかひ」されなくても仕方がないと考えるとき、葉蔵は無意識のうちに、「罪のアントニム」の答えを発見していた。むしろ、「人間の資格の無いみたいな子供だつた」という自己規定そのものが、罪のアントニムは何かという問いを引き出す言葉だったといえるかもしれない。葉蔵は「罪のアントニム」(最も「罪」らしくないもの)を、「人間の資格の無いみたいな子供」という、無垢性の中に求めようとしている。そこでは、「子供」が「人間」と対立させられており、そのことは作品最後の、「神様みたいないい子」というマダムの発言にまでつながっていく。

「罪のアントニム」を「法律」と考える堀木にとって、心中未遂事件(自殺幇助罪)のような「法律」に触れる行為は、「縄目の恥辱」(犯罪)=「罪」以外のものではなかった。堀木は葉蔵を、次のように「罪人」扱いする。

《「君には、罪といふものが、まるで興味ないらしいね。」
「そりやさうさ、お前のやうに、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ。」
 死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処かで幽かな、けれども必死の抗議の声が起つても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思ひかへしてしまふこの習癖。》(「第三の手記」)

世間は「道楽」を許容しても、「罪人」を許容したりはしない。法律的には「罪人」であっても、人間として「罪」があるわけでないという、葉蔵の「必死の抗議の声」は、葉蔵の内部にせき止められたままである。

堀木は「ツミの対語は、ミツさ。」とふざけて、ヨシ子が煮ているというそら豆を階下に取りに行く。その間、葉蔵はひとりで、「罪のアントニム」に思いをめぐらしていた。その答えが「わかりかけた」とき、堀木が戻ってくる。

《罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はつと思ひました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム(同義語・引用者)と考へず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。罪と罰をアントとして考へたドストの青みどろ、腐つた池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬灯がくるくる廻つてゐた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
 堀木の声も顔色も変つてゐます。堀木は、たつたいまふらふら起きてしたへ行つた、かと思ふとまた引返して来たのです。》(「第三の手記」)

「罪と罰」を「アントニム」と考えることは、「罪のアントニム」(最も「罪」らしくないもの)を「罰」と考えることを意味していた。「罪のアントニム」を、「人間の資格の無いみたいな子供」(無垢性)とするなら、その無垢性が「罰」とつながってしまうことに気づきつつある葉蔵がここにいる。

そして、「罪と罰」を「アントニム」とするなら、「罪があるから罰がある」ではなく、「罪がないのに罰がある」という考えに帰結せざるを得なかった。このことに葉蔵が「わかりかけた」とき、堀木はヨシ子が犯されていることを知らせにくる。「無垢の信頼心」が「罰」を受けている「地獄」が、葉蔵の「わかりかけた」答えに接続されている。


13 「無垢の信頼心は、罪なりや。」 (1)
堀木は階下に、ヨシ子が煮ているそら豆を取りに行くが、すぐ、顔色を変えて屋上に引き返してくるのだった。

《「なんだ。」
 異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、
「見ろ!」
 と小声で言つて指差します。
 自分の部屋の上の小窓があいてゐて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二匹の動物がゐました。
 自分は、ぐらぐら目まひしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い、など劇しい呼吸と共に胸の中で呟き、ヨシ子を助ける事も忘れ、階段に立ちつくしてゐました。》(「第三の手記」)

「小男の商人」とヨシ子の性行為を、葉蔵と堀木が目撃している場面には違いない。しかし、「犯された」「汚された」と言われているその内実は、必ずしも明らかではない。ヨシ子が「小男の商人」に、一方的に「犯され」「汚され」たとするならば、「これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い」などと、葉蔵が胸の中で呟くこともないはずだ。ヨシ子の自発的な行為であるとするなら、「ヨシ子を助ける事も忘れ」という葉蔵の言葉も奇妙な感じを与える。

ヨシ子は必ずしも、一方的に「犯され」「汚され」たようには描かれていない。次のような箇所にそれは窺える。

《「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思ひ知つたらう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。……でも、ヨシちやんは、ゆるしてやれ。お前だつて、どうせ、ろくな奴ぢやないんだから。失敬するぜ。」》(前の場面の直後の堀木の言葉)
《自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしてゐる女は、ひとりも無いと思ひました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあひだに、少しでも恋に似た感情でもあつたなら、自分の気持もかへつてたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、さうして、それつきり、(略)》(葉蔵の感想)
《考へると何もかも自分がわるいやうな気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言へず、(略)》(葉蔵の感想)
《(事件後・引用者)いつも自分から視線をはづしておろおろしてゐるヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だつたから、あの商人といちどだけでは無かつたのではなからうか、また、堀木は? いや、或ひは自分の知らない人とも?(略)》(葉蔵の感想)(「第三の手記」)

葉蔵(作者)はヨシ子の貞節を信じていない。それは、「ヨシちやんは、ゆるしてやれ。」という堀木の言葉や、「人妻の犯された物語の本」という不倫を意味する葉蔵の言葉をみても明らかである。さらに、葉蔵はヨシ子に対して、「あの商人といちどだけでは無かつたのではなからうか」といった、疑念をさえ表白しているのである。しかし、作者はヨシ子を、どこまでも「信頼の天才」として描こうとしており、そのため、ヨシ子の不貞を隠蔽したかったに違いない。記述の矛盾とわかりにくさはここからきている。

作者はなぜ、ヨシ子を「信頼の天才」として描きたかったのか。そして、それにもかかわらずなぜ、そのことを否定するような記述がなされてしまったのか。罪がないのに罰を受けてしまうという背理を、葉蔵のように神に訴えるためには、ヨシ子はどこまでも「信頼の天才」でなければならなかった。そうでなければ、葉蔵がくり返し訴える、「神に問ふ。信頼は罪なりや。」「無垢の信頼心は、罪なりや。」という言葉も切実さを欠いたものになる。事実それは、空虚に聞こえざるを得ない。なぜならヨシ子は、作者の意思に反して、その無垢性をどこまでも貫くようには描かれていないからである。作者にとって、ヨシ子という「戦後」はもはや、「無垢」を保証するものではなくなっていた。

無垢の信頼心は罪かという訴えを、葉蔵は、ヨシ子が「犯され」「汚され」たことに対する抗議の言葉として書きつけている。しかし、ヨシ子の無垢性が保持できなくなると、この言葉は次のように、自分自身に向けて用いられるようになる。

《ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑ふ事を知らなかつたのです。しかし、それゆゑの悲惨。
 神に問ふ。信頼は罪なりや。
 ヨシ子が汚されたといふ事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたといふ事が、自分にとつてそののち永く、生きてをられないほどの苦悩の種になりました。自分のやうな、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺ひ、人を信じる能力が、ひび割れてしまつてゐるものにとつて、ヨシ子の無垢の信頼心は、それこそ青葉の瀧のやうにすがすがしく思はれてゐたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変つてしまひました。》(「第三の手記」)

「ヨシ子が汚されたといふ事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたといふ事」が、「苦悩の種」になったと、葉蔵は語っている。葉蔵はこう語ることで、ヨシ子に裏切られた自身の「苦悩」を無意識のうちに語っていることになる。ヨシ子の「無垢の信頼心」を、「青葉の瀧のやうにすがすがしく」感じるのも葉蔵なら、それが「黄色い汚水に変つてしま」ったと感じるのも葉蔵にほかならなかった。葉蔵の気持ちの変化をこそ、見逃すべきではないだろう。そこにはまた、「戦後」に裏切られたと感じている、作者の「現在」が刻印されている。


14 「無垢の信頼心は、罪なりや。」 (2)
「書かれたヨシ子」とは別に、「書かれなかったヨシ子」を問うべきだろう。作者が描きたかった本来のヨシ子とは、その無垢性のために罰を受けてしまうような人物にほかならなかった。「神に問ふ。信頼は罪なりや。」、このことを本気で訴えるためには、そのようなヨシ子の存在がどうしても必要だった。

ヨシ子は、無垢であるにもかかわらず、「悲惨」な結果を招き寄せてしまったのか。あるいは、無垢であるがために、「悲惨」な結果を招き寄せてしまったのか。作品から聞こえてくるこうした問いは、「書かれたヨシ子」とは別のところに、ヨシ子本来の姿を想定せざるを得ないように誘惑する。それは、葉蔵の夢が紡ぎ出した「原型としてのヨシ子」を、事件の現場に登場させることで、作者の意図を明らかにすることである。「原型としてのヨシ子」は、結婚する前と新婚時代に次のように描き出されている。

《ヨシちやんの表情には、あきらかに誰にも汚されてゐない処女のにほひがしてゐました。》(結婚前)
《薄暗い店の中に坐つて微笑してゐるヨシちやんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴアジニテイは尊いものだ(略)》(結婚前)
《夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはひり、また、花の鉢を買つたりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれてゐるこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見てゐるのが楽しく(略)》(新婚時代)(「第三の手記」)

ヨシ子は葉蔵にとって、「汚されてゐない処女」「よごれを知らぬヴアジニテイ」という、無垢な存在だった。また葉蔵が、「自分をしんから信頼してくれてゐる」と思うような存在だった。葉蔵やヨシ子の悲劇は、許容される範囲を超えてまで、こうした無垢性を追い求めたことにあった。

《その妻は、その所有してゐる稀な美質に依つて犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心といふたまらなく可憐なものなのでした。
 無垢の信頼心は、罪なりや。》(「第三の手記」)

このような、「無垢の信頼心」という「美質」は、「夫」と「妻」というような、限定された関係の中だけで成り立つものだった。「妻」が、「その所有してゐる稀な美質に依つて犯され」るのは、その「美質」を、通用する範囲を超えた関係にまで持ち込んだためではないのか。葉蔵の抗議は、ヨシ子の、「ひとを疑ふ事を知らなかつたのです。しかし、それゆゑの悲惨。」という事態に対してなされていたはずだ。しかし、「ひとを疑ふ事を知らなかつた」という「無垢の信頼心」は、それを成り立たせている関係の外では、たんなる無知に転化してしまう。だが葉蔵(作者)は、こうした相対的な人間関係を受け入れたくなかったに違いない。

葉蔵はヨシ子と始めたばかりの暮らしに、堀木を迎え入れることによって、ヨシ子との生活を守り抜こうとする意志をみずから放棄してしまう。シヅ子やマダムは、自分たちが世間と結びつくことで、葉蔵との生活を支えていた。しかしヨシ子は、葉蔵を通じて世間と結びつくことによってしか、葉蔵との生活を支えていくことができない。ヨシ子の非社会性は無垢性のあかしだった。そのことは、葉蔵の社会性が絶たれてしまえば、葉蔵とヨシ子の家庭は足場を喪失し、世間に対して無防備になるしかなかったということでもあった。

こうして、「小男の商人」という世間を象徴する人物が、葉蔵とヨシ子の家庭に易々と侵入する。そして、ヨシ子は「小男の商人」(世間)に、「無垢の信頼心」で接したためにつけこまれ、悲劇を演じてしまう。その結果、「こいつは全く警戒を知らぬ女だつたから、あの商人といちどだけでは無かつたのではなからうか、また、堀木は?」などと葉蔵に疑われるようになり、「無垢の信頼心といふたまらなく可憐なもの」は「無警戒」にまで貶められてしまう。

「原型としてのヨシ子」を、あたうかぎり無垢なまま事件の現場に連れ出してみれば、無垢であるがために「悲惨」な結果を招き寄せざるを得ない、人間社会の現実を認めないわけにはいかなかった。反対に、「人が人を押しのけても、罪ならずや。」(第三の手記)と叫ばなければならないような現実も、厳然と存在していた。しかし、「無垢の信頼心は、罪なりや。」と訴える葉蔵は、こうした現実の姿を認めたくなかったに違いない。作品の中に身を乗り出すようにして、この言葉を書きつけた作者もまた。


15 決定的な事件
「書かれたヨシ子」は、「無垢の信頼心」を貫こうとするヨシ子と、そうでないヨシ子の二つに分裂している。葉蔵は手記で、ヨシ子をどこまでも、「無垢の信頼心」を堅持しようとする者として描こうとする。しかし、ヨシ子の行為に対する葉蔵自身の反応は、それを裏切るように描かれてしまう。

無垢の信頼心は罪かという葉蔵の訴えは、二重の意味合いを持っていた。一つは、ヨシ子の「無垢の信頼心」が汚されたことへの抗議であり、もう一つは、ヨシ子に裏切られた葉蔵自身の抗議である。

葉蔵は、ヨシ子と「小男の商人」の行為のことを、「二匹の動物」と呼んでおり、それを目撃したときの恐怖を次のように書いている。

《堀木は、大きい咳ばらひをしました。自分は、ひとり逃げるやうにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲つた感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢つた時に感ずるかも知れないやうな、四の五の言はさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失ひ、いよいよ、ひとを底知れず疑ひ、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるやうになりました。実に、それは自分の生涯に於いて、決定的な事件でした。自分は、まつかうから眉間を割られ、さうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛むのでした。》(「第三の手記」)

葉蔵は「人間」を、不可解なものとして恐れていた。シヅ子の五つになる女児にさえ、 「不可解な他人、秘密だらけの他人」を意識して、「おどおど」しなければならないほどだった。そして、信頼しきっていたヨシ子の中に、「不可解な他人、秘密だらけの他人」を発見して打ちのめされてしまう。

葉蔵は、ヨシ子と「小男の商人」の行為を目撃して、逃げるように屋上に駈け上がっていく。このときの行動の意味は、すでに、ツネ子のいるカフェに堀木と飲みに行ったときのことを記した、葉蔵の手記の中で説明されていた。

《銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフヱに、ツネ子をたのみの綱としてほとんど無一文ではひり、あいてゐるボツクスに堀木と向ひ合つて腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄つて来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、さうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサンと腰かけたので、自分は、ハツとしました。ツネ子は、いまにキスされる。
 惜しいといふ気持ではありませんでした。自分には、もともと所有欲といふものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあつても、その所有権を敢然と主張し、人と争ふほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分の内縁の妻が犯されるのを、黙つて見てゐた事さへあつたほどなのです
 自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思ひ上つた欲は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハツとしました。》(「第二の手記」傍線・引用者)

「内縁の妻が犯されるのを、黙つて見てゐた」のは、「所有権」を主張して争うほどの気力がないためであり、また、「人間のいざこざに出来るだけ触りたくない」ためだと、葉蔵は記している。「触りたくない」「巻き込まれるのが、おそろしい」という受動性が、葉蔵に、「内縁の妻が犯される」という現実に正面から立ち向かうことを回避させている。

葉蔵は手助けがないと、「人間のいざこざ」に直面することができない。そのことが、堀木や「小男の商人」の侵入を許し、ヨシ子を守り抜くことを不可能にしてしまう。葉蔵は後に、「無抵抗は罪なりや?」と訴えている。「無抵抗」という形の受動性は、この場合「罪」であると言わなければならない。

こうして、葉蔵が、「自分の生涯に於いて、決定的な事件」と呼ぶ出来事が起き、葉蔵は、「この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴」などから、「永遠にはなれる」ようになる。そのことは取りも直さず、人と人が関係する「人間の生活」から、「永遠にはなれる」ことを意味していた。老いが、人と人との関係空間の縮小をもたらすものとすれば、人と人との関係空間の縮小は、老いの意識をもたらさずにはおかない。この事件の夜からはじまった、葉蔵の「若白髪」は、老いの意識を象徴していた。

この事件から四年後、葉蔵の「若白髪」は、本格的な「白髪」に変貌する。葉蔵は「人間の資格の無いみたいな子供」から、大人を跳び越えて、一気に老年にまで行き着いてしまうのである。


16 「どんどん不幸になるばかり」
葉蔵は、ヨシ子と「小男の商人」との行為を目撃して以来、「どんな人間にでも接近する毎に痛む」心の傷を抱え込むようになり、「人間の生活」からますます孤立していく。そして、翌年初夏の精神病院入院までの、一年近くの間に、「どこまでも自(おのづか)らどんどん不幸になるばかり」という事態に見舞われることになる。そのことを葉蔵の手記から列挙してみる。

(1)おもむくところは、ただアルコールだけになる。朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠ける。顔の表情は極度にいやしくなる。漫画もほとんど猥画に近いものを画くようになる。焼酎を買う金のために、春画のコピーをして密売する。
(2)ヨシ子が隠し持っていた、催眠剤(ジアール)を飲んで自殺を図るが、未遂に終わる。
(3)ひとりで南伊豆の温泉に行ってみる。しかし、山を眺めるなどの落ち着いた心境にはなれず、焼酎を浴びるほど飲んで、からだ具合をいっそう悪くして帰京する。
(4)喀血をキッカケにはじめたモルヒネが中毒になる。モルヒネを得る金のために、春画のコピーをする。薬屋の奥さんと「醜関係」を結ぶ。

葉蔵の内的な崩壊は、一年の間に、アルコールからモルヒネへと深化している。葉蔵とヨシ子との生活は、葉蔵がヨシ子を守り抜くことができなかったことで、悲劇を招いてしまう。その後の、葉蔵の不幸の連続は、葉蔵の資質が必然的に生み出したものだった。そのことは葉蔵に、次のように把握されている。

《不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言つても過言ではないでせうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言ひかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだと呆れかへるに違ひないし、自分はいつたい俗にいふ「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自(おのづか)らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。》(「第三の手記」傍線・引用者)

葉蔵は自分の不幸を、宿命であるかのように受けとめている。それは、「世間」との関係 (軋轢)を、個人との情緒的な関係に収斂させようとする資質が、必然的に呼び込んだものにほかならなかった。そのような資質は、自身には「気が弱すぎる」と感じられても、「世間」からは「わがままもの」とみなされ、ひとたび社会的な事件を起こせば、「罪悪のかたまり」とみなされざるを得なかった。こうした資質を否定的な側面でだけ捉えたとき、「どこまでも自らどんどん不幸になるばかり」な、葉蔵のような人物が造形された。

作者自身、意図したことと反対のことが実現してしまう現実を、「宿命」のように受けとめていた。そうした現実のあり方には、「この世」に異和感を抱いていた作者の無意識が加担していたに違いない。『津軽』の主人公の「私」は、「育ての親」越野たけに逢うために、東京から津軽にやってくる。ところが、国民学校で運動会を見ているはずの、たけと逢うことができない。「私」はそのときの感想を、次のように述べている。

《しかし、どうしても逢ふ事が出来ない。つまり、縁が無いのだ。はるばるここまでたづねて来て、すぐそこに、いまゐるといふ事がちやんとわかつてゐながら、逢へずに帰るといふのも、私のこれまでの要領の悪かつた生涯にふさはしい出来事なのかも知れない。私が有頂天で立てた計画は、いつでもこのやうに、かならず、ちぐはぐな結果になるのだ。私には、そんな具合のわるい宿命があるのだ。》

「有頂天で立てた計画」が「ちぐはぐな結果」になるのは、「私」(作者)が無意識のうちに、ちぐはぐな計画を立ててしまうためだ。その計画が「この世」と軋轢を起こし、「ちぐはぐな結果」を惹起してしまう。「そんな具合のわるい宿命」だけをとりだして、作者の自画像としたのが、「どこまでも自らどんどん不幸になるばかり」な葉蔵の姿だった。同じことは、戦後の作品「父」(昭和22年)にこう書かれている。

《私のこれまでの四十年ちかい生涯に於いて、幸福の予感は、たいていはづれるのが仕来りになつてゐるけれども、不吉の予感はことごとく当つた。》

作品「父」の「私」(作者)は、「幸福の予感」がはずれ、「不吉の予感」が当ることを、「具合のわるい宿命」のように感じている。『人間失格』では主人公の葉蔵が、こうした「具合のわるい宿命」に翻弄されることになる。「結婚(ヨシ子と・引用者)して春になつたら二人で自転車で青葉の滝を見に行かう」と、葉蔵が「有頂天で立てた計画」(「幸福の予感」)は、「ちぐはぐな結果」に終わってしまう。「不吉の予感」であるかのように、「僕は、女のゐないところに行くんだ。」と、葉蔵が自殺未遂後に言ったうわごとは、「のちに到つて、非常に陰惨に実現」(精神病院入院)される、というように。


17 「恋情の氾濫」
葉蔵は、モルヒネ中毒のキッカケとなった喀血の場面を、次のように記している。

《東京に大雪の降つた夜でした。自分は酔つて銀座裏を、ここはお国を何百里、ここはお国を何百里、と小声で繰り返し繰り返し呟くやうに歌ひながら、なほも降りつもる雪を靴先で蹴散らして歩いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血でした。雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしやがんで、それから、よごれてゐない個所の雪を両手で掬ひ取つて、顔を洗ひながら泣きました。
 こうこは、どうこの細道ぢや?
 こうこは、どうこの細道ぢや?
 哀れな童女の歌声が、幻聴のやうに、かすかに遠くから聞えます。》(「第三の手記」)

「ここはお国を何百里、ここはお国を何百里」と、くり返し呟くように歌う〈くり返し〉の動作は、出口をなくした精神の姿を象徴する行為である。戦後の作品「桜桃」(昭和22年)の最後で、主人公の「私」が「やりきれねえ」気分を紛らすために、「大皿に盛られた桜桃を、極めてまづさうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き」と〈くり返す〉動作と共通している。ここには太宰治の前期作品に見られる、〈くり返し〉という主題が甦っている。それは次のように、ものごとの解決策が見出せず、行き詰まりを感じたときに見せる行為にほかならなかった。

《恥しい思ひ出に襲はれるときにはそれを振りはらふために、ひとりして、さて、と呟く癖が私にあつた。簡単なのだ、簡単なのだ、と囁いて、あちこちをうろうろしてゐた自身の姿を想像して私は、湯を掌で掬つてはこぼし掬つてはこぼししながら、さて、さて、と何回も言つた。》(「思ひ出」昭和8年)

前期の代表作の一つ「道化の華」(昭和8年)は、自己の表現に自己注釈を加え、さらにその自己注釈に自己注釈を加え、さらにその自己注釈に自己注釈を加え……といった〈くり返し〉で作品が構成されており、それが停滞し進展しない作者の内面を象徴していた。

『人間失格』でも、〈くり返し〉の意味するところは変わらない。葉蔵は、「ここはお国を何百里」とくり返し歌いながら、最初の喀血を体験する。そして、それに呼応するかのように、「こうこは、どうこの細道ぢや?」とくり返し歌う、童女の歌声(それは葉蔵の「幻聴」でしかなかったが)を聞く。〈くり返し〉は、葉蔵の危機的な状況を現していた。こうしたとき、葉蔵は薬屋の奥さんと遭遇することになる。そのことは、喀血の場面に引き続いてこう書かれている。

《自分は立つて、取り敢へず何か適当な薬をと思ひ、近くの薬屋にはひつて、そこの奥さんと顔を見合せ、瞬間、奥さんは、フラツシユを浴びたみたいに首をあげ眼を見はり、棒立ちになりました。しかし、その見はつた眼には、驚愕の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救ひを求めるやうな、慕ふやうな色があらはれてゐるのでした。ああ、このひとも、きつと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから、と思つた時、ふと、その奥さんが松葉杖をついて危かしく立つてゐるのに気がつきました。駈け寄りたい思ひを抑へて、なほもその奥さんと顔を見合せてゐるうちに涙が出て来ました。すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれ出ました。》(「第三の手記」)

葉蔵は、「救ひを求め」ているような薬屋の奥さんに対して、感情が溢れ出すのを抑え切れない。「救ひを求め」ていたのは、もちろん葉蔵のほうだ。この場面が、いかに唐突で不自然に見えようとも、葉蔵の疲れ果てた心の内側からみれば、真情の自然な流露であったといえるかもしれない。葉蔵が薬屋の奥さんに、「実に素直に今迄のからだ具合ひを告白」できたのも、「自分たちは、肉身のやうでした。」という安心感が葉蔵にあったからである。

葉蔵の、心と心を無限に通い合わせたいという願望は、作者の資質として内在していたものである。そのことは、前期と中期の狭間に書かれたエッセー「思案の敗北」(昭和12年)に、次のように記述されている。

《路を歩けば、曰く、「惚れざるはなし。」みんなのやさしさ、みんなの苦しさ、みんなのわびしさ、ことごとく感取できて、私の辞書には、「他人」の文字がない有様。誰でも、よい。あなたとならば、いつでも死にます。ああ、この、だらしない恋情の氾濫。いつたい、私は、何者だ。「センチメンタリスト。」をかしくもない。》

感情が溢れ出すのを抑え切れない葉蔵は、「だらしない恋情の氾濫」を抑え切れない作者の資質を、明らかに受け継いでいる。また、「自分たちは、肉身のやうでした。」と言う葉蔵は、「私の辞書には、『他人』の文字がない」と言う作者の資質を受け継いでいる。

ところが、「この不幸な奥さんの愛情もまた、自分にとつて深すぎました。」と、葉蔵が述べているような事態が、その後、葉蔵を見舞うことになる。奥さんは葉蔵に、酒はよしなさいと言い、どうしても酒が飲みたくてたまらなくなったときの薬と言って、モルヒネの注射液を手渡す。葉蔵はモルヒネによって、不安も焦燥もはにかみも除去され、からだの衰弱も忘れることができるようになる。葉蔵にとってモルヒネは、一時的ではあるが、救いだったことは確かかもしれない。しかしその救いは、人を現実から退却させ、精神活動を停止させる、「地獄」への道であることも確かだった。「肉身のやうで」あることは、必ずしも幸福につながるものではなかった。

ところで、葉蔵が希求していた「肉身のやう」な関係は、現実の世間からは撥ね返されてしまうのが常だった。葉蔵はそのため、「人間が、葉蔵といふ自分に対して信用の殻を固く閉ぢてゐた」(第一の手記)と、「人間」を認識せざるを得なかった。そのことについては、この作品の前身に当たる『新ハムレツト』(昭和16年)に、次のように書かれている。

《僕(ハムレツト・引用者)たちのはうでは、あの人たち(クローヂヤスやポローニヤス・引用者)を、たのみにもしてゐるし、親しさも感じてゐるし、尊敬さへもしてゐるのだから、いつでも気をゆるして微笑みかけてゐるのに、あの人たちは、決して僕たちに打ち解けてくれず、絶えず警戒して何かと策略ばかりしてゐるのだから、悲しくなる。》

ハムレットのこの言葉は、葉蔵がいちばん主張したかったことであるように思える。しかし、「いつでも気をゆるして微笑みかけてゐる」ような、過度に親和を求める心性は、現実から撥ね返され(「打ち解けてくれず」)ないわけにはいかなかった。ハムレットは、人間は不可解だという思い(「絶えず警戒して何かと策略ばかりしてゐる」)に捉えられ、人間との接触を避けようとする受動的な心情(「悲しくなる」)を形成するようになる。葉蔵を、「どこまでも自らどんどん不幸になるばかり」な存在としたのもそのことだった。


18 父
葉蔵はモルヒネの完全な中毒患者になって、アパートと薬屋の間を、半狂乱の姿で往復しているだけという状態になる。やがて葉蔵は、「最後の手段」として、父に手紙を書く。

《いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがつてふえてゐるので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さん(薬屋の・引用者)は、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。
 地獄。
 この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、といふ神の存在を賭けるほどの決意を以て、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。
 しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かへつて薬の量をふやしてしまひました。》(「第三の手記」)

葉蔵は、自分を支配し続けてきた父に対して、はじめて、告白の手紙という形で、自分からかかわりを持とうとする。葉蔵と父との関係を、葉蔵が中学校に入るために他郷へ出てからの時期について、手記からひろい出してみる。

《その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあつて、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。》
《自分は、美術学校にはひりたかつたのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言ひ渡してあつたので、口応へ一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従つたのでした。》
《父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にゐても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむつたく、おそろしく(略)》(高等学校時代)
《それまで、父から月々、きまつた額の小遣ひを手渡され、それはもう、二、三日で無くなつても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあつたし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だつたら、自分は黙つてその店を出てもかまはなかつたのでした。》(高等学校時代)
《出席日数の不足など、学校のはうから内密に故郷の父へ報告が行つてゐるらしく、父の代理として長兄が、いかめしい文章の長い手紙を、自分に寄こすやうになつてゐたのでした。》(高等学校時代)
《(心中未遂事件のとき故郷の親戚の者が・引用者)くにの父をはじめ一家中が激怒してゐるから、これつきり生家とは義絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。》(「第二の手記」)

《シヅ子の取計らひで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、さうしてシヅ子と「天下晴れて」同棲といふ事になり(略)》(「第三の手記」)

葉蔵にとって、父は、疎隔感を覚えていた世間を象徴するようにしか存在していなかった。そのため、素直に「告白」できる薬屋の奥さんとは違って、「神の存在を賭けるほどの決意」をもって、「告白」せざるを得ないような存在だった。葉蔵がどんな救いを求めて、父に手紙を書いたのかは不明だとしても、それは、服従と同時に依存してきた父(世間)に対して見せる、はじめての積極的な行為だった。父に、「肉身のやうで」あることを求める、最後の訴えだったかもしれない。しかし、父の返事は、葉蔵の期待を裏切るものでしかなかった。

ヒラメが、「悪魔の勘で嗅ぎつけた」ように、堀木を連れて現われ、葉蔵を「脳病院」に入院させてしまう。これが父の返事だった。最終的な場面で、〈事前に現れる人〉堀木と、〈事後処理をする人〉ヒラメは連れ立って現れ、葉蔵を「この世」から追放する。

ヒラメはいつどこで、堀木と知りあったのだろうか。葉蔵は、心中未遂事件後に住んでいたヒラメの家から逃げ出し、堀木の家を訪れたとき、「親爺さんから、お許しが出たかね。まだかい。」と堀木から尋ねられる。堀木は、葉蔵の父が「激怒」していることを、ヒラメを通じて知ったに違いない。ヒラメはこの時点で、堀木と面識を得ていたと思われる。

葉蔵が、堀木の家で出逢ったシヅ子と同棲するときにも、父の意思は、ヒラメ→堀木→シヅ子へと伝わり、その結果、葉蔵は故郷から絶縁される。同じように、葉蔵を「脳病院」に入院させようとする父の意思も、ヒラメ→堀木→ヨシ子という経路で伝達し、この三人が実行に移すことになる。

「この世」の規範を象徴する父の意思は、ヒラメや堀木を手足として動かし、葉蔵を「この世」の外にある「脳病院」に追放する。葉蔵は入院から三カ月後に、自分を引き取りにきた長兄から、父の死を聞かされ、生きていく意欲をなくしてしまう。

《父が死んだ事を知つてから、自分はいよいよ腑抜けたやうになりました。父が、もうゐない、自分の胸中から一刻も離れなかつたあの懐しくおそろしい存在が、もうゐない、自分の苦悩の壷がからつぽになつたやうな気がしました。自分の苦悩の壷がやけに重かつたのも、あの父のせゐだつたのではなからうかとさへ思はれました。まるで、張合ひが抜けました。苦悩する能力をさへ失ひました。》(「第三の手記」)

父の死は、「この世」の死を意味していた。だからそれは、葉蔵の「この世」での死(人間失格)を駄目押しするものでしかなかった。「人間を極度に恐れてゐながら、それでゐて、人間を、どうしても思ひ切れなかつた」(第一の手記)と語る葉蔵にとって、道化は、「人間」として生きていくために必要なことだった。しかしここには、「懐しくおそろしい存在」(「極度に恐れてゐながら」も、「思ひ切れなかつた」対象)である父(世間・人間)を「思ひ切」ってしまったために、道化とも無縁になった葉蔵がいるだけである。


19 脳病院
葉蔵は、故郷の父から手紙の返事がこないことに、「焦燥と不安」を覚え、かえってモルヒネの量を増やしてしまっていた。その間、父はヒラメと、葉蔵の「脳病院」入院を画策していたことになる。それが実行された日のことを、葉蔵は次のように書いている。

《今夜、十本、一気に注射し、さうして大川に飛び込まうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘で嗅ぎつけたみたいに、堀木を連れてあらはれました。 
「お前は、喀血したんだつてな。」
 堀木は、自分の前にあぐらをかいてさう言ひ、いままで見た事も無いくらゐに優しく微笑みました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。さうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまつたのです。
 自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言ひつけに従ふのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずゐぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなつた頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
 サナトリアムとばかり思つてゐました。》(「第三の手記」)

葉蔵には、心中未遂事件後、自分をまともな人間として扱ってこなかったヒラメや堀木が、この日は自分をまともな人間として扱っていると映じていた。しかし、堀木の「優しい微笑」も、ヒラメの「慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調」も、実は葉蔵をすでに「狂人」扱いしていることから出た態度にほかならなかった。父に宛てた葉蔵の手紙の内容が、父→ヒラメ→堀木へと伝わり、葉蔵を「狂人」とみなすようになっていたことは確かだ。葉蔵はそのことに気づかず、「ありがたくて、うれしくて」、涙さえ流す。葉蔵は、「男めかけ」に象徴されるような、他人に面倒を見てもらう関係の中でしか生きていくことができない。そのことが、堀木やヒラメの見掛けの好意にも、唯々諾々と従わざるを得ないようにさせている。

堀木は葉蔵の喀血をいたわるように「優しく微笑み」、ヒラメも入院しなければならないと「しんみりした口調」で言う。しかし、ふたりとも、葉蔵が父に宛てた手紙のことやモルヒネのことは、一言も話題にしない。葉蔵は「胸の病気」の治療のために、サナトリウムに行くと思い込んでいた。ところが、「森の中の大きい病院」に着いてみると、「或る病棟にいれられて、ガチヤンと鍵をおろされました。脳病院でした。」と記されているような、思いがけない事態がやってくる。葉蔵は、「人間」(世間)との通路を遮断されてしまうのである。

葉蔵には、堀木やヒラメにだまされた、という思いだけが残ったに違いない。そして、父、堀木、ヒラメ、ヨシ子に対する、どす黒い不信感を募らせたはずだ。この世で生きていけないという、葉蔵の「人間失格」意識は決定的なものとなる。作者は葉蔵を「脳病院」にぶち込むことで、最後の仕上げをする。

《いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂つてなどゐなかつたのです。一瞬間といへども、狂つた事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をさう言ふものださうです。つまり、この病院にいれられた者は気違ひ、いれられなかつた者は、ノーマルといふ事になるやうです。
 神に問ふ。無抵抗は罪なりや?
 堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、さうしてここに連れて来られて、狂人といふ事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやつぱり狂人、いや、廃人といふ刻印を額に打たれる事でせう。
 人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。》(「第三の手記」)

「この病院にいれられた者は気違ひ、いれられなかつた者は、ノーマルといふ事になる」ということが、必ずしも問題なわけではない。なによりも、不本意な仕方で「脳病院」に入院させられたことが、「人間」を「失格」したという意識を、葉蔵に植えつけることになったのである。「人間、失格。/もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」と言うときの「人間」とは、「人間の生活」「人間の営み」「世間」のような、人間と人間の関係を意味していた。葉蔵は、人間と人間の関係(世間)の中で、生きていくことに「失格」したため、「完全に、人間で無くなりました。」という失墜感(孤立感)を味わうほかなかったのである。

葉蔵が、堀木やヒラメの言いつけに、素直に従ったことが「罪」なわけではない。しかし、葉蔵の「無抵抗」は、必ずしも「無垢」から出たものではなかった。葉蔵の衰弱した心が、堀木の「優しい微笑」や、ヒラメの「慈悲深い口調」に「抵抗」できなかっただけだ。

作者自身の精神病院入院体験(昭和十一年十月十三日〜十一月十二日)を、退院直後に描いた作品「HUMAN LOST」(昭和11年)からは怒りを感じとることができる。しかし、この作品からは、それを感じとることができない。「神に問ふ。無抵抗は罪なりや?」という言葉は、人間を失格したという思いが、ちからなく吐かせた呟きでしかなかった。


20 母
葉蔵の精神病院入院から三カ月後、長兄はヒラメを連れて、葉蔵を引き取りにやってくる。そして、父の死、退院後の療養生活のことなどを葉蔵に告げる。葉蔵はすでに、「人間」(世間)から遠く隔たっていたから、葉蔵を世間に橋渡しする堀木はもはや不要だった。また、ヨシ子との生活をやり直すことも、不可能なことだった。だから、堀木もヨシ子も、退院する葉蔵を迎えにこない。二人ともすでに、作品から退場している。父を引き継いだ長兄と、葉蔵が東京でしでかしたことの後仕末をやってくれたと言われている、〈事後処理をする人〉ヒラメが葉蔵を迎えにきていた。

葉蔵は生まれ育った町から、汽車で四、五時間南下したところにある、温泉地の古い茅屋で療養生活を送ることになる。そこでの、「六十に近いひどい赤毛の醜い女中」との現在の暮らしぶりを、手記の最後で次のように報告している。「それから(退院から・引用者)三年と少し経ち、自分はその間にそのテツといふ老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩みたいな事をはじめ、胸の病気のはうは一進一退、痩せたりふとつたり……」、と。葉蔵の手記は最後に、手記を記述している現在に到達する。手記の最後に登場する「テツ」は、作品『津軽』の最後に登場する「たけ」とは対照的な存在である。

『津軽』の「私」は、三〇年近く逢っていない育ての親「たけ」と再会して、「生れてはじめて心の平安」を体験する。葉蔵は「テツ」と暮らしていて、どんな「心の平安」を体験することもなかった。『津軽』の「私」にとって、「たけ」は、「甘い放心の憩ひ」を与えてくれる、母を感じさせる存在だった。葉蔵にとって、母はどこまでも不在でしかなかった。

母を問うことは、母の不在を問うことを意味していた。葉蔵の母は、「脳病院」にも茅屋にも尋ねてこない。前期の作品「思ひ出」の「私」は叔母に母を発見し、中期の作品『津軽』の「私」は「たけ」に母を発見する。しかし、葉蔵はどこにも母を見つけ出せない。葉蔵を暖かく迎え入れてくれる家族性は、最後まで失われたままだった。母の不在はまた、この作品をふくらみのない平板なものにしている。

幼児期における母性の存在は、母(他者)に対する信頼感と、自己に対する信頼感(自信)を生み出す。葉蔵が人間を不可解なものとして恐れるのは、このような母性の存在が欠如していたためである。母性の欠如によって、記憶の核に喪失感を刻印された者は、そこに触れるような出来事を忌避し続ける。ヨシ子は、「脳病院」に葉蔵ひとりを残して帰ろうとしたとき、強精剤だとばかり思っていたモルヒネを葉蔵に渡そうとする。葉蔵はそれを断ったときの心境を、次のように書いている。

《実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といつても過言でないくらゐなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るやうな恐怖におびやかされてゐるのでした。》(「第三の手記」)

「拒否される」ことを恐れる心性が、「拒否する」ことを恐れているのだ。葉蔵が、「拒否する」ことを忌避し続けてきたのは、母性に拒否されたときの喪失感が呼び起こされるのを、意識の奥底で恐れていたためである。

葉蔵の、「人間」が分からないという思いは、「自分ひとり全く変つてゐるやうな」(第一の手記)意識を、葉蔵に抱かせることになっている。それは、自己を肯定してくれる他者のまなざしが充分でなかったために、自己を肯定的に視ることができない、葉蔵の出自の体験からきている。また、葉蔵が自分を「生れた時からの日陰者」(原文は傍点、第二の手記)と感じるのも、自己の生い立ちを振り返ったときに甦る喪失感によって、自己のイメージを否定的に捉えているためである。

太宰治も幼児期に、実母との希薄な関係や、後に「思ひ出」や『津軽』で発見することになる母性(叔母、たけ)との、つらい別れの体験があった。太宰は、充たされなかった非言語的な親和の関係を、言語の構築(作品)で埋め合わせようとする。たとえば、『津軽』の「私」は、「たけ」に母性の本質を感じ、「親孝行は自然の情だ。倫理ではなかつた。」と語っている。

だが、『人間失格』の葉蔵は、「父や母をも全部は理解する事が出来なかつた」(第一の手記)と書くことしかできない。『津軽』の「私」にとって、「たけ」は「倫理」(言語)ではなく、「自然」(非言語)を感じさせる存在だった。しかし、葉蔵にとって、母は言語的に「理解」する対象でしかなかった。葉蔵は「自然の情」のような関係を望んでいながら、最後までそれを手にすることができなかった。作者の「現在」がそうさせているに違いない。


21 茅屋
葉蔵の長兄は、「脳病院」に葉蔵を引き取りに来たとき、葉蔵に次のように言い渡していた。お前の過去は問はない、生活の心配もかけない、何もしなくていいから、すぐに東京から離れて田舎で療養生活をはじめてくれ、と。葉蔵が療養生活を送ることになる茅屋は、「人間」(この世)から追放された葉蔵の行き着いたところだった。葉蔵はそれから三年後の、現在の心境を次のように記述して手記を結んでいる。

《いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たつた一つ、真理(原文は傍点・引用者)らしく思はれたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。白髪がめつきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。》(「第三の手記」)

「『人間』の世界」ははるかかなたに、微細な点として退いてしまっている。「ただ、一さいは過ぎて行きます。」と言われている「真理」とは、「年月は、人間の救ひである。/忘却は、人間の救ひである。」(『お伽草紙−浦島さん−』昭和20年)というような、「人間の救ひ」を意味していたのか。それとも、「一時もとどまらず、毎日々々移り流れて、世間・人事の一切の常なく、すみやかに過ぎ去りゆくこと、これが目の前のはっきりした道理である。」(道元『正法眼蔵随聞記』山崎正一現代語訳)といった、宗教的な境地を意味していたのか。茅屋における葉蔵の生活が、ある平安と救いを感じさせるのも確かなことだ。

しかし、茅屋には、過去にも未来にも接続していない、「現在」という空虚な時間があるだけである。それは、未来が閉ざされていることで、現在にじかに死が接続している空虚な時間である。葉蔵は老女中テツが、睡眠薬と間違えて買ってきたヘノモチンという下剤を飲んで、猛烈な下痢を起こし、「うふふふ」と空虚に笑ってしまう。この空虚な「現在」が、葉蔵を孤立意識の中に閉じ込め、過去を悔恨の中でしか回想せざるを得なくさせている。葉蔵の手記はこうして書かれたものだった。浦島老人の「現在」は、過去を忘却させることによって幸福を与えていた。だが、葉蔵の「現在」は、過去の不幸を反芻させるだけである。孤立感を救うはずの制度(共同的な規範)は、葉蔵の前に開かれていなかった。

ヨシ子の事件の日からはじまった、葉蔵の「若白髪」は、それから四年後の現在、二七であるのに四〇以上に見られるような、本格的な「白髪」に変貌していた。死の意識が、葉蔵を老いのほうにひっぱってきているといっていい。作者に照準をあわせれば、精神病院入院体験(28歳)を現在の作者(40歳)のほうに、つまり、「書かれている作者(自画像)」を、「書いている作者」のほうに引きつけていることになる。葉蔵が、成熟した成人という期間が空白であるのに、老年に行き着いてしまったのは、「現在」が未来に接続していない、空白な時間として孤立しているためである。

太宰治は戦後、新約「マタイ伝」の言葉をしばしば引用して、次のようなことを言っている。「汝等おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ。/これが私の最初のモツトーであり、最後のモツトーです。」(「返事」昭和21年)、「私の苦悩の殆ど全部は、あのイエスといふ人の、『己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ』といふ難題一つにかかつてゐると言つてもいいのである。」(「如是我聞」昭和23年)、と。この「マタイ伝」の言葉に、作者はどんな思いを込めていたのだろうか。そこには、過度に親和を求める葉蔵の心性と通じるものがあるかもしれない。

「マタイ伝」の言葉や、葉蔵の夢を実現するためには、世界はどのように構想されなければならなかったか。戦後の作品「冬の花火」(昭和21年)の主人公数枝の語る「桃源境」に、そのことを垣間見ることができる。

《ねえ、アナーキーつてどんな事なの? あたしは、それは、支那の桃源境みたいなものを作つてみる事ぢやないかと思ふの。気の合つた友だちばかりで田畑を耕して、桃や梨や林檎の木を植ゑて、ラジオも聞かず、新聞も読まず、手紙も来ないし、選挙も無いし、演説も無いし、みんなが自分の過去の罪を自覚して気が弱くて、それこそ、おのれを愛するが如く隣人を愛して、さうして疲れたら眠つて、そんな部落を作れないものかしら。あたしはいまこそ、そんな部落が作れるやうな気がするわ。まづまあ、あたしがお百姓になつて、自身でためしてみますからね。》(第三幕)

しかし、このような「ラジオ」も「新聞」も「手紙」も「選挙」も「演説」もない、外部との交通が遮断された「部落」は、人間の持っている悪を発現させかねないものだった。外の現実に開かれていなければ、「気の合つた」とか、「過去の罪を自覚して気が弱く」とかいった情緒的な関係は、反対のものに転化せざるを得なかった。

人は共同的な規範が許容する範囲でしか、社会的な関係を持続していくことができない。「おのれを愛するが如く隣人を愛して、さうして疲れたら眠つて」と述べられているようなことを、可能にするために構想された「桃源境」は、隣人との関係を憎しみに変えてしまう可能性を持つものだった。

「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」。作者はこのことの実現が、「この世」でも「桃源境」でも、「難題」であることを認めないわけにはいかなかった。「冬の花火」の数枝も最後には、「あたしのあこがれの桃源境も、いぢらしいやうな決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ。」と叫ばざるを得なかった。葉蔵が最後に到達したところも、この「桃源境」の成れの果てであるような茅屋での暮らしでしかなかった。


22 「神様みたいないい子」
『人間失格』は、小説家の「私」の「はしがき」と、主人公葉蔵の三つの「手記」と、小説家の「私」の「あとがき」で構成されており、その成り立ちの由来は「あとがき」で明らかにされる。

それによると、小説家の「私」は、戦後、疎開している友人に逢うために訪れた船橋で、葉蔵の手記に出でくる京橋のスタンド・バアのマダムと、十年ぶりに再会する。マダムは、そこで喫茶店を開いていて、「私」に、小説の材料になるかもしれないと言って、三冊のノートと三枚の写真を手渡す。「私」は押しつけられた材料でものを書けないので、すぐに返そうと思うが、その写真に心をひかれ、ノートをあずかることにする。そして、ノートに書かれた手記を読んで、「下手に私の筆を加へるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらつたはうが」有意義だと考える。その三冊のノートが葉蔵の手記で、三枚の写真については、「私」が「はしがき」で印象を述べている。

小説家の「私」が、直接逢ったこともない葉蔵に関心を持つようになったのは、その写真に心をひかれたためである。「私」はまた手記の読者にも、三枚の写真の「奇怪さ」(あとがき)を印象づけようとする。三枚の写真から受けとった「私」の印象を、「はしがき」から抽出してみる。

(1)一枚目の写真 「幼年時代」「十歳前後」「醜く笑つてゐる」「薄気味悪い」「猿の笑顔」「ひとをムカムカさせる表情」「私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かつた」
(2)二枚目の写真 「学生の姿」「ただ白紙一枚、さうして、笑つてゐる」「一から十まで造り物の感じ」「私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かつた」
(3)三枚目の写真 「としの頃がわからない」「どんな表情も無い」「自然に死んでゐるやうな、まことにいまはしい、不吉なにほひ」「見る者をして、ぞつとさせ、いやな気持ちにさせる」「私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かつた」

「奇怪」なのは、葉蔵の写真ではない。小説家の「私」の反応が「奇怪」なのだ。ここに記述されている写真の印象から、葉蔵の具体的なイメージを思い描くことは不可能である。なぜなら、小説家の「私」の記述からは、「私」自身の幻像を凝視しているような印象しか、受けとることができないためである。

それはまた、作者の心の中の作者の幻像をも象徴していた。葉蔵は中学のころ自画像を描いて、「自分でも、ぎよつとしたほど、陰惨な絵」ができあがってしまう。しかし、葉蔵は、「これこそ胸底にひた隠しに隠してゐる自分の正体なのだ、おもては陽気に笑ひ、また人を笑せてゐるけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持つてゐるのだ、仕方が無い」(第二の手記)と考える。小説家の「私」(作者)は葉蔵の写真から、みずからの「陰鬱な心」を感じとっているのである。

小説家の「私」は、船橋の友人の家に泊めてもらうことになり、マダムからあずかったノートを、朝まで一睡もせずに読みふける。そして、写真に心をひかれたときとは違った意味で、この手記にも心をひかれる。翌日、喫茶店に立ち寄った「私」は、マダムにノートを貸してくれるように頼み、こないだはじめて全部読んでみたと言うマダムと、次のような会話を交わす。

《「泣きましたか?」
「いいえ、泣くといふより、……だめね、人間も、ああなつては、もう駄目ね。」
「それから十年、とすると、もう亡くなつてゐるかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送つてよこしたのでせう。多少、誇張して書いてゐるやうなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をかうむつたやうですね。もし、これが全部事実だつたら、さうして僕がこのひとの友人だつたら、やつぱり脳病院に連れて行きたくなつたかも知れない。」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」
 何気なささうに、さう言つた。
「私たちの知つてゐる葉ちやんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さへ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした。」》(「あとがき」傍線・引用者)

この作品の最後の場面である。小説家の「私」は、葉蔵の写真に悪感情を抱いていたが、葉蔵の手記を読み、マダムの発言を聞いて、葉蔵のイメージの修正を強いられている。マダムの発言を印象深く聞いて、書きつけているのはそのためである。おなじように、この作品の読者もまた、「はしがき」で与えられた葉蔵のイメージの修正を強いられる。

マダムは葉蔵の手記から、小説家の「私」の住む現在に飛び出してきた、生身の葉蔵を知っているただ一人の人物である。だからこそ、「私たちの知つてゐる葉ちやん」を語ることができるのである。

「私たちの知つてゐる葉ちやん」は、「神様みたいないい子」だったと、マダムは言う。マダムはこの発言のすぐ前で、「お父さんが悪い」と言っており、「いい子」と「悪い父」を対立させている。マダムは、「神様みたいな」にではなく、「いい子」に力点をおいて発言していることになる。悪いのは父(世間)だ。葉蔵はいつも「いい子」だった。マダム(作者)が最後に言いたかったのは、このことだったような気がする。

作者は、葉蔵自身による自画像(手記)とも、小説家の「私」による葉蔵像(はしがき、あとがき)とも違う、無垢な心の持ち主としての葉蔵のイメージを、最終的にはすくい上げたかったに違いない。心と心を無限に通い合わせたいとする、「神様みたいな」幼児的な魂を。そのことはまた、この世からあの世に飛び立とうとしていた、作者の魂のあり方を暗示してもいた。(了)

(1999.12.26) (2013.7.6改訂)


【太宰治・作品論】

 1 『人間失格』論1/2   2/2
 
2 後期家庭小説論
 3 『津軽』『お伽草紙』論
 4 『斜陽』と周辺作品論
 5 前期作品論
 6 HUMAN LOST体験
 7 中期作品論[甲府]
 8 中期作品論[三鷹]

 9(終) 中期作品論[戦争]

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